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2013年11月

2013年11月27日 (水)

かぐや姫の犯した「罪と罰」とは何か

Kasugakaguya20131127 ユリイカに「死の女神がなぜ美しいかーー火山の女神かぐや姫」という文章を書いた。率直にいえば歴史家としてはかぐや姫のイメージについて違う意見がないかといえばうそになる。しかし、このアニメーションをぜひ多くの人にみてほしい。日本の歴史文化が、このような形でふりかえられるのは、ともかくもよいことだと思う。
 高畑監督自身も、このユリイカの座談会で趣旨を話しているが、私が「かぐや姫の犯した「罪と罰」とは何か」ということについて書いた部分を下記に引用しておく。


 高畑「かぐや姫の物語」の筋は、月に憂愁に沈む女がおり、彼女の姿に惹かれたかぐや姫は、結果的に月世界最大のタブーをおかし、その罪によって地上に落とされたというものである。このプロットは高畑監督の独創ではあるが、空想ではない。益田勝実が論じているように、月にいる憂愁の仙女のイメージの原型は古くから中国で語られている姮娥(ルビ:こうが)にある。彼女は中国の英雄で強弓の達人として知られた羿(ルビ:げい)の妻であり、深く愛し合っていたが、結局、羿が月の女神・西王母から獲得した「不死の薬」を盗んで月に帰らざるをえなかったという。しかし、こうして月世界にもどった姮娥は夫と地上が忘れられず、月の都で永遠の憂愁の時を過ごしているというわけである。かぐや姫は、この姮娥の憂愁の姿にあこがれ、彼女に近寄りすぎたあまり、月世界にとって最大のタブーというべき?娥の記憶を呼び覚ましてしまう。そして、自身「まつとしきかば、いまかえりこむ」という歌の記憶にとらわれ、その罪をつぐなうために、つらい運命をあたえられたというわけである。
 興味深いのは、高畑アニメが、月の世界を「死の世界」とみて、その世界から地球をみるという視点をとったことであった。そして、その独創は、月からきた王女かぐや姫が、地上での試練に耐えきれなくなって、みずから「助けて! もう死んでしまいたい」と通信を発するというプロットにある。それが感動的なのは、死の世界から来た少女が「死んでしまいたい」と心のなかで叫ぶことによって「生」を発見するという逆説に、我々が動かされるからである。


 この「罪と罰」が明瞭に描かれていないことに不満の方もいるとは思う。とくに『竹取物語』をただのおとぎ話と感じていると「分からない」という感想になるのは自然かもしれない。
 けれども、文学あるいはアニメーションは謎解きではない。ナルニア国物語の『朝開き丸、東の海へ』には、魔法使いコリアキンに関係して、「星のおかす罪は、人にかかわりのないものだ」という断言がある。「かぐや姫の犯した罪」も、「人にかかわりのないものだ」と考えるのが正しいと思う。そのようなものとして実際には共感や理解の彼方にあるのが「かぐや姫の犯した罪」なのではないか。
 
 そもそも『竹取物語』は九世紀に書かれたものである。そしてその時代に書かれたものとしては驚くべきフェミニズム・ファンタジーである。世界に類例がない。
 『かぐや姫と王権神話』ではかぐや姫の結婚拒否を次のように説明した。


「翁、年なゝそぢにあまりぬ。今日とも明日とも知らず。この世の人は、男は女にあふことをす。女は男に合ふことをす。その後なん門も広くなり侍る。いかでかさる事なくてはおはしまさん(私ももう七十歳。今日とも明日とも知れない命です。この世の人は男は女にあい、女は男にあうものです。そうしてこそ一族も広まるというものです。どうしてそういうことなしに生きていけましょう)」。翁は自分の年齢をもちだし、カグヤ姫に対して、家の繁栄のために男を聟にとれというのである。
 これに対するカグヤ姫の答えは「なんでふ、さることかしはべらん(どうしてそんなことをしましょうか)」というものであった。この言葉は短く、素っ気ないが、決定的なものである。ここで、カグヤ姫は、結婚と性の結合自身を拒否する、自分の心身をはっきりと自覚したのである。女性が「女性的なもの」についての通念を否定するという意味では、これはフェミニズムの前提である。もちろん、フェミニズムは女性という性を全面肯定することによって行動に踏み出すのであろうが、しかし、カグヤ姫が自分の「変化の物=聖なる存在」としての性格を自覚し、結婚を拒否するという文章の運びは、世俗の束縛からの自由を表現してあますところがない。

