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2013年2月

2013年2月26日 (火)

地震火山85歴史地震の学際的研究センターの必要

 朝日新聞の取材。歴史地震の資料や調査結果を「どのように社会的に生かしていくのか」という質問をしたいということで御受けした。金曜日に一時間ほど説明する。まず伝えたのは、地震学の動きである。つまり、地震学の側では、この間の経過の中で、歴史地震の史料解析の位置づけに弱い部分があったということがほぼ全体の認識となった。その結果、たとえば学術審議会の地震火山部会で議論されている次期研究計画では歴史地震の研究の強化が課題となっている。また産業総合研究所の地震・活断層研究センターが推進した9世紀陸奥海溝地震による津波痕跡の地質学的調査がもった意味も大きく、地質学との間に歴史地震分析との関係と同じような問題があったという指摘もある。
 私の説明では限界があるから十分に伝わったかどうかは心配だが、その上で、歴史地震の研究を推進し、それを社会的に生かしていくためには、第一に、歴史地震の学際的な研究センターが必要であることをいう。これは早くから石橋克彦氏が主張していることであるが、地震学・火山学・変動地形学・地質学などと文献史学・考古学の研究者をふくみ、情報機能・アーカイヴズ機能・技術組織をもったセンターは、やはり是非必要であると思う。
 産総研のメンバーが、八六九年(貞観一一)年陸奥地震の研究をもう少し早く展開していれば、予定されていた宮城県沖地震の再評価が早くなっていたろう。メンバーが、そうすれば、三・11の迎え方が若干であれ違ったのではないかと慨嘆していたのを聞いたことがある。9世紀陸奥海溝地震による津波痕跡の地質学的調査について、三,一一後にはじめて知った私にとっては、これは大きなショックだった。そして、その延長線上で、より早くから、つまり石橋提言があったのは二〇年以上前であるから、その時から、右のようなセンターの設置計画が動き出していれば、三,一一を迎える体制はやはり大きく異なっていたろうと感じる。
 事柄の性格からして、このようなセンターの設置を抜きにしては「歴史地震研究を社会的に生かす」ことはできないだろう。その課題は出来合いのものをもってくればよいというようなものではなく、長期的な課題なのである。
 第二に、そのようなセンターを前提にした研究体制の中で、自然科学的な観測データ・地質学的データと史料データの三つを同一レヴェルのデータとしてつき合わせることがはじめて可能となる。とくにそこでは全国で毎年毎年行われている考古学的な発掘の中で蓄積される地盤液状化・噴砂・断層などの遺構の調査を系統的に蓄積することが必要である。そこでは文献史学と考古学のデータ解析を自然科学が利用可能なデータに転換する厳密な方法が議論されなければならないのだと思う。
 そして第三に、それらがデータベース、知識ベースとして公開的に蓄積されなければならないのは明らかである。安土桃山時代までは石橋科研によって日本地震史料のデータがデータベース化されて静岡大学から公開されている訳であるが、このデータベースを基礎にさらに充実する必要があることは明らかである。そして、それらのデータは大規模な地理情報システムの上に載せて、特定地域の地震・地盤データをみれる状態をつくることが必要である。そこには、地盤液状化・噴砂・断層などについての考古学的なデータ、文献データ、そして断層図や、すぐにはむずかしいとしても地震の周期性や確立予測などを載せることが必要だろう。これは国土認識のあり方を大きく変えることであり、国土の利用の仕方にも影響するから、さまざまなむずかしい問題をはらむに違いないが、アカデミーは、その必要を主張せざるをえない立場であると思う。
 朝日の記者には、だいたい、こんなことをいい、この間、歴史学の分野でも資料ネットを中心とした文化財の保全の運動が大規模に展開しており、地震史や災害史、環境史の研究が急速に進展していることを伝えた。そして自分の分担する時代の地震について知っていること、いま興味をもっていることを話した。
 
