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2014年4月

2014年4月30日 (水)

先日のNHKで「女性たちの貧困」の放映があり、一部をみた。

 神話論がつっかえている。
 一番むずかしいのが「月の女神」論であることを実感。

 ここ四五日、イザナミが「月の女神」であるという松前健さんの議論に依拠して展開してきたが、その前提となっている、女媧(ジョカ)論にさかのぼって、森雅子さんの『西王母の原像』のなかの女媧原始を読んだが、女媧を月の女神であるという議論のあとを追うには、本当に中国神話論の勉強をしなければならないことがわかる。森さんの研究姿勢はすさまじいものがある。世界史というものを考えるには、比較神話学、神話系統論が重要な前提になることはしっている積もり。
 しかし、これについていくのは、私にはさすがに無理。神話論が新しい形で問題になった時に、新しい形での議論に期待するほかない。

 そこで今日からは、菊地照夫氏の論文の消化に転身して、対応する部分を書いている。

 さて、先日のNHKで「女性たちの貧困」の放映があり、一部をみた。
 
 2年半もの間、ネットカフェで暮らしている母親姉妹のケース。19歳の姉は高校を中退してアルバイトをしていて、14歳の妹は半年以上、中学校にも通えていない。私は、全体をみなかったが、連れ合いがみた。
 放送することには意味があったろうが、しかし、これを放置しているのは、行政の責任であるという観点がないのは異常である。
 
 以下は、「すくらむ―国家公務員一般労働組合(国公一般)の仲間のブログ」に掲載されていた唐鎌直義立命館大学教授のインタビューから。http://ameblo.jp/kokkoippan/entry-11835944779.html
 自分のメモと日記の代わりです。
 日本社会が異常であるということをまた考えさせられる。その事実を正面からつねに頭においておくことが必要なのだろ思う。

 以下、引用。


 生活保護受給者が少ないことが大きな問題
 貧困世帯の9割が生活保護を受けられず
 暮らす異常な日本社会

 ――今とりわけ生活保護バッシングが激しく、経済大国日本において餓死や孤立死が頻発するような状況です。

 一番大きな問題は、生活保護を受給するためのハードルが高いということです。簡単にいうと、丸裸状態にならないと生活保護を受けるのが難しいという仕組みになっているのです。簡単に人は丸裸状態にはなれません。とりわけ今の日本社会の構造からいうと、どんなに貧しい高齢者でもある程度貯金は持っているし、それを大事にしています。すると、そのために生活保護を受けられないということになってしまう。他にもいくつか理由はあるのですが、実際に生活保護をもらうべき人がもらえないというのが日本の生活保護制度の最大の問題です。

 これは研究者の推計によって変わりますが、私の推計では要保護世帯の約1割しか生活保護をもらえていません。貧困世帯の9割が生活保護をもらわないで生活しているというのが今の日本社会の状況なのです。そうすると、一方では30万円の貯金があるために生活保護を受けられない、または福祉事務所に行っても断られた人がいて、一方では生活保護をもらって生活している人がいる。前者からすれば腹立たしいわけです。同じような生活を送りながら、もらえない人が9割もいるわけですから。そうするとやはり生活保護受給者に対する攻撃が強まってきますよね。

 日本において捕捉率が低いということ、生活保護をもらえている人が極少数だということが、バッシングにつながる大きな要因だと思います。政府などはそれでも生活保護受給者が増えていると騒いでいますが、日本の今の状況からすれば、とんでもなく生活保護受給者が少ないことが大きな問題なのだということを見る必要があります。

 生活保護バッシング起きやすい日本と起きない欧州

 ――ヨーロッパの捕捉率と比較するとどうでしょうか?

 たとえばイギリスの場合は捕捉率がとても高いのです。イギリスは行政の責任として福祉の制度ごとに捕捉率を発表する義務があるのです。日本の捕捉率はあくまでも良心的な研究者が自分で貧困率を測定してつくっているのですが、イギリスの場合は政府の責任として発表されています。日本とは全く逆で、政府がきちんと福祉施策に責任を持って実行し、貧困をなくしているのかを監視する意味もあって捕捉率が発表されています。イギリスでは貧困者のうち85%くらいが生活保護で救済されているという状況になっています。しかも実数として生活保護を受けている国民が多いので、地域で悪口も言えないのです。なぜなら隣の人が生活保護をもらっていたり、親戚縁者の中にも必ずもらっている人がいたりするから、簡単に生活保護バッシングなんてできないのですね。つまりイギリスでは、社会保障が国民のものになっているのです。ところが日本では貧困者の1割しか生活保護を受けられない状況になってしまっているので、イギリスとは逆の形として生活保護バッシングが起きやすいということですね。

 ですから、ヨーロッパの場合は、貧困の状態にあれば生活保護が受けられる仕組みが出来上がっているので、構造的に生活保護バッシングが起きない。ヨーロッパでは、国民の誰しもがいつかは自分も生活保護をもらう可能性があるので、生活保護バッシングをすることはないのですね。

 子どもに親を扶養する義務がない欧州と
 オレオレ詐欺、振り込め詐欺まねく日本

 ――生活保護バッシングのきっかけになった芸能人の問題がありましたが、親を扶養する義務もヨーロッパにはないということでしょうか?

 ヨーロッパ諸国には、子どもが親を扶養する義務はありませんし、18歳を過ぎた子どもに対する親の扶養義務もありません。親が18歳未満の子どもを扶養する義務はありますが、子どもが親を扶養する義務などないのです。

 18歳を過ぎた子どもに対する親の扶養義務があるのは日本だけですね。高等教育費の親負担があったり、いつまでも子どもの面倒を親がみたりという、日本の場合は親と子が経済的に強くつながっている。両者は精神的な愛情で結びついているのではなくて、経済的な関係でつながっているのです。

 だから、オレオレ詐欺、振り込め詐欺は日本でしか通用しません。経済的なつながりが強い親子関係(親の甲斐性)を利用されているわけです。オレオレ詐欺、振り込め詐欺は日本以外の国にも「輸出」されるだろうと思っていましたが、そうはならないようです。

 EUの国々では親子に経済的なつながりがありませんので、親が18歳を過ぎた子どものためにお金を貯めてスタンバイしていることなんてありえない。子どもが生活に困ったら国に公的扶助申請すればいいということになるわけです。けれども日本の親は、子どもに何かあった時のためにお金を用意してスタンバイしているのですね。大学生のときの教育費、30代になったら住宅ローンの頭金、孫ができたら経済援助、子どもが何か不祥事を起こしたら等々、とにかく何か子どもに問題が生じたら、親である自分ががんばろう、それが親の甲斐性だと思っている。あの富裕すぎる鳩山家でもそのようですね。しかしそれは本来、社会保障で引き取るべきことなのです。教育費も住宅費もそうです。そうすれば詐欺事件も起きないのですが、オレオレ詐欺、振り込め詐欺が成功してしまう理由は、やはり日本の社会保障の構造が大きな原因ですね。

 「本当に困っている人」を助けられない
 「福祉のパラドクス」の罠に陥る日本

 ――そうしたスティグマ(恥辱感)や「福祉のパラドクス」の問題も唐鎌先生は指摘されています。

 厚生労働省の文書に、もう十数年前だと思いますが、福祉は基本的には「自助」でやっていくのが当たり前だと書かれていました。「自助」がどうしてもできない、「本当に困っている人」のために福祉はあるのだと厚労省は言うわけです。それで「本当に困っている人」が救われるのだったら、それはいいのではないかと国民は思ってしまうわけですが、これが要注意なのですね。

 実は日本は、「本当に困っている人」だけを助けるための福祉に対して、国民の抵抗や運動が起きなかった国なのです。明治からずっと、そういうものでいいと思ってきた歴史があります。それがなぜいけないかというと、「本当に困っている人」だけが助けられるということは、そういう人たちは「国家公認の貧困者」になるということを意味します。そうすると、普通に生活して自分の尊厳を守りたいと思っている人は、「国家公認の貧困者」というレッテルを貼られるのだけは嫌だということになる。それだけは避けたいと思うようになるのですね。そうすると、「本当に困っている人」を助けるための福祉は、「本当に困っている人」が受けられなくなってしまうということです。

 これを「福祉のパラドクス」と呼んでいますが、イギリスで新救貧法の時代にその現象が広がり、福祉が役に立たなくなっていきました。福祉の効率化を狙って、「本当に困っている人」だけを助けようとしたのだけれど、プライドがある市民は受けなくなってしまったのですね。どんなに困っても受けない。そこに市民の尊厳が築かれてしまう。「国の世話にはなってないのだから」と。それは福祉の失敗であるということに識者が気付いたのです。

 福祉は「普遍主義」にする必要がある

 だから福祉は、特定の対象者だけを救う「選別主義」ではなく「普遍主義」にする必要があるのです。「普遍主義」というのは、日本でいうと義務教育がそうですね。日本では義務教育は誰でも受けているから、義務教育を受けることに対してスティグマは感じないのです。国民という資格だけで誰でも必要な時に受けられる仕組みにしておかないとダメだというのが、本来の社会保障の発展方向です。こうした「普遍主義」が、1980年代半ばまでのヨーロッパの社会保障の発展方向でした。イギリスのNHS(国民保健サービス)や日本の義務教育のように、誰でも受けられるようにしようということが社会保障にとって最も大切なのです。

 「選別主義」になってしまうとスティグマが強化されていくわけです。その上、バッシングも広まってくると、ますます受けづらくなっていく。そうすると「本当に困っている人」がどんどん潜在化してしまって、ますます大変な問題が起きてくると思います。

 ですから生活保護の水際作戦の問題などが起きたときは、社会運動の側も、自治体だけを批判するのではなく、政府と厚労省を批判した方がいいと思うのです。なぜなら75%の財源は国が負担しているわけですから。窓口を自治体に任せておいて、責任は取らないというのは通りません。生活保護の問題は国の責任なのです。

 政府は社会保障全体への攻撃を生活保護改悪から始めた

 ――日本社会では自己責任論がますます強まっています。生活保護改悪は社会保障全体への攻撃と一体のものと捉えるべきでしょうか?