 次はナルニア国物語の『朝開き丸、東の海へ』の関係部分。
 「では、あなたは、空をとんでいた、とおっしゃるんですか?」とユースチスが、だしぬけに口をはさみました。
 「わしは、空の上、とおいとおいところにおった。」とその年よりの人は答えました。「わしは、ラマンドゥです。といってもあなた方は、おたがいに顔を見あわせて、この名前をきかなかったように見えるな。いやむりもない。わしが星であった時は、あなた方のどなたもこの世に生まれぬさきに、終わっており、星々はみな、変わってしまったからなあ。」
 「ひええ!」とエドマンドは、声をひそめて、「この人は、星のごいんきょさんだったのか。」
 「もう、星にはもどらないのですか?」とルーシィがたずねました。
 「わしは、地に休んでいる星なのですよ。むすめごよ。」とラマンドゥは答えました。「この前わしは、あなたが見てもわからぬくらいに、よぼよぼに老いぼれた時に、この島にはこばれてきた。いまは、そのころほど、老いぼれてはいない。朝ごとに一羽の鳥が、太陽の谷間から火の実をわしに運んでくれて、その実をひとつぶ食べるたびに、年がすこしずつ消えて若くなる。そしてわしが、きのう生まれた子どものように若がえった時に、わしはふたたび空にのぼり(ここは、地上の東のふちだからな)、ふたたび、大きな星のめぐりを歩むのだよ。」
 「ぼくたちの世界では、星は、もえてるガス体の大きなたまなんですよ。」とユースチス。
 「いや、若いかたよ。あなた方の世界でも、それは星の正体ではなく、成分にすぎない。それにこの世界では、あなたは、わしよりさきに、ひとりの星に出会っている。つまり、コリアキンには、会っただろうな。」
 「あのかたの、もと星だったのですか?」とルーシィ。
 「そうよ。まったく同じではないがな。」とラマンドゥ。「コリアキンが、のうなしたちをおさめる役についているのは、まったくの休みではないからな。あなた方は、それを、こらしめというかもしれぬ。あの星は、万事がうまくいっていたら、南方の冬の空に、まだ何千年もかがやいていられたはずだからな。」
 「あの方は、何をしたのですか?」とカスピアンがたずねました。
 「わが子よ。」とラマンドゥはいいました。「そのことは、人の子の知るべきものではない。星のおかす罪は、人にかかわりのないものだ。」


2013年11月25日 (月)

経済学分野の教育「参照基準」の是正を求める全国教員署名

 下記の声明への賛同依頼がまわってきた。経済史研究の位置を無限に低めようとするかのような動きは強い危惧をいだかせる。歴史学にとって重大問題である。大塚久雄先生からすると、考えられない事態ということであろう。

経済学分野の教育「参照基準」の是正を求める全国教員署名

 
日本学術会議経済学委員会 御中

 私たちは、貴委員会が分科会を設けて作成作業にあたっている「大学教育の分野別質保証」のための「専門分野(経済学)の参照基準」について、私たちの知りえた現在の素案の内容から判断して、それが経済学の教育と研究における自主性・多様性、および創造性を制約するものになりかねないという重大な懸念を抱いています。

 私たちも、高等教育の普及のもとでの「質の保証」を国際的な視野にもとづいておこなうために専門分野ごとに「参照基準」をつくることの意義を否定しません。しかし、そのような「参照基準」は、教育内容・カリキュラムの標準化をはかるものではなく、それぞれの専門分野の教育にあたる大学・学部・学科とその教員たちの自主性と多様性を前提としたものでなければなりません。「教育の質」「国際的通用性」といううたい文句のもとに一定のモデルを押し付けるものになれば、「参照基準」は高等教育の画一化を促進するだけのものになるでしょう。私たちは、文部科学省の依頼にこたえて学術会議が専門分野ごとの「参照基準」作成の課題を引き受けたのは、「日本の科学者コミュニティを代表する機関」として、それぞれの専門分野で研究と教育をおこなっている科学者の自主性と多様性を前提とした「参照基準」を作成することによって、教育面においても質の保証と自主性・創造性の確保を両立させるためであったと考えます。

