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2013年3月

2013年3月27日 (水)

87地震学の用語法(2)「正断層と逆断層」

地震学の勉強をしていて、正断層と逆断層という言葉が、よく分からなかった。あれっと思ったのは、新聞で「福島の浜通で、東日本太平洋岸地震ののち、日本にはあまり多くない正断層が頻発している」という記事を読んだ時であった。そうか、日本では正断層は少ないのか、と思ったことを覚えている。
 正断層というのは、岩盤が引っ張られるようにして、断裂する形式の断層で、逆断層というのは、押し合って、岩盤の片方が片方に乗り上げるような断層であるというのは、一応、おぼえた。正断層が発生しているという福島の浜通りは、福島原発があるところで、正断層が多発しているのはそのすぐ南であり、Hi-NETなどをみると、そこは、浅部の地震を示すまっ赤なドットが集中している。
 そののち、正断層、逆断層という言葉を聞いたり、読んだりするたびに、それを思い出すのであるが、しかし、どうもよくわからない。なぜ、正断層・逆断層というように呼ぶのだろうかと考えるようになった。
 よく分からないというのは「正・逆」という一種の価値評価をふくんだ言葉がなぜ使われるのかということであった。正断層というのは、英語ではnormal faultといい、逆断層はreverse faultという。断層をfaultという言葉はテニスのフォルトと同じで、responsible for mistakeという意味で機械などについてもいわれるということだが、断層がなぜフォルトと呼ばれたのかは知らない。ともあれ、この正断層・逆断層という用語は、自然科学の学術用語の常として、欧米由来なのである。
 そして、ああそういうことかと思ったのは中村一明『火山の話』(岩波新書)を読んでいて、アイスランドのギャオ(地溝)についての説明にぶつかった時である。そこには次のようにあった。

 アイスランドの活断層は、ギャオのような正断層のほかには数本の、それも疑わしい横ずれ断層があるだけで、表面積の縮小を示す逆断層は一つもない。これに対して日本の活断層は、逆断層と横ずれ断層が主で、正断層は火山地域をのぞけばほとんどない(一六六頁)。

 これは地震学の人ならば常識的なことなのであろうが、ようするに、正断層というのはヨーロッパで多い、あるいはヨーロッパ地質学の目にふれやすかったということなのだと思う。それがどの程度のことなのかは私にはわからない。また世界の各地域で、正断層と逆断層の比率がどうなっているかは、いよいよ、私にはわからない。しかし、地震学というよりも、地質学は、まずはヨーロッパで成長した学問であるから、ヨーロッパ的な基準によって学術用語ができあがったということは、確実であろう。いわゆるヨーロッパ中心主義である。こういう用語を点検して、より普遍的な用語、実態的な用語に置き換えていくということは、世界の他の地域にとって、日本にとって、どの学術分野でも必要なことであると思う。
 ここまでが勉強したこと。それではどういう用語に変えていったらよいのかということは、もちろんのことながら、私にはわからない。ただ、実際には、現在では、正断層・逆断層に「(右・左)横ずれ断層」という分類が加わり、四種類の分類がされることが一般のようである。「衝上げ断層」という言葉を聞くこともある。「横ずれ断層」という言葉に対応するものとしては、「縦ずれ断層」ということになるだろうか。
 こういう様子をみていると、遅かれ早かれ、実態的に断層の形態を説明する用語が一般化することになるに違いない。たとえば、正断層を「引張り断層」、逆断層を「押合い断層」というのはどうだろうか。私が考えるような問題ではないが、しかし、「横ずれ断層」にくわえて、この種の言葉が一般化すれば、ターミノロジーの風通しはよくなる。これに前回のエントリーで述べたように「震度」がただの「ゆれ」、マグニチュードが「強さ」ということになれば、ニュースや解説に引っかかることはなくなるに違いない。ともかく、できるかぎり簡単で、子どもでも理解できるような実態を反映した単純な用語を作り出すことが必要なような気がする。
 なお、この問題は、根本的には、地質学の用語をどうしていくかという問題にも関わるのだろう。たとえば、洪積世Diluviumというのは地質学がノアの洪水により形成された地層と考えたためであるというのは有名な話である。DiluviumはDeluge(洪水)と同語源。これは今では更新世というが、私などは洪積世という言葉をおぼえた世代なのでごちゃごちゃになってしまう。今回の学習指導要領の改正で地質学、「地学」の学習量が増える可能性があると聞く。教育内容・用語法などをふくめて地質学の側でさまざまな議論があるに違いない。詳細を知りたいものである。