 もちろんそうですね。生活保護はセーフティネットの最終ラインを支える仕組みでもありますから、この生活保護を改悪していくということは年金にも影響が出るでしょうし、雇用保険などの所得保障にも大きな影響が出ます。連動する形で、低所得者援助制度(就学援助や生活福祉資金貸付制度)も含めて、幅広く所得保障に悪影響が及んでいきます。

 ですから、日本政府は社会保障全体への攻撃を生活保護から始めたということです。改悪する理由としてよくあげられているのが、生活保護に国の財政が3兆5,000億円も使われているというものですが、イギリスなどと比べたら日本の方がはるかに低い財政負担です。国の財政規模に対してどれだけの割合が生活保護に使われているのかという国際比較をすると日本はどの国よりも低いのに、日本の中だけで財政負担の数字だけが取り上げられ攻撃されるというのは問題ですね。

 低所得者向けの家賃補助制度があるイギリス

 イギリスには低所得者向けの家賃補助制度があります。「ハウジング・ベネフィット」(住宅給付)と言いますが、これは1966年に「家賃割戻し制度」としてスタートしました。

 それまでは日本と同じように、生活保護受給者だけに住宅扶助を支給していました。それを止めて、対象をもっと広げたのです。なぜかというと、被保護者に限定された住宅扶助では逆転現象を招いて、保護を受けていない人の生活が悪くなって、対立関係の温床になってしまうからです。それで低所得者に広げていったのです。

 現在は、全世帯の2割ほどがこのハウジング・ベネフィットを受けています。生活保護受給の場合には家賃の100%、それ以外の低所得者には家賃の8割から9割を地方自治体が支給しています。もちろん地方自治体に対しては国が補助しています。家賃の8割を1年間保障されると、月5万円だったとしても年間60万円になる。この制度はイギリスでは所得保障に分類されています。住宅保障という名目ではなくて、所得保障制度の中でやっているところがすばらしいですね。

 高等教育費が国民を苦しめている

 ――高等教育費の問題も深刻になっています。

 これも大きな問題です。住宅問題と並んで教育問題は、日本の労働者にとっての2大問題(生活課題)です。日本では忘れられている社会保障の2分野と言えます。

 とくに高等教育費が問題で、日本では基本的には親の負担ですから、地方から東京の私立大学に下宿生活で子どもを通わせると、4年間で授業料や仕送りを含めて約1,000万円かかると言われています。この金額が全部、日本の労働者に生涯賃金として跳ね返ってくるわけですね。

 財界は日本の賃金は高いと言いますが、敢えて高くしてしまっているのです。こんなに高い教育費が親の負担になってしまっているのですから、その分賃金が高くなければ子どもを育てることも不可能になってしまいます。

 ですから、日本の場合は、住宅ローンの返済と高等教育費の負担が高過ぎるのです。たとえば子どもが2人いたら2,000万円の負担になって、これが全部生涯賃金に跳ね返ってくるので、その分賃金が高くないと日本人は他の国の労働者と同じような生活を送れないわけです。そういうことを考えた上で、財界人は「高賃金論」を言ってもらいたいものですね。

 高等教育費については、最近は親の負担ではなく本人の負担で、奨学金という実際はローンに過ぎない負担を背負って大学に来ている学生がたくさんいます。その上、大学を卒業してもまともな正規雇用に就けず、奨学金を返済することも難しい状況に追い込まれている若者が多くいるのも大きな問題です。

 教育格差は広がる一方

 ――今、子どもの貧困も大きな問題になっていますが、機会の平等も保障されないのが日本社会ということですね。

 そうですね。子どもの貧困が広がる一方で、私立中学へのお受験ブームもあるなど、教育格差が大きく広がっていますね。教育機会の平等という価値観がなくなってきてしまっている面があります。

 人生を100メートル走に例えると、スタートラインをほぼ99メートルの地点から1メートルだけ走ればいい人と、逆にスタートラインから50メートル下がって150メートル走らなければいけない人が出てきているような感じですね。それで競争しろというわけです。こういうのは本当に不平等だと思いませんか。

 結果的には企業社会にも悪影響を与えると思います。なぜならば、能力のある人がたまたま貧しい家庭だったというだけで、その能力の発揮がつぶされるわけですから、それは大きな社会的損失になるわけです。その代わりに、経済的に恵まれて育ったために、本来の能力を発揮する気持ちさえなくした人が、社会生活の上で他人に迷惑をかけて過ごしていたら、非効率以外の何物でもありません。どこかの製紙会社の三代目社長のカジノ浪費106億円という、蕩尽生活が起きてしまうわけです。

 『ハリー・ポッター』はイギリスの生活保護のおかげ

 ――一人ひとりの国民の潜在能力が生かされないという点で、日本では『ハリー・ポッター』の作者は生まれないということも唐鎌先生は指摘されていますね。

 J.K.ローリングさんは離婚母子家庭で、生活保護(イギリスの所得援助)をもらいながら毎日喫茶店に行って、いつも2階の窓側の決まった席で『ハリー・ポッターと賢者の石』を書き続けたわけですね。イギリスだから可能だったのだと思います。日本だったら、母子世帯で30代の母親だったら真っ先に就労支援の対象になります。「毎日、就活しなさい」「月給5万円でも働いた方がマシです」ということになります。

 そして、J.K.ローリングさんは、女性高額納税者の世界ナンバー2にまでなったわけです。イギリス政府は多額の税金をそこから取れたわけで、年間たかだか150万円くらいの生活保護費を出したおかげで、数十億円の税金を取り戻せた。エビでタイを釣るどころの話ではないですよね。そういう機会が、イギリスのように稼働能力者(若者)も受けられる生活保護にしておくと、増えるわけですね。

 最近、イギリスでベストセラーになっている『ボブという名のストリートキャット』という本を読みました。小さいときに両親が離婚し、不幸な生い立ちを背負った薬物中毒のストリートミュージシャンが、ある日、怪我をした雄の野良猫(茶トラ)を助け、ボブと名づけたその愛猫を精神的な支えとして、生活保護制度や住宅給付制度に経済的に支えられながら、薬物中毒から抜け出していくというストーリーの実話本なのです。

 ここでもやはりイギリスの福祉が大きな役割を果たした結果、一人のベストセラー作家が誕生したわけですね。ホームレスを支援する『ビッグイッシュ―』活動の実際面もわかって、非常に面白い本です。

 こうした華々しい成功例は一部かもしれませんが、もっと小さなレベルで、普通の仕事に就いた人もたくさんいるわけです。そこはやはり福祉の果たす役割になっているわけですね。

 国が生活保護費を100%負担

 イギリスの生活保護は国が100%負担しています。日本も、もともと国が8割負担していたのですが、80年代にそれを7割に下げたのです。それに対して地方自治体から不満が噴出して今の75%に戻したのです。75%にしてから20年くらい経過していますが、あと10%国が負担すれば、自治体はかなり負担が軽くなり、給付しやすくなるのですが。本来は自治体の財政に影響がないように、国が全額生活保護の財政を負担すべきです。自治体財政に縛られる現状では消極的にならざるを得ないし、生活保護を積極的に出すケースワーカー自身が周囲から疎まれてしまいます。

 冬期の暖房手当も

 この他、イギリスには冬期の暖房手当もあります。低所得者を対象に、生活保護制度が3種類(所得援助、就労家族給付、求職者手当の所得ベース給付)と低年金の高齢者を対象にした年金税額控除があるので、全体では4種類になります。それらの受給者に対して、11月1日から寒冷気候手当(Cold Weather Payment)が毎週支給されます。貧困者が凍える思いをしないように、そういう仕組みがあるのですね。

 先ほど紹介した『ボブという名のストリートキャット』の中でも、これを受けられているから、冬の寒い日でも安心と書かれています。

 それ以外に「冬期燃料手当」(Winter Fuel Payment)という高齢者専用の制度もあって、61歳以上の高齢者(具体的には、2013年度は1952年1月5日以前に生まれた人)を対象に、燃料費として一律に100ポンド(約1万7,000円)が支給されます。80歳以上になると2倍の200ポンド(約3万4,000円)になります。これは「61歳以上の高齢者全員にオートマティカリーに支給する」と書いてあるので、多分エリザベス女王にも支給されるのでしょう。自動的給付なのです。「どんなに支給が遅れても、12月25日までには必ず支給しなければならない」と書かれています。クリスマス給付の意味があるのでしょうね。

 ようするに、高齢者にはこの冬期燃料手当が11月1日から一括支給され、低所得の高齢者には寒冷気候手当が毎週支給されるということになっています。ですから、高齢者が寒さで大変だということはないのです。こういう制度も所得保障制度としてきちんと準備されているのです。昔は15歳未満の子どものいる世帯にも、この冬期燃料手当が支給されていたのですが、最近はなくなったようですので、イギリスも悪くなっている面はありますね。

 日本に「夏期冷房手当」を

 私は、日本には「夏期冷房手当」をつくるべきだと主張しています。昨年夏に、高齢者がたくさん熱中症で亡くなりましたね。その時に夏期冷房手当が必要だと思いました。よくテレビなどで「お年寄りは暑さを感じない」とか「冷房が嫌いな人が多い」とか言われますが、昔のエアコンは除湿機能がなかったので関節痛を起こす人がいたのですが、今のエアコンは除湿機能が付いているので嫌いだと思う高齢者はそういないと思うのですが。

 猛暑で人が死ぬのですから、冷房が嫌いというようなレベルの問題ではなく、やはり年金が低く電気代が高いから、冷房が使えないというところに一番大きな問題があるという点を見ないといけないのではないでしょうか。

 「自立支援」「社会的包摂」で貧困問題は解決するのか?

 ――いま貧困対策として、消費税増税を容認したり、生活困窮者自立支援法を評価する動きがあったり、所得保障よりも社会的包摂をすれば貧困問題は解決するかのような言説も生まれています。この点について唐鎌先生のご意見をお聞かせください。

 この点は、理論的な面でも大きな問題になっていると思います。慎重に考える必要があります。私も若い頃は、貧困原因の8割は社会的責任にあり、残りの2割くらいが個人に原因があるのではないかと考えていました。授業でもそう言っていました。個人を超えて社会の問題があるのだと言う一方で、一部自己責任も認めることで、なんとなく自分が研究者としてバランスを取っているつもりでいたという部分がありました。

 しかし、貧困問題が深刻な状況になってくるのを目の当たりにして、ある時これではいけないと思ったのです。たとえば、自立支援をしたとしても、今、働くに値するような勤める先はどこにあるのか?ということです。労働者の4割近く(1,800万人)が非正規労働者となり、正規労働者になれたとしても、ブラック企業のような労働現場が増えている現状があります。自立支援と言っていても、結局、低賃金の無権利労働者をどんどんつくっていくことになります。

 つまり、後始末をきちんと考えないでおいて、当面の貧困現象だけに対応していればいいということになってしまう。そうではなく、最終的にすべての人が、普通に働けば普通に幸せになれる方向性をつくっていかなければいけない。それは財界も国も含めて、全体でつくっていかなければいけない。そういう取り組みの中で、どうやって自立してもらうかを考えるというのならまだ分かります。でもそうではないのです。