 実際に、学術会議が2010年7月22日付けで文部科学省におこなった「回答:大学教育の分野別質保証の在り方について」においても、「大学教育の多様性を損なわず、教育課程編成に係る各大学の自主性・自律が尊重される枠組みを維持すること」への留意が求められ、「作成の手引き」においても、「参照基準では、あくまで一定の抽象性と包括性を備えた考え方を提示するに留め、それを参照した各大学がそれぞれの理念と現実に即して自主的・自律的に具体化する」「カリキュラムの外形的な標準化を求めるコアカリキュラムではない」ことが確認されています。

 しかし、現在上記分科会で審議されている経済学分野の「素案」は、そのような慎重さを欠いています。経済学は合理的選択の科学であり、歴史・制度・思想などは副次的な要因にすぎないという新古典派的な経済学観が自明なものとして想定され、「ミクロ経済学」と「マクロ経済学」が基本であり、それに「統計学」を加えたものを基礎科目とし、他のいくつかの科目をその応用分野とする「経済学の体系」が示され、このような「経済学の体系」に合わない科目は排除ないし周辺化されています。具体的に言えば、現代の経済にその資本主義的な特質からアプローチする「政治経済学」(マルクス経済学だけとは限りません)は全面的に排除され、歴史的要因・制度的要因・思想的要因にかかわる科目はすべて周辺に追いやられています。

 経済学は社会科学であり、合理的な選択というのも、歴史的、制度的、政治的、そして思想をも含む文化的要因によって形成された状況のもとでの選択ではないでしょうか。経済領域の歴史、制度、政策、思想、そして社会とともに発展した経済学自体の歴史についての教育が周辺的分野にすぎないというのは、経済学についての特定の見方に基づく区分にすぎません。20世紀以降の経済学(Economics)において、ミクロ経済学とマクロ経済学が発展したことはその通りですが、その母体となった18世紀後半以来の政治経済学(Political Economy)は近代の経済の歴史的・制度的特質の認識の上に立つものであり、その現代的な継承と展開は多くの経済学者によって研究され教育されています。また、理論を基礎として応用に進むだけが研究と教育の道ではなく、現実の社会的・経済的問題に取り組むなかから理論を発展させていく道もあるはずです。このように考えると、現在「分科会」が準備している「素案」は、特定の「経済学」観に基づいたコアカリキュラムを想定する偏ったものにすぎません。それは日本の科学者のコミュニティを代表するはずの学術会議が作成する「参照基準」としてふさわしくありません。

 今後、大学進学年齢期の人口の急激な減少が見込まれるなかで、大学教育組織の日本全体としての規模は縮小に向かうことが予想されています。そのなかで、上記のような偏った内容の「参考基準」が採択されるならば、それが経済学関係の学部・学科の破壊的リストラクチャリングの指針として用いられかねません。それは経済学教育の画一化を急速に進行させ、経済学が社会科学としてもつべき独立性・創造性の喪失につながるでしょう。この署名をもって、私たちは経済学研究者および教育者として、「参照基準」の上記のような偏った内容の是正を、強く求めます。

2013年10月28日
署名呼びかけ人 
伊藤正直(大妻女子大学教授、日本学術会議連携会員)
岡田知弘(京都大学教授、日本学術会議連携会員)
八木紀一郎(摂南大学教授、日本学術会議連携会員)
有賀裕二(中央大学教授、進化経済学会会員)
伊藤誠(東京大学名誉教授、経済理論学会会員)
小野塚知二(東京大学教授、政治経済学・経済史学会会員)
片岡 尹(相愛大学特任教授、信用理論研究学会会員)
田中洋子(筑波大学教授、社会政策学会会員)
宮川彰(首都大学東京名誉教授、マルクス・エンゲルス研究者の会会員)
宮本憲一(大阪市立大学・滋賀大学名誉教授、日本財政学会会員)
本山美彦(京都大学名誉教授、日本国際経済学会会員)
森岡孝二(関西大学教授、経済理論学会会員)

2013年11月22日 (金)

カグヤ姫と仙女姮娥

カグヤ姫と仙女姮娥
 あさってから御寺へ出張で、その用意にかからねければならないのだが、今日までかかって、やっと寺史についての論文をかきあげて送った。出張と直接に関係するわけではないのだが、御寺へうかがう前に仕上げておきたかった。原稿の期限は相当前、しかも内容的にいえば「芽の芽」はおそらく20年ほど前からの作業で、どちらの意味でも長いあいだの負債で、疲労困憊であった。論文の関係の本、メモをすべて片づけて、疲れてPCの前。