2013年3月20日 (水)

86地震学の用語法(ターミノロジー)ー(1)「地震と地震動」

 地震学の用語法について、いつかブログで少し書いた記憶があるが、いま電車の中なので、さがしたが、そのテキストでてこない。今日は最後の京都出張で、前日から向かっている。宿についたら自分のブログにサーチをかけてみようと思うが、書いた記憶があるのは、地震動と地震を区別する地震学の用語法についてである。

 地震学の人が、地震について説明するときに、誰でもがいうのが、地震というのは岩盤の弱面に断層が走ることであるという「地震=断層説」である。この学説もプレートテクトニクスの登場とほぼ同時、60年代末に確認されたということなのであるが、その意味がきわめて大きいことはいうまでもない。現在では、いわゆる活断層地震といわれるものも、プレート間巨大地震の影響が大きいという議論になっていて、「地震=断層説」とプレートテクトニクスを統合して、内陸地震の発生の機制を解明するということが地震学の最大の課題になっているらしい。

 問題は、「地震=断層説」の説明ののちに、地震学者が、ほとんど必ずといってよいほど、こういう意味での「地震」と地面が揺れることそれ自身は違うことですとおっしゃる。そして「地面が揺れることは地震動といいます」といわれることである。つまり、「地震動」は「地震=断層運動」の現象なのであって、地震の本質は断層が動くことににあるという訳である。

 ここには一種の啓蒙的な姿勢がある。私が地震学者の講演を聴いたのは、三,一一の後であったから、もう二年になるが、その時は、そういう説明の仕方を感心して聞いた記憶がある。なにしろ、その前は何も知らなかった。それより前、必要があって、震度とマグニチュードというものについて、ある先輩と話したときに、私が正確に区別できないのをみて呆れられたほどである。

 自分の無教養は例にはならないとしても、こういう経験からすると、地震学者は、現在でも、基礎的な啓蒙が必要であることをく知っているのだと思う。地震学者が講演をするとき、こういう話しをしても何をあたりまえのことをいっているのだという反応ではなく、それなりの手応えをいつも感じていたのに違いない。それは歴史学者が歴史学は「小説」ではありません。歴史学は何らかの意味で史料にもとづいて研究し、叙述されなければなりませんということをいうのと同じ感じなのかもしれない。

 しかし、今後、地震が岩盤の断層破壊を本質としていることは、小学生にとっても1+1=2と同じような常識になるはずだし、ならねばならないと思う。たとえば少々計算が早いとか、漢字のいくつかを知っているというよりも、地震=断層破壊という等式は自然科学的な知識として価値が高いことは明らかである。さいわいプレートテクトニクスと地震学、地球科学の発展は目を見張るものがあり、基本的な説明ならば、小学生でも具体的なイメージにそってわかるレヴェルに達しているから、これはとくにこの列島に棲むものの基礎教養として徹底的に教授されなければならないはずである。

 しかし、逆に、そうだとすると、今後、地震学の用語法はいろいろな側面から点検してみた方がよいのではないだろうか。つまり、小学生・中学生(あるいは高校生にも)に「地震」と「地震動」を区別せよという教育をするのは無理であり。無駄であると思う。歴史学の教育はおうおうにしてどうでもよい「言葉覚え」に帰着しがちであるが、地震学も同じような罠にはまってはならない。

 私は、「地震」という言葉で、「地震動」をふくむ「地震」のすべてを表現してしまってよいのではないかと思う。つまり「地震」とは「地」が震えるいうことである。earthqwakeと同じ言葉である。earthに「土」という意味と「地球」という意味があるのと同じことである。「地震」の「地」は、地面から、地盤からその下の岩盤から、地球そのものを意味するものと考えておくのが、日本語の表記や解釈として適当であると思う。

