ニール・セダカ got a one way ticket to the blues
先週土曜日に小学校のクラス会があって、クラス41人中、20人くらいが集まった。みんな元気である。
そのあとに、カラオケにいって、冒頭、Y氏がかけたのが、got a one way ticket to the blues。
私は、これを「ガラワンレイチクティンザブルー」と憶えていて、中学校のころなのだろうと思う。まったく意味もわからず、口ずさんでいた。
カラオケにいくことなどもほとんどないので、この英文歌詞が画面にでてきて、本当に驚いた。こういう歌だったんだといってみんなの失笑を買った。Y君ありがとう。
Choo choo train chuggin' down the track
Gotta travel on, never comin' back
Woo ooo got a one way ticket to the blues
Woo ooo got a one way ticket to the blues
I'm gonna take a trip to lonesome town
Gonna stay at heartbreak hotel
自然にしみついている歌とメロディーというものがあって、身体のどこかに眠っている。それが急にでてくる。
実は、これが誰の歌かも忘れていた。家にかえってネットワークで引いてみて分かった。そういえばニール・セダカという名前には覚えがある。そしてそれを聞いてみた。なつかしい。
ネットワークというのは過去を振り返るのには本当によい道具なのだ。過去に対する一種の偏愛。過去の再生と身体的な疑似記憶の現前化。何でもわかる。一種の触覚の全能感覚。いわゆるオタク文化というものとの相性の良さがあるのだろう。
ニール・セダカは、ようするにプレスリー、ビートルズよりも、一つ上の世代、私などの世代が小さいころの歌。「古きよきアメリカ」の歌。
このあと、ベトナム戦争があり、一度、アメリカの文化を切ったのだと思う。もちろん、ベトナム反戦の運動はあり、その前後にもアメリカの文学はよく読んだ。けれども、「古きよきアメリカ」というのは無意識に心のうちから無くしていったのだろうと思う。小学生から中学生にかけてみた、ウェスタンの映画もすべて。
前のクラス会は5年前。私はでれなかったが、自己紹介では、やはり3,11の話しがでる。柏にホットスポットができて、手賀沼も問題があって、はじめてデモというものをして世界が変わったという女性の話しがあり、私も、一度だけだが、国会前に行ったと報告。同じ列島の上で生きてきて、同じことがらにさらされる。
小学校6年以来、はじめてあった人もいて、別の生活をしてきても同じ時間が流れているという単純なことを実感する。
これから、3,11と原発のことを考えるときは、このgot a one way ticket to the bluesという歌が聞こえるのだろうが、昨日はNHKでスリーマイル島とチェルノブイリの放射性デブリの処理についての無限に時間のかかる話しの放映をみた。たくさんのイメージが重なってくる。
過去をつめていくことによって、現在のギリギリのところを照らし出したい。過去をつめていくことによって現在の位置がわかる。過去を過去として偏愛するのではない。これは歴史学者の職業のなかで自分の信条にしてきたもの。すこしでも歴史学による過去認識が、現在を照らし出すことを願う気持ちで仕事をしているのではあるが、現代の現実のもっている時間と未来について明瞭な歴史感覚をもちえないままでいるのではないかという疑念が胸を噛む。
今日は、地震論の続きの仕事を一日やっていて疲労。一歩、一歩の牛歩。
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