 16日にとんぼ返りして、また京都なので、しばらくブログの更新ができない。フィリピンの台風被害が心配である。レイテ島の被害ということであるが、大岡昇平の『レイテ戦記』のことを考える。

 少し、「かぐや姫の物語」についても書いておく。というよりも使用しなかった原稿の一部をのせておく。
 
Cimg0326


 
 紀元前2世紀に中国で書かれたといわれる『淮南子』には月にいる憂愁の仙女のイメージがある。それによると、姮娥(こうが)という仙女は中国の英雄で強弓の達人として知られた羿(げい)の妻であり、深く愛し合っていたが、結局、姮娥は月の女神・西王母から獲得した「不死の薬」を盗んで月に帰らざるをえなかったという。しかし、こうして月世界にもどった姮娥は夫と地上が忘れられず、月の都で永遠の憂愁の時を過ごしているというわけである。
 最近亡くなられた益田勝実さんによれば、『竹取物語』は、この中国の姮娥の物語の続きを「日本の風土の中で語るという文芸精神」によって書いたものだという(『文学』一九九〇年冬号)。つまり、かぐや姫は、この不死の薬をもう一度地上にもってきたのだが、結局、天上へ帰り、しかも「不死の薬」は富士山の上で焼き上げてパーになってしまった。こういう形で中国の神仙文学の続きを日本で語ったのが『竹取物語』であるというわけである。

 ようするに、『竹取物語』は、死の話しである。

 一〇世紀の物語に『大和物語』があるが、その一四七話に、一人の女が二人の男の激しい求婚をうけて、進退きわまり、入水して自死してし まったが、男たちもそれを追って川に飛び込んで水死してしまうという悲話がある。悲しんだ二人の男の親は、女の塚の側に塚をたてた が、片方の男の塚には、「くれ竹のよ長きを切りて狩衣・袴・烏帽子・帯とを入れて、弓・胡?・太 刀などを入れてぞうずみける」という処置がされたという。ここにいう「くれ竹」とは、「呉竹」、つまり、中国の黄河流域以南に広く分布するハチク(淡竹)のことで、大きいものは、直径一〇センチ、高さは二〇メートルにも及ぶ ものである。「よ(節)長き」とされていることから推測すると、節間は三〇センチ あるいは四〇センチにもなるというから、相当の長さのものであったのであろう。それに衣類を入れて、副葬したというわけである。これは考え方としては割竹形木棺と同じことである。
 かぐや姫は、こういう太い竹に入って降臨してくるのである。当時の人々の常識からすると、そこには「死」のイメージが色濃かったであろう。この点では『竹取物語』にも、翁の歌として「くれ竹の世々の竹取 野山にも さやは侘びしきふしをのみみし」という歌が記録されていることが大事だろう。これは『竹取物語』が、本来、歌物語であったことを示す証拠として重要なものであるが、そこに「くれ竹」がでてくるのは偶然ではない。「竹」というものに対する神秘的な感じ方を抜きには、『竹取物語』は鑑賞できない。

(最後の部分は、オリジナルな史料の解釈である。若手の歴史家のじゃまになってはならないので、そういうことをブログで書くのはさけているが、しかし、ジブリの『熱風』にすぐに乗るので載せます。しばらく前の割竹形木棺の話しとあわせて読んでください)。

