池上裕子さん 『織田信長』
東京新聞をみていたら(7月28日)、池上裕子さんの大きな写真。歴史学研究会の中世史部会で結城氏法度の勉強会をやったころ、つまり30年以上前からの友人なので、なつかしい。この史料はむずかしい史料で、みんなで読んだその解釈は活字にしようということになって、ちょうど、永原先生が結城市史を編纂されていたこともあって、結城市史にのった。解釈では、みんな池上さんの側に立ちたがった、または池上さんの判定が自分にくだることを競った。ポーシャ姫である。
この前御会いしたのは、去年の歴史学研究会か、一昨年の同部会の中年部会で国立で飲んだときからだから、もうしばらく御会いしていない。もっと会う機会を作らないと、我々も若くはないので、研究上の交流を十分にしないままになってしまう。
さて、このインタビゥーは吉川弘文館の人物叢書の『織田信長』の話。私もいただいて通読した。見事な本であると思う。信長は「統一政権」とはいえないというに感心。私も京都を押さえるという点が問題で、都市占領がキーだと思う。そのうち京都論をやってみたいというのが夢であるが、いつ自分の研究でそこまでいけるかというのが、最近の地震研究と神話論があって、見通しが立たなくなった。
この本への感想では「もっと信長を評価すべきだ」という意見が多かったということで、池上さんの感想。「歴史学者って案外、権力者が好きなんです」。痛烈な人である。「歴史学界の権威者からは『信長は統一政権として評価すべきだ」とい意見があったということであった。こういう馬鹿なことをいう権威者とは誰だ?
「権力者は史料も多く、研究成果もえられやすい。村のことを調べようとすると史料は少なく難しい。でも民衆を知りたい」というのは、研究者としての職業倫理であると私なども思う。プロになったら難しいことをやるべきだ。上からつめていかないとならないというのは事実ではあるだろう。若い人がそれをやるのはいい。歴史は史料が第一だから地層のように、上からはいでいかないとならない。しかし、それはいわば考古学でいえば準備仕事で重機でやるべき部分だ(といっても近代の地層を重機ではいでもよいという訳ではないが)。そこは集団労働でみんなでやる部分だ。そこに責任をもちながら、地層の下の方に触覚を働かせるのがプロのはずである。信長などは、重機で掘る部分であり、いわば歴史のゴミ部分であり、正味ではない。私の場合は、清盛とか頼朝とか義経にあたるので、私も早くそれらのゴミ処理を終えたいものである。
さて、池上さんがよく立派な歴史家が出身するところとして知られる新潟、そして佐渡のご出身であることは知っていた。ただ、農作業の経験があるというのはうかがったことがなかった。以下、それを引用して池上さんへのオマージュにかえる。
記者の質問「池上さんが農民とか、支配される側に目を向ける原点はどこに」。
池上さんの答え
「実家は新潟県佐渡市の農家で、田植え、稲刈りも手伝いました。農民の生活はある程度分かっているし、村という共同体の状況も大体分かります。どのくらい田畑を持っていれば、どんな生活が成り立つか。あんまり成り立たないんですけど。村のみんなで水路をいくつも造り、その先をそれぞれの田んぼに分けていく。そういう共同作業がありながら、みんなが仲良く暮らしているわけではなく、それなりに大変だということも知っています。
村人が生産にどう携わり、家や家族をどう成り立たせていたか。地域はどうつながっていたのか。権力者は資料も多く、研究成果も得られやすい。村のことを調べようとすると資料は少なく難しい。でも民衆を知りたい」。
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