藤木久志さんの本。
藤木久志さんの本を『日本史の30冊』に加えようとしていて、どれを入れるべきかを考えている。
おそらく 『飢餓と戦争の戦国を行く』 (朝日選書、2001年)にすることになるだろう。ともかくも徹底的に食いつめた人の目から社会をみていくということであるが、それをデータベース作りからはじめて追求してきた藤木さんの姿勢に圧倒される。
『戦国社会史論』から読み直さねばならないのだが、これはもう少し先の研究計画に属する。先日書いた室町時代の通史メモでも、「応仁文明の乱」の説明にはどうしても藤木さんの仕事の読み直しがいると再認識。
本当にうかつなことに、災害史・地震史の研究を自分で始めてみて、藤木さんの仕事の意味が身にしみてわかった。私は自分の専門では鎌倉初期までしか目がおよんでいないので、ついつい室町以降の研究を敬遠してしまう。もちろん、藤木さんの仕事の基本部分は読んではいるのだが、しかし、2000年代に入って職場が多忙になり、追われるような気持ちで研究の方向を本当の意味でじっくり考えることがなかったのであろうと思う。
この本の「あとがき」に1993年の東北の大凶作の衝撃をみにうけて災害史と「飢餓」の問題に一挙に取り組み始めたとあるのを読んで、やはり大きな衝撃である。このことは私も聞いていたが、私にとってあの凶作が研究の衝動力にはならなかったということがショックである。
山内明美さんの『こども東北学』にも、その大凶作の記憶が記されている。彼女が高校生のころであったという。東北大凶作から東日本大震災へという経験のあり方のなかにいる人はほかにも多いのであろうと思う。
私は、その外にいて歴史学をやっていた訳である。ともかくも『日本中世気象災害史年表稿』(高志書院)に目をさらし、藤木さんの仕事を考え直してみたいと思う。
歴史の研究者はおのおの一人一人自分の戦略をもって研究を続けるが、それを相互に了解しながら進むことは、少なくとも私の経験ではきわめて困難であった。それはどういうことなのかを考えている。
さっきまでジャーナリストの人に歴史学と地震史・災害史研究の状況についてインタビゥーがあって説明。3,11にむけて考えているとおっしゃる。「歴史学というと世離れたもののようにみえるけれども、そういうことでもないのですね」といわれて絶句。