 今は日曜、夜の総武線。今日は東京歴教協での講演ののちに職場にでて仕事。しかし、講演というのはうまくいかないものである。そして、歴史地震の研究を歴史学の研究と教育に根づかせるためにはさらに研究を深め、さらに明瞭な議論をしていく必要をあらためて感じた。

 今は月曜朝、総武線。ともかく歴史学の教師の方たちの前での講演は緊張する。そもそも話しているうちに、話の前提にある様々な私見が学界の中でいわゆる「通説」としての位置をもっている訳ではないということを意識してしまう。平安時代の王権論の捉え方、具体的な一々の「事実」(と私が述べたもの)についても必ずしも承認されている訳ではないということを意識すると、中途半端な説明をしてしまう。そうすると、地震の事実についてのザッハリッヒな説明の部分が背景に退いていって、ついつい、神話・怨霊そして政治史を細かく解説することになる。
 たとえば、私は8世紀の長屋王の怨霊化と菅原道真の怨霊化は連続して理解するべきである。奈良王朝から平安王朝への王家内部のはげしい政争は連続的なものであると考えているが、これは通説ではないい。それ故に、歴史教育の中で、このような問題を取り上げることにどういう意味があるかという議論そのものが必要になってくる。そして、この種のいくつもの前提とすべきことを、先生方の前で説明なしに話しているということに気づいてくると、だんだん、こういう話しが何らかの役に立つものであろうかという気分になっていく。去年、栃木県の国語教育協議会で話した時は、そんな気分にはならなかったから、これは専門性を同じくするものの間での討議、意見交流というものの難しさを意味しているのであろうと思う。
 翌日になって、こういうように昨日の講演の経験の意味を何となく納得しているが、しかし、講演はむずかしいものである。講演のスライドは、スライドシェアに載せた。WEBPAGEをみられたい。
 講演のあとの質問はさすがにするどいもの。一つは、記紀神話から「中世神話」への変容が講演の中でどうなっているのか、神話というものはいつも同じものではないはずあるという質問である。『歴史のなかの大地動乱』では、神話体系が怨霊が疫神・地霊などになっていく中で、変容していったと説明をしてあり、それを繰り返した。詳しくいえば、奈良・平安時代には、怨霊が地震を起こし、火山を噴火させ、疫病をはやらせ、自然の順調な営みをくずしていくというイデオロギーが実態になっていく。しかし、それは、そのまま表現されるのではない。そういう眼前の王家や政治の実態から直接に災害を説明する論理は、なかば深層に隠されて、表面には古い神話の神々が再登場するという形で説明されるのである。
 ただ、問題は、神話が歴史的に変化するということと同時に、神話の構造がそれなりの連続性をもって生き延びていくということにある。現在の通説は「中世神話」は記紀神話とは別のものできわめて密教的な性格が強いとする。それは正しい側面もあるのだが、しかし、記紀神話における自然神のイメージは日本列島の自然に根づいたものであるだけに、その枠組みは連続性をもって室町時代くらいまでは続くのだと思う。
 第二の質問は、政治や神話の話しは重要ではあるが、社会経済との関係はどういうようになっているのかという質問。律令国家から王朝国家への変化の時期、災害などの全体の位置づけはどうなっているのかということであった。私見は『歴史のなかの大地動乱』に書いた通りで、この時代の大地動乱、疫病流行、温暖化と旱魃の頻発という自然条件の中で、地震は、(津波をのぞいて現実の人的被害は少なかったとしても)、そういう自然の不順を代表する「地妖」としてイメージされた。しかし、人々にとって、そして社会的生産にとってもっとも大きな問題であったのは、「旱魃」とそれにともなう飢饉・疫病の発生であった。人々は、それに対して、山地を開発し、さらに灌漑水路を確保するなどの営為にとり組む中で、温暖化という条件を乗り切ったのである。温暖化は灌漑による水利用のシステムの開発によって、ぎゃくに生産諸力の発展の条件にも転化したということもできる。そして、その地域の村落は、自分たちの村落をまもるために、怨霊をむしろ積極的にムラに迎え入れ、王権もおそれる怨霊を祭るムラとして租税年貢などに対する特権を確保し、自己のムラをアジールにしようとしたということになる。
 しかし、これを律令国家から王朝国家への変化という全体の中で議論するというのはむずかしいことで、倉卒のあいだにうまく御答えすることはできなかった。8・9・10世紀における国家・政治・社会の変化の中で自然史と災害をどう位置づけるかについては、さらに議論をして、整理をしていくべき問題であろう。
 第三の質問は厳しいもので、何故、地震史や災害史の研究が遅れたのか、現在行われているような研究は阪神大震災後にあってもよかった研究ではないのかというもの。これは先日でた『地震の2000年史』の座談会でも話題になったことであるが、ここ20年ほどの研究の総括が必要な問題であってお答えに窮する。もちろん、地震や災害史の研究は、峰岸純夫氏を代表として、平安時代後期以降では重要な研究動向となっていたが、全体としては遅れていたことは否定できない。
 実は朝日の記者にも同じことを質問された。その時は、第一に自然史を歴史学の側で取り上げていく上での理論の不足、第二にそもそも文理融合の体制というのは、日本のアカデミーの中では成熟していなかったこと、そして第三に自然科学的なデータを取り扱っていく史料論がなかったことなどを答えた。東京歴教協でも同じことを申し上げた。
 