 普通の人は、「地震」という言葉を我々が立っている地盤が震えるという意味で使っている。その使い方は日常的・常識的な用語法として認めて、わざわざ「地面が揺れることは地震動といいます」という説明をする必要はないのではないかということである。我々、現象世界に棲んでいるものにとっては、まずは現象が問題であって、現象を中心に事態を総称する用語法を使うことには問題はないと思う。もちろん、とくに必要な場合に、地震と総称されるいう事態のうちの「地面の揺れ」について「地震動」という言葉を使用する場合があるというのは、学界内部の事情であって、学界のターミノロジーをどうするかということは、その学界が、その専門性において議論し決めればよいことである。しかし、そういう学界の用語法をそのままパブリックな世界にだす必要はないのではないかということである。

 これは、地震学の他の用語についてもいろいろ感じることなので、素人の談義として許していただいて、何回か、このブログで書いてみたいことである。

 いま新幹線は小田原。他の仕事もあるので、ここでは、事例として、二つのことだけを書いておきたい。

 一つは、「震度」と「マグニチュード」という用語である。学術用語を漢字と英語にするというのはアカデミーにとっては厳密性の確保のために必要な技法であるというのは、そう思う。しかし、それをそのまま社会に流通させるのは悪い癖だと思う。まず震度は、ただ「揺れ」あるいは平仮名の「ゆれ」でよいのではないだろうか。「震度3」というのを「ゆれ3」で何が悪いのであろうか。小学生に「震度」という言葉を覚えろということ、それはかならず書けということになるが、それは無理な話である。しかし、小学生にとっても「震度」なるものが何であるかを理解していることはどうしても必要であることはいうまでもない。だから、「ゆれ」でいいではないか。テレビでもジャーナリズムでも小学生にわかりやすい言葉を使うというのは基本的な姿勢として必要であると思う。

 同じように「マグニチュード」については、「強さ」でよいではないか。地震について話しているという文脈が明瞭なとき以外にマグニチュードという言葉が使われるとも思えないから、「強さ」でよいではないかということである。英語の「マグニチュード」は強さという一般的な意味であって、英米では、それで報道したり議論をしていて何の問題もない。それと同じようにすればよいのだと思う。もちろん、たとえば平田直氏の三,11を分析した朝倉書店の本では、マグニチュードを「地震規模」といってもよいとされているように、学術用語としての厳密さを示す場合には、いろいろな言葉がありうるだろう。マグニチュードという用語を地震学者が使い続けるのも当然のことである。しかし、小学生にマグニチュードという言葉を教える訳にはいかない。「ゆれ」と「強さ」でいいではないか。

 もう一点は、現在の地震速報についての考え方である。ご存じのように、地震による岩盤の波のような揺れは、P波とS波という二つの種類の波で観測される。この波は岩盤を早く伝わるが、波の速度は遅い。そして地盤を揺らすのは波である。そこで「地震予知」体制を構築したことによって、瞬時に震源を感知し、それによって波を観測したとたんに警報を出すことが可能になった。

 もちろん、S波とP波の差は、十秒レヴェルものだから、地震学の人は、これを「予知」とはいわない。「予知」は「予(あらかじめ)知る」ということだから、十秒単位のものを「予知」とは言いにくいということなのであろう。しかし、私などは、「地震予知」体制が目ざすのは(学術分析ではなく)社会的警告ということである。つまり、この体制において「予知」といわれているのは、いつ、どこで、どの程度の規模の地震が発生するかを察知し、「警告」することである。それだから、これはたとえ十秒前の警告ではあっても、立派な警告なのだから、堂々と「予知」といえばよいと思う。

 少なくとも、このようなことが可能になっているのは「地震予知」のための体制と予算を組んだことによるものである。「予知研究」の結果であることは明らかなのである。もちろん、地震学の方々にとってはそれは初歩的な成果にしかすぎないということであろうが、しかし、それによって実際に命を救われた方がすでにいること(明示的に何人ということはいいがたいとしても)は重く考えて表現してよいことだと思う。

 「予知」ということも「地震」と同じように総称であって、その一部に、初歩的なものとして、現在の地震速報を数え上げることには何の問題もないのではないか。それはここ30年以上の努力を正確に社会に伝えるためにも必要なことだと思う。

