戦後歴史学と社会構成論--論文 「社会構成論と東アジア」再考の書き出し。
下記は、「社会構成論と東アジア」再考(保立道久『封建制概念の放棄』校倉書房、所収、歴史学研究会70周年記念シンポジウム、2002年10月)のはじめにの部分。
ある人に送るので、切り出したのを再利用です。
末尾に引用したが、その最後に「これがキリスト教神学が、たとえばカール・バルトのような人をふくめて、社会主義の全体主義的性格を批判していたこと自体 は正しかったことは明らかです」と記した。
スターリン主義問題は、我々の世代にとっては大問題である。
この前の記事の続きだが、この論文の本論でも、WorkとLabourの違いを論じた。
さきほど食事しながら、ベネチアのゴンドラ作り職人の話。
連れ合いによると、テレビでゴンドラ職人がでてきて、「仕事は喜び」といっていたという。
それにくらべて「労働は喜び」というのはやめた方がよいという話しになった。
「仕事は喜び」、そして「労働は健康」だろうか。
労働、抽象的人間労働は、生理的労働であるというのは、そういう意味だろうと思う。
このゴンドラ職人は四代目であるということだが、現在はほとんど修理仕事。ゴンドラを作るというのは、船頭さんにとっては、その身長・体重にあわせて作るので、一生に一度の栄えある事件になり、ゴンドラ職人にとってもたいへんなことであるという。そのゴンドラも最後は商品として売られるのであるが、それは資本制商品の一般的特徴とはことなる特徴をもった商品である。こういう商品、一種の形式としてのガワとしての商品の理論的な性格をどう資本制商品から区別するか。
生活のなかに存在する「もの」というものをどう感じ、どう考えるかというWilliam Morrisのような問題があるのであろう。
やっと風邪が治りつつある。
夜寝られず、なんとKindleでホームズ全集というのを読んだ。これは英文版は〇円なので、networkから落としてきた。「赤毛連盟」を読んでいたら、犯人の銀行破りがWilliam Morrisとなっているのには笑ってしまった。
Morrisは「赤」という訳だろう。
ホームズに、いわゆるオリエンタリズムとイギリス神秘主義の雰囲気があまりにあらわなのに驚いた。中学生のころは、こういう物を読んで共感していたわけだ。今の若い人たちには、その雰囲気は分からないと思う。そして分からないのはいいことである。しかし、ホームズはさすがに面白い。
「社会構成論と東アジア」再考
石母田→網野学説の現在から
1戦後歴史学と社会構成論
戦後歴史学は「単系発展段階論」、単なる近代主義的な進歩史観に過ぎなかったという意見がしばしば聞かれます。しかし、そもそも戦後歴史学 が最大の課題としたのは日本社会の歴史を、世界史、とくに東アジア史の中でトータルに理論的にとらえることでした。社会構成を変化・発展する ものとしてとらえ、諸地域・諸民族が作り出す世界を、その社会構成の共通性と独自性にそくして理解しようという、このような課題設定自体は基 本的に正当なものだと思います。
そして、事実として確認するべきことは、「単系発展段階説」批判は戦後歴史学にとっても早い時期からの論点だったことです。すでに、 1959年、太田秀通さんは、「世界史における社会構成の前進的諸時代や共同体的土地所有の諸段階を、原則として各民族の通過すべきものと考 えがちなわが国の一部の研究者」を批判し、「諸民族の発展系列の束としての世界史像を構成すれば、それはたんに単系発展の歴史像でもなく、た んに多系発展の歴史像でもなく、両者が交錯する複雑な歴史像とならざるをえない」と主張しています。それ以降、太田さんは「一国史的分析を中 心とする一系的発展段階論」にたいする批判、「単純な一系発展図式を破砕すること」を終生の課題としました(『世界史認識の思想と方法』)。 また1963年の歴史学研究会大会テーマ「東アジア歴史像の検討」の議論の中で、遠山茂樹さんは、世界史を「発展段階や社会構成を異にする諸 民族の構造的複合体」とみなし、そのような複合体の一つとして「東アジア」を設定するとともに、世界史の時代範疇として①古代帝国の時代、② その解体過程、③世界市場形成過程の時代、④帝国主義の時代という時代区分を提示しています。個別の民族体とは相対的に別のレヴェルで世界史 の時代区分を設定しようという、この試論に対しては、当時太田さんも賛同をしていますし、後に述べるように、私も、基本的に賛成です。