『歴史学研究』の3月号が届いた。峰岸純夫さんの提言「自然災害史研究の射程」がのっている。また私に専攻の近いところでは外岡慎一郎氏の「天正地震の史料をよむーー若狭湾に津波は襲来したか」がのっている。
 これは「シリーズ3,11からの歴史学」の第一回目で、今後、毎年2回、3月と9月に特集を組むということである。「今後、息長く議論を続けることで、今までの議論の遅れを必ず回復させたいと考えている」とある。さすが歴史学研究会である。
 いま、総武線、津田沼。

2013年2月23日 (土)

地震火山84歴史地震の教育も文理融合で、

 明日20130224は東京歴教協で講演。10:30から駒場高校で。
 題は宣伝では「歴史における自然と地震火山神話ーー神話をどう教えるか。歴史教育の側に聞きたいこと」としたが、「平安時代の地震と祇園社」に変えさせてもらう。ただ、地震神話の話しはトップにするので御容赦。神話論はさらに徹底的につめてから展開したい。
 スライドシェアにレジュメを載せた(webpageにある「Slide平安時代の地震と祇園社」)。
 歴史教育の側への提言をしてほしいということである。歴史環境学、歴史地震学の研究による歴史像・歴史文化の見直しを前提にして、歴史教育の側に対して何がいえるかということを考える。
 「おわりに」で三つふれるつもり。(1)は「神話の文化的位置と教育について」ということで、「安全神話」という言葉の含む欺瞞を論じておきたい。これは「神話」という言葉の誤用であって、実際は「安全宣伝」「自己欺瞞」であるものを「神話」と言い換えて、全体に責任があるかのような言葉使いは問題であるということ。私は、自然神話としての記紀神話は民族的な遺産であると思う。このような言葉使いは「神を蔑する」ものであると思うし、自然神話の理解によって列島の自然史を考えるというルートを棚上げする歴史無視であると思う。そしてこの問題は、歴史教育の側で、自然神話をどう教材として利用するかという問題につらなってくる。
 (2)は「教育における文理融合について」で、いま、プレートテクトニクスを小学校から教える必要は明瞭だと思う。防災教育は重要であるが、それが「恐怖教育」にならないようにするためには、地学(地理)教育の充実がどうしても必要である。そもそも文部科学省は、ここ20年、一貫して「地学」教育を中学・高校から排除してきた。それは客観的には地震列島に生きていく子供たちから基礎知識を奪ってきたということであって、生命を守るという教育の最低線を意識していなかったということである。歴史学の教育にとっては、地学教育の基礎の上に、それを支援できるような「融合的な」教育内容を作りだしていく必要があるのだと思う。
 (3)は「教材の電子データ共有について」である。こういう新しい教育分野について、教師個人ではなく、教師集団が、教材の見直しと教科の融合を実現する道を探る必要があると思う。その際、教材の共有のために、電子データによる教材の共有と練り上げが重要だと思う。
 明日の講演では、できれば、WEBに載せたスライドシェアをみていただこうと思う。昨年やった小学校での授業のスライドものせてあるので。

