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2013年12月27日 (金)

辺野古埋め立て承認と靖国参拝ー残念に思うこと

 沖縄の仲井真知事が辺野古埋め立て承認の公印をついたということである。

 私は、昨日、安倍首相の靖国参拝のニュースを知ったので、あるいは仲井真知事は承認の方向を考え直すのではないかと期待した。


 私は政治家ではないので、期待をしてしまったということである。しかし、ごり押しをされた知事がそう考えるのは自然ではないかと思ったのである。

 つまり、安倍氏は仲井真知事を押し切ったから靖国参拝を行うことに決めたのである。「これを決めたから、次に進む」という判断である。これは20年後に政治史が書かれるとしたら、そう書かれることであると思う。実際に自民党および政府部内では、そのように意思決定過程があったことは確実であると思う。

 しかし、靖国参拝は、沖縄の基地返還にとって明らかにマイナス要因である。基地の返還は第二次大戦の結果の修正、見直しという問題である。歴史観の問題としては明らかにそうである。占領者のアメリカと歴史観にかかわる問題で真剣な交渉をしなければならない。正面から主張をし、極端に危険な基地の返還を主張し、相手を説得しなければならない時期に、なにもいま、靖国参拝を実行することはないだろう。これは歴史観にかかわることでアメリカと真剣に話す気持ちはないということである。それを別の形で表明し、自分から基地返還の交渉を正面からはしませんと発言したと同じことである。

 安倍氏は東アジアには緊張状態があるということを主張する。その主張の当否は別として、靖国参拝の当否は別として、靖国参拝が歴史観にかかわる問題を呼び起こすことは誰がみてもわかることである。ともかくも自分で緊張状態を生み出しておいて、アメリカに対して基地の返還の主張を貫徹することはむずかしい。安倍氏には本当のところで基地返還を主張する積もりはない。つまり日米安保条約は維持するというだけでなく、それにもとづいて限度をこえて沖縄に設定されている基地を抜本的に見直す気持ちも、用意もないのである。


 そういうように安倍氏が政治日程を設定していた以上、これは駄目だと仲井真知事には見切ってほしかったと思う。

 私たちがいまもっとも大事にするべき歴史観は、沖縄が長く敗戦処理のために、同じ自治体でありながら、同じ国民でありながわ不当に危険な状況に置かれている。これを解決するということではないのか。いま、私たちの国が抱えているき最大の課題、とくに最大の外交課題は沖縄の基地返還、そうはいわないまでも普天間の返還ではないのか。歴史観というものを真剣に考えるのだとしたら、そこから出発してものごとを考えるほかない。

 私はアメリカが「失望した」という言い方には若干の不快を感じる。東アジアの緊張の基本部分は、東アジアで朝鮮・ベトナムと戦争を繰り返してきたアメリカにも大きな責任があるというのが、私などの考え方である。他人事のように、日本の行為が緊張をもたらすという言い方には、十分な良識を感じない。

 しかし、外交論理でいえば、アメリカの発言にはそれなりの積み上げがあるので、これをいっても仕方がないのはわかっている。

 なによりも問題なのは、安倍氏が、アメリカの反発を当然のことながら知っていた訳である。私は、これは好んでやったのだと思う。アメリカがどういおうとも、やることはやるという訳である。そういう形で自己合理化をしようという訳である。アメリカにしたがっているのでは決してないという訳である。「対米従属」を実際上は先頭に立って行いながら、そうでないポーズをするというのは卑小である。

 これは本当に必要なこと、むずかしいこと、つまり基地の返還ということにとりくまずに、反アメリカのポーズだけをするということである。日本の首相は沖縄県の首相でもあるのではないのか。沖縄の意思をここまで踏みつけにすることが許されるのか。沖縄の戦死者に対して、これで顔向けができるのか。、
 
 私は、靖国については、太田秀通先生が、生前は、毎年、敗戦記念日に参拝するといわれているのを知ってから、そういう参拝者の意見を尊重するようになっている。太田先生は、私の修論の審査者である。ビルマ戦線で腕を爆弾で無くされ、戦争に反対し、日本の戦前の支配階級の戦争責任を強く指摘され、歴史家としては歴史学研究会の委員長もやられたにギリシャ史の大家である。しかし、先生は、多くの「戦友」の死をみており、その人々の霊というものを靖国に行くことによって感じられるということを否定されなかった。私は、そういう心理、とくに実際に戦争を体験した方々の考え方は尊重するべきであると思う。

 しかし、それと、この時期における首相の参拝とはまったく違うものだと私は思う。

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