 私はよく「自立支援反対論者」だと言われるのですが、現在の社会の状況が自立できない仕組みになっているのだから、そこで個人に自立を強要するのは矛盾していると考えています。

 経済的問題を「心」や「絆」にすり替えてはいけない

 「社会的包摂」という考え方も全く同じで、「インクルージョン」ということですが、そういうひどい社会に包摂しましょうというわけですよね。バラバラになって無権利で働く社会に包摂してあげましょうとなってしまう。そうすると、非正規労働者は希望を持てないので、そういう社会に包摂されても何の意味もないと思うわけです。そういう社会からは善意のような形をまとった気持ち悪い行為の強調が導かれて来ると思いますね。東日本大震災で被災した人に「絆」を訴えるのと同じです。復興は経済的な問題なのに。

 阪神淡路大震災のときも、政府が主張したのは住宅を喪失した人に「心のケアを」でしたからね。しかし善意とか道徳ということよりも、貧困をなくすためにはきちんと経済的な保障をしなければいけないということなのです。それを今の多くの研究者ははきちがえているのではないかと思います。

 「社会的包摂」といえば、ホームレス研究の岩田正美さんや政治学者の宮本太郎さんなどが盛んに言っています。宮本さんの本を読むと、さまざまな社会問題が書かれています。今の日本社会の矛盾を取り上げています。だけれども最終的には、全部それを捨て去って、とりあえず「働かないよりは働くほうがマシです」という結論なのですね。それは財界の見解に一致するものです。だから、私たちは宮本さんが現状認識としてどこまで本気で考えているのか分からなくなります。本では一通り問題点を述べているのだけれど、その問題点が結論には反映されない論理構造になっているのです。だから、上っ面だけ読むと、貧困問題や非正規問題が取り上げられているので、ちゃんと目配せしているのだなと思うのですが、結論は新自由主義と同じなのですね。

 「優しい新自由主義者」たちの限界

 私は宮本さんのことを、竹中平蔵さんのような「冷淡な新自由主義者」ではなく、「優しい新自由主義者」だと思っているのですが、ご本人は自分のことをそう思っていないようです。今は「無自覚な新自由主義者」が沢山いるのだなぁと思っています。そういうことをもう少し新自由主義批判の先生方に掘り下げてもらいたいと思っているのですが、新自由主義を批判する人は、分かりやすい「冷淡な新自由主義者」ばかりを批判している。橋下徹さんや竹中平蔵さん、八代尚宏さん、鈴木亘さんなど。ああいう本当にクリアな、誰から見てもわかる新自由主義者だけを批判しているのです。そうではなく、今はもっと新自由主義が国民全体に内面化されてしまっている。研究者の間でも。

 私が先ほど述べたように、2割どころか8割が自己責任を認めてしまっているということです。そうすると、最終的にはそれが貧困の社会的原因を追究しないで諦める言い訳になってしまうのです。厚労省の政策の免罪符になってしまう。こうして、ちょっと見ると「バランスがとれている政策を提唱する人」「偏った考え方の持ち主ではない人」が増殖するわけです。

 何よりも生活の安定が必要

 しかし、社会がまずきちんとすべきことをしないと、今日の貧困問題と日本人の生活問題は自立支援政策では解決できないということを私は言っているのです。だから社会的包摂なんて大きなお世話で、私たちが貧困者を取り込んであげましょうなんて、貧困者からすればありがた迷惑ですよね。昔、テレビドラマで「同情するならカネをくれ」と安達祐実さんが言っていましたが、今もそれと同じことです。それを非正規の人達は主張しているのに、それを聞いたふりだけして、とにかく同情して自立支援するからね、と言っているわけです。明確に「生活の安定が必要」ということです。先が見通せるような生活。貯金もできて、ちゃんとした家にも住めて。そういう経済的な課題を考えないといけない。政治学者にああいうこと言う人が多いですね。私は経済学者なので、貧困問題だけは経済決定論でなければならないと思っています。でも経済学者も怪しい人が多くなりましたね。

 とにかく、そういう理由で自立支援が貧困の自己責任に結びついてしまっていると思います。それでも日本人は真面目だから納得してしまうのです。でも自立支援という名の自己責任追求でできることは、ほんの一部だと思います。社会の構造がきちんとしないと、今の問題は解決しないというのが私のスタンスです。だから社会的包摂論にも反対ですし、自立支援政策にも反対なのです。

 所得保障と公的サービスの組み合わせで貧困をなくす

 生活というのは、所得とさまざまな現物サービスの組み合わせから成り立っています。両者のバランスを考えること、どこまで所得でみるのか、どこまで公的サービスでカバーするのか、住宅や教育も含め、その組み合わせ方をよく考えていくということです。ヨーロッパに習って。そうすることによって初めて日本の貧困問題は解決できると思います。所得だけでいいということではないですし、サービスだけやっていればいいという問題でもありません。その2つの最適なミックスを考えていくべきだと思っています。

 社会的包摂を主張する宮本太郎さんの主張には、フワフワ感がありますね。宮本さんの研究者としてのリアリティはどこにあるのだろうと、いつも思います。「講壇社会主義者」になることを期待された人がそれに失敗して、「講壇資本主義者」になってしまったということではないでしょうか。でも「資本主義者」になるのだったら、まだ「冷淡な新自由主義者」の方が、その人なりのリアリティをしっかり持っていますよ。あの人には研究のリアリティが感じられない。だから「講壇」なのですよ。

 外国の紹介よりも自国の研究を

 宮本さんは今、学会でも「バランスがとれていて、適度に問題点も指摘している優れた研究者」と評価されています。私のある親しい先生も、「宮本さんの『生活保障論』を読んだが、結論が違うだけであとは全部賛成だ」と言っていました。私はそれにショックを受けました。その先生も、日本社会の貧困に関するリアリティを、どれくらいちゃんと持っていて発言しているのだろうと。

 研究者は、最後はそこが問われると思います。自分が主張していることの一番の根源はどこにあるのかということです。それが研究の情念の核をつくっているのですよね。核がないから全てを指摘して、最終的には一番トレンディな包摂論に持って行くわけです。でも日本人は昔からそういう研究が好きなのです。全部外国の研究で論理構成するでしょう。昔はそれを「学問の植民地主義」と言ったものです。

 今また、それが復活している気がします。イギリスやフランスやドイツの新しい議論を持ってきて、それを先に紹介するということに意義を見いだしている。日本の国民生活をもっと分析した方がいいのに。本来は、なぜヨーロッパのことを持ち出すかというと、日本人の生活を良くするためにヨーロッパの先例を持ってくるわけです。悪くするために持ってくるのではありません。でも今は悪くするために持ってくるのです。おそらくヨーロッパで言われている排除や包摂という概念は、日本で使われているものとは随分違うと思います。特にフランスの排除論は日本とは違うと思いますね。

 ――ヨーロッパの社会的包摂は、基本的に住宅保障や教育保障がきちんとあった上での、次のレベルでの社会的包摂というふうに考えればいいのでしょうか?

 日本の場合は、宮本さんが主張するように、企業が包摂の努力をして「居場所」を提供するという方式です。「でもブラック企業に包摂されてもねえ」と若者は思っているでしょう。

 ヨーロッパの場合は社会保障もきちんと構築して、労働を遂行する上での諸権利も賃金もきちんと整備して、その上でやっていくということだと思います。最低でも医療と介護の普遍的給付と最低賃金制は守られています。賃金と社会保障をきちんとすれば、放っておいても人は居場所と生き方を見つけることができるのではないでしょうか。余計なお節介は不要です。「小さな親切、大きなお世話」ということです。経済的な状況をきちんと整備してあげれば、人は自分で生きる力はあるのだということが分からないのでしょう。そのところは全然手を触れないで、お世話だけしようというのが自立支援政策ではないでしょうか。

 以上が唐鎌さんのインタvユーの引用である。ここに移してから全部読んだが、学者として、歴史学者として、こういう問題にどう対応できるかを自省させられる。

 神話論をやっていても、けっして現代から離れるということではないつもりである。世界史というものを違和感なく知識とするためには神話論は重要だと思う。
 そもそも研究は3,11から始まった。
 世界を基準にして考えるということを本当の意味で実現するためには、過去の神話についてまで一望の下におけるような学術の体系が必要なはずであると考えるのであるが、それにしても、私個人は道が遠いが、さて自分の仕事にもどろう。

 

2014年4月29日 (火)

沖縄市の市長選挙の結果の衝撃

 朝の仕事前。
 沖縄市長選挙の結果が衝撃である。

 昨日の開票結果は、▽桑江朝千夫(無所属・新)当選、2万9968票、▽島袋芳敬(無所属・新)、2万7779票ということ。「自民党と公明党が推薦し、民主党、日本維新の会、それに、地域政党のそうぞうが支持する元沖縄県議会議員の桑江氏が、共産党、生活の党、社民党、それに、地域政党の沖縄社会大衆党が推薦する前の副市長の島袋氏を抑えて、初めての当選を果たしました」ということである。

 沖縄市の有権者数は10万1122人(男性4万7958人、女性5万3164人)であって、投票率は、57,73㌫。

 島袋氏の先任の東門美津子氏は2006年4月の選挙で当選。得票は2万8709票。その時は桑江朝千夫氏は2万6659票。やはり2000票差。その時の支持政党は、社民、共産、社大、民主、自由連合推薦。それに対して、桑江朝千夫氏は、自民、公明推薦。


 前回2010年は、東門氏が共産、社大推薦。2万3013票を獲得し、元県歯科医師会会長の喜屋武満氏(62)=無所属、自民、公明推薦、前市議の江洲真吉氏(60)=無所属=の新人2氏を破り、2選。東門氏は自公体制で選挙戦に臨んだ喜屋武氏に1467票の小差だった。
 
 ようするに島袋氏は前回東門氏の得票より4766票をのばしたが、支持政党が(1)社民、共産、社大、民主、自由連合推薦から、(2)共産、社大推薦、(3)共産党、生活の党、社民党、それに、地域政党の沖縄社会大衆党と変化し、「自民党・公明党・民主党・日本維新の会・地域政党のそうぞう」という政党連合には対抗できなかったということである。共産党、社民党などの基礎票は前回参院比例では1万6000というから、政党配置が圧倒的に不利なところでがんばったということである。 こういう結果をマスコミが「自民復調」などというのは詐欺に近い。

 以上は、琉球新報の選挙データをみてみた。すぐこういう分析ができるというのはネットワーク社会であると思うが、でてくる結論は単純なこと。

 ようするに問題は「民主党」なる政党である。つねにどっちつかずの態度を取り、見識がない。この政党はこの国にとって重大な時期に政治文化の愚劣さを表現してしまった政党である。これは少しでも事態を分析すればすぐにわかる単純な事実である。

