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2013年11月21日 (木)

ジブリの「かぐや姫の物語」の試写会

Kaguya20131101


 いま中央線のなか。東小金井のジブリで、「かぐや姫の物語」の試写会があって、10月31日、見る機会をいただける。
『かぐや姫と王権神話』で詳しく述べたように、かぐや姫伝説の故地は、大和国西部、いまでも「かぐや姫の里」といわれる広陵町を中心にした広瀬野・馬見丘陵の地域である。彼女のイメージは、そこにある広瀬神社の巫女、「物忌女」にある。『万葉集』の歌から想像できる彼女らの姿は、何重にもなった竹珠の御統(環飾、ネックレース)をかざった少女の姿である。それゆえに、彼女のイメージは、広瀬神社の祭神、女神ワカウカ姫の神話のなかに根付いているに違いない。月の女神としてのかぐや姫の原イメージは倭国神話のなかにすでに存在したはずなのである。
 そもそも『竹取物語』の時代に、奈良盆地からみる月で、もっとも印象深いのが、広瀬野から二上山にかかる月である。別にのべたように、このイメージが『日本書紀』『古事記』の神話に登場しないことが、日本神話論にとっての最大の謎なのであるが、時代を平安時代に下らせれば、ヤマトの月の女神が広瀬野にかかる月の女神であったことは明瞭である。それを示すのが右の図に掲げた『春日権現験記絵』の巻頭に登場する月から広瀬野の竹の上に降臨してきた女神の姿である。これはしかし、平安時代のかぐや姫である。より原始的なかぐや姫の畏怖すべき姿とは何かが問題である。
Kasugakaguya20131101


この図は、『春日権現験記絵』巻1の竹の上に降臨した女神。

 高畑監督には絵巻物についての面白い仕事があって昔読んだ。私も絵画史料論にとり組んだことのあるので、芸術と歴史ということを考えさせる。芸術と歴史、美術と歴史という前に、いまも昔も同じ人間が生きているのだということを感じるということである。その場合、昔の人の創造性を正面から認めることができなくてはならない。そうでなければ対等とはいえない。しかしなにしろ日本の歴史のなかには創造的な人間という感じの人々がいない。少ない。たとえば『今昔物語集』はよくできた物語集であるが、その作者を創造的とは、私は思わない。平安時代の人間というのは日本的俗物形成の最初の揺籃期という感じで好きになれないのである。私は平安時代宮廷社会について「都市貴族」範疇を使用することにしているが、都市貴族は一般に都市俗物である。石母田さんが『徒然草』を書いた吉田兼好を俗物であるといって口をきわめて罵っているのに、どうしても歴史家は共感してしまう。
 さて、専門が違うからそう感じるのだといわれればそれだけのことだが、そういうなかで、絵巻物を書いた人々には創造性を感じる。もっとも好きな絵巻物といえば、やはり『粉河寺縁起』であろうか。人々を見る目の暖かさが何ともいえない。そこには思想というものが動いていると思う。私は、音楽がわからないので駄目なのだが、音楽と美術には純粋な形で思想があらわれると思うのである。
 しかし、『竹取物語』の作者は、平安時代、唯一、正面から創造性を感じさせる人である。まさか道真本人ではないとは思うが、道真の周辺にいた人物であろう。少なくとも知人ではあろうというのが、私の想定である。『竹取物語』の作者は言葉の厳密な意味でフェミニストであろうと思うが、道真もフェミニストであろうと考えている。
  『かぐや姫と王権神話』(洋泉社歴史新書)を書くので、半年ほどはかぐや姫に密接して頭を動かしてきた。『かぐや姫と王権神話』ではおもわず「火山論」にとり組むことになり、その後に、三・一一が起きて地震の研究に進んだために、かぐや姫が頭のなかに棲みついている状況が長く続いてきた。このアニメの作者たちも、ほぼ同じ時期に同じ経験をしていると思うと、どういう映画かが楽しみである。

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