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2013年11月 4日 (月)

地震火山100かぐや姫と火山列島ジャパネシア

火山列島ジャパネシア
 昨日は印旛沼まで久しぶりに遠乗り。一時間以上、自転車で走っていると頭のなかが空になる。しかし、今日は、さすがに筋肉が少し痛い。 
週末、「かぐや姫の物語」の感想を、ジブリの『熱風』という雑誌と、ユリイカにかいて疲れた。2日で50枚はさすがに疲れる。以下は書いたものから、枚数の関係で削除した部分。そのうち書き直す予定。
 この文章では、ジャパネシアという言葉を使っている。我々の世代ではヤポネシアという言葉は、よく知られている。島尾敏雄と霜田正次である。しかし、ジャパネシアという言葉は、いまでもないようだ。ヤポネシアもジャパネシアも同じことであるが、ジャパネシアの方が、わかりはよい。この言葉を使うことにした理由は最後に。


 「火山の女神かぐや姫とジャパネシア」
 
 よく知られているように、火山の男神は「カグツチ」という。この少年神は、この列島ジャパネシアを産んだ大地母神イザナミから最後に生まれて、そのミホトを焼けただらせ、母親を死に追いやった。カグツチを象徴するのは、その噴出する黒雲のなかでひらめく火山雷。それは現在まで祭られているカグツチが雷神という神格をもっていることでわかる。
 かぐや姫が火山の女神であることは、『竹取物語』の最後の場面にあるように、彼女の地上への遺品、不死の薬や手紙が、結局、富士山から焼き上げられたことに示されている。実際に、富士山には後々までかぐや姫伝説が残るのである。「カグツチ」のカグと「かぐや姫」のカグはどちらも 揺らめく「火」を形容する同じ意味の語である。詳しくは右にふれた『かぐや姫と王権神話』という 本を参照していただくほかないが、「香来雷」 のマツリは竹珠の環飾りをつけて竹の精となった「物忌女」が「瓮」(瓶の一種?)の上に小さな火を焚いて祭ると考えられるが、彼女こそが「カグ」の少女、かぐや姫の原像であり、同時にカグツチとペアをなす火山の女神なのであろう。問題は、少年神カグツチを象徴するものが火山雷であるのに対し、かぐや姫の火山神としての姿を象徴する火山の風景は何かということになるが、私は、今で言う光環現象など、九世紀の史料では「金色眩曜」などといわれる火山噴火の時に発生する美しい「奇光」であると考えている。
 エネルギーに満ち、火口の周囲から立ち上って、突進し、揺れながら姿を変え、金色、黄・赤・青と色をかえていく、美しい火山の光学現象は火山の写真集ですぐに見ることができる。火山の女神、かぐや姫の象徴する「死の世界」とは、そのような美しさとエネルギーと明るさに満 ちたものだと、私は思うのである。

環太平洋の火山帯に広がる同じ類型の神話

 台湾の東南部にある蘭嶼島に住むタオ族に、大噴火と大津波の中でうち寄せられた竹から人間の先祖が生まれたという神話が伝わる。実は、この周囲四〇キロメートルの孤島、蘭嶼島も火山島であり、バシー海峡を隔ててフィリピン最北部の火山列島、バタン諸島と隣接している。そもそも、タオ族は、バタン諸島より移り住んだとされるから、バタン諸島にも同じような神話があった可能性は高いだろう。さらにフィリピンの火山帯をルソン島からミンダナオにくだり、北スラウェシとハルマヘラ島の火山からモルッカ海峡を越えたところにセラム島がある。そし て、セラム島の南には、フロレス島、スンバ ワ島、ロンボク島、バリ島、ジャワ島からスマトラ島につづくインドネシアの火山帯がひかえている。
 そして、神話学では、このセラム島に伝わるハイヌヴェレ神話とかぐや姫神話の類似が注目されているのである。ハイヌヴェレとはココ椰子の枝であると同時に、そこから生まれた少女の名前でもある。彼女はかぐや姫と同じように異常なスピードで成長し、月の女神であり、神秘的な力を持ち、様々な珍しい宝物を取りだし、人々にそれをあたえる。これは『竹取物語』とちょうど反対の話であるが、宝物をあたえる時の傲慢さ、わがままさが嫌われて、ハイヌヴェレが殺害されるというのは、やはり『竹取物語』と話型が似ているというべきであろう。そして、殺された少女の死体のうち、胃が大きな鉢になり、肺はウビイモ、紫色の特種なイモになり、乳房は女の乳房の形をしたイモになり、目は目の形をしたイモの芽になり、恥部は紫色をしてよく匂うイモになり、尻は外皮のよく乾燥したイモになったという。
 この神話はドイツの神話学者アードルフ・E・イェンゼンの仕事(『殺された女神』)で有名になったものであるが、彼によれば、このハイヌヴェレ神話と同じ類型の神話が、ポリネシア・メラネシアから インドネシアをへて、東南アジアに広がり、そして列島ジャパネシアから、太平洋の向こう側、メキシコ、チリまで、環太平洋 の広大な地帯にまで分布しているという。また、死体から農作物が生まれるという点に注目して、イェンゼンは、環太平洋に広がるこれと類似した神話は、すべてが同じ農業起源神話であり、特に「焼畑農耕」に関わる神話であるとしたのである。たしかに、この神話は、スサノヲによって殺害されたオオゲツ姫の死体の話しとそっくりである。このハイヌヴェレ神話、焼き畑神話は環太平洋に特徴的に分布する農業起源 神話であるというのは、いまでも現代神話学に おけるもっとも有名な学説であり、現代神話学の基礎に位置しているものである。
 しかし、私は、いま、このハイヌヴェレ神話を「焼畑農耕」神話とする神話学の通説に対して、むしろこの神話の分布する範囲が環太平洋の火山帯であることに注目する議論を立てようとしている。それらの島々にも、イザナミの国生神話と同様の火山噴火による島々の出現という神話が分布するからである。

 さてジャパネシアであるが、これは網野善彦氏が、7世紀以前には「日本」はないということを強調していたことの延長であるが、いま、私たちの棲む火山列島を考える上でも、重要と考える。地名としての「日本」は、「東」という意味をふくむが、あまりに中国大陸との関係での言葉であって、また民族同一性を強調して使われた場合は、物事の多様性、歴史性を考える役割の歴史家には本能的な拒否感がある。これは古いことをいうようだが、渡部義通・早川二郎・和島誠一などの『日本歴史教程』以来の共通感覚で、『教程』では「列島社会の形成」という見出しがあり、網野さんもも似た言葉使いをする。
 これは列島ジャパネシアというのがよいというのが、この間の結論である。ジャパネシア、タイワネシア、フィリピネシア、インドネシア、メラネシア、ポリネシアである。インドネシア近辺のオーストラリアプレートとの境界火山帯をみていると、そう思う。いわゆる『海のモンゴロイド』(吉川弘文館、片山一道)の道である。

 写真は印旛沼の近くの並木の桜。咲いている桜。葉のでている桜が多い。なにか奇妙である。朝は「山田うどん」ですませ、仕事のため、自転車ルート周辺でカフェをさがしたが、やはりない。自転車道から少しはずれると、風景の荒さにおどろく。これだけ美しい国の風景をめちゃくちゃにしてきた、この50年は何だったのか。
 帰宅途中、3時頃、アジアンテーストという以前から一度と思っていた近くのカフェに入る。バリとタヒチの小物も売っている店。
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