 学者は、この政党に対して、一切、支持するべきではなく、つき合うべきではない。これまで何らかの意味でつき合ってきた人々はその間違いをはっきりと猛省するべきである。それをしないで聞いた風なことをいうのは学者ではない。この第二に愚劣な政党がいるお陰で、愚劣であること許されるということになっているのである。

 日本社会で共産党と社民党の支持率が低いというのはやむをえない。政党レヴェルでの普通の展望がみえないというのは、実践の問題であり、社会に存在する閉塞感や不透明感と不安などの全体のもたらすものである。さらにそれは、世界史的な問題であり、そう簡単なことではない。率直にいって学者個人がどうこうできることではない。本当に政治レヴェルでどうにかしたいなら、あるいはこれらの政党が気にくわないなら、学者・評論家をやめて政治家になるほかない問題である。「儒者はもとより身をわすれて幼き時より長となるまで学問を本とす」という覚悟をとるか、政治の現場で生きるか、これは二者択一である。その間に軟弱の道はない。

 沖縄のことと東北のこと。これは民族の共同性ということを考える以上、第一の問題である。こういう問題は、大異をすて協同につくべきことである。そういう判断をするのが成熟した民主主義の自信というものであるが、それを十分にはっきりと言明する。少なくとも間違ったことはいわないというのは学者の最低の義務であるはずである。ここ20年の政治をみて、猛省しなければならない。そのくらいの見通しがなくて何で学者として生計を立てることが許されるのか。この点では学者にもおのもおのも大きな責任があるはずである。自己の脳の活動に嗜癖するのが学者であるということであってはならない。

 学者・歴史学者にとって沖縄の平和と基地撤去は、それだけ、どうしても譲ることのできない問題である。歴史家として閉塞感と不透明感を少しでも解いていく作業に集中したい。

 4月16日に東京で「普天間飛行場負担軽減進作業部会」の第2回会合が開かれ、沖縄から高良倉吉副知事や又吉進知事公室長らが参加している。目取真俊氏が、そのブログで、歴史学者の高良倉吉副知事を強い言葉で批判している。どういうことだろう。私は、安良城盛昭氏の葬儀で顔をみたことがあるだけだが、業績のある歴史学者の行動としては考えられないことだ。

内田樹氏のブログでしった釈徹宗師の「住職論」という御話しを読んだ。

 内田樹氏のブログでしった釈徹宗師の「住職論」という御話しを読んだ。

 現在の日本に必要な「保守」というもののことを考える。「保守」を「進歩」の側が担わなくてはならない社会というのは、問題が多いが、しかし、歴史学や宗教がそこで果たすべき役割は多いのだろうと思う。

 釈徹宗さん「住職論」インタビュー(松本紹圭)より、http://www.higan.net/ebn/2014/04/syaku3.html


そうです。日本の場合そうした役割を僧侶が担ってきましたよね。すごいスピードで変わった方が良い領域もたしかにあるとは思います。政治や経済はもしかしたら変化に敏感でないといけないのかもしれません。しかしすごいスピードで変化させたらいけないものもいくつかあって、教育や宗教や医療というのがそういうものでしょう。これらが社会をいちばん下で支えていると思います。社会を本当に支えているのは早く変化してはいけない領域のものなんだけど、すごいスピードで変化していくものが社会を支えているという錯覚が世の中を覆っているところが具合が悪いですね。そのあたりのポイントは、お寺を運営していたらときどき見えることがあります。

  そろそろ寝よう。慣れない神話分析の原稿は、疲れる。しかし、残った最後の問題、「月の女神」が最終的に解けそうでほっとしている。

2014年4月28日 (月)

日本型変形漢文の史料を読むのに最低必要な知識。

 先日のゼミでも話した。

 この頃、漢文を中学校でやることは少ないと思うので、授業のときは、かならずこれを配ることにしている。ずっと以前のワープロ(文豪というヤツ)で作ったもので、テキストがなかったので、入れ直してもらった。古文書を読む会などでは、もっとよいものを作ってあると思う。京都の総合資料館のものをみせてもらったことがある。

 漢文は小学校のときにやったらよいと思う。論語をやるのはよいことだ。ついでに老子・荘子もやればよいと思う。小学校教育で東アジア的文章と倫理を教えるのは必要なことだと思う。そして習字も。
 これがないと日本人は無教養になる。そして歴史家の後継者が育っていかない。


日本型変形漢文の史料を読むのに最低必要な知識。
 
1返り点

一、二、三、
上、中、下、

2「ヲ、ニ、ト」と送り仮名がついてかえる。
「鬼と」会ったら返れ。ヲ、ニ、ト、の助詞をとって返る場合が最も多い。
ヲ…………
ニ…………ただし、副詞の語尾のニからは、かえらない。
ト…………謂、為、称、号、などにかえる。
置き字としての於、于、
於、于、は、英語の前置詞に近いもので、普通読まず、その下の字に「ニ」あるいは「ヲ、ヨリ」と送り仮名をつけて、「於」の上の字に返る。

3返読することの多い特殊文字…………活用に注意。
不 ず、
可 べし、
被 らる、
 以上は、助動詞
有 あり、
無 なし、
難 がたし、
如 ごとし、
 以上は、不完全形容詞

4再読文字
漢文には、一字を意味のうえから前後二度に分けて読む漢字がある。
未 いまだ…………ず、
宣 よろしく…………べし、
応 まさに…………べし、
将 まさに…………とす、
須 すべからく…………べし、
令 (……をして)…………しむ、(古文書では「……をして」は読まずただの助動詞として使う場合が多い)

5様々に読む文字
者 1、もの、2、は(者を崩すと変体仮名の「は」となる)
3、てえり、てえれば(2から転じて引用符の意味となった。後者は同時に接続詞の意味あり)

為 1、なす、2、たる、3、ために、4、…………として(3から転じて主格を現わす助詞)

2014年4月26日 (土)

必見。成人男女の睡眠時間の国際比較図

 もっとも親愛なる友人から、今おそわったデータ。ソウル・フラワー・ユニオンのツイッターから。もとデータは舞田敏彦さんのツイッタ。 ‏@tmaita77・およびブログ「データえっせい」http://tmaita77.blogspot.jp/

 日本はもっとも人々が寝ていない国。そして、女の人の方が、睡眠時間が短いという世界でもっとも珍しい国であるということ。ネットワークの情報力というのはものすごい物だ。

 こういう事実は小学校で全国共通におしえなければならない。教えるというのは言葉が悪い。「こどもたちに伝えるべき事実だ」。

 中井久夫さんによれば睡眠がとれていれば人間の心はどうにかなっていく、平衡を保っていくことができるということだが、睡眠が少ない民族というのはどうなっていくのだろう。これは日本民族にとって実は最大の問題なのかもしれない。
 ウーム。こういうことに対応できる歴史学をどう作っていくか。民族論の基礎問題だ。民族の基礎構造はここに眠っている。そしてもっとも基礎構造が日本と似ているのは韓国であるということになる。ウーム

 神話論の次は義経論にもどる予定だが、その次は、どうしても「寝太郎」論(『物語の中世』所収)に再挑戦である。
 この論文では嗜眠症の分析をした。「大寝」の子どもが急に起きあがってエネルギーにみちた働き者に転換するという、日本の民話のなかでもっとも心あたたまる民話の根にあるものが、「下人」の青年に対する暖かい目を前提としているのではないかという仮説を提出した論文である。中井さんの『治療文化論』における「民俗・民族」のもつ独自な治療文化という問題に触発されたもの。

 歴史における睡眠と心の病。
 ゼミのみなさん。連休明けのゼミのテーマは物ぐさ太郎と寝太郎論です。この図表は確認しておいてください。
 
 横軸が男の睡眠時間(分)。縦軸が女の睡眠時間。


成人男女の睡眠時間の国際比較図。日本の女性は一番寝ていない。しかも,「男性>女性」という珍しい社会。 pic.twitter.com/1fPaH4MAfN
Photo_2

 以下は舞田さんの説明
 OECDは先月,“Balancing paid work, unpaid work and leisure” という資料を公表しました。1日あたりの生活行動の平均時間が国ごとに掲載されています。15~64歳の成人男女のデータです。
http://www.oecd.org/gender/data/balancingpaidworkunpaidworkandleisure.htm

 先日,日経デュアルに寄稿した記事では,家事と仕事時間の国際比較をしたのですが,睡眠時間を比べてみると,こちらも「日本的」な特徴が出ています。今回は,その図をご覧いただきましょう。

 ここでいう平均時間とは,平日・休日をひっくるめた1日あたりの平均時間です。統計の年次は国によって異なりますが,おおよそ2009年近辺となっています(日本は2011年)。横軸に男性,縦軸に女性の平均睡眠時間をとった座標上に,28の国をプロットしてみました。各国の位置に注意してください。
それにしてもスウェーデンというのはどういう国だ。日本列島の女性はみんなスウェーデンに行きましょう。
 そしてノルウェーとはどういう国だ。そばなのに違う。

もう一つ。昼寝の時間は入っているのだろうか。

2014年4月25日 (金)

「古代」と「中世」、奈良時代と鎌倉時代は、なぜアカデミックか。

「古代」と「中世」、奈良時代と鎌倉時代は、なぜアカデミックだったか。

 今日は授業。頼朝にかかわる後妻打ちを論じたが、報告が明解を欠いた。「どうも私は頼朝が嫌いなようで」と冗談に逃げて話しをおさめてしまった。ゼミのみなさま、失礼。

 これは庭のかりん。
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 久しぶりに「中世」のメモにもどって確認をしているうちに、昨日、夜遅くなり、ややボーとした。帰りの電車でも寝られず、家にかえって呆然と寝て起きたところ。

 繰り返しと冗談の多い授業になってしまい、話す予定であったことがはなせなかった。
 それは憲法的史料を読むという問題である。

 水林彪氏の『記紀神話と王権の祭り』は私の愛読書の一つ。彼によると『古事記』は律令国家の憲法文書であるという。どういう意味でそう考えるかはいろいろな議論がありうる。水林氏の議論にすべて賛成できる訳ではない。

 しかし、たしかに国家の規範的な政治思想が『古事記』『日本書紀』に反映されているということはできるのだと思う。私は、神話は9世紀にまで直接の甚大な影響をあたえており、さらに平安時代には陰陽道その他のなかに形態を変えながらも続いていくと考えるようになった。『古事記』『日本書紀』はまさに憲法的史料なのである(その意味で「中世神話」という切り方は、この連続性をつぶしてしまうので、私は、賛成できない)。

 話しはずれたが、歴史学にとってはたしかに憲法的史料というのがあると思う。律令国家ではそれは律令そのものと『古事記』『日本書紀』であろう。そして、鎌倉時代は、幕府法と『吾妻鏡』である。