2013年2月17日 (日)

地震火山82自然科学者はなぜ全力で地震学を応援しないのか。

130217_214842_2   地震学を応援しなければならない時期だと思う。自然科学研究機構がハワイに巨大望遠鏡建設をうちだしたという東京新聞1月8日夕刊の記事をみてそう思った。
 「地球外生物を探せ」ということらしい。これは自然科学研究機構がすでにいわゆる中期計画で打ち出していることが具体的になってマスコミに情報が流されているということである。自然科学研究機構の内部的な事情としては、これはある意味で当然のことであろう。つまり、自然科学研究機構は、天文学、生命科学、とエネルギー(核融合科学)の5研究機関が集まっているところだから、5研究機関相互に共通のプロジェクトを打ち出すとしたら、こういうことになるのであろう。いろいろな再編と組織いじりがあって、自然科学研究機構が現在のような形になったのは、10年くらい前だったであおろうか。これはその頃から計画されていたものとは思えないから、ようするに「寄り合い事態」の組織が寄り合う中で検討課題をみつけていくという日本的なパターンである。
 もちろん、この研究課題に意味がないなどというのではない。その予算に意味がないというのでもない。しかし、日本がいどむべき自然科学の課題のうちで、いまもっとも重視しなければならないのは、地球科学そのものではないのだろうか。
 東日本太平洋岸地震ののちに、自然科学者の中から地震学を応援しようという声があまり聞こえないように思う。外側にいるものには事情がわからないところがあるという部分もあろうが、同じ自然科学者ならば今は地震学を全力で応援するべきなのではないだろうか。そういう雰囲気を感じない。
 とくに日本の自然科学界は、原発の燃え残り廃材の処理をどうするかの見通しをたてなければならないはずである。それは福島原発を安全に廃炉にもっていくための徹底的研究と原理的には共通する課題である。
 私も原子力科学の責任ある立場の人の話しを面と向かって個人的に聞いたことがあるが、彼らは本当にプレートの内部、地下深くに核燃料の廃材を埋蔵処理する積もりである。これが本当に可能なのか。
 太平洋プレート・フィリピン海プレート・ユーラシアプレートがぶつかり合う、地球最大の沈み込み帯の列島の地下に、そんなものを埋めて平気なのかというのは、原子力科学と地球科学の最大の協同研究課題のはずである。核燃廃材を他国にもっていくことはできない以上、これは日本の自然科学界が原発に賛成か反対かを問わず、その責任として負っている最大の課題であろう。
 危険な原発廃材を本当にプレートの地下に埋め込むことが可能なのか、一流の原子力科学者と一流の地球科学者が全力をあげて討議し、研究し、暫定的なものでも結論をだし、この列島に棲むものに対して報告をするのは当然のことだろう。これを給料分の仕事と思わず、無理難題だと思うような学者は、学者失格であると思う。
給料分というと下世話な言い方になるが、そもそも学問は役に立つかどうか不明な営みを行うことを社会的に許されている存在なのであるから、逆にいえば学者はいわば無限責任である。
 もちろん、きわめて少なかったといっても原発に反対の研究者が存在したことはよく知られるようになった。しかし、彼ら自身が「この仕事で給料をもらってきた以上、大きな責任はある」いっていることは重要である。つまり原発は予算、政府・企業との関係などを通じて、自然科学の研究体制の中枢に位置してきた。それを「原子力ムラの問題」だと自然科学者が切り捨てることは倫理的に許されないのである。