 実は、なぜ、地震学界がこういうように考えないかというと、その理由は、おそらく、右にふれた「地震」と「地震動」という用語法に関わっている。地震速報は「地震」が起きた後の速報であって、「地震動」の警告にすぎないという訳である。「地震速報」は地震が発生したのちの警告であるから、どういう意味でも「地震予知」とはいえないということでもあるのだろう。しかし、これはあまりに「真面目」すぎる学者的な発想である。そして、その基礎に「地震」という言葉を「断層破壊=震源断層の最初の滑り点」に限定しているという感じ方があるのではないだろうか。「地震」を断層の裂走のみでなく、地盤の動揺(「地震動」)、その伝播のすべてを含む総称として考えておけば、「地震予知」といって何の問題もないと思う。

 津波警報も同じであるが、生活者としては、ともかく十秒前でも、地震の直前警告がでることは、「予知」の最初の成果として受けとめることには何の問題もないと思う。

 以上、私見に過ぎませんが、この種の議論は必要なことだと思います。これは学術的な用語法と、その教育と、警告・コミュニケーションのあり方ということに関わって以外と重要な問題ではないかと感じています。

 

 なお余論。私は、これまで韓国のハングル化の運動の意味がわからない、あるいは不思議な運動であると思っていた。しかし、以上ののことを考えていて、それについてある種の理解の道がわかるような気がした。平田清明氏に「範疇と日常語」という論文があったが、日本語の「範疇」(学術用語)の総洗いということを自然系をふくめて考えてみるとすると、ハングル化の構想というのは、理由がある部分があるのかもしれない。もちろん、いまも漢字の不使用ということそれ自身になると一定の問題もあるのではないかとは思っているが。

 

 いま窓の外をみたら「YAMAHA」の工場があったから、おそらく磐田市近辺。と思ったら、天龍川を越えた。磐田は、遺跡保存運動に関わった場所。先輩・友人を思い出す。先日届いた『環境の日本史(中世編)』には榎原雅治氏の磐田を取り扱った論文があり、津波による、このあたりの地形変化についての詳細な分析があった。遠考研の方々には、この地域の地震痕跡の話を聞いたことがあるが、こういう形で磐田市の歴史について、また勉強することになると思ってはいなかった。

2013年3月 7日 (木)

平安時代における奥州の規定性

 以下は昨年秋の東北史学会での報告の要約。投稿済み
 「平安時代における奥州の規定性」はきわめて大きいというのが9世紀陸奥海溝地震の分析をした結果の副産物であった。日本史にとって「蝦夷」問題はきわめて大きい。遅まきながら、本当に遅まきながら、それを初めて実感した。私が直接の影響をうけてきた人々でいえば、大石、遠藤、入間田、菅野、斉藤の諸氏が何を感じ、何を考えてきたのかがはじめて分かったということである。何でこういう周回遅れの結果になるのか。何をやっていたのか。
 9世紀陸奥海溝地震の分析が遅れた歴史学内在的な原因・遠因は、学界が、東北史の位置づけを間違っていた、とまでいわないとしても熟考に欠けていたことである。少なくとも私は、それをやはり地域史ととらえていた。この間違いは思想的な間違いである。
 歴史分析は「後からついてくる」。ミネルヴァの梟は夕暮れに飛び立つ」とはいうが、実感としていえば、それが「後知恵」となるのは、歴史学者の姿勢、あるいは歴史学が置かれている社会的条件によるのであって、歴史学の知恵は、より早くから発動することが可能なのである。それが事態に遅れてしまった歴史学者としての実感である。しかし、最近の『歴史学研究』や『環境の日本史』(吉川弘文館)をみていると、歴史学はさすがなもので、急速に事態にキャッチアップしようとしていることが感じられる。