 憲法的史料というのは、第一に、その歴史社会を規定する特定の法思想・政治思想が表現されている史料ということである。その第二の意味は、同じことではあるが、その歴史社会を分析するうえで、優越的な位置をもち、その史料の分析なくしては仕事ができないという史料である。

 20年くらい前までは、歴史のアカデミズムというのは、「古代」では律令と『古事記』『日本書紀』が読めるかどうか、「中世」では幕府法と『吾妻鏡』が読めるかどうかということであった。それを読む技術や慣れを先生におそわるというのが、その時代の歴史学を学ぶプロに必要なことであった。平安時代にはそういう史料はないので、平安時代は長くプロのやることではなかったという訳である。
 
 私は学部は国際キリスト教大学で、そのような基礎訓練はうけず、そういう基礎訓練がなくてもできる平安時代史研究から出発した。ようするに石母田正『中世的世界の形成』を読み、そこにでてくる史料を自分で読んで勉強を開始するというパターンである。私の世代までは、確実にそういう研究の出発の仕方があった。
 しかし、そういう経過で、基礎訓練の欠如に、長く強いコンプレクスをもっていた。しかし、ここ20年ほどは、徐々に、大学の歴史教育課程のなかで、そういう基礎訓練の位置が下がってきた時代であった。研究それ自身の進展、充実した解説書の刊行、そしてデータベースが、そのような傾向をもたらしたのである。これによって歴史学への接近の道を少し広くなったしたのである。そのお陰で、私のような研究者も、どうにか仕事をしてこられた。ありがたいことである。
 
 けれども今日、授業をやってみて、『吾妻鏡』のある節を読んだのだが、馬鹿なことをいうようだが、やはり『吾妻鏡』は大事だと思った。憲法的史料、基本資料をどう見るかというのは、特定の歴史社会を全体として考える上で、やはり決定的な意味をもつことを再認識した。

 ある時期、『国史大系』の『吾妻鏡』をよく読み、そして『曾我物語』をよく読んだ。今日、やった話しで『吾妻鏡』と『曾我物語』を横断した史料の読みが幕初の見方を一変させることが可能であるということを実感。「我が敵」=頼朝への感情が蘇るとともに、しばらく忘れていた鎌倉期への興味がもどった。

 ひるがえって、現代日本社会を、後の時代の歴史家が分析するとしたら、まずは文字通り憲法を熟読するはずである。将来社会の歴史家にとっては、現憲法が社会分析のキーになるであろうことは疑いない。
 無事に、現代と21世紀を乗り切れば、どういうことにせよ将来社会というものは到来する。そして、どういうことにせよ、それは現在の憲法的価値の中枢部を引き継ぐはずである。その時代の歴史研究者にとっては、明晰は憲法的史料をキーとして社会分析のなかに順調に入っていくことができるはずである。

 我々の後に来る歴史家たちの視点を自己の視点とすること、私は日本国憲法を通じて、それが可能であると考えている。日本国憲法の価値は将来社会にわたってきわめて高く評価できるところがあると思うのである。それは何らかの意味で協同主義的な将来社会の原則として拡張できる部分があると思う。

2014年4月24日 (木)

歴史学での論文講読で必要なこと。

 以下、院生にゼミでの報告をする場合に希望する点を書きました。今期はみんなM1なので、こういう話しもしてほしいという感じでした。

 歴史学のゼミでの報告は、一般に論文講読のレポートと史料講読のレポート、そして自己の研究課題のレポートの三種類になります。

 ここでは、論文講読のレポートをどのようにしていただきたいかを書きます。

 内容としては、最低、(1)要約、(2)研究史、(3)批判(残った課題)の三つの内容が必要です。

 (1)要約は必ず必要です。これは第一にゼミの参加者全員が論文内容を共有するためです。そして、第二には、論文についての、報告者の読み方を示すことです。
 論文を分解して、目次を作ることがまず必要になります。これは編別構成を作って論理が通っているかどうかをみる作業ですので、自分で論文を書くときの目次=論文の編別構成を作るときのための事前訓練になります。これを自分のレポートもあわせれば、10回から20回ぐらいはやってみれば論文の書き方が自然に身に付いてくると思います。
 なお、これは本についてもやるべきことで、私は欄外に書いてしまいますが、本当はノートで正確にやらないといけないのでしょう。
 大体、章・節にわけ、その中の要点のメモをし、重要語句をノートしておくという内容になります。


 (2)研究史とは、関係する学史がどうなっているかを報告することです。そして、その論文がどういう点が新しく、どういうように位置づけられるかということを報告することが必要です。
 研究は非常に細かくなっていますが、この研究史のところは大枠での報告、問題を大づかみにした報告が必要です。あまり細かいことを研究史として報告しても有益ではありません。問題を大づかみにとらえる力をきたえるという積もりで考えてほしいと思います。
 また新しい史料をあつかっていたり、新しい史料の読み方がある場合は、ここで報告することになります。
 なお歴史学の場合は、一般に「通説的イメージ」というものがあります。教科書などに書いてあること、あるいは一種の通俗歴史常識として自然に身に付いていることなどですが、これは一般に間違いである(あるいは必ず不十分な点がある)と考えておかなければなりません。学史の検討の際には、ここから出発し、ここに結論をもってくることが望ましいということになります。歴史学は通俗常識と深いところで戦わなければならない学問です。歴史教育の上でも、ここがキーです。


 (3)批判と残った課題は、基本は、論文を読んで論文に書いていないけれども、自分で考えさせられたこと、自分で考え、研究したことを話す部分です。
 まず、論文の論理が通っていないと思えるところ、論証が不十分と思えるところを指摘することが第一です。
 第二は、対象とした論文を点検することによって発見した課題を報告することです。これがもっとも重要なことで、これについて指導教師やゼミの参加者の意見を聞くことができれば一番よいと思います。
 第三は、史料の解釈・読みがおかしいと思えるところを指摘することになります。このためには、論文で使用している史料を、自分で探して、それをよむことが必要になります。研究書や論文を読んで重要な史料解釈は原史料にもどって読み方を確認し、学ぶということになります。研究の初歩段階ではこれがたいへんに重要で、これを古典的著作について行っておくことが必要です。
 もちろん、手当たり次第に、史料を読むというのが歴史学の基本です。学部の頃から史料を読む訓練を系統的にやっていると、どういう史料を読めばよいのかの慣れのようなものがでてくるでしょう。そういう年季仕事はどうしでも必要ですが、必要なのはあくまでも構想力であると考えて走る方が私は好きです。


 なお、ゼミというのは、「研究者対等原則」が支配する場所でなければならないというように、私は私の指導教師にいわれました。私も、原則論としてはそうだろうと思います。研究にとっては仲間が大事ですので、ゼミで自由な討論の訓練をすることによって、仲間との議論の仕方を考えるということになれば一番よいと思います。

2014年4月23日 (水)

朝日カルチャーセンターで講演の予定。

朝日カルチャーセンター(新宿)で講演の予定。
日本文学における「水」というようなテーマであったと思う。

7月25日(金)15:00~16:30の予定。「シリーズ・日本文学と水」
次のような話しの予定。
そのときまでに、長明の鴨社の神官としての立場の話しが詰められればよいのだが。
 


 1185年近江山城地震についての「山はくづれて河をうずみ、海は傾ぶきて陸地をひたせり」という『方丈記』の一節は人々が地震・津波を語 るときの範型のような文章となりました。言葉の力ということを感じますが、この時代は源平の戦争に多くの災害が重なった時代です。その経験が 『方丈記』冒頭の「行く川の流れは」という諦観を作り出し、日本人の自然観を大きく変えていったということができます。講座では、歴史史料に よって、この地震と津波の実態を細かくみながら、長明と「水」との関わりを探ってみたいと思います。

 

2014年4月22日 (火)

世田谷市民大学での講座ーージャパネシア神話とかぐや姫

 
 世田谷市民大学での講座を頼まれて昨日、概要を送った。秋から。9月12日から、毎週金曜日。11月28日まで。全12回。神話論について話すのははじめてである。

ジャパネシア神話とかぐや姫――地震噴火の文化史

 私は、東日本太地震が9世紀の大地震と震源や規模が同じであったことを知って、急遽、『歴史のなかの大地動乱』(岩波新書)を執筆しました。地震学は早くから9世紀と同じ大地震が東北で起こりうることを警告していましが、歴史学界がそれを知らず、必要な歴史研究を行っていなかったことを学界の重大な責任と感じたためです。この本を書いたこともあって、私は、地震火山観測研究の五カ年計画(今年度開始)を審議する政府委員会に歴史学者として参加しました。

 その中で地震噴火の予知予測のためにも、日本が地震火山列島であることを文化常識にする重要性を痛感しました。そしてその出発点は神話論でなければなりません。日本神話の最高神はアマテラスであるというのが社会の常識ですが、歴史神話学の常識ではそれは高皇産霊(タカミムスヒ)という神でした。私は、さらにこの神が高千穂への天孫降臨の主宰神として火山神であり、素戔嗚尊(スサノヲ)と大国主命も地震・火山神であることを解明しました。

 これらの神は男神ですが、イザナミ・オオゲツ姫・トヨウケ姫などの女神も火山の地母神でした。山の神が女性であることの深い理由は、ここにあります。そして、オオゲツ姫やトヨウケ姫は地母神であると同時に月の女神でもあり、これが富士の女神=カグヤ姫につながっていきます。

 講義は、まず日本の神話の全体を見直す必要を明らかにし、そこにはポリネシア・インドネシアにつらなる火山神話の影響があることの説明からはじめます。最後に高畑勲監督の『カグヤ姫』についても御話したいと思います。

2014年4月21日 (月)

ニール・セダカ got a one way ticket to the blues

 先週土曜日に小学校のクラス会があって、クラス41人中、20人くらいが集まった。みんな元気である。

 そのあとに、カラオケにいって、冒頭、Y氏がかけたのが、got a one way ticket to the blues。

 私は、これを「ガラワンレイチクティンザブルー」と憶えていて、中学校のころなのだろうと思う。まったく意味もわからず、口ずさんでいた。

 カラオケにいくことなどもほとんどないので、この英文歌詞が画面にでてきて、本当に驚いた。こういう歌だったんだといってみんなの失笑を買った。Y君ありがとう。

Choo choo train chuggin' down the track
Gotta travel on, never comin' back
Woo ooo got a one way ticket to the blues
Woo ooo got a one way ticket to the blues
I'm gonna take a trip to lonesome town
Gonna stay at heartbreak hotel

