101地震火山アリストテレスの地震噴火論
『科学』1月号の巻頭エッセイで、アリストテレスの地震論について書いた。
『日本をおそった巨大噴火』という特集。すべて読み応えがあります。
とくに縄文時代早期のカルデラ噴火として有名なBC5300の鬼界カルデラの噴火についての詳細な火山学的な説明がありがたかった。この噴火は、小学校で縄文時代のことを教材にするときには必ず取り上げるべきものと思う。 先日の通史(縄文時代)でもふれた。
そうやって徐々に学校で子供たちに必ず伝達するべき知識と、その体系というものができあがって行かねばならないのだと思う。
巻頭エッセイでは、アリストテレスの地震噴火論にふれたが、これも小学校で教材にするべきものと思う。ギリシャ哲学を教材にする必要というものもあるのだと思う。
以下、冒頭のところを引用。日本の対応資料もあげたが、それは『科学』でみていただければ幸いです。
アリストテレスの『気象論』の第二巻七・八章は地震論になっているが、彼は、地震の原因を大地の中に吹き込み、吹き上がる風にもとめている(『全集』五)。それを火や水の動きに求めるアナクサゴラスやデモクリトスなどの見解を批判しながら、噴火、津波、液状化などについての観察を総合する議論はなかなか面白いものである。地震の原因を「陽・陰」の「気」の運動に求めるという点では、中国の自然哲学も同じであるが、観察が抽象化されていないのは、ギリシャが有数の地震・噴火地帯だからであろう。ギリシャ神話では海神ポセイドンが地下の地震の神となっている。アリストテレスの地震論は、そのような神話的な世界観から科学が生まれていく様相を示すのであろうか。
岩波書店のホームページの『科学』の欄には、大島堅一・河野太郎・吉井英勝の3氏による座談会「原発の安全なたたみ方:資金・賠償・人材」(『科学』2012年5月号)が読めるようになっていて、これは勉強になった。一読されることを御勧めします。
大島氏がいう原子力産業でも製造物責任という原則をまもる必要がある、また河野太郎氏がいう「原子力の先生方」についての厳しい批判、吉井氏のいう核武装のポテンシャル維持するための原発という議論が原発の基本問題であることをと40年前の文書で証明できること、など、どれも正論。これは基本的な倫理に属する問題であると思う。
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