 なお、下記が書いた論文の一節。


 そもそも室町国家が禅宗国家という外形をもつようになったこと自体も建武新政における禪律国家の構想の影響がある。周知のように尊氏と直義は、後醍醐が死去した一三三九年(暦応二=延元四)、その四十九日に嵯峨の亀山殿を禅院に改め、暦応寺(天龍寺)を建立して後醍醐の冥福を祈ることを発意し、その住持に夢窓礎石をすえた。一三八二年(永徳二)、義満が夢窓礎石を開山として相国寺を建立したことも、その延長線上にある。室町期国家の正統的なイデオロギーとして禅宗と儒学が位置づけられ、禅宗寺院が顕密寺院との関係でも、経済的・社会的にも重要な位置を占めるに至った過程において、建武新政における禪律国家の構想との連続性は否定できない。重要なのは、この過程で、第一に社会勢力としての宗教勢力の中枢が、天皇家=旧王の直接の統御をはなれて、基本的に幕府の側に回収されてしまったことであろう。しかし、第二にそれは日本の伝統的な国制、つまり奈良時代の聖武の決定した「仏教国家」の伝統が形態をかえつつも維持されるという結果をもたらした。小島毅は、この経過を外から見た場合には「韓国は明の登場に連動して、仏教国家から儒教の国家へと変わるのですが、日本はそうしなかった。(中略)明は日本のことを仏教国家だと考えているのです。それは東南アジアでは当たり前で、タイとかカンボジア、マラッカが、当時は仏教国です。たぶん、明の皇帝からみると、韓国は自分のところと同じ宗教である朱子学を宗派にしているが、日本はタイやカンボジアと同じ仏教国だというようにみえていた」ということであると概括している(『歴史を動かすーー東アジアのなかの日本史』)。


 「日本はタイやカンボジアと同じ仏教国だというようにみえていた」というのが、最近考えている列島ジャパネシア論に関係する。そもそも、仏教東漸の極点が東大寺とボルブドールであるというのと、これは(はるかに時代を超えるとはいえ)対応することなのかもしれないと思う。そして、考えることはまた大岡昇平の『レイテ戦記』にもどる。ヤポネシアからフィリピン、インドネシアをみる視点というのは、本当に、大事なことなのかもしれない。
 

2013年11月21日 (木)

ジブリの「かぐや姫の物語」の試写会

Kaguya20131101


 いま中央線のなか。東小金井のジブリで、「かぐや姫の物語」の試写会があって、10月31日、見る機会をいただける。
『かぐや姫と王権神話』で詳しく述べたように、かぐや姫伝説の故地は、大和国西部、いまでも「かぐや姫の里」といわれる広陵町を中心にした広瀬野・馬見丘陵の地域である。彼女のイメージは、そこにある広瀬神社の巫女、「物忌女」にある。『万葉集』の歌から想像できる彼女らの姿は、何重にもなった竹珠の御統(環飾、ネックレース)をかざった少女の姿である。それゆえに、彼女のイメージは、広瀬神社の祭神、女神ワカウカ姫の神話のなかに根付いているに違いない。月の女神としてのかぐや姫の原イメージは倭国神話のなかにすでに存在したはずなのである。
 そもそも『竹取物語』の時代に、奈良盆地からみる月で、もっとも印象深いのが、広瀬野から二上山にかかる月である。別にのべたように、このイメージが『日本書紀』『古事記』の神話に登場しないことが、日本神話論にとっての最大の謎なのであるが、時代を平安時代に下らせれば、ヤマトの月の女神が広瀬野にかかる月の女神であったことは明瞭である。それを示すのが右の図に掲げた『春日権現験記絵』の巻頭に登場する月から広瀬野の竹の上に降臨してきた女神の姿である。これはしかし、平安時代のかぐや姫である。より原始的なかぐや姫の畏怖すべき姿とは何かが問題である。
Kasugakaguya20131101


この図は、『春日権現験記絵』巻1の竹の上に降臨した女神。

 高畑監督には絵巻物についての面白い仕事があって昔読んだ。私も絵画史料論にとり組んだことのあるので、芸術と歴史ということを考えさせる。芸術と歴史、美術と歴史という前に、いまも昔も同じ人間が生きているのだということを感じるということである。その場合、昔の人の創造性を正面から認めることができなくてはならない。そうでなければ対等とはいえない。しかしなにしろ日本の歴史のなかには創造的な人間という感じの人々がいない。少ない。たとえば『今昔物語集』はよくできた物語集であるが、その作者を創造的とは、私は思わない。平安時代の人間というのは日本的俗物形成の最初の揺籃期という感じで好きになれないのである。私は平安時代宮廷社会について「都市貴族」範疇を使用することにしているが、都市貴族は一般に都市俗物である。石母田さんが『徒然草』を書いた吉田兼好を俗物であるといって口をきわめて罵っているのに、どうしても歴史家は共感してしまう。
 さて、専門が違うからそう感じるのだといわれればそれだけのことだが、そういうなかで、絵巻物を書いた人々には創造性を感じる。もっとも好きな絵巻物といえば、やはり『粉河寺縁起』であろうか。人々を見る目の暖かさが何ともいえない。そこには思想というものが動いていると思う。私は、音楽がわからないので駄目なのだが、音楽と美術には純粋な形で思想があらわれると思うのである。
 しかし、『竹取物語』の作者は、平安時代、唯一、正面から創造性を感じさせる人である。まさか道真本人ではないとは思うが、道真の周辺にいた人物であろう。少なくとも知人ではあろうというのが、私の想定である。『竹取物語』の作者は言葉の厳密な意味でフェミニストであろうと思うが、道真もフェミニストであろうと考えている。
  『かぐや姫と王権神話』(洋泉社歴史新書)を書くので、半年ほどはかぐや姫に密接して頭を動かしてきた。『かぐや姫と王権神話』ではおもわず「火山論」にとり組むことになり、その後に、三・一一が起きて地震の研究に進んだために、かぐや姫が頭のなかに棲みついている状況が長く続いてきた。このアニメの作者たちも、ほぼ同じ時期に同じ経験をしていると思うと、どういう映画かが楽しみである。