 NKHの番組で、地質学の高知大学の岡本氏が南海トラフ地震にともなう大津波の痕跡を探りあてた経過をみたことがある。その時、岡本氏が「私たちの学問は長い時間を相手にしている学問です」といっていたのが、強く印象に残っている。歴史学も同じように長い時間を相手にする学問であるが、その単位は、100年単位である。それに対して地球科学はは、1000年、10000年単位の時間を感じる能力を鍛える学問なのだと思う。そして、宇宙科学はもっと長い時間を対象とする学問である。1億年、1光年ーーーー。
 しかし、普通の人間からみれば、地球科学も宇宙科学も、目のくらむような長い時間を扱っているという点では同じ科学である。つまり自然科学者は永遠というものを相手にしている学問であるはずなのだと思う。そういう意味でも、いま、日本の自然科学者は地球科学と地震学・地質学を全力をあげて応援するべきだと思う。それをいましておかないと、いつか自然科学の全体がしっぺ返しをくらうということは考えておいた方がよいと思う。
 上に写真を載せた『地震の2000年史』という本は、20日頃にでるという。その「あとがき」に、私は、「いま学術の最前線で奮闘している地震学・火山学の研究者に敬意を表明したい。頑張っていただきたいと思う」と書いた。そこでは書きたかったことは、もっと明瞭にいえば上記のようなことである。地震学・地質学の側は自然科学の学界の中で正面から上記のような主張をする権利があると思う。

 2月16日、土曜、総武線の中。帰宅途中である。今日は、一日仕事がうまく進んだ。来週のお寺への出張準備も一応順調である。そこで、ブログを書こうということになって、今日の朝の東京新聞の「地震学は一種のやけぶとりである」という特集記事を思い出した。そして、その関係で上の文章の下書きがPCの中で書きかけになっているのを思い出して、それをさわっているうちに、だんだん、朝読んだ新聞記事について怒りがたまりはじめた。
 東京新聞の記事は、これまで地震学はできもしない「予知」をするといって研究予算をとってきた。東日本大震災でもまた同じことをやっている。それは「焼け太り」である云々というものである。そこまでいうのならば、ジャーナリズムの側は、何をやってきたかということが問われると思う。

2013年2月12日 (火)

地震火山82ラフカディオ・ハーンとTsunami

 『津波の後の第一講』(岩波書店)の中の今福龍太氏の文章を読んでいて、ラフカディオ・ハーンの津波についての英文につきあたった。下記のようなもの。入れてくれた子供に感謝。

From immemorial time the shores of Japan have been swept, at irregular intervals of centuries, by enormous tidal waves, tidal waves caused by earthquakes or by submarine volcanic action. These awful sudden risings of the sea are called by the Japanese tsunami. The last one occurred on the evening of June 17, 1896, when a wave nearly two hundred miles long struck the northeastern provinces of Miyagi, Iwate, and Aomori, wrecking scores of towns and villages, ruining whole districts, and destroying nearly thirty thousand human lives. The story of Hamaguchi Gohei is the story of a like calamity which happened long before the era of Meiji, on another part of the Japanese coast.