平安時代における奥州の規定性
 昨年の三・一一の衝撃の中で、平安時代における北方史の規定性ということを考え続けた。研究史を点検した結論は、九世紀以降に「古代帝国」が消失するという石母田正の理解の問題性である。石母田のいう奈良王朝の世界性は、むしろ最終段階における民族複合国家の特徴であり(保立『黄金国家』)、本格的な「小帝国化」は光仁王朝において蝦夷戦争の強行とともに開始された。光仁の蝦夷戦争は防衛戦として開始されたものではなく、むしろ王統の交替の政治不安の中で周到に計画された侵略戦争であった。それ故に光仁期に形を整えた万世一系イデオロギーは、日本における帝国のイデオロギーであった可能性がある。最近刊行された『中世英仏関係史』は中近世ヨーロッパにおける帝国構造を論じているが、これ以降、日本も帝国性を持ち続けたと考えられる。それは平川新のいうように江戸期にまで持続する。
 この「小帝国」は、三八戦争の戦後体制として形成されたが、王権の超然主義、無答責体制の下で、一〇世紀に確定した摂関家の外交代行権が奥羽における摂関家の勢力を規定した。とくに大石直正がいうように、栗原荘が「宇治殿領」にさかのぼるのは重要で、摂関家が奧六郡の南の境界地帯をおさえており、それはおそらく冷泉王統による東国庄園の掌握の中で位置づける必要がある(蜷河荘、三崎荘、波多野荘など)。
 熊谷公男が論じたように、蝦夷戦争の戦後体制は荒ぶる領域を抱え込んだが、院政期にこれが平泉権力として自立した境界権力となる。斉藤利男の言い方では「都市の平和」と「辺境の平和」。王権が津軽・北海道の支配と抑圧を自律的に請け負わせ、内国の「平和」を確保しつつ、諸利益を独占するという体制である。この都市王権と境界権力が相互に支え合う構造は従来の「求心性」という用語では理解できない。
 このような辺境権力の中枢に存在した軍事身分ー「武士」をどう理解するかは、平安時代史研究の根本問題である。斉藤がいわゆる武士職能論を批判して「古代~中世における武士形成の歴史の上で北方の蝦夷支配問題が果たしていた役割」こそが重要であり、「武士職能論を論ずるならば、「都の武士」ではなく、蝦夷追討のための戦士集団という面の解明こそ、第一義的課題になるはずである」としたことに賛成したい。かつて戸田芳実は「武士=刑吏=夷狄説」ともいうべき理解を提起したが、そもそも奈良時代の「武士」の深層には、刑吏=「物部」の職能があった。彼らは、京都の衛門府や市庭などの刑吏としてのモノノフの伝統をひき、一〇世紀以降には、その中から検非違使ー長吏ー非人という指揮系統が明瞭になる。他方で、陸奥における物部氏の広汎な分布にも注意する必要があり、彼らは『陸奥話記』の段階まで跡をおうことができる。京都の刑吏、モノノフは「都市の平和」の裏側、陸奥のモノノフは「辺境の平和」の裏側にいるものとして対応するのではないか。彼らは、本来的に「帝国の武士」というべきものであったと考える。
 ただし、三八年戦争の終了と同時に、九世紀の大地動乱の時代が始まった。小川弘和が「復興行政の臨機応変な実施を目的に国府の裁量権拡大と長官への権限集中」と述べているように、平安期の陸奥の体制は、一つの災害後体制でもあった。そこでは「民・夷」の協力と反発の双方が存在したろう。ここで注目しておきたいのは、蝦夷の祖先を鬼王「安日」(アッヒ)であったとする『曾我物語』の神話である。このアッピが高橋富雄のいうように糠部の「アッピ(安比)」であったとすると、入間田宣夫が「糠部巫女」と『馬医草子』に登場する巫女・大汝(オオナムチ)のイメージを重ねることが重大になる。オオナムチは地震の神であるから、地震を起こす地霊=アッピという観念が存在した可能性を考えてみたい。ここに、遠藤巌のいう鎌倉幕府の夷島成敗権に対応する蝦夷神話の形成をみてよいのではないだろうか。

友人の経済学者醍醐聡先生からメール。TPPについて

友人の経済学者醍醐聡先生からメール。TPPについて
 TPPの動きは信じられない話しである。
 以下、御紹介する。

 ご承知のことかと思いますが、政府は来週の13~15日ごろに安倍首相がTPP交渉への参加を表明する準備を進めています。

安倍首相、TPP交渉参加表明へ…来週にも

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130305-OYT1T00804.htm?from=ylist

(「読売新聞」3月5日、14時34分)

 しかし、「しんぶん赤旗が調査した、自民党衆議院議員が昨年12月の総選挙の時にTPPについてどのような公約(毎日新聞が行ったアンケートへの回答も含む)をしていたかの集計がネット上で閲覧できます。
「TPP これが自民党全議員の衆院選公約だ」(『しんぶん赤旗』2013年3月4日)http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2013-03-04/2013030407_01_0.html
 これを見ますと、当選した295人の自民党議員のうち、選挙公報でTPPに「反対」を表明したのは104人(35.3%)。この中には小野寺・防衛相(「TPP断固反対を貫く」)、坂本哲志・総務副大臣(「TPP阻止で、郷土・日本を守る!」)鈴木俊一・外務副大臣(「日本の農林水産業を守るため、TPP交渉参加に反対します」)、谷川弥一・文部科学副大臣(「TPP交渉参加反対」)江藤拓・農水副大臣(「TPP交渉参加には断固反対します」)が含まれています。

