割竹形木棺と竹珠の物忌女(かぐや姫)について
割竹形木棺と竹珠の物忌女(かぐや姫)について
古墳時代に『竹取物語』の原型があったという意見。
この写真は、東北歴史館の作成した会津の大塚山古墳の埋葬部の「割竹形木棺」といわれる棺の模型をさつえいしたもの。歴史館は撮影自由であった。この割竹形木棺が『竹取物語』の「竹」の中に人間がいるというイメージに直結しているというのが、『かぐや姫と王権神話』で書いたこと。
「夜郎自大」という言葉があるが、夜郎は中国南部貴州の西部にあった苗族の国で、その王が世間知らずで威張っていたという話しである。『後漢書』(南蛮西南夷列伝第七六)には、この国の河で洗濯をしていた女の両足の間を流れぬけた大竹の中に男児が生まれ、竹王と称したという伝承が記録されている。竹から人間が生まれたという神話は台湾南西の火山島、蘭嶼でも記録されている。
これについては、『かぐや姫と王権神話』で次のように書いた。
「隼人は南方系海洋民に出自するとされるが、前述のように、東南アジアには太く高い竹があって竹は活発に利用されていたし、竹からの誕生神話も広く分布していた。たとえば台湾タオ(ヤミ)族は大岩が火山爆発によって割れ、大竹が大波に打たれて割れ、両方から神が生まれたなどという伝説が伝えられている。あるいは隼人の竹利用技術や前方後円墳に特徴的な割竹形の木棺(五メートルを越える長大な筒型木棺)、さらにはカグヤ姫伝説の源流も、このような南方との関係をたどれるのかもしれない」
さらに、詳しく読んでいただければわかるが、これは次の「竹」と「物忌」の深い関係についてふれた文章とも関係する。
「ひさかたの 天の原より 生れ来たる 神の命 奥山の 賢木の枝に 白香つけ 木綿とり付けて 齋瓮を 齋ひ穿り居ゑ 竹珠を 繁に貫き垂り 鹿猪じもの 膝折り伏せて 手弱女の おすひ取り懸け かくだにも われは祈ひなむ 君に逢はじかも (『万葉集』巻三、三七九番)
この歌は、大伴坂上郎女が氏の祖先神を齋うにあたって作った歌であるが、この「竹玉を繁に貫き垂り」という『万葉集』にしばしばみえる常套句の「竹珠」とは、竹を輪切りにして管玉にして、長い糸に通した装身具のことで、物忌に入った女性は、それを何重にも手や首に巻いて垂らす風習があった。新しく切った齋竹から作った青々とした竹珠の環飾の呪力は特別のものだったのであろう。この時代の勾玉・管玉の色調が、緑色がかった青に限定されるのは、そのためであった可能性が高い」。
上記の二つの文章は、考古学の対象である木棺と勾玉・管玉は両方とも竹のイメージであるというもの。ようするに、竹の姫、かぐや姫は竹の中にはいって降臨してきた、そして竹玉をみにまいた「物忌女」であった。それ故に、『竹取物語』の原型となるイメージと観念の連合は古墳時代から存在したのではないかということである。
木棺が割竹形木棺という言葉は誰が使い出したのかは不明で、森浩一さんなどは、この言葉には根拠はない(『古墳の発掘』)というが、私は、『かぐや姫と王権神話』を書いて以来、ここには相当の根拠があると考えてきた。いま、その話しを続けて書いており、その内容を先日のゼミで話した。
昨日・今日は家族にとって大事な時間。葬儀があった。いろいろありがとうございました。
いま家に帰ってきて、電車のなかでのデータをまとめた。
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