 世界中で、いま、津波のことはTsunamiというのは知っていたが、その最初がハーンの、この英文であったことは知らなかった。地震学の人にとっては有名な話であるに違いないが、むしろ人文系の私などが知らない。
 それにしても不思議なことだと思う。この話、津波の説明の入った説話は「生神様」。後に今村明恒によって有名になる「イナムラの火」の話である。そして、ハーンが、この英文を書いたのは1896年のこと。つまり、三万人の死者を出した明治三陸大津波の直後。ハーンは、それを妻のセツに読んでもらった新聞記事で知ったという。私がまったく知らなかったのは、アイルランド人を父とし、ギリシャ人を母として生まれたハーンの生涯が不思議なほど自然災害とむすびついていたということで、たとえば、彼はカリブ海のマルティニク島の首都、サン・ピエールを壊滅させたプレー火山の噴火の前兆を語る滞在記を書いているという。そして辿り着いた日本で津波を知り、それを世界に伝えたという訳である。
 ハーンにとってそれがどういう経験であったかは、今福氏の達意の文章をぜひ参照されたいが、これはどういうことなのであろう。
 つまり、ハーンが日本滞在の中で、経験した明治三陸津波の知覚が世界に広がった脈絡が、2011年3月11日の事件を通って、そして今福氏の思考と執筆を通じて、先日、この薄紫色の本を通じて、私のこの頭に入ってきて、いま、この指を通じて電子情報化されて、PCに打ち込まれ、近いうちにブログにのり、そしてWEBを通じて読むことが可能になっていく。明治三陸津波の死者が、こういうルートで、あらためて私の中に入ってくるということはどういうことなのだろうということである。
 こうして、ハーンの生活が、私によって再発見されるのだが、それは再発見の連鎖の最近の局面として存在している。Tsunamiという言葉は、ハーンを通じて、世界中の地球科学・地震学の研究者によってある時期に利用されるようになり、それを通じて、科学者のコミュニティで使われ、実態としての津波と地震の科学をささえ、そしてその研究成果を私が知って、私は、そこに人文社会学の研究者として何らかの参加をしようとしている。このような円環構造は、一種の現象学的な全体ということになる。
 こういう無限の連鎖によって世界は満ちており、誰もがその一端に連なっている。こういう事態は、結局のところ、たとえば私の昨日食べたものを分子・原子レヴェルにさかのぼると、世界中を経過してやってきているということと対になる事柄である。そしてそれは客観的な歴史に対応している。つまり、今日の朝たべたトマトの一片は16世紀の世界の食料革命の最重要な内実をなした南アメリカの物産のヨーロッパへの収奪を媒介としており、そのような歴史を我々は食べている。これは当人が知ろうと知るまいとそういうことなのである。
 この『津波の後の第一講』は、成田龍一氏に教えられて読んでみたのだが、その序文で、今福氏は、次のように述べている。

 たしかに人間は、過去の真の意味を、事後的にしか知ることができないという宿命のもとにある。前の人間には見えていなかったものをはじめて見出す後の人間。だがそこには、後の人間の認識的な「優越」という思い込みもかくされている。だからこそ、私たちは、後の人間であることの傲慢をも同時にいま放擲せねばならない。進展した倫理学と、より精密な科学技術をもったはずの私たち。だが、その現代人にも、「いま」のなかでは見ることができず、未来の人間によってはじめて発見されるしかないものがある。

  この文章に共感しない人はいないだろう。私もそう感じるのだが、それにしても、こういう分析を前にして歴史学者が何を考えるべきか。
 歴史家の仕事は、過去を知ることによって、過去と現在の円環するかのような構造を社会意識・自己意識の日常になるようにつとめることにある。しかし、それだけでなく、その仕事は、その過去・現在の円環構造を突きぬけて進むために何が必要かを考えることにある。そこまでを仕事と考えていなくては、私たちの仕事には意味がない。
 おそらくそういう感じ方については、今福氏の感じ方と違ってくるところがあるのだろうと思う。そうはいっても、まずは円環構造に囚われること、その様相を感性的にも知ることなくしては、歴史家の仕事は始まらない。その意味で、この文章は「自然」を前にして歴史学者というよりも、人間が物を考える時の原像のようなものを示している。

2013年2月 4日 (月)

