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2013年2月 4日 (月)

地震学の人は頑張っていると思う。

 産業技術総合研究所の活断層・地震研究センターは、地質学の箕浦幸治の研究をうけて、海砂の詳細な分析方法を開発し、八六九年(貞観一一)に発生した九世紀陸奥大津波の浸水域がきわめて広範囲に及ぶことを示した。そして、それに対応する震源断層が、二〇一一年三月一一日の東日本太平洋岸地震の震源断層と重なる広さをもつものであることを確定し、三、一一の約一年前、それを地震本部に公式に報告した。地震本部は、それをうけて日本海溝の地震評価の全体的な見直しを開始し、大震災の発生の直前に、その見直しのための会議も予定されていたという。この成果は、東北の歴史学者の間には伝わっており、彼ら自身、二〇〇三年の宮城県北部地震がもたらした史料・文化財のレスキューと保全のための活動にとり組んでいた。
 それ故にもう少したてば、この研究結果は、東北の多くの人々に伝えられることになったに違いない。しかし、大地震と大津波の襲来の方が、一瞬、早かったのである。私は、三月一八日に、東京大学地震研究所で開催された同研究所談話会での情報交換会に出席した。そこでは、活断層・地震研究センターの研究にもとづく九世紀陸奥地震の津波の平野への遡及のシミュレーションが映しだされたが、右に述べたように、それが大震災以前の研究成果であったことを知って大きな衝撃をうけた。
 もしもう少し早く研究を進めていればと語る同センターの人々の痛恨の様子は心に強くひびく。多くの地震学者もマグニチュード9という地震の規模を予測することができなかったことについて深刻な反省を述べるが、しかし、地震学・地質学は地震の規模の予測のぎりぎりまで接近していたのである。私は九世紀の歴史を研究していながら、この経過を知らなかったし、何もできなかった。そもそも、問題の九世紀の史料の読みと解釈においては、この時代の歴史研究者の全員が地震学の石橋克彦のはるか後ろにいたのである。

 歴史学はなによりも重大なことを正確に記憶するための学問である。その意味で本書が、東日本太平洋岸地震・津波、そして福島原発震災を含むその惨禍を記憶し、日本の国土と歴史を取り戻していく上で、何らかの形で有用であることができれば幸いと思う。
 宮城歴史資料保全ネットワークの代表として、また東北大学災害科学国際研究所長として極多忙の時間をすごしている平川新氏と、歴史学分野の長老のお一人であり、災害史研究の大先達である北原糸子氏と座談の機会をもてたことに深く感謝したい。
 最後に、編者として、いま学術の最先端で奮闘している地震学・火山学の研究者に対する敬意を表明したい。頑張っていただきたいと思う。

 以上は、朝日新聞出版からでる予定(2月)の『日本列島ーー地震の2000年史』という本のあとがき。多くの方々の参加をえてできあがった本だが、編集に参加した。

 いま、地震学・火山学の研究者に対する期待、批判、圧力などなど様々だろうと思う。地震学の動向が注視されるのはやむをえないと思う。あわただしいだろうが、そういう中で、是非、頑張ってほしいという気持ちになる。
 何人かの地震学の先生方と面識をえるようになったが、ともかく、日本の社会が総掛かりで地震学・火山学の応援をするべき時期であることは明かだと思う。いま起きているプレートと断層の運動の記録をとること、調査をして予測をしていくことは、日本社会にとって、この列島に棲むものにとってどうしても必要なことである。
 いろいろな意見はあるだろうが、自然科学、科学技術関係の予算と人員を、現在は、もっともっと地震学・火山学に投入しなければならない時期だとも思う。はるか遠い宇宙に生命をさぐるという計画もよいが、しかし、いまやらなければならないことは国土の足下をみることだろう。

 それは原子力研究についてもいえることだと思う。少なくとも福島原発は廃炉にしなければならないのであるから、そのために必要な研究は(原子力研究の焼け太りという意見もあるようであるが)、どうしても必要なものだと思う。そういう声をアカデミーは一致していわなければならないのではないだろうか。
 

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