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2013年8月20日 (火)

ドゥルーズと神知学と神話

ドゥルーズの翻訳「変差というものそれ自体」
 ドゥルーズの『差異と反復』の試訳。第一章のトップ

 変差のない世界という場合、二つのことが考えられる。それはまず、一切がとけ込んでいる未分化な深淵、漆黒の無であり、その中にすべてが流動化していて不確定な動物的存在である。次には何もない空白、死の静止をひたす液体の表面であって、そこには位置を外れたもの、頸からちぎれた頭、肩から外れた腕、眼窩から飛び出てしまった目などが浮かんでいる。前者の暗黒の深淵はまったく未分化な世界であるが、後者の死の隙間にある腐敗した水面も無関心によって支配されており、変差のない世界である。
 それでは変差というものは、この二つの極限の間にあるのだろうか。そうではなく、むしろ、変差ということそのものが、唯一の極限、そこではじめて現前し、精細な世界が存在する唯一の契機なのではないだろうか。変差とは、そこで位置決定そのものを語ることが可能にする状態をいうのである。二つの事物の「間」という形で捉えられるならば、その変差とは経験的なものにすぎず、おのおのの位置決定も外側からのもの(extrinsic)にすぎない。そうではなく、つまり事物が他の何かから区別されるというのではなく、変差を考える場合には、ある事物がそれ自身を区別するということを考えなければならない。あるものが自己を際立たせる背景は、それ自身としては際立たない。たとえば稲妻は背景の暗い空からそれ自身を際立たせる。稲妻は背景の天空を際立たせる訳ではないが、しかし、稲妻は天空を自身のうしろに従えていくことによって指し示す。下地が下地であるままに表面に浮かび出てくるとでもいったらよいだろうか。それはあたかも捉えがたい敵を捕捉しようとするかのようである。このような闘争には、両方の側になにか暴虐非常なもの、あるいは怪物的なものが生まれる。そのような闘争においては優位者が、それ自身と差別できない何かと対立し、その弱者の側は優越者から圧迫されながらも服従しつづけるほかないからである。変差とは、こういう優越的な決定が一方的な差別という形態をとる状況のことなのである。それ故に我々は、変差は作られる、または自己自身を作ると考えるべきなのであって、このことが「差をつける、少し変えてみる」などという表現に反映しているのである。
 変差と、その創出は非情なものとして印象されうる。プラトン主義者たちは、「《全一ではないもの》はそれ自身を《全一なもの》から区別するが、しかしその逆は成り立たない、つまり《全一なもの》は、それ自身を《非ー一》から区別することはできない。なぜなら、《全一なもの》から《非ー一》は逃げ出すことができるが、全一なものは何物からも逃げることがないからだという。また別の視点から、形は、それ自身を素材あるいは背景から区別し、際立たせるが、その逆は成り立たない。つまり素材や背景は形から区別され、際立ってくるということはない。なぜなら、形というのが、そもそも区別・際立ちということそのものだからだ」と語っていた。だが、それはプラトン主義者の考え方であって、実際に起こるのはそういうことではない。つまり形が浮かびでてきた下地に反映するとき、その形はすべて溶解してしまうのである。そうなると下地は、それ自身、背景にとどまる未規定なものではなくなってしまい、他方、形の方もまた、共存したり補完する諸規定であることをやめてしまう。浮き出る下地はもはや背後に退いてはいず、自律的な存在を獲得し、下地に映しだされた形は、もはや形ではなく、直接に魂に訴えかける抽象的な線になる。下地が表面に出てくると、人間の顔は、鏡のなかで崩れてしまう。そこでは、末規定なものも諸規定も、変差を「つくる」、単一の規定として混じり合ってしまうからである。怪物をひとつ産みだすために、いくつもの異常な規定を積み重ねたり、動物に何度も重ね書きを加えたりするのは下手なやり方である。むしろ下地を浮きあがらせ、形を溶解させる方がよい。
 ゴヤはアクアチントとエッチングの技法で、すなわちアクアチントでは灰色の濃淡をもちいて、またエッチングでは細線によって仕事をしていた。オディロン・ルドンは、明暗法と抽象的な線を使った。線は肉付けすることをやめる、つまり形の造形的な象徴と関係するのをやめることによって力を倍加させる。線は背景から際立ちながら、背景はひいていくので、いっそう激しく背景に食い入っていくのである。そういう線の中で顔はデフォルメされる。
 そして、怪物を産みだすのは《理性》の眠りでしかないなどと言ってもはじまらない。怪物を産みだすのはまた、思考の覚醒、思考の不眠症でもある。なぜなら、思考とは、そこにおいて規定作用が、末規定なものとの一方的で明確な関係を維持することによってはじめてひとつの規定へとつくりあげられる、当の契機だからである。思考は変差を「つくる」、がしかし、それが作られたものであるということは、作られた変差が怪物的なものとして登場するということなのである。我々は変差が呪われているものであるかのように登場するからといって驚いてはならない。またそれが錯誤、罪または祓われるべき悪の姿をもって登場するからといって、驚いてはならない。そこでは下地を浮き出させ、形を溶解させたということがやましいものと感じられただけなのだ。残虐非情というのは優越的な決定そのものの印象なのだというアルトーの発想を思い出してほしい。虐待が起こるのは、規定されるものが末規定なものと本質的な関係を維持している、まさにその地点においてなのであり、明暗法がその陰に飼っている悪寒のように幻想的な線形なのである。
 
