地震火山99「前方後円墳」の墳形と火山神話を書き直した
自転車ででる。これは自宅から少し奥に入った谷戸の風景。このところに水引草があり、名前の分からない蔓草の赤い花があった(マルバルコウソウというものかもしれない。熱帯アフリカ原産で江戸時代に帰化した由緒正しい草)。こんど撮影してくる。水引草は、久しぶりにみる。
「夢はいつもかへって行った 山の麓のさびしい村に
水引草に風が立ち、
草ひばりのうたいやまない
しずまりかへった午さがりの林道を
うららかに青い空には陽がてり 火山はねむっていたーーー」
「前方後円墳」の墳形と火山神話という文章を書いているが、そのまえがきの部分、研究史の部分をしばらく前にアップした。不十分なところを確認して、書き直した。とくに近藤義郎説と、広瀬和雄、大久保徹也、北條芳隆氏の学説との関係部分を追加。考古学の研究史なので、本当にむずかしい。しかし、石母田ー近藤の研究の相互関係をどう考えるかという問題に関わってくるので勉強している。
三品彰英氏の仕事をどう考えるかも大きな問題である。山尾幸久氏の三品彰英さんへのきびしい発言(『古代王権の原像』)を読んで、その部分も書き直した。
上の水引草の詩は立原道造。立原の詩は右遠俊郎先生に読み方を習った。立原が日本浪漫派に心酔したというのは杉浦民平の解説を読んでしったのは、10年ほど前か。本当に驚いた。立原の記念館が東大の弥生門のそばにあって、ずっと行こうと思っていたが、一昨年(?)建物の都合が悪くなってなくなった。
三品の戦争中の立場にも同じような問題がある。それにしても、この部分も追加したが、三品の恩師がアルフレッド・L・クローバー(アーシュラ・K・ルグインの父)であるということを知って本当に驚いた。三品の伝記を知りたい。
以前のものを残した方がよかったかもしれないが、すでに置き換えてしまって、以前の原稿はPCの上でも消えている。
今日もうんうんいって原稿を続けている。
ついでに、次は高村光太郎の「激動するもの」
さういふ言葉で言へないものがあるのだ
さういふ考方に乗らないものがあるのだ
さいいう色で出せないものがあるのだ
さういふ見方で描けないものがあるのだ
さういふ道とはまるで違つた道があるのだ
さういふ図形にまるで嵌らない図形があるのだ
さういふものがこの空間に充満するのだ
さういふものが微塵の中にも激動するのだ
さういふものだけがいやでも己を動かすのだ
さういふものだけがこの水引草に紅い点々をうつのだ
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