 そして、公報・新聞社アンケートへの回答を集計しますと295人の自民党議員のうち205人、69.5%がTPPに反対の公約をしたことになるとしんぶん赤旗は集計しています。
 
 なお、毎日新聞のアンケートでは、石原伸晃・環境大臣、政調会長の高市早苗議員、総務会長の野田聖子議員が「反対」と回答しています。

 自民党幹部が、TPP参加問題は政府の専決事項と、早々と言いだしたのは、TPP参加表明を党の協議にかけ、自分たちが板ばさみになりたくなかったからなのでしょうか?、



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このほか、各自民党議員のHPを調べてみますと、TPPについて次のような主張を掲載している

議員がいました。


武部新(北海道12区)公式HP「ズバッと答える 5つの質問」
http://takebe-arata.com/zubatokotaeru

 Q3 TPPはどうするの?

 A  TPPは国益をそこねます。反対です。

    TPPはアメリカ型資本主義の押しつけです。

    日本は、アジアの一員として国際ルールづくりを主道できる立場にあります。 

    地域を守り雇用を守る賢明な選択をしましょう。



武井峻輔(宮崎1区)のブログ「TPPについて~ふるさとの思いを胸に刻み~

http://s-takei.seesaa.net/article/334751117.html

「すでに「条件闘争」に入った、という報道がありますが、そのような意識はありません。政府
統一の予測もまだ出ておらず、この国がどうなるのか、皆目見えない中で進むことはあり得ない
と考えております。
交渉参加は政府が判断するものであることはその通りです。しかし条約批准は最終的には議会
での判断になります。まずは先述したこの公約に記した6項目などについて、きちんと履行さ
れることが前提にならなければなりません。」



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笑い話といっている場合ではありませんが、選挙公報にこんなことを書いている議員もいます。



鈴木憲和(山形・2区)

 「ウソをつかない、ブレない。TPP反対!!」

古川禎久(宮崎・3区)

 「TPPだけは、絶対に、絶対に、許してはなりません。」



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 上記のような公約をした自民党議員は、それでもTPP交渉への参加は政府の専決事項といって参加表明を容認するのでしょうか? 
 今、至急行わなければならないのは、こうした議員の言行不一致を厳しくウオッチする活動ではないかと思います。

そこで、選挙公約でTPPに反対を掲げた議員のうちでも、特に強く反対の意思を表明した議員(16名)あるいは交渉参加すること自体に反対の意思を表明していた議員(13名)の名簿・連絡方法(国会事務所、地元事務所の電話・FAX番号)を作成しましたので、添付します。



この週末までに、お一人がこれらの議員10名以上に電話and/or FAXで、「公約守れ」の意見・要請を行っていただけないでしょうか?

さらに、皆さん方ご自身にとどまらず、可能な限り多くのお知合いに同様の呼びかけをしていただけないでしょうか?

なんらの組織を代表するわけでもない私個人の呼びかけですが、どうか、よろしくお願いいたします。



追伸: 次のような緊急集会が企画されました。大変、時宜になかった企画だと思います。こちらも

    拡散をお願いいたします。



【TPP】JAグループが緊急全国集会を開催 12日、日比谷野音

(JAcom 2113.3.6))

http://www.jacom.or.jp/news/2013/03/news130306-20031.php

 「JAグループは、TPPが農林水産分野だけでなく、ISD条項、食の安全・安心問題、医療

 や保険など「われわれの暮らしと命に関わるさまざまな分野に影響を及ぼすもの」で「国のかたち

を変容させる重大問題」であることを改めて強調している。
 集会は農林水産団体と消費者団体が連携し「国益を守れないTPP交渉参加断固反対緊急全国集会

実行委員会」の主催とする。
 午後1時から日比谷野外音楽堂で。集会には全国会議員に出席を要請している。また、終了後はデモ

行進も行うほか、首相官邸前で青年部・女性部を中心とした抗議活動も行う。」



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