 稲妻、背景の暗い空、怪物というのは神話論をやっていると面白い問題である。

 明日からは、ゲラの校正が入り、さらに出張に続くので、今日はしばらく前から興味をもって読んでいたドゥルーズの話。ちょうど家族から、今日の夜にドゥルーズについての「哲子」さんのテレビ番組なるものがあると聞いて驚く。
 上記は、先日、ルドンをみたあとに続けていたドゥルーズのルドンについての解説をふくむ『差異と反復』の一節の翻訳。「哲学者」でない人、哲学ムラに属さない人、つまり私にもわかるように訳すということをしてみた。
 神話から神道へということを考える上でも、神話から神知学へ、そしてキリスト教へという道をみちびいた、プラト二ズム、あるいは新プラトン主義というものをどう考えるのかが基本的な問題であると思う。このような思想の動き方は、私はやはり「普遍的」なものだと思う方である。つまり、『古事記』『日本書紀』の体系でも、タカミムスヒ・カミムスヒは隠された神となる。隠された神、天空の彼方の彼方に存在し、独神となって「卒業」してしまった神というのが存在するというのはギリシャ神話論の基礎であるらしい。たとえば新プラトン主義者のはじまり、プロティノスの美しい文章は(「エロスについて」)、ウラノスの子どものアフロディテとゼウスとディオネの娘としてのアフロディテを区別し、前者を「母なくして生まれた女神」であり、天上には結婚がないとしている。
 こういうような神話の抽象化は、神話の神々の世界が多層化する中で生まれたものだろうと思う。これが倭国神話でも展開しつつあった。つまり東北アジアの神話と南アジアの神話の重層の上に、さらに倭国的な重層化が進展していたのだからそれは当然だろうと思う。タカミムスヒーアマテラスーオオクニヌシという形で三層にはなっているわけである。
 私はタカミムスヒの「隠身化」は、津田左右吉の議論を前提とすれば、きわめて政治的なものであろうと思う。水林彪もそう考えているように思う。ただし、そこには、一般的な思考の展開の仕方としての神話的神々の抽象化という動向もふくまれていた。タカミムスヒは、そういう意味で「生成」の神という抽象的な神格を獲得する手前にいたようにもみえる。タカミムスヒは火山の神であるというのが、この間、『かぐや姫と王権神話』などで主張してきたことだが、それが本居ー折口がいうように「生成」の神、そしてエロスの神としての神格を付与されるような動向があったことは否定しない。神話の神知学への展開というわけである。
 しかし、倭国神話から倭国の神知学が生まれるということはなかったし、それが「哲学」に展開するということもなかったのはご存じの通りである。これが「道教」と「神道」の問題であるというのが、私見。こう考えてくると、タカミムスヒに注目する本居ー折口の見解(生成の神、エロスの神)は、いわば遅れてきた神知学ともいえるのであろうと思う。
 

 ドゥルーズが考えようとしたことは、キリスト教批判のさらに先、つまりキリスト教の教義のなかに流れ込んだ神知学と神話的思考にさかのぼって批判を展開して、西洋哲学史を相対化することであるということはよくわかる。『差異と反復』には何かというとプラトンがでてくるが、その理由は了解できる。プラトニズムの「美しさ」に惹かれるのは哲学者の心性であるが、これは現代的な意識としては感心できないものというほかない。彼らは哲学を名にして自分流の御経を作っているのだというのが、哲学という職業を否定する(ところにまでいったのであろうと思うが)ドゥルーズのいいたいことなのであろうと読む。
 そして、ドゥルーズにおいては、それがベルクソンを前提としたヘーゲルに対する弁証法的理性批判という形をとったことをどう考えるかというのが基本問題である。
 マッハの経験批判論にはじまった唯物論批判は、ヘーゲルのいう「直接知」への批判、つまり巨大な自己運動をはじめた科学(自然科学、社会科学)に対する哲学の職業的擁護の心情につながる俗論である。それは19世紀末期においてアカデミズムと大学組織の形成とともに、「哲学者」の職業的必要、自己の学術の根拠づけの確認、悪くいえば職業的利害の擁護、職業的誇りの擁護という形で展開したものであるというのが、年来の私見である。少なくともそういう側面があるというのは否定できないと思う。ようするに「学者」「アカデミズム」というものが成立したのである。この点で、マッハの経験批判論に対するレニン的な批判は正当な部分が多い。バクーリ批判は当然であると考えるし、レニンの哄笑に対応できる学者、哲学者、「愛知者」というものはそうはいない。
 もちろん、逆にマッハ・フッサールは学術の問題としてはそれなりの意味があったのだろうと思う。科学者用の哲学であって、根本的なものではないとしても、自然科学者も人間であって、「精神」労働者である以上、なんらかの哲学あるいは人生論的哲学のようなものはいるのである。それが哄笑すべきものであったとしても、そういうものでも有用性はあり、科学労働を進める上では実際に有用であるということはあると思う。学者用の哲学である。
 ただ、ベルクソンからドゥルーズへの弁証法批判の問題はそう簡単には片づかないのだろう。これはヨーロッパ思想史の全体に根拠をおいており、ヘーゲル弁証法批判が必要なものであることは明らかだからである。ヘーゲルの予定調和的な弁証法に対するドゥルーズのいらだちは、正しいものがあるのではないかというのが、いままで読んでいての感想。

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