 自然にしみついている歌とメロディーというものがあって、身体のどこかに眠っている。それが急にでてくる。

 実は、これが誰の歌かも忘れていた。家にかえってネットワークで引いてみて分かった。そういえばニール・セダカという名前には覚えがある。そしてそれを聞いてみた。なつかしい。

 ネットワークというのは過去を振り返るのには本当によい道具なのだ。過去に対する一種の偏愛。過去の再生と身体的な疑似記憶の現前化。何でもわかる。一種の触覚の全能感覚。いわゆるオタク文化というものとの相性の良さがあるのだろう。
 ニール・セダカは、ようするにプレスリー、ビートルズよりも、一つ上の世代、私などの世代が小さいころの歌。「古きよきアメリカ」の歌。
 このあと、ベトナム戦争があり、一度、アメリカの文化を切ったのだと思う。もちろん、ベトナム反戦の運動はあり、その前後にもアメリカの文学はよく読んだ。けれども、「古きよきアメリカ」というのは無意識に心のうちから無くしていったのだろうと思う。小学生から中学生にかけてみた、ウェスタンの映画もすべて。

 
 前のクラス会は5年前。私はでれなかったが、自己紹介では、やはり3,11の話しがでる。柏にホットスポットができて、手賀沼も問題があって、はじめてデモというものをして世界が変わったという女性の話しがあり、私も、一度だけだが、国会前に行ったと報告。同じ列島の上で生きてきて、同じことがらにさらされる。

 小学校6年以来、はじめてあった人もいて、別の生活をしてきても同じ時間が流れているという単純なことを実感する。

 これから、3,11と原発のことを考えるときは、このgot a one way ticket to the bluesという歌が聞こえるのだろうが、昨日はNHKでスリーマイル島とチェルノブイリの放射性デブリの処理についての無限に時間のかかる話しの放映をみた。たくさんのイメージが重なってくる。

 過去をつめていくことによって、現在のギリギリのところを照らし出したい。過去をつめていくことによって現在の位置がわかる。過去を過去として偏愛するのではない。これは歴史学者の職業のなかで自分の信条にしてきたもの。すこしでも歴史学による過去認識が、現在を照らし出すことを願う気持ちで仕事をしているのではあるが、現代の現実のもっている時間と未来について明瞭な歴史感覚をもちえないままでいるのではないかという疑念が胸を噛む。

 今日は、地震論の続きの仕事を一日やっていて疲労。一歩、一歩の牛歩。

 
 
  

2014年4月18日 (金)

歴史家と読書――生涯に100冊の本を徹底的に何度も読む。

歴史家と読書――生涯に100冊の本を徹底的に何度も読む。
 総武線のなか。今日は授業。
 先週は打ち合わせだったので、今日が本当の開始。
 最初に「歴史学における読書」という話をするつもりで、そのメモを作ろうと思う。
 
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昨日、書斎の整理をしていたら、『大塚久雄ーー人と学問』(みすず書房)みがでてきた。
 この本は大塚先生の著作集を編集した岩波書店の石崎津義男氏が先生からの聞き取りにもとづいて先生の逝去の後に出されたもの。大塚さんの伝記としてつかうことができる本である。前は机辺においていたのだが、しばらくみないと思っていたら、別の机にあった。

 なつかしく読んでいたら、大塚さんが「自分の読んだ本はせいぜい一〇〇冊だろう」といったとある。これは100冊の本を徹底的に読んだということだろう。石津さんは、大塚さんの、この断言自身、あるいはその数の少なさに驚いているが、大塚さんの100冊のなかにはマルクス・ウェーバー・ゾンバルトなどの独文や、その他の原書が入っている。しかも、石津さんが神保町近辺の洋書古本屋崇文堂の主人にきいたところ、大塚さんは同じ原書を何度も買っており、それは何度も読むので本が毀れたためだという。

 だから、この数をどこまで一般化できるかは問題が残る。しかし、一定数の本を何度も読むことが大事だということは、おそらく歴史学においてはいまでも通用することなのではないかと思う。

 つまり、歴史学は一度、頭のなかに記憶することが必要な学問である。しかも多数の史料を読まねばならない。それによって頭のなかで、忘れることは忘れ、残ることは残っていき、残った知識・記憶のなかで相互浸透作用のようなものが起きる。こうして史的実在の写像のようなものが無意識にできてくるのである。

 しかし、無意識とはいっても、実際には重要と判断したものが残っていくのであって、そこでは一種の記憶の結晶術のようなものが働く。そして、この結晶術というのは、結局、専攻研究者の本である。多数の史料を読んでいくが、やはりそれを本の記述にもとづいて結晶してくるのである。歴史家はまず沢山の史料を読むテクニックをもたなければならないが、しかし、他の多くの歴史家の著作をどの程度徹底的に広く読んでいるかが、歴史家の基礎体力のようなものを決定すると思う。


 これは一度、100冊を自分で数えてみようと思う。100冊のリストを作り、それはきちんと並べて動かさないということにすると本棚が片づくかもしれない。考えてみると、「あれ、あの本はどこにいった」ということがしばしば起こるのは、第一は何度も読む本が、しばらく読まないでいると、どこにもみえない。それは自分の評価が高いために特別の扱いをしてしまう。あるいは使用頻度があるため、整理不行き届きになるという場合である。第二は、批判の必要があって何度も読む本で、これは自分の心のなかでは「名著」ではなく、評価が低いので、すぐに「もういいや」と思ってしまって、整理が行き届かないという例である。こういう時は、「またあの本がみえない。批判されるのが嫌で隠れている」などと冗談をいう。

 それは著者の数でいえばどうなるだろうか。50人ほどになるのであろうか。やはり100人ほどになるのであろうか。歴史家の職業というのは狭い世界で成り立っている職業であると思う。

 別の面からいうと、歴史家の著書を読み込むということは、結局は、その歴史家の論文を最大もらさず読む。あるいはその歴史家がもっている感覚のようなものにまで深く入っていくということである。自分のものになった本は、歴史家という職業のなかでは、その職業集団のなかで共有される感覚器のようなものである。歴史家は、蟻のようなもので、他の歴史家の作った触角を自分の前にもってきて、自分の触角にするとでもいおうか。

 ともかく先輩や友人の歴史家の著作は複数読むことによって、その人が自分のなかに取り込んだエッセンスのようなものが、私のなかに入ってくるのである。

 だから、その歴史家の仕事は本でいえば二冊あるいは論文量でいえば1000頁ほどは読んでいることがどうしても必要である。論文の二/三本を読むのは実務であって読書ではない。その論文一つ一つはしばしば実務的なもので、散文的なものであるかもしれない。しかし、1000頁となると、そのカバーする史的世界の範囲は相当に広くなる。それは、その歴史家の仕事がが整った体系をなしているかどうかには関わりない。もちろん、体系をなしていることがのぞましいとはいえ、そこで必要なのは、ともかく史的な知識と直覚が全体的なことである。
 結局、歴史家の頭の環境は、史料を通じて獲得された史的世界に対する知識によってできている。そしてその知識は知識のままではなく、一種の直覚のようなものになっている。その意味では歴史家の頭は職人的なものである。
 そのような知識として自己のなかに蓄積されてメタモルフォーゼされていく本が100冊ということである。

 帰宅。
 授業にでている院生は、今年は、全員院生なので、マスターの間に30冊は読まないとという話しをする。

2014年4月16日 (水)

戦後歴史学と社会構成論--論文 「社会構成論と東アジア」再考の書き出し。

 下記は、「社会構成論と東アジア」再考(保立道久『封建制概念の放棄』校倉書房、所収、歴史学研究会70周年記念シンポジウム、2002年10月)のはじめにの部分。
 ある人に送るので、切り出したのを再利用です。
 
 末尾に引用したが、その最後に「これがキリスト教神学が、たとえばカール・バルトのような人をふくめて、社会主義の全体主義的性格を批判していたこと自体 は正しかったことは明らかです」と記した。
 
 スターリン主義問題は、我々の世代にとっては大問題である。

 この前の記事の続きだが、この論文の本論でも、WorkとLabourの違いを論じた。
 さきほど食事しながら、ベネチアのゴンドラ作り職人の話。
 連れ合いによると、テレビでゴンドラ職人がでてきて、「仕事は喜び」といっていたという。
 それにくらべて「労働は喜び」というのはやめた方がよいという話しになった。
 「仕事は喜び」、そして「労働は健康」だろうか。
 労働、抽象的人間労働は、生理的労働であるというのは、そういう意味だろうと思う。
 このゴンドラ職人は四代目であるということだが、現在はほとんど修理仕事。ゴンドラを作るというのは、船頭さんにとっては、その身長・体重にあわせて作るので、一生に一度の栄えある事件になり、ゴンドラ職人にとってもたいへんなことであるという。そのゴンドラも最後は商品として売られるのであるが、それは資本制商品の一般的特徴とはことなる特徴をもった商品である。こういう商品、一種の形式としてのガワとしての商品の理論的な性格をどう資本制商品から区別するか。
 生活のなかに存在する「もの」というものをどう感じ、どう考えるかというWilliam Morrisのような問題があるのであろう。
 やっと風邪が治りつつある。

 夜寝られず、なんとKindleでホームズ全集というのを読んだ。これは英文版は〇円なので、networkから落としてきた。「赤毛連盟」を読んでいたら、犯人の銀行破りがWilliam Morrisとなっているのには笑ってしまった。
Morrisは「赤」という訳だろう。

 ホームズに、いわゆるオリエンタリズムとイギリス神秘主義の雰囲気があまりにあらわなのに驚いた。中学生のころは、こういう物を読んで共感していたわけだ。今の若い人たちには、その雰囲気は分からないと思う。そして分からないのはいいことである。しかし、ホームズはさすがに面白い。

「社会構成論と東アジア」再考
              石母田→網野学説の現在から

1戦後歴史学と社会構成論
 戦後歴史学は「単系発展段階論」、単なる近代主義的な進歩史観に過ぎなかったという意見がしばしば聞かれます。しかし、そもそも戦後歴史学 が最大の課題としたのは日本社会の歴史を、世界史、とくに東アジア史の中でトータルに理論的にとらえることでした。社会構成を変化・発展する ものとしてとらえ、諸地域・諸民族が作り出す世界を、その社会構成の共通性と独自性にそくして理解しようという、このような課題設定自体は基 本的に正当なものだと思います。