2013年11月 4日 (月)

地震火山100かぐや姫と火山列島ジャパネシア

火山列島ジャパネシア
 昨日は印旛沼まで久しぶりに遠乗り。一時間以上、自転車で走っていると頭のなかが空になる。しかし、今日は、さすがに筋肉が少し痛い。 
週末、「かぐや姫の物語」の感想を、ジブリの『熱風』という雑誌と、ユリイカにかいて疲れた。2日で50枚はさすがに疲れる。以下は書いたものから、枚数の関係で削除した部分。そのうち書き直す予定。
 この文章では、ジャパネシアという言葉を使っている。我々の世代ではヤポネシアという言葉は、よく知られている。島尾敏雄と霜田正次である。しかし、ジャパネシアという言葉は、いまでもないようだ。ヤポネシアもジャパネシアも同じことであるが、ジャパネシアの方が、わかりはよい。この言葉を使うことにした理由は最後に。


 「火山の女神かぐや姫とジャパネシア」
 
 よく知られているように、火山の男神は「カグツチ」という。この少年神は、この列島ジャパネシアを産んだ大地母神イザナミから最後に生まれて、そのミホトを焼けただらせ、母親を死に追いやった。カグツチを象徴するのは、その噴出する黒雲のなかでひらめく火山雷。それは現在まで祭られているカグツチが雷神という神格をもっていることでわかる。
 かぐや姫が火山の女神であることは、『竹取物語』の最後の場面にあるように、彼女の地上への遺品、不死の薬や手紙が、結局、富士山から焼き上げられたことに示されている。実際に、富士山には後々までかぐや姫伝説が残るのである。「カグツチ」のカグと「かぐや姫」のカグはどちらも 揺らめく「火」を形容する同じ意味の語である。詳しくは右にふれた『かぐや姫と王権神話』という 本を参照していただくほかないが、「香来雷」 のマツリは竹珠の環飾りをつけて竹の精となった「物忌女」が「瓮」(瓶の一種?)の上に小さな火を焚いて祭ると考えられるが、彼女こそが「カグ」の少女、かぐや姫の原像であり、同時にカグツチとペアをなす火山の女神なのであろう。問題は、少年神カグツチを象徴するものが火山雷であるのに対し、かぐや姫の火山神としての姿を象徴する火山の風景は何かということになるが、私は、今で言う光環現象など、九世紀の史料では「金色眩曜」などといわれる火山噴火の時に発生する美しい「奇光」であると考えている。
 エネルギーに満ち、火口の周囲から立ち上って、突進し、揺れながら姿を変え、金色、黄・赤・青と色をかえていく、美しい火山の光学現象は火山の写真集ですぐに見ることができる。火山の女神、かぐや姫の象徴する「死の世界」とは、そのような美しさとエネルギーと明るさに満 ちたものだと、私は思うのである。