地震学の人は頑張っていると思う。

 産業技術総合研究所の活断層・地震研究センターは、地質学の箕浦幸治の研究をうけて、海砂の詳細な分析方法を開発し、八六九年(貞観一一)に発生した九世紀陸奥大津波の浸水域がきわめて広範囲に及ぶことを示した。そして、それに対応する震源断層が、二〇一一年三月一一日の東日本太平洋岸地震の震源断層と重なる広さをもつものであることを確定し、三、一一の約一年前、それを地震本部に公式に報告した。地震本部は、それをうけて日本海溝の地震評価の全体的な見直しを開始し、大震災の発生の直前に、その見直しのための会議も予定されていたという。この成果は、東北の歴史学者の間には伝わっており、彼ら自身、二〇〇三年の宮城県北部地震がもたらした史料・文化財のレスキューと保全のための活動にとり組んでいた。
 それ故にもう少したてば、この研究結果は、東北の多くの人々に伝えられることになったに違いない。しかし、大地震と大津波の襲来の方が、一瞬、早かったのである。私は、三月一八日に、東京大学地震研究所で開催された同研究所談話会での情報交換会に出席した。そこでは、活断層・地震研究センターの研究にもとづく九世紀陸奥地震の津波の平野への遡及のシミュレーションが映しだされたが、右に述べたように、それが大震災以前の研究成果であったことを知って大きな衝撃をうけた。
 もしもう少し早く研究を進めていればと語る同センターの人々の痛恨の様子は心に強くひびく。多くの地震学者もマグニチュード9という地震の規模を予測することができなかったことについて深刻な反省を述べるが、しかし、地震学・地質学は地震の規模の予測のぎりぎりまで接近していたのである。私は九世紀の歴史を研究していながら、この経過を知らなかったし、何もできなかった。そもそも、問題の九世紀の史料の読みと解釈においては、この時代の歴史研究者の全員が地震学の石橋克彦のはるか後ろにいたのである。

 歴史学はなによりも重大なことを正確に記憶するための学問である。その意味で本書が、東日本太平洋岸地震・津波、そして福島原発震災を含むその惨禍を記憶し、日本の国土と歴史を取り戻していく上で、何らかの形で有用であることができれば幸いと思う。
 宮城歴史資料保全ネットワークの代表として、また東北大学災害科学国際研究所長として極多忙の時間をすごしている平川新氏と、歴史学分野の長老のお一人であり、災害史研究の大先達である北原糸子氏と座談の機会をもてたことに深く感謝したい。
 最後に、編者として、いま学術の最先端で奮闘している地震学・火山学の研究者に対する敬意を表明したい。頑張っていただきたいと思う。

 以上は、朝日新聞出版からでる予定(2月)の『日本列島ーー地震の2000年史』という本のあとがき。多くの方々の参加をえてできあがった本だが、編集に参加した。

 いま、地震学・火山学の研究者に対する期待、批判、圧力などなど様々だろうと思う。地震学の動向が注視されるのはやむをえないと思う。あわただしいだろうが、そういう中で、是非、頑張ってほしいという気持ちになる。
 何人かの地震学の先生方と面識をえるようになったが、ともかく、日本の社会が総掛かりで地震学・火山学の応援をするべき時期であることは明かだと思う。いま起きているプレートと断層の運動の記録をとること、調査をして予測をしていくことは、日本社会にとって、この列島に棲むものにとってどうしても必要なことである。
 いろいろな意見はあるだろうが、自然科学、科学技術関係の予算と人員を、現在は、もっともっと地震学・火山学に投入しなければならない時期だとも思う。はるか遠い宇宙に生命をさぐるという計画もよいが、しかし、いまやらなければならないことは国土の足下をみることだろう。

 それは原子力研究についてもいえることだと思う。少なくとも福島原発は廃炉にしなければならないのであるから、そのために必要な研究は(原子力研究の焼け太りという意見もあるようであるが)、どうしても必要なものだと思う。そういう声をアカデミーは一致していわなければならないのではないだろうか。
 

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