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2013年6月11日 (火)

96高校で地震の授業

 昨日は千葉県の高校で9世紀の地震津浪と歴史学ということで授業をした。その教材にしたパワーポイントをスライドシェアにあげた。
 自分でやってみて思ったが、3,11から二年がたって各地の小学校から大学までの学校で、どのような授業が行われてきたかは、そろそろまとめた方がよいのではないかと思った。直後の大学での授業の経験は岩波からでた『津波の後の第一講』という本になってでていて、これはよいものだった。
 私も小学校で授業をしたが、高校での授業は初めて。ともかく高校で授業ということをしたことがない。
 感じたことは、繰り返しになるが、こういう経験を交流しなければならないということであった。各地域ではどういう授業をやっているのだろうか。この三月、東京の歴史教育の先生方に講演をしたが、むしろどういう教材を作るかという話をするべきであったと反省である。
 こういう経験を交流すること、その典型例を報告しあうことは教師集団の役割であろうし、民間教育団体としてもやるべきことであろう。こういう授業の実践によって作成した教材を共有することは、情報手段を使えば、そうとう簡単にできるはずである。またそのための援助をすることは教育行政の役割であろう。授業の内容には教育行政はかかわらないのは当然のこととしても、今回のような場合には、いわゆる条件保障の一部としてやるべきことであると思う。そしてその出発点は、被災地の教師と子供たちの声を聞くことであることはいうまでもない。
 第二は、この授業は、地域と学校の衆知をあつめて、文理融合のやり方でやらねばならないである。授業をしてみて驚いたのは、プレートテクトニクスということを知らない生徒がきわめて多かったことである。これは小学校・中学校・高校と順序をおって系統的に教育するべきことであると思う。プレートによって地殻ができていること、そのプレートはマントル対流を原動力として動くこと、そして日本は世界有数の沈み込み帯に位置すること。このことぐらいは小学生でも工夫すれば十分にわかる。これは小学校四年生に授業をした経験から確実にいえることである。そして、その地域地域の災害史の授業は必要だし、さらに現在の地震観測網の実態を教え、また「地震予知」の困難と可能性を教えることも必要であろうと思う。
 第三は、こういう自然の歴史、国土の歴史を子供たちに語ることの意味であった。高校生が真面目に聞いてくれるのに感動したということももあるが、1000年前のことを、これだけ真面目に聞いてくれることはなかなかない。そういう中で、経験を伝えていくということはたいへんに大事だと思った。聞いてくれた高校生に感謝である。
 授業は午前中で帰ってきたが、本当に疲れて、ばたんとなる。休んでから夕方に自転車ででた。ローカルな話だが、千葉の動物公園から天台スポーツ公園へあがっていく斜面の林の中の道を発見。
 130610_1739261 この写真はそのそばでとったもの

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