雪景色
ようやく、今年の原稿の負債ですぐに書かなければならないものを終えて、昼にメールで送り、その後に年賀状にかかった。印刷の手伝いを頼んで、どうにか疲労困憊の時間もすぎていく大晦日。
この写真は今年の雪景色でもないし、年賀状の写真としては寂しすぎると却下になったもの。雪降り積もる寒さを思う。
今日、岩波書店の『図書』がきて、池沢夏樹と高村薫の御二人が『古事記』を読んでいるというので驚く。高村氏は「日本人の祈りのかたちとはどんなもので、どんなふうに変容してきたのか、ぼんやり眺めたりしているのだが、それはまた日本人の歴史や生活史の俯瞰でもあるし、さらにいえば私から親へ、祖父母へ、曾祖父母へと先祖をさかのぼって、自分はどこから来たのかを探る旅でもあるだろう」といっている。
歴史家の感じ方はすこし違う。しかし、私も、今年は、『古事記』をよく読んだ年だった。これは同世代の感じること、向かうところがどうしても似てくるという不思議な動きなのであろうか。私たちのうえにかかっている見えない網、天網のようなものは自然にある方向を向いているということなのかもしれないと思う。そして「見えない網」とはいうが、それは実際には見えている網なのであろうと思う。ある世代が同じもの、同じ「天網」を見ることができるということを大事にしたいと思う。それは共通する言葉をあたえれば見えるはずのものであり、見なければならないものであると思う。それをどうにか若い人々に伝えたい。
『古事記』のなかに何をみることになるのか。私などにとっては、それはやはり確実に科学、歴史科学なのであって、その作業と仕事は「自分はどこから来たのか」という感慨はあたえない。この点は異なっている。高村さんは「自分はどこから来たのかを探る旅」とおっしゃるが、むしろ歴史学は自分という日常性を忘れさせる。「自分はどこから来たのかを探る」ということも日常性から離れるという意味があるから同じことをいっているのかもしれないが、しかし、歴史学には、最初から、「われわれは、どこから来て、どこへ行くのか」という問い、「われわれ」という問いが必須である。
ただ、やはり、高村さんのいう「祈りのかたちとはどんなものであったのか」というのは、根本的な問いであろうと思う。祈りというものには、我々、家族、人々、人間という類が前提となっている。そして祈る相手はなによりも「自然」なのだと思う。それは目の前の日常性と現実を長い時間のなかに相対化する作業でもあって、だから、祈りというのは、意外と歴史学には近いものだと、私は思う。宗教者は永遠という時間を相手にしているが、歴史学者も、地震学や地質学の研究者と同じように永遠という時間を相手にしている。
昨年から今年、歴史学は大きく自然の研究、自然史の研究の重大性を認識する方向にシフトしたと感じている。まず必要なのは自然神話の研究であろうと思う。それにしても、『古事記』と神話論にいまごろ取り組むというのは歴史家としては不徳のいたすところということである。しかし、今からでもいくらかの問題を明らかにすることによって、同世代の感じ方を共有し、豊かにする仕事に参加したいと思う。
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