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2014年1月 3日 (金)

102地震火山、小川琢治の地震神=スサノヲ論の紹介

 今日は、三日なので、仕事をはじめた。PCの中に残っていた小川琢治(湯川秀樹のお父さん)についてのまとまった原稿を発見。研究史なので、載せておきます。

列島の自然神話と神話学
 『日本書紀』『古事記』『風土記』『万葉集』などに残されている神話物語の中には、日本列島に棲みついた我々の祖先たちが、この列島の自然をどのように認識していたかということを反映している部分がある。これらの神話史料は文字の形でまとまって残ったものとしては、東アジアではきわめて古いものである。

 もちろん、これらの神話史料は、当時の国家がその正統性を証するという目的の下に編纂されたもので、その意味できわめて強い政治的な性格をもっている。それを忘れたり無視したりすることは学問としてはきわめてまずい。私は、第二次世界大戦の中での全体主義的な天皇制国家が、その種の神懸かりの神話イデオロギーによって国民と塗炭の苦しみに追い込んだことは、いやなことではあるが、歴史家の職責として、機会あるごとに愚直に繰り返すべきことだと思う。

 しかし、歴史学が神話の政治的な性格に注意をはらうのは、そういう政治的な性格を取り払ったところにあらわれる、神話史料それ自体が、たいへんに貴重な文化財であるためである。私は、その文化的・学術的な価値はきわめて高いことも強調しておくべきであると思う。世界的にみてもきわめて珍しいものである。

 これは神話を虚心に読み込んだ経験のあるものにとっては自明のことであるが、二〇一一年三月一一日の東日本大震災の後、急遽、『歴史のなかの大地動乱』(岩波新書)を執筆する中で、私は、この列島に棲むものにとって神話世界についての知識が大事な意味をもっていると考えるようになった。倭国の神話には地震(そして火山)の影響がきわめて強いのである。歴史意識の中に、これらの神話を位置づけ、列島の神話を一つの「過去の鏡」として、現在の国土を考えることは、私たちの後に続く世代に、この国土を引き継いでいく上で、大切な営為であると考えるようになったのである。

小川琢治のスサノヲ=地震神説の位置
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 ある高校の先生から歴史学からみた地震について高校生に実験授業をしてほしいと頼まれたことがある。高校生はみな興味をもって聞いてくれたのだが、ショックだったのは、素戔嗚尊の名前をだして「知っている人」と、念のために聞いたところ、クラスのほとんどが知らなかったことである。これは困ることだと思う。

 私は、日本神話における地震の神は、素戔嗚尊(スサノヲ)であると考えている。ということは、その娘聟である大国主命も地震神なのである。さすがにこの神の名前は高校生も知っているに違いないが、彼らにとっては、ぎゃくに、なぜこのスサノヲーオオクニヌシの名前を知っていなければならないかということかもしれないと思う。ただの教養としてスサノヲーオオクニヌシの名前を知っていた方がよいということは学者としてはいいにくいことである。しかし、もし彼らが地震神であるというののが事実であるということになれば、これは是非知っておいた方がよいということになるのではないだろうか。

 ただし、問題は、これは通説ではなく、すくなくとも現在の時点ではもっぱら私が主張しているだけであることである。もちろん、この国における最初期の地質学・地震学の学者、小川琢治が、このことを指摘していたのであるが、その後、地震学者・歴史学者をふくめて、だれもそれを繰り返した人はいなかった。なお脇道に入るが、小川が地震学・地質学の研究の道に進んだのは、一八九一年、マグニチュード八、〇という内陸地震としては最大の強さをもつ濃尾地震を目撃したためであった。この地震は、建物全壊一四万余、半壊八万余、死者七二七三人、山崩れ一万余箇所という被害をもたらした。小川は、この惨状にショックをうけ、地質学を志し、地震学・地質学の研究の基礎を作ったのである。私は、彼がノーベル賞をうけた原子物理学者、湯川秀樹の父であることぐらいは知っていたが、歴史地震の研究を始める前には、小川が、なぜ地質学の道に入ったのかはまったく知らなかった。このことは、私たちのもっている日本の学問の歴史についての知識の歪みを示すものかもしれない。

 小川が日本神話における地震神がスサノヲであり、そしてその地位を引き継いだオオナムチであると指摘したのは、「東西文化民族の地震に関する神話及び伝説」という論文であった。この論文は『支那歴史地理研究』(一九二八年、弘文堂書房)という東アジアの歴史地理と地質学に関する浩瀚な著作におさめられたもので、小川はそこで世界の地震神話についての紹介をしている。その中で興味深いのは、スサノヲが海神であると同時に地震神であるというのはギリシャ神話のポセイドン(ローマ神話ではネプチューン)と同じであるとする点である。小川は彼らが、「(海神であると同時に)地震の神とされた訳は、ギリシャ半島の地中海に突出した部分は地震の頻発する土地であって、その入江には、これにともなって津波が起こるからである」としている。

 見事な議論であるというべきではないだろうか。いまでは、子供たちは、あるいはスサノヲという神の名前よりも、ポセイドン=ネプチューンの方が親しい場合もあるかもしれない。しかし、この二つの神の名前は同じ性格をもった神としてまとめて覚えておくべきものなのであり、あわせてギリシャなど地中海東部も地震が多い地帯であることを記憶しておくことは生きた教養であると思う。

 ただ、この小川の著書『支那歴史地理研究』は、稀覯本になっていて、現在では、なかなか見ることができないから、小川の視野の広さを顕彰するためにも、それを論じた肝心の部分を次ぎに引用しておくことにしたい。ただし、後にも述べることなので、先を急ぐ方は、読み飛ばしていただいて結構である。


