霞ヶ浦
植物たちに
めっきり少なくなり、人の目にふれることも希な沈水植物が、わたしの体内で揺れる。時には激しく、時にはゆっくりしたテンポで、羊水の中で動く幼児のようだ。湖の中で生を営む植物にとって、わたしはゆりかごだ。
しかし、昔のわたしがどんな暮らしをしていたのかを探るために、長い年月をかけて調べてくれた学者がいる。学者は、大声でやや乱暴な意見を述べるが、その姿勢は一貫して、わたしの同居人を大切にしてくれる。
人びとはわたしの鏡しか見ない。その方が楽なのだ。しかし、わたしの体内では多くのものが揺れながら陽炎のように生きているのだ。今確認されている植物は三百六十四種類もあるという。これから増えるか消えるのか、わたしには分からない。彼らの生き方は実に静かで、死に方も実に慎ましさを心得ているのだが、復活という玉手箱のような技さえ持ち合わせていることには驚きと尊敬がわたしの頬をなでる。
これまで迷子になっていた植物が地上にその太古の姿を現す。浚渫されたヘドロから生命を復活させるのだ。そして、地上のひとは亡霊にひれ伏すように手をあわせる。こんな形で生まれ変わるとはと、わたしを見つめる。わたしは少しばかりの喜悦に酔う。緊張感の抜けたような世の中でもまだ、わたしに発信を忘れない植物たちの存在に恐怖を越えた慈しみを知るのだ。
幾多の復活話を聞いてきたがこれまで信じられなかった。浴衣の襟元あたりに匂う少女の戯れごとだとさえ思っていた。白く無垢な柔肌と、透き通るような産毛を揺らして粛々と生まれてくる眠りからさめた植物たち。優しさではない。真実への探求に華を持たせようとしているのだ。
父の兄が死去した。もうすぐ九九歳というところであった。病院をたずねて手を握り、伯父の家にもどったところで容態が急変した。通夜・告別式が7月2日・3日。土浦で葬儀である。家族で参加。久しぶりに妹にも会う。上の文章は従姉妹のつれあいの写真家の御供文範氏のページの「わ・た・し・は・霞ヶ浦」から(http://mitomo.justhpbs.jp/index.html)。霞ヶ浦の伯父は土浦の自然を守る会の最初のメンバーの一人で、御供さんは、伯父につきあって、その活動を長く支えてくれた。
火葬をまつあいだに親族と親しい人々が60人ほどもいただろうか。久しぶりの方々に挨拶をする。私は母方の大家族で育ち、大家族のもっている問題の大きさを知っているが、同時に、大家族と親族の間での経験によって人格を作られてきた部分が大きいことを知っている。いわば大家族の苦闘を食って生きてきたということである。
現在、この列島に棲む人々の多くが送っている都市的な生活の中では、この親族というものが見えなくなりつつのではないだろうか。もちろん、親族に依拠せざるをえない局面というものはあり、大人になってしまえばそれではすまないとはいえ、ここ30年ほどの子供たちにとっては親族というものは目の前にいない存在であって、目の前にいない存在はみえない。現在の子供たちにとってはそれはいわば家族を動物としてとらえることができなくなる。人間の動物の繁殖網がみえなくなるということで、それは自分と自分の家族を動物として相対化し、そのようなものとして悟る機会をなくさせる。第二次世界大戦後の日本は、そういう意味での親族関係を地域社会とともに破壊してきた。物材を独占するためにという機能において、親族を「閥」という形で、残してきたのは一部の人々である。現在の政界・財界を構成している人々は、このような社会からの親族組織の排除を実施し、主導した人々である。この人々に退場を願うことは、これからの社会にとってどうしても必要なことである。
以下は、控え室での挨拶。
私は父を早くなくしたものですから、小学校・中学校の頃は土浦に入り浸りでした。伯父と伯母には本当によくしてもらい深く感謝しています。私は歴史の研究という仕事をしてきましたが、そういう道をえらぶ上で、伯父からは大きな影響をうけました。昨日、お通夜で和尚さまが伯父の歴史好きは武士や合戦ではなく、町や庶民の歴史が好きだったのだとおっしゃいましたが、私はその影響をうけました。
私は、伯父が、そういう考え方のうえにたって土浦の自然を守る会の中心メンバーとして活躍されたことにつねに励まされてきました。私は50年前、豊かな霞ヶ浦の町、土浦をよく憶えています。
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