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2013年5月11日 (土)

歴史用語について、ふたたび

 以下はしばらく前にかいたもの。授業で話したことの一部

 今日はある大学で話。残務の処理に史料編纂所に寄る予定であったが、準備している間に思わぬ問題がでてきて、それを詰めて点検している間に、時間がなくなって直行する。
 学生との世代的な違いがありすぎるという感じが強く、どういう話ができるかとは思っていたが、自由にいいたいことを話していると、それなりに時間は過ぎていき、若干、時間をオーバーする。
 彼は金融論というI君がレポートをしてくれたので、それへのコメント。専攻とは違う、奈良時代の政治史について精細なレポートをしてくれる。
 私は、学術としての歴史学にとって歴史用語の読みなどはなかばどうでもいいことであると考えている。しかし、固有名詞の読みはレポートの途中で、おのおの指摘せざるをえず、どうも、申し訳ないので、レポートの後にまず歴史学と固有名詞についての業界的な説明をする(ただしこれは私の感覚なので業界一般である保証はない。
 まず、研究者の名前について。社会的には名前をまちがえるのは失礼であるが、研究作業にとっては一つの符丁なので気にしなくてよい。「あれ、これは非常識だったかなどと感じる必要はない。研究者は相互に学問の中身だけが問題なので、名前の読みは二次的な問題。もちろん、研究者としての相互関係は、「この門を入るものは一切の希望をすてよ」という訳ではない。同じ地獄に入っているという訳ではない。しかし一種の修道院に入っているようなものであるということは今も昔も変わらない。専門性におうじて社会関係との関わりは多様で、一筋縄ではないが、こういう感覚は出発点の一つだと思う。
 その後は、まず元号・年号について説明する。そもそも王の在位期間や恣意によって時間を区切るなどという思想は、時間の客観性を追求するのが第一の役割である歴史学にとっては不愉快な「子供だまし」である。しかし、元号は日本史の史料をあつかう以上、手間だが、それなりに覚えざるをえない。たとえば弘仁・承和・貞観の前後関係ぐらいは徐々に覚えざるをえないが、それは日本史とつき合う以上、やむをえないということである。そこは醒めているということになるが、歴史の客観的な経過は、(もちろん改元により雰囲気をかえようという動きはあるとはいえ)改元では変化しない。それ故に、まずは西暦に変換するくせをつけることが必要である。そのためにはワープロで西暦と元号の変換を登録しておくとよい。この西暦変換をやりながら、時間の客観性を感じながら物事を考えるというのが前近代の日本史研究ではとくに必須の習性になる。
 その上で、元号で歴史上の事件を呼ぶのは非学問的な行為であることの説明もする。たとえば「承和の変」というのは、それ自身として無内容な用語であって、無駄な記憶の賦課を歴史知識体系にかける。「薬子の変」は平城上皇クーデター、「承和の変」は恒貞廃太子事件などと呼ぶべきものであることを説明する。しかし、学界の側がターミノロジーを一致させるということは、結局、研究によって「事件」の実像をどこまで明瞭にできるかにかかっている。そして、そもそも歴史学界というのも業界なので、ムラの業界用語を自己批判的に点検するということはなかなかむずかしく、そういう点では、すべてを疑うという原則が必要となるという実情も伝える。
 こうやっていくと社会的な歴史常識においては元号を記憶する賦課がへるが、問題は、ぎゃくに記憶するべき人名がふえていくことで、従来は「承和の変」のみ覚えていればよくて、恒貞などという名前は覚えなくてよかったものが、少なくとも経過的には「承和の変」と同時に恒貞という名前を覚えるという手間が生じる。こうして関係の人名リストが増えていくことになるが、これはしょうがないとあきらめるほかはない。
 ただ、人名に関係する固有名詞として『小右記』だとか『中右記』だとかいう史料名がある。『小右記』というのは小野宮実資が右大臣を極官としたのによる、「小」と「右」をとって日記名としたもので、これは歴史家にとっては不要な言葉である。ただ、歴史家としては、これも必要悪で覚えざるをえないし、論文でも引用せざるをえないから、同じように、変換データを作っておいて、『小右記』と入れて変換すると、『藤原実資日記』となるようにしておくと便利であるなどという。なお、『小右記』というのは教科書などにもでてくるが、これは本来教科書にはのせるべきでない。
 こうして、こういう固有名詞は、結局、歴史分析の中では、相当部分が「人物史」「個人史」の分野の問題に関わってくる。どれだけ、その個人のイメージを明瞭にできるかということが勝負になる。その場合、たとえば聖武天皇をとってみれば明らかなように、人物史の常識的な評価には相当の問題があることを前提としておいた方がよい。「すべてを疑え」である。いわゆる「人物史」は要するにすべて政治史の理解に関わってくる。歴史学一般で、「すべてを疑え」というのが学術的な原則であるが、歴史学でとくに疑うべきなのは政治史である。
 というような話をした。ここまではわかりやすい話。
 その上で、むしろ必要なのは、一般名詞、とくに動詞や形容詞などのいわゆる用言の理解になることも説明する。これはうまく話せなかった。具体的な例にそくして話さないとだめであろう。
 ともかく、われわれの世代からは小学館の『国語大辞典』の位置が大きくて、名詞の理解は相当初心者でもできるようになった。この点では、50年・60年前に研究をはじめた人には信じられないような研究用具の改善があった。これを全面的に利用することが必要である。人文系の学問は、所詮、言葉の学問というところがある。その上で、研究の現状からいって、形容詞・動詞は、まだまだ議論は可能で、しかも用言の方が、前近代人の日常意識は反映している。その細部を読む訓練に集中し、どうでもいい固有名詞を記憶するのは徐々に貯まっていく記憶の成り行きにまかせるという構え方が必要になるという、これも一般的な説明をした。
 さて、これを書いていて、あるい尊敬する研究者が、ほとんど固有名詞を知らない。それで本当に歴史をやっているのと娘さんにいわれたといっていたことを思い出した。ともかくも、私は、固有名詞に対するある種の嫌悪ともいうべき感情が、歴史を細部においてみるという研究姿勢において決定的に重要であり、かつその延長線上に歴史の理論的な理解の道が開いているものだと思う。これが史料を読むというところから歴史の方法に直通していく道であるのだと思う。
  前回は、「史料を読む」「歴史の方法を考える」「通史」という三つの事柄は、歴史学にとってはつながっている。「史料の細部を読む」ことは、歴史の方法的な考察につながり、さらにその先に、全体像と通史というものがあるのであろうと思う。

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