30冊まえがき
はじめに
日本史研究の分野には、誰でもが名著と認める著作は少ない。大著はあっても特殊すぎるか、偏っているかというのが実際で、その意味で日本史は発展途上の学問である。そこで、ここでは第一に研究の入門書、第二に各時代の歴史史料の読み方を伝える本、第三に他分野からの学際的な問題提起、第四に現在格闘するべき研究書、そして第五に学説史上の「名著」をあげるという方針をとった。
私は、一九七〇年代に研究を始めたが、その頃の入門書というと、『日本史研究入門』のシリーズが代表的なものであった。ⅠⅡは遠山茂樹・佐藤進一の共編、Ⅲ・Ⅳは井上光貞・永原慶二の共編、最後に出された『新編日本史研究入門』は佐々木潤之介・石井進の共編である(東京大学出版会刊行。おのおの一九五四・六二・六九・七五・八二年)。これはいまでも有用なものであるが、しかし、このシリーズが約三〇年ほどまえに終了したことは、ほぼその時期、戦後派歴史学といわれた第二次世界大戦後の歴史学の潮流が失速したことを示している。
戦後派歴史学は、アジア・太平洋戦争が皇国史観という「神話的」歴史観を最大の根拠としていた関係で、それを問い直すことを出発点として構築された。それを担った学者たちの最年長には戦争の時代に抵抗して行動した服部之総、渡部義通、羽仁五郎などがおり、さらに、その下の世代だと、早熟ですでに労働運動や反戦運動に参加した経験をもつ石母田正や、アカデミーの中枢にいながら反戦的な姿勢を維持していた古島敏雄、大塚久雄などがいた。そして、実際に、この歴史学を担った人々は、たとえば太田秀通や門脇禎二のように、戦争に参加し、片腕を失ったり、「戦友」の死の犠牲のもとで、どうにか生還してきたような世代がいたのである。
戦後派歴史学はこのような諸世代が人間として歩み、格闘する中で作り出したものである。それは日本のどの学術分野でも同じことであるが、右に述べたように、戦争の重要な根拠が一つの歴史観におかれていただけに、歴史学の分野には、当時の知識人・学生の中でも、もっとも誠実かつ有能な人々が集まったということができる。彼らは若く未経験であったが、そのその社会構成史とよばれた全体史の方法のもつ意味は現在でもきわめて大きなものがある。
しかし、長い伝統をもつヨーロッパ歴史学とは違って、日本の歴史学は、史料の公開・編纂・研究の点で立ち遅れがあり、さらには帝国本国の歴史学として一種の「帝国」意識が浸透していた。また第二次世界大戦が日・独・伊の枢軸諸国と、欧米諸国および「社会主義」勢力との間で戦われたという実態との関係もあって、戦後派歴史学のなかにもソ連のスターリニズムや中国の毛沢東主義など、社会主義を自称する全体主義的国家への濃厚な幻想が存在した。
歴史学が、このいわば青春の蹉跌ともいうべき時期をどうにか乗り越え、一種の成熟の時期に入ることができたのはだいたい六〇年代の半ばであった。そして、最近の状況は、歴史学が養ってきた豊かな説得力をふたたび発揮する必要を示しているように思う。しかし、学術も、人間の営為である以上、その青春時代を忘れては立ちいかない。それをふまえて、研究の入り口から過去と未来とを眺めやっていただければ幸いである。
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