 そして、事実として確認するべきことは、「単系発展段階説」批判は戦後歴史学にとっても早い時期からの論点だったことです。すでに、 1959年、太田秀通さんは、「世界史における社会構成の前進的諸時代や共同体的土地所有の諸段階を、原則として各民族の通過すべきものと考 えがちなわが国の一部の研究者」を批判し、「諸民族の発展系列の束としての世界史像を構成すれば、それはたんに単系発展の歴史像でもなく、た んに多系発展の歴史像でもなく、両者が交錯する複雑な歴史像とならざるをえない」と主張しています。それ以降、太田さんは「一国史的分析を中 心とする一系的発展段階論」にたいする批判、「単純な一系発展図式を破砕すること」を終生の課題としました(『世界史認識の思想と方法』)。 また1963年の歴史学研究会大会テーマ「東アジア歴史像の検討」の議論の中で、遠山茂樹さんは、世界史を「発展段階や社会構成を異にする諸 民族の構造的複合体」とみなし、そのような複合体の一つとして「東アジア」を設定するとともに、世界史の時代範疇として①古代帝国の時代、② その解体過程、③世界市場形成過程の時代、④帝国主義の時代という時代区分を提示しています。個別の民族体とは相対的に別のレヴェルで世界史 の時代区分を設定しようという、この試論に対しては、当時太田さんも賛同をしていますし、後に述べるように、私も、基本的に賛成です。

 もちろん、このような議論が実際に展開したのは、歴史学研究会でいえば、「世界史の基本法則の再検討」「世界史像の再編成」というテーマを かかげた時代、つまり1962年から68年にかけての遠山・太田の委員長時代のことです。50年代の歴史学に「一系的発展段階論」が優勢で あったのは太田がいう通りです。しかし、遠山さんの『戦後の歴史学と歴史意識』を読めばわかるように、最初期においても戦後歴史学の議論は けっしていわれるような単純なものではありませんでした。そして何よりも、学問は、そのもっとも高い地点で、その峰をもって評価すべきもので す。歴史学者ならば誰でも知っているように、「東アジアの中で日本の社会構造をトータルに理論的にとらえる」という戦後歴史学がかかげた課題 は、いまだに解決の目処もたっていません。戦後歴史学が提出した問題のレヴェルにふさわしい対案なしに、先行者に対して声高な批判を浴びせる ことは学者のするべきことではない、すくなくとも同じ歴史学者のするべきことではないというのが、私の意見です。率直にいって、戦後歴史学に 対する「批判」なるものは、こういう課題を正面からかかげることをやめたという気分を表現するものに過ぎない場合も多いのです。そして、その 背景には、社会は変化発展するものだという考え方が、ソ連圏の崩壊、自称社会主義の崩壊とともに価値をなくしたという感じ方があります。それ を無前提に信じていた戦後歴史学はただののんきな進歩主義でしかなかったという訳です。

 しかし、確認しておかなければならないことは、歴史学にとっての、あるいはより広く戦後思想にとっての最大の問題は、戦争と民主主義の問題 であったことです。当時、ヨーロッパ市民社会の思想と文化がはじめて本格的に日本社会のなかに入ってきました。他方、中国革命の動きが大きな 影響をあたえていました。この中で、戦争や民主主義の問題を突き詰める先に存在した可能性の問題として社会主義が存在したことは、東アジアに おける戦争の経過とそれへの抵抗勢力のあり方からいって自然なことだったと思います。ヨーロッパでの戦争への経過や抵抗勢力のあり方はもっと 多様・複雑で、こういう民主主義問題と社会主義問題が二重化しているという状況は希薄でしたが、東アジアにおいてはそうではなかった訳です。

 私たちの世代にとっても問題は単純ではありません。しばらく前の歴研大会で、石井寛治さんは、1960年代末期のいわゆる大学闘争世代に属 する私たちの世代を戦後歴史学の世代ではないという意味で「現代歴史学」の世代と呼んでいます。しかし、あの頃までは、まだ日本の文化の中に はヨーロッパの思想文化が生きていました。また私たちは、戦後歴史学の作り出した歴史像や具体的な方法意識から圧倒的な影響をうけました。石 井さんの指摘にもかかわらず、私たちは、戦後歴史学を直接に継承した世代、おそらくその最後の世代です。もちろん、20世紀後半の世界の思想 状況の最大の特徴は、ヨーロッパの思想と哲学が、社会主義思想をふくめてきびしい試練をうけ、その説得力を失っていったことにあります。ス ターリニズム批判は私たちにとっては常識であり、実際に、中国の文化大革命、チェコ事件以来、社会主義にたいする強い疑念が一般化し、その中 で、私たちはヨーロッパ思想と自称社会主義の双方をさめた目で見始めました。その意味で、我々はたしかに戦後歴史学の先輩たちとは異なってい ます。

 私たちにとっては、第一に、家永教科書訴訟など、実際に歴史学の基礎常識にかかわる局面で、日本の歴史問題、とくに戦争責任問題が精算され ないままになっている状況を痛感させられたことが重大でした。そして、第二の問題が自称「社会主義」なるものをどう考えるかということでし た。私たちは、この「戦争責任」と「社会主義」という二つの問題が容易に突き抜けることができないという事態の中で生きてきたように思いま す。私の大学時代はベトナム戦争が終結を迎えた時代ですが、私の大学は国際キリスト教大学で、大学の中では、ソ連などの国家社会主義とヒト ラーのファシズムを左右の全体主義とならべるアメリカ流の論理がよく聞かれました。もちろん、その論理は、当時、ベトナム侵略の理由ともなっ ていたのですが、しかし、キリスト教神学が、たとえばカール・バルトのような人をふくめて、社会主義の全体主義的性格を批判していたこと自体 は正しかったことは明らかです。ソ連崩壊後、現在までのあいだに明らかになった事態、20世紀の世界史が自称社会主義圏で作り出してきた異様 な歴史的事態は、想像をこえるものです。このことをつねに思想と感情の基礎におくべきことは、学問の問題である前に文化と常識の問題でしょ う。私は、それ以来、現存する社会主義、社会主義と自称する社会の構造的本質をどうとらえるかという問題に意識的であることなしに、社会構成 論あるいは歴史理論はありえないと考えてきました。

2014年4月14日 (月)

仕事と労働 WorkとLabour

 先週木曜から風邪。学芸大での非常勤講師を、今学期だけつづけることにしたので、金曜日はでて、土曜日も用があってでた。土曜日の会議は懇親会もあったが、風邪の熱を感じて直帰した。

 今日(日曜)も、夕方はかったら37度あるので、何もできなかった。「日本史の30冊」で青木和夫先生の『奈良の都』を取り上げるので、朝は横になって読書。
 しかし、青木さんの本の紹介や位置づけを考えるだけでも、歴史の話しを書く元気はなく、土曜日に講演を聴きながら考えたことを少しづつ書いている。こういうのは抽象論なので熱があっても書ける。

 一昨日、ジブリから『熱風』(4月号)という雑誌が送られてきて、この雑誌は非常に面白いのでよく読むのだが、今回は「人口減少社会」という特集で面白く読んでいる。これも若干紹介する。
Cci20140414

 さて日本の社会は、将来は協同社会を考えざるをえないはずである。いわばソフトな社会主義ということになろうか。歴史家として考えるとどういうことになるか、それについて考えることが多くなり、前から考えているので、その編別構成を考えた。久しぶりに総武線でメモしたことを下に書き写す。


1今の社会でできること、徐々に進められること、進んでいること。

(1)平和を維持し、災害素因をへらすこと。
 これは韓国・台湾・中国・フィリピン・ベトナムとの友好関係の維持が第一。とくに韓国との関係が重大。北朝鮮がある以上、心配なことはある。日韓の連携が何よりも大事。東アジア非武装地帯の形成から、国内的には、軍事費を削減し、自衛隊を縮小しつつ災害対策にふりむけ、さらに最大の無駄遣いとしての軍事産業を削減することまで進まなくてはならない。「平和」というのは、いうまでもなく、戦争を防止することだが、戦争は最大の社会災害である。これを起こさないようにするという感じ方は、実際には自然災害にそなえるための深謀遠慮を社会的な態度にしていくということと共通する側面がある。

(2)コミュニティといえる地域のあり方をどうにかして作っていくこと。
 ジブリの『熱風』に千葉大の広井良典氏が「地域からの離陸と着陸」という文章を書いていて、共感するところが多い。これまで何もやっていないのに口幅ったいことだが、地域のコミュニティというのは本当に大事だと思う。
 「地域のコミュニティ」というのは地域の自然をコミュニティのものとして感じるような地域のあり方をどうにかして作っていくということで、これはたとえば(私のもっとも大きな要求では)安全で緑多い自転車道路で郊外まででることができるという小さなことから、地域的な自然エネルギーの開発によるエネルギー自立まで、実際にはいろいろなことを含んでいる。

(3)仕事のネットワークを大事にすること。
 東日本太平洋岸地震大震災のときの救援で水道・下水道などの復旧に全国の同じ職能の人々がかけつけて大きな役割をしたというのは記憶に新しい。

 「仕事のネットワーク」というのは、小さな仕事から大きな仕事まで、日常的なものから科学的なものまで、仕事の人間関係とネットワークを充実させていくということになる。私たちの世代ではじめて社会問題に関心を引かれた場合に、よく読んだ本に岡村昭彦氏の『南ベトナム戦争従軍記』があったが、そこに、八百屋は八百屋の専門性、ジャーナリストにはジャーナリストの専門性と倫理というものがあるのだという一節があった。そういう意味での専門性である。誰でもやるべきことは、これを大事にしていくことだろうと思う。


 つまり、平和を守ること、そして地域のコミュニティを育てること、さらに仕事のネットワークを大事にすることという単純なことになる。これは今の社会でできること、徐々に進められること、進んでいることである。これがどう進むかが日本の社会の将来に大きくかかわるのは明らかである。


2積極的に考えるのが必要なこと。ー社会のシステムをどう考えるか。

社会システムを考えるということ。
 「平和を維持する」「地域のコミュニティ」「仕事のネットワーク」という三つは、結局、毎日毎日の生活と覚悟にかかわることで、より正確にいえば、いまの社会が持続させるためには、この三つのことを考えざるをえない。その意味では必然的に進まざるをえないことである。もちろん、必然的に進むというのは自動的に進むということではない。人間がともかく若干でも知性を働かせ真面目にやって、しかも友人・仲間・地域社会と楽しくやっていこうということが前提になってのことである。そうでなく、愚劣でもいい、ごまかしてもいい、自分さえよければよいという人が多くては、こういうことは自然には進まない。

 しかし、逆にいえば、このレヴェルでは、真面目であればよい、あるいは普通の協調性をもっていればよいということで、社会のシステムをどうするというようなことは考えなくてよいということになる。むしろ、こういう問題では、かならず意見の相違がでてくる。だからこの局面では、むしろ「平和のありがたさ」「地域のコミュニティの居心地よさ」「ネットワークのなかで仕事をすることのやりがい」というようなことのみを話していた方がよい。社会システムのような問題、つまり立場や出身背景などによってしばしば意見が異なるような問題について話し合わない方がよいというのが実際ではないかと思う。すくなくとも、社会システムの問題を議論するのは、このレヴェルとは別にしておいた方がよいと思う。