もちろん、このような議論が実際に展開したのは、歴史学研究会でいえば、「世界史の基本法則の再検討」「世界史像の再編成」というテーマを かかげた時代、つまり1962年から68年にかけての遠山・太田の委員長時代のことです。50年代の歴史学に「一系的発展段階論」が優勢で あったのは太田がいう通りです。しかし、遠山さんの『戦後の歴史学と歴史意識』を読めばわかるように、最初期においても戦後歴史学の議論は けっしていわれるような単純なものではありませんでした。そして何よりも、学問は、そのもっとも高い地点で、その峰をもって評価すべきもので す。歴史学者ならば誰でも知っているように、「東アジアの中で日本の社会構造をトータルに理論的にとらえる」という戦後歴史学がかかげた課題 は、いまだに解決の目処もたっていません。戦後歴史学が提出した問題のレヴェルにふさわしい対案なしに、先行者に対して声高な批判を浴びせる ことは学者のするべきことではない、すくなくとも同じ歴史学者のするべきことではないというのが、私の意見です。率直にいって、戦後歴史学に 対する「批判」なるものは、こういう課題を正面からかかげることをやめたという気分を表現するものに過ぎない場合も多いのです。そして、その 背景には、社会は変化発展するものだという考え方が、ソ連圏の崩壊、自称社会主義の崩壊とともに価値をなくしたという感じ方があります。それ を無前提に信じていた戦後歴史学はただののんきな進歩主義でしかなかったという訳です。
しかし、確認しておかなければならないことは、歴史学にとっての、あるいはより広く戦後思想にとっての最大の問題は、戦争と民主主義の問題 であったことです。当時、ヨーロッパ市民社会の思想と文化がはじめて本格的に日本社会のなかに入ってきました。他方、中国革命の動きが大きな 影響をあたえていました。この中で、戦争や民主主義の問題を突き詰める先に存在した可能性の問題として社会主義が存在したことは、東アジアに おける戦争の経過とそれへの抵抗勢力のあり方からいって自然なことだったと思います。ヨーロッパでの戦争への経過や抵抗勢力のあり方はもっと 多様・複雑で、こういう民主主義問題と社会主義問題が二重化しているという状況は希薄でしたが、東アジアにおいてはそうではなかった訳です。
私たちの世代にとっても問題は単純ではありません。しばらく前の歴研大会で、石井寛治さんは、1960年代末期のいわゆる大学闘争世代に属 する私たちの世代を戦後歴史学の世代ではないという意味で「現代歴史学」の世代と呼んでいます。しかし、あの頃までは、まだ日本の文化の中に はヨーロッパの思想文化が生きていました。また私たちは、戦後歴史学の作り出した歴史像や具体的な方法意識から圧倒的な影響をうけました。石 井さんの指摘にもかかわらず、私たちは、戦後歴史学を直接に継承した世代、おそらくその最後の世代です。もちろん、20世紀後半の世界の思想 状況の最大の特徴は、ヨーロッパの思想と哲学が、社会主義思想をふくめてきびしい試練をうけ、その説得力を失っていったことにあります。ス ターリニズム批判は私たちにとっては常識であり、実際に、中国の文化大革命、チェコ事件以来、社会主義にたいする強い疑念が一般化し、その中 で、私たちはヨーロッパ思想と自称社会主義の双方をさめた目で見始めました。その意味で、我々はたしかに戦後歴史学の先輩たちとは異なってい ます。
私たちにとっては、第一に、家永教科書訴訟など、実際に歴史学の基礎常識にかかわる局面で、日本の歴史問題、とくに戦争責任問題が精算され ないままになっている状況を痛感させられたことが重大でした。そして、第二の問題が自称「社会主義」なるものをどう考えるかということでし た。私たちは、この「戦争責任」と「社会主義」という二つの問題が容易に突き抜けることができないという事態の中で生きてきたように思いま す。私の大学時代はベトナム戦争が終結を迎えた時代ですが、私の大学は国際キリスト教大学で、大学の中では、ソ連などの国家社会主義とヒト ラーのファシズムを左右の全体主義とならべるアメリカ流の論理がよく聞かれました。もちろん、その論理は、当時、ベトナム侵略の理由ともなっ ていたのですが、しかし、キリスト教神学が、たとえばカール・バルトのような人をふくめて、社会主義の全体主義的性格を批判していたこと自体 は正しかったことは明らかです。ソ連崩壊後、現在までのあいだに明らかになった事態、20世紀の世界史が自称社会主義圏で作り出してきた異様 な歴史的事態は、想像をこえるものです。このことをつねに思想と感情の基礎におくべきことは、学問の問題である前に文化と常識の問題でしょ う。私は、それ以来、現存する社会主義、社会主義と自称する社会の構造的本質をどうとらえるかという問題に意識的であることなしに、社会構成 論あるいは歴史理論はありえないと考えてきました。
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