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2014年1月 2日 (木)

図書館の機能、マイブックリスト

 昨日から机辺の片付けで尾野善裕氏からいただいた抜き刷り「古代尾張における施釉陶器生産と歴史的背景」(『新修名古屋市史 資料編 考古2』二〇一三年)をしかるべきところに整理するために、もう一度読んでいる。9世紀の淳和院論として屈指のもの。戸田芳実氏が読んだら、本当に喜ばれるだろうと思う。

 考古学はここまで来ているのだということを感じさせる。このレヴェルをふまえて、以前書いた「古代末期の東国と留住貴族」を手直ししないとならない。
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 写真は昨年、夜、京都にいったときにとったもの。まったく予期しておらず、石柱に接して、ここが淳和院かというので驚いた記憶。 

 尾野論文に引用されている論文で未見のものがある。

 研究所の任期がおわって不便なのはやはりすぐに本をみることができないということ、とくに雑誌論文がみにくいということである。そこで、雑誌論文については、国会図書館の複写サービスを使うことにして、今日、申し込んだ。WEB上でNLD-OPACで申し込んでから、到着まで一週間はかかるようだが、一枚24円ということだからやっていける金額である。
 
 歴史は細かな仕事なので、相当数の論文と著書が必要となる。本は必要なものは買わざるをえないが、面倒なのは論文で、研究所にいても、最後は隣の図書館や学部に探しに行くことになった。国会図書館の複写サービスに慣れれば、仕事がやりやすくなるのではないかと期待している。

 研究書(論文集)は、結局、一番使うのは、先輩たちのものなので、これは必須のものとしてそろえている。そして、どうしても必要なものは購入する。また戴くこともあり、差し上げることもあり、これは相互贈与のようなものである。ハードカバーの学術書の印税は差し上げる分で消えてしまい、ほとんど印税は期待できない。その代わりにいただくという関係で、学術書の出版というのは相当部分が専門分野内流通である。専門学術出版というのは学会内の情報流通の補助機能を一つのベースにして成立している業界であると思う。

 ただ、自分の専門を越える著書はさすがにそろえていない。また新しい分野の研究計画を立てる際にも書棚の本では不足する。これは近くの図書館にお願いするほかなく、近くの図書館が充実しているのはありがたいことである。
 
 私は千葉市内に住んでいるので、千葉の市立図書館と県立図書館を利用させてもらって便利をしている。

 最近発見して感心しているのは、市立図書館と県立図書館の両方の図書館で同じシステムになっている「マイブックリスト」という機能である。説明によると、「マイブックリストは、蔵書検索でヒットした資料をピックアップし、あなただけのリストとして保存しておけるサービスです。リストは10個まで作成できます。1つのリストには100件までの資料を登録できます。蔵書検索の画面から、1クリックで資料をリストに登録できます。リストや資料にはメモをつけておくことができます。作成したリストは、図書館のシステムに保存されます。インターネットに接続されていれば、どのパソコンからも、リストを閲覧したり、編集したりすることができます」ということである。

 両方の図書館が同じシステムなのがいい。
 
 参考文献目録、あるいは読まねばならない本のリストをこういう形で作れるのはありがたいことだ。歴史学の作業、資料のなかにもぐり込んで穴をほる作業というのは、頭脳作業としてはもっとも単純なものなので、誰でもできる。ある専門分野や実業のなかにひたって、その骨法をさとった人ならば、5年訓練すれば誰でもできるというのが、私の持論。

 逆にそれを職業にする人は、どういうオリジナリティを発揮できるのかが問われるということであるが、いずれにせよ、そういう作業にもライブラリーが助けてくれる。データをそこにおいておけるというのは新しい時代なのだと思う。

 いわゆる反知性主義がはびこる、この社会の基礎から、水準を上げていくためには、とくに日本ではライブラリーが大事なのだと思う。学術とライブラリーとが強い連携をもつようになることは基礎条件としてどうしても必要だと思う。図書館にいって歴史の書棚をみていると、それが文化学術全体のなかでどう位置付いているのかを考えさせられる。


 近現代史専攻で、一昨年だったか、韓国での任期を終えて帰ってこられた先輩のK・K氏から年賀状をいただく。「じっくりと研究をしている」とのことで、自宅作業をうまく進めるやり方の経験を伝授してくれるということである。遠山茂樹さんの言い方だと我々はみな「職人的研究者」であるので、狭いものでも書斎が工場(こうば)である。
 
 いつか話しを聞けるのを楽しみにしている。以上は、その時のためのメモ、私の最近の経験を御伝えするためのメモである。

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