「遡及的歴史認識」と「微視的歴史認識
これは先週の土曜に、千葉の大通りの大雪。一週間間違えて、地震の講座があるはずと思って雪のなかをでてしまった。ただ、連れ合いの恩師、佐々木潤之介さんの本をもってでたので、喫茶店によって読み、アネモネの花をかって帰った。花言葉は「辛抱」「待望」「期待」「可能性」ということであるそうである。
「歴史学とは、歴史的に形成された問題は、歴史的に解決・克服できるということを基礎にして、その営みを続ける学問である」(佐々木潤之介『地域史を学ぶということ』吉川弘文館、16頁)。
私は「通時的」という言葉が嫌いである。もちろん、「通時的認識」という言葉の裏側にあるブローデルの「長期持続」という概念は重要である。また「通時的」という言葉とあわせて使われる「共時的」という言葉には時間を同一にしている、空間を共有しているというニュアンスがあって、これは意味があると思う。その裏側にあるのはおそらくグローバルな空間ということで、これは重要な問題である。ただ「共時的」というのはどうもあまりこなれない言葉であまり好きにはなれない。
しかし通時的という言葉はほとんど取るべきところがない。あるいは誤解があるのかもしれないので、誰がどのように使いだした言葉なのかを点検してみようとは思うが、しかし、いままで使われているものを読んだ曖昧な記憶では、「通時的」という言葉には内容がない。内容がないことを内容があるようにみせるペダンチックな言葉である。
むしろ歴史学の方法にとって本質的に必要なのは、方向が逆で、「遡及的歴史認識」と「微視的歴史認識」というものではないかと思う。
「遡及的歴史意識」あるいは「遡行的歴史意識」というのは、英語でいえばretroactiveということであろうか。retrospective(回顧的)ということとは違う。現在の課題状況の発生時にまでさかのぼって、その時代までをmodern と考える感じ方といえばよいのだろうか。
たとえば、現在の世界史のなかでもっともきつい目にあっている中近東、イスラム圏は8世紀に世界の先頭にいた。つまり宮崎市定氏がいうように、近世はたしかにイスラム圏から始まったのであろうと思う。イスラムからモンゴルにつながる時代こそが、世界史の本格的な登場である。
そして、これをひっくり返すサイクルが十字軍からのヨーロッパの登場であった。ヨーロッパは、その中で、イスラムから学び、イスラムを利用し、そしてイスラムの海の道を軍事的に突破しつつ東南アジアに到達した。これをベースとしながらも、ヨーロッパは、地球を反対方向に回ることによって南アメリカを制圧した。そして日本銀とメキシコ銀をにぎって環太平洋地帯をおさえ、その富を収奪してから、立ち戻ってイスラム世界を挟撃し世界覇権を握った。これがマルクスのいう人類の歴史に血をもって刻まれた歴史、資本の原始蓄積の歴史である。
現在の中近東、イスラム圏の悲劇は、あきらかにその時代にまでさかのぼる。その時代に歴史に突き込まれた棘のようなものを抜くために、世界は身をよじって苦しんでいる。歴史の重荷、歴史のなかでおわされた呪い、蓄積された巨大な負荷、それをどうにかなだめ、鎮め、癒すという課題を考えると、ようするに原蓄の時代、16世紀からの長い時間を我々にとっての「近代」(modern)にしなければならない。世界が共有できるmodernとは、その時代におわされた重荷を取り去るという歴史意識を共有するということである。
そういうことはつねにあると思う。現在の問題の根を探っていくと過去のある時代に到達する。それゆえに現在の問題を解決するなかでは過去のしがらみからの脱却が必要であり、そのときに過去のどぶ泥のなかに人間はひたらざるをえない。戦争責任の問題というのは、その典型である。過去の歴史の条件を詳細に知り、忘れず、現在に及んでいるゆがみを取り去り、できる部分は少しでも癒し、その全体を相対化してしまうという人間の営為である。
もちろん、過去は客観的に存在する。いまからは動かせない。しかし、歴史的課題と、その重層というものも客観的に存在する。解決されなかった問題はそのような問題として存在しつづけ歴史的な課題の複合体は肥大化し、現在のなかに巣くい、人々のエネルギーをすいあげ、スポイルしていく。地盤を掘り下げ、その根、radixを抜き去ることをいつかはやらなければならない。
だからある意味では、世界史は遡行の歴史であって、過去のすべてを自己の視野のなかに入れていき、過去を取り戻していき、過去を自己の時代と一連のものと感じていくという作業なのである。実際、人類に今後一万年という時間がゆるされるとすれば、16世紀、資本の原蓄の時代は確実に、一万年後の人々にとっては近代Modernになるはずである。また、将来、氷河期がやってきたとすれば、前の氷河期が、そのときの人々にとっての近代になっていくだろう。その意味では、歴史の進展は、つねに「近代modern」(自分たちがmodernと感じる時代を過去に遡及させていく。
問題は、この遡行的な歴史認識が、同時に微視的な認識を必須のものとしていることで、結局、そのような遡行は、歴史における個人、個々の人間の生活と意識を平等に観察していく過程でもあるということである。過去のすべての人間、身分や富にかかわらず、もっとも多数の立場にいる人間の個々人を平等に視野に入れてくるということなしには、過去の客観的な課題構造というものがみえてこないということなのであろうと思う。
私は、こういうmicro-retroactiveな見方こそが、本来の「発展段階説」であったと考えている。佐々木潤之介さんがどこかでいっていた定式化だと、人類がどういう社会的課題をもっていたかに即して、その累進的な解決の構造に即して、過去を再構成する方法ということである。
その意味では、歴史学(そして歴史教育)を考えるときにつねに問題になってきた「追体験」だとか「課題化的な認識」ということは「発展段階論」と通底する問題であるはずなのだが、そのようなものとして「発展段階論」を再構築するということが、何にもまして必要なのであると思う。
« 右遠俊郎先生の追悼会と梶井基次郎 | トップページ | 地震火山104歴史教育と地震、「 奈良・平安時代の地震、神話と祇園社 »
「歴史理論」カテゴリの記事
- 何のために「平安時代史」研究をするのか(2018.11.23)
- 世界史の波動の図。(2018.01.14)
- 日本の国家中枢には人種主義が浸透しているのかどうか。(2017.10.22)
- 「『人種問題』と公共―トマス・ペインとヴェブレンにもふれて」(2017.07.17)
- グローバル経済と超帝国主義ーネグリの『帝国』をどう読むか(2016.07.01)