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2013年9月 1日 (日)

奈良へ、ホケノ山古墳と大三輪神社

 昨日でお寺の調査は終わり。早お昼をご馳走になって、奈良へ。地震学の人と考古学の人の相談の場所に立ち会って、天理へ。
お寺の早お昼の時に、テレビでフランスの洞窟に立ち入って撮影した長編映画をやっていた。ホモサピエンスとネアンデルタールが共存・競争していた渓谷であるという。
 7万年前にほぼ現在と変わらないような描画と、音楽と、そして神話が存在したというのが説明。有名な笛の分析にも驚く。考古学では最新の科学分析技術が動員され、1ミリ、1ミリ地層を剥いでいき分子レベルの分析をやっているという説明。
 笛の音は聞こえないが、なんといっても有名な馬の絵は見事であった。そして、ライオンの絵の詳しい説明があり、また祭場のようになっている場所に入った映像には驚愕。祭場の中央の天上からさがる鍾乳石に女体が描かれているが、その頭部はバイソンになっている。その向こうの壁には一面に野獣が描かれている。祭場は有毒ガスが発生しており、まだ詳細の撮影はできないとのこと。鍾乳石の向こう側の画像もえられていないとこのこ。
 無事におわって、夕方は天理泊まり。駅の近くの古本屋で文庫がやすく、高校のころに読んだニーチェの『道徳の系譜』をかう。さらにベルグソンの『創造的進化』(上下)とあわせて300円。
Cimg1357  山辺の道を通る。大学院の頃、田名網宏先生のお宅で行われていた『続日本紀』の読書会にでていた。田名網先生は山辺の道から飛鳥がお好きで、その御話しを何度か聞いたが、点は訪れたことがあるものの、道を辿るのは始めてである。(他の大規模古墳とは違って)ボケノ山古墳の前方部が東南に向かって開いているのを確認。墳頂からの眺望はさすがによい。一番北西には生駒が見えるのを確認。目の前の箸墓はやはり大きい。大和東縁断層帯の上に聳える龍王山系の麓にもう一つ出山を作ったという感じであるということがよくわかる。写真はホケノ山古墳から前方部を振り返って三輪山をとったもの。ヤマやまの辺の道からみると、大三輪神社の大鳥居の向こうに耳成がちょんと飛び出ているようにみえるのにも感心。ようするにいわゆる歴史好きではなく、非常識なのであるが、その分、少しづつても見聞が増えると感心することが多い。
 さすがに暑く、大三輪神社参道の素麺屋で氷を食べて身体を冷やし、以上を記録。いまからにゅうめんをたべて、御山に登る(8月31日)。
 山頂の広い範囲に高さ二尺ほどの大石が奥まで広い範囲にひろがっている。それからさすがにサカキが多い。

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