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2014年1月18日 (土)

『一遍聖絵』の福岡市の場面ーー歴史教育のために

 『物語の中世』の文庫版で追加したこと。

 『一遍聖絵』に描かれた備前国の福岡市の場面は、鎌倉時代の地方市庭の様子を示すものとしてほとんどの教科書にも載せられている有名なものである。この場面の解釈について『物語の中世』で書いたが、旧版(東京大学出版会)とくらべて、昨年出した文庫版(講談社学術文庫)で追加した部分があるので、これを紹介しておきたい。学校での授業に使えると思う。
 それは「腰袋と桃太郎」という文章で文庫本でいうと、300頁である。
 それを読んでいただければいいが、腰袋というのは、火打石などが入れてある成人男性が腰に結んでいる袋で、実は鎌倉時代には、この中に銭が入っているのが確実なのである。

Photo


 この図が『一遍聖絵』に描かれた備前の福岡市である。左上にいる男が銭をもって立ち売りの女から布を買おうとしていること、上の仮屋のなかに座っている女が銭を数えていることなどは、この画像を教材として利用する場合にはかならず言及されているだろう。
 問題は、右下の一郭に描かれた仮屋であるが、この棚に下がっている薄茶色や赤色の丸いものも、火打袋ではないだろうか。前述のように、火打袋が、丸く切った皮・染革によって作られていたとすると、この画像を火打袋(というよりもそのための染革)とすることに違和感はない。同じ棚に緒のような赤紐が下げられているのもその証拠となる。腰袋の画像を探っていくと、その緒紐が赤いことがわかる。市庭では銭が使われるだけでなく、サイフも売っていたという訳である。

 この文章の最後の2行を文庫版で付け加えた。「腰袋の画像を探っていくと、その緒紐が赤いことがわかる」というのは、絵巻物を繰っていただければすぐにわかることだが、このブログのWEBPAGEに載せた「歴史教育と時代区分論」というスライドの32頁に、いくつかの絵巻物から例を拾ってある。
 中学・高校の歴史の授業などで、貨幣経済の展開を話す際には、この画像を使わざるをえないはずである。さらに上記の情報を付加すれば、腰袋について話し、また市庭について詳しく話すことができる。

 ゼミに考古学の院生がでていることがあって、年初から、前方後円墳論に取り組んでいて、頭が重く、さすがにブログに文章を書く余裕がなかった。平安鎌倉時代の研究者にとっては無謀な挑戦である。
 前方後円墳は火山の象徴であるというのが私見で、『かぐや姫と王権神話』や『歴史のなかの大地動乱』にそれなりに根拠をもって書いた積もりだが、史料をさらに追加して説得的な議論をしなければならない。来週のためにはともかくいちおうの目処がついた。


 明日は、沖縄の名護市の市長選の投票日である。ヤポネシアとして、列島ジャパネシアとして「日本」をとらえるということを歴史家として本格的に考えたいというのが、昨年年末から年初にかけて考えたことの一つである。沖縄は孤立しているように見えるが、しかし、島尾敏雄が、ジャパネシアの歴史は変化する時は、かならず南で大きな変化があるといっているのは正しいと思う。基地の移転、増設に抵抗する動きはかならず南からはじまって列島全体に及んでくると思う。学者生活にとってはむずかしいことだが、沖縄の人々の生活にはじない仕事をし、生活を送るという気持ちを作るためにも、今年は、できれば沖縄に行きたいと思う。歴史の研究はつねに時間を移動することであるが、しかし、空間を移動することも、日常からでるという意味では同じ感情をもたらす。そして、なによりもそういう仕事のことを越えて、沖縄に別の日常があることを感じながら生活をすることは、この列島に棲むものにとってなかば義務的なものであると、私は思う。

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