環太平洋の火山帯に広がる同じ類型の神話

 台湾の東南部にある蘭嶼島に住むタオ族に、大噴火と大津波の中でうち寄せられた竹から人間の先祖が生まれたという神話が伝わる。実は、この周囲四〇キロメートルの孤島、蘭嶼島も火山島であり、バシー海峡を隔ててフィリピン最北部の火山列島、バタン諸島と隣接している。そもそも、タオ族は、バタン諸島より移り住んだとされるから、バタン諸島にも同じような神話があった可能性は高いだろう。さらにフィリピンの火山帯をルソン島からミンダナオにくだり、北スラウェシとハルマヘラ島の火山からモルッカ海峡を越えたところにセラム島がある。そし て、セラム島の南には、フロレス島、スンバ ワ島、ロンボク島、バリ島、ジャワ島からスマトラ島につづくインドネシアの火山帯がひかえている。
 そして、神話学では、このセラム島に伝わるハイヌヴェレ神話とかぐや姫神話の類似が注目されているのである。ハイヌヴェレとはココ椰子の枝であると同時に、そこから生まれた少女の名前でもある。彼女はかぐや姫と同じように異常なスピードで成長し、月の女神であり、神秘的な力を持ち、様々な珍しい宝物を取りだし、人々にそれをあたえる。これは『竹取物語』とちょうど反対の話であるが、宝物をあたえる時の傲慢さ、わがままさが嫌われて、ハイヌヴェレが殺害されるというのは、やはり『竹取物語』と話型が似ているというべきであろう。そして、殺された少女の死体のうち、胃が大きな鉢になり、肺はウビイモ、紫色の特種なイモになり、乳房は女の乳房の形をしたイモになり、目は目の形をしたイモの芽になり、恥部は紫色をしてよく匂うイモになり、尻は外皮のよく乾燥したイモになったという。
 この神話はドイツの神話学者アードルフ・E・イェンゼンの仕事(『殺された女神』)で有名になったものであるが、彼によれば、このハイヌヴェレ神話と同じ類型の神話が、ポリネシア・メラネシアから インドネシアをへて、東南アジアに広がり、そして列島ジャパネシアから、太平洋の向こう側、メキシコ、チリまで、環太平洋 の広大な地帯にまで分布しているという。また、死体から農作物が生まれるという点に注目して、イェンゼンは、環太平洋に広がるこれと類似した神話は、すべてが同じ農業起源神話であり、特に「焼畑農耕」に関わる神話であるとしたのである。たしかに、この神話は、スサノヲによって殺害されたオオゲツ姫の死体の話しとそっくりである。このハイヌヴェレ神話、焼き畑神話は環太平洋に特徴的に分布する農業起源 神話であるというのは、いまでも現代神話学に おけるもっとも有名な学説であり、現代神話学の基礎に位置しているものである。
 しかし、私は、いま、このハイヌヴェレ神話を「焼畑農耕」神話とする神話学の通説に対して、むしろこの神話の分布する範囲が環太平洋の火山帯であることに注目する議論を立てようとしている。それらの島々にも、イザナミの国生神話と同様の火山噴火による島々の出現という神話が分布するからである。

 さてジャパネシアであるが、これは網野善彦氏が、7世紀以前には「日本」はないということを強調していたことの延長であるが、いま、私たちの棲む火山列島を考える上でも、重要と考える。地名としての「日本」は、「東」という意味をふくむが、あまりに中国大陸との関係での言葉であって、また民族同一性を強調して使われた場合は、物事の多様性、歴史性を考える役割の歴史家には本能的な拒否感がある。これは古いことをいうようだが、渡部義通・早川二郎・和島誠一などの『日本歴史教程』以来の共通感覚で、『教程』では「列島社会の形成」という見出しがあり、網野さんもも似た言葉使いをする。
 これは列島ジャパネシアというのがよいというのが、この間の結論である。ジャパネシア、タイワネシア、フィリピネシア、インドネシア、メラネシア、ポリネシアである。インドネシア近辺のオーストラリアプレートとの境界火山帯をみていると、そう思う。いわゆる『海のモンゴロイド』(吉川弘文館、片山一道)の道である。

 写真は印旛沼の近くの並木の桜。咲いている桜。葉のでている桜が多い。なにか奇妙である。朝は「山田うどん」ですませ、仕事のため、自転車ルート周辺でカフェをさがしたが、やはりない。自転車道から少しはずれると、風景の荒さにおどろく。これだけ美しい国の風景をめちゃくちゃにしてきた、この50年は何だったのか。
 帰宅途中、3時頃、アジアンテーストという以前から一度と思っていた近くのカフェに入る。バリとタヒチの小物も売っている店。
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