 『古事記』および『日本書紀』の神代巻にみえた神々の中で、最も激しい神となつている素戔鳴尊が地震・津浪を起し、その子の大己貴ノ尊が、これを鎮めたと考へられていたことが明らかであるから、たぶん、オオナムチ尊、すなわち大国主尊を地震の神とみなしうると思う。
 『古事記』によれば伊弉諾尊が天照大御神、月読命、建速須佐之男命の三柱の神を生み給い、おおいに歓喜して天照大御神に高天原を治らせよ、月読命に夜食國を治らせよ、素戔鳴尊に海原を知らせよと詔り給へりとあつて、素戔鳴尊は海神となつてゐる。しかして、その行状として、その泣き給ふ状は青山を枯山如す泣枯し、海河は悉く泣乾しき、是を以て悪ぶる神の音狹蠅如す皆滿き、萬の物の妖悉く發りきといひ、妣國根の堅洲國にまからんと欲ふが故に哭くとまをし給へりといひ、天照大御神に訣別せられ天に参上り給ふ時に、山川悉く動み、國土皆な震りきといひ、
『日本書紀』には
 溟渤以之鼓盪、山岳爲之鳴?、此則神性雄使之然也、
といつて居る。是は地震によつて大地鳴動し、山崩れて土?げ草木倒れ、家を覆し人を傷ぶる恐ろしい現象と之に伴ふ津浪の起るのを此の神の狂ふ所作と考へた神話と解される。
 次に『古事記』にはオオナムチ尊がスサノヲ尊の御所に参られて尊の眠つた隙を伺ひ髪を握つて室の縁に結び著け、大石(五百引石)を其室の戸に塞ぎ、尊の生ノ太刀生ノ弓矢と天詔琴を取り持たして逃げ出で給ふ時に、天詔琴が樹に拂れて地動鳴き尊の眠りを驚かしたといひ、海神が同時に地震津浪を起す神であつて、大己貴ノ尊は之を鎮めた神で國作りの神として崇拝されたものと考へられる。従つて前に述べた「オホナムチ」なる神名が地を鎮める神といふ意義で、とくに鎮めるといふ語に現實的な意義があつたらうと思ふ。
 茲に一言せねばならぬのは伯耆、出雲、石見の地方のことで、此の山陰地方は日本海に瀕して、近頃は他の地方よりも地震の少ないところであるが、歴史上には二三の激震があり、また明治五年に濱田を中心とした激震があつて、石見國だけで倒屋四千餘使者五百餘を出した。故に素戔ノ鳴ノ尊の本國を其隣の須佐とすれば時として激震の起る地方に屬して居るのである
(旧仮名遣いを新仮名遣いにあらため、一部、漢字を仮名になおし、符号や言葉をおぎなった)。


神話学研究の歪み

 この小川の指摘は、短文ながら、きわめて重大なものである。ところが、私の知る限りでは、小川の指摘は歴史学界の注意を引くことはなく、また神話学においてさえも、ほとんど注目されることはなかった。もちろん、日本の神話学の開拓者の一人である松村武雄は、さすがに小川の議論に気づいていた。しかし、松村は「氏の専攻の理学から観ずると、こうした解釈に到達するかもしれないが、自分たちにはいかにも奇妙な論歩の進め方のように思われて、遺憾ながら納得しがたい」としてしまった(第三巻二六二頁)。神話学の目からみると、小川の議論が、たしかに大ざっぱに過ぎたことは事実であろうが、しかし、松村が、この点を深く追究しなかったのはきわめて残念なことであった。松村自身、一九四二年にあらわした大著『古代希臘に於ける宗教的葛藤』にも、ポセイドンが海神であるとともに地震神であるとしているように、海神=地震神というポセイドンの性格は神話学にとっては常識に属することである。また松村は国生の女神の出産についてそれが火山噴火の印象を反映していると論じている。そういう松村が小川の議論を受け止めなかったのは残念なことであったというほかない。

 これに対して、現代の神話学を代表する研究者の一人、吉田敦彦は、さすがに、スサノヲの地震神としての性格を論じている。つまり、小川が注目したように、スサノヲが、アマテラスのいる高天原に上っていくとき、「天にまゐ上りたまふ時に、山河悉くに動み、国土みな震りき」といわれていることにふれて、吉田はスサノヲはポセイドンと同じように海神であり、地震神であると明瞭に述べているのである。しかし、吉田は、このことを『日本神話の源流』(『講談社現代新書』、一九七六年)という新書の中でわずか三・四行ふれたにすぎなかった。しかも、吉田は、小川がふれたスサノヲがもっていた地震を引き起こす「天の沼琴」についてはまったく言及していない。それ故に吉田は、この琴をスサノヲから盗んだというオオナムチの行為については言及せず、それ故に、オオナムチが地震神としての性格をもつことについてもふれていない。吉田が小川の仕事を読んでいなかったとは考えられないから、これもきわめて残念なことであったといわなければならない。

 いまになってみれば明らかなように、日本神話を考える上で、地震神と地震神話の位置は、そんなに軽いものであったとは考えられない。むしろ、この列島に棲む人々、この列島での生活と生業を作ってきた人々にとって、地震や噴火などの不思議な地殻の動きはもっとも神秘的なもの、理解しがたいものであったのではないだろうか。小川は、地震学者の本能によって、そのことを直観していたように思われる。

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