 それだから、ここから先は、個々人が考えることである。社会システムをどうするかということは考えざるをえない問題であるが、これは厳密に個々人の意見として一人で一人でじっくり考えることになるのではないかと思う。これはある場合は世界観や人生観にかかわってくる。

 ただ、ここで「社会システムを考える」というのは、たとえば社会の諸制度をどう設計するか、高齢化社会、人口減少社会の到来についてどういう政策を考えるかというようなことではない。ジブリの『熱風』でドワンゴ会長の川上量生氏が人口減少への対処について「理系的に考えると、重婚をみとめるとか、国家がそだてるとか、もしくは単純に子どもを持つ人に補助金を出して、子どもを持たない人には重税を課すとか、そういう制度設計の問題に帰着するんですよ。文系的なことで変えていこうとして「気の持ちよう」の話をいくらしても、何も生まないと思うんですよね。新しい考え方が世の中を動かした例って、いままでにほとんどなかったと思っているので」といっている。ふーむ。川上氏は情報論を読んでいると異世代という感じでよくできる人だと思うが、こういうのは社会に青写真のような改造計画をもちこむことである。これは一種の「社会工学」であって、社会を自動機械のように動かそうということで、ここでいう「社会システムを考える」ということとはまったく違う。

 「社会システムを考える」というのは、もっと基礎的なことで、ようするに社会というもの、そのものを考えるということである。社会を改造する制度設計ということになると、それは他人事だが、この社会を考えるというのは社会観を考えるということで、それを通じて世界観や人生観にもつながっていくので、これは一人一人で考えることができる問題である。

(1)「はたらくこと」のいくつかの意味
(イ)「はたらく」という言葉の意味

 問題の基本は「はたらく」ということをどう考えるかである。この「はたらく」という言葉は面白い言葉で『和訓栞』という江戸時代の語源辞書によると、もとの形は「はたる(徴る)」ではないかという。「徴る」というのは「強く求める、請求する」ということで、また「取り立てる、徴収する」という意味になる。この「徴る」の語源は、朝鮮語のpat(徴)と同じであるという説もあるが、「剥る」と関係があるらしく力ずくでせめ取るという感じである。『和訓栞』は、この「徴る=強く求める」ということを自分自身に対してする、「我が身をはたる」というのが「はたらく」という言葉のもとであろうという訳である。『万葉集』に「里長が収は課役はたらば汝も泣かむ」とあるように、最初は人をせめることを意味していたが、平安時代くらいにせめられている自分の外側にでて、自分を外からみて、自分が自分を「はたらかせる」というように使うようになったということである。

 たしかに「はたらく」という場合に、自分が自分の身体や脳髄そのものの外にいるかのように考える、いわば一度自分の外に出てトランスして、自分のことを見ているということが大事になる。これに対してまったく反対なのが「あそぶ」で、「遊ぶ」というのは霊の遊離している状態で自分のことも忘れてしまうということになる。「はたらく」ときはそういう風にボッとしてはいられない。

 これは言葉の説明は別として誰でも知っていることであるが、問題は、この「はたらく」には、だいたい二つの別の意味、二つの側面があるということである。その一つは「仕事」であり、もう一つは「労働」である。

 これは英語だと「Work」と「Labour」の区別になる。つまり、Workといえば「なすべき仕事、課題、作品」という意味になって、Home workといえば宿題、the Works of Bachといえばバッハの全作品などということになる。これはドイツ語ではヴェルクWerk、さらにさかのぼってギリシャ語のエルゴンergonになる。エルゴンというのは名詞ではエネルゲイアenergeiaになる言葉で、作品・成果、それらが能力として発現しているという意味になる。こういうことから、ある課題を成就するために能力をフルに発揮して集中している様子をエネルギッシュという訳である。これはある具体的な目的のためとか、ある特定の作品を作るために自分で自分の目の前に具体的な目的を設定して、自分で自分の意志を緊張させて「はたらく」ということになる。つまり日本語でいえば「仕事」がもっとも近い言葉になる。「仕事」というのは、本来、「為事」と書いたはずで、「する」という言葉の連用形「し」に「事」がついた形である。「事をなす」、目的を達成する、事業を成功させるというような意味であるといってよい。堅い言葉を使えば、「働き」のこのような側面は目的設定的な具体的仕事ということができる。

 これに対して「労働=Labour」というのは、努力する、苦労する、骨折りという意味が強くなる。労働という言葉がいつ頃から使われるようになったかは正確なところはわからないが、江戸時代の貝原益軒の「養生訓」に「身体は日々少づつ労働すべし、久しく安座すべからず」とあって、「体をつかってはたらくこと」という意味であることがわかる。そもそも「労」という漢字の意味は「疲れる、苦しむ、力を激しく使う、骨を折る」という意味で、労働というのは「はたらく」ことの内で疲れること、「疲れる働き方」をいうのである。「労」というのは倭訓では「いたわしい」と読むのが本来で「お疲れになって、おいたわしや」というわけである。

 英語のLabourも、つらさ、骨折りが基本となる意味で、もとはフランス語で、さらにもとはラテン語のlaborになり、hardship 、「重荷を負ってつまずきながら歩く」という意味であるという。面白いのは、Labourには産みの苦しみをする、お産をするというのが動詞になることで、「be in labour」というと陣痛ということで、出産の苦しみというのがLabourであることである。

 これはようするにどういう目的ではたらくのか、どういう仕事なのかは関係なく、身体と頭脳をつかって、自分の物質的肉体を使ってがんばること、苦しむことを指すということである。「養生訓」に「身体は日々少づつ労働すべし」とあるのを引用したが、「日々少づつ労働」というのは、どういう労働かは問題ではなく、どういう労働でもよいから、ともかくちゃんと体を動かせということである。「はたらくこと」の目的は、ここでは問題にはならない。捨象されている。ともかく自分の物質的肉体を動かせということである。この場合、Labourに出産という意味があることから分かるように、身体のいろいろな部分を動かせということになる。当然、Labourには頭を動かすことも入る訳で、頭脳労働でも単純労働の部分はLabourになる訳である。「働くこと」はこういう消耗労働といえるような側面をもっている。

 もちろん、骨折りとか、疲労とかいっても、そこには限度というものがある。労働の強度には平均というものがある。それは時代や民族などによって違うが、ある時代と地域をとってみればそういう平均的な労働は、確かに存在するはずである。それ故に「働き」のこのような側面は平均的労働ということができる。あるいはここで問題となるのは、達成するべき具体的な目的や仕事ではないから、具体性を捨象しているという意味では、堅い言葉を使えば、抽象的労働、抽象的人間労働ということができる。

 もちろん、私たちがやっていること、「働き」は実際には仕事workの側面と労働labourの側面が一体になっている。堅い言い方をすれば具体的仕事と抽象的労働は複雑に入り組んで一つの「働き」を構成しているということになる。これは日常語からは離れるかもしれないが、けれども、私たちが「今日の「働き」は、ここまでできた。しかし疲れた」と自分のことを考える場合、そこでは実際に「働き」というものの異なる側面を意識しているのである。
 「働き」ということを考える上では、WorkとLabourを明瞭に区別しているのは英語のよいところだと思う。私たちの言葉、日本語でも、この二つの意味を十分に区別して考えることは思考の習慣として大事ではないだろうか。エネルギッシュという言葉は日本語では、Workの意味か、Labourの意味かがよくわからない使われ方をしている。どちらかというとLabourの意味で使われているのではないかという感じがする。しかし、これはWorkの意味が強い訳である。人間にとって必要なのはWorkがエネルギッシュであることで、Labourがエネルギッシュというのは困ることなのである。


 ただ日本語にもいいところはあると思う。つまり、こういうWorkとLabourを区別して物事を考えていくというのはよく知られているようにマルクスがはじめた考え方であるが、マルクスはドイツ人なので、すべてをドイツ語で処理している。つまり、ドイツ語にはWorkとLabourの区別はないので、全部をアルバイトArbeitで表現している。そして仕事Workについては有用労働nützliche Arbeitとか具体的労働konkreter Arbeitなどという修飾語をつけ、労働labourについては抽象的人間労働abstrakt menschlicher Arbeitという修飾語をつける訳である。これは面倒くさい話しである。日本語では仕事と労働を使い分ければ直感的に話しが分かるのである。
 また英語もドイツ語をうけて、仕事Workについてはuseful labour、concrete labourといい、狭い意味での労働についてはabstract human labourなどと翻訳している。せっかく英語の方がドイツ語よりも便利なのだから、もう少しうまい翻訳を考えられないかとは思うが、残念ながら英語にはWorkとLabourの両方をふくむような適当な言葉がないから、これはやむをえないのだろう。そこでabstract human labourなどという複雑な言葉が必要になったのである。これに対して、日本語では、「働き」「仕事」「労働」というように、三つを正確に区別できる。日本語というのは物ごとを意外と正確にあらわすことができる言葉なのである。
 こういう「働き」というような言葉については歴史学でいうと、いわゆる概念史の研究が必要で、それを前提にして、学校でも早くから「働き」の二重の意味、英語との関係なども教えたほうがいいのではないかと思う。その場合に重要なことは「家族」と「家族のはたらき」から教えることである。そうすれば子どもにもわかるだろう。
 
 風邪頭では、この先はまたということである。
 月曜日、まだ頭がボッとしている。

 家の猫の調子が悪く、自分でうまく水が飲めなくなっている。
 今日の朝は起こされて、二人で介護だったので、まだ眠い。
 今日届いた浄水機能つきの猫の水飲み器にうまく慣れてくれればよいのだが。
 

2014年4月 9日 (水)

東アジアの「近世」について

東アジアの「近世」について
 以下、提出済みのある論文の「おわりに」を掲載します。この論文は、後醍醐の禪律国家構想と室町国家の禅宗国家的な側面について概略を論じてみたものです。

  東アジアにおける近世を12世紀には始まるとしたいという持論です。
  内藤・宮崎のような「近世」という時代区分を取る場合にも、多くは日本における「近世」の開始は戦国時代あるいは江戸時代とするのが一般であるという状況に対して異論を述べたもので、宮崎のように「後進国である日本」は、早く中国的近世の影響をうけたほかに、ヨーロッパ的近世の影響をもうけた後に、はじめて「近世」段階に到達したということでは、中国と日本のタイムラグは約六〇〇年以上ということになる。
  しかし、六〇〇年以上も中国と日本における世界史的な時代区分に時代差をもうけることは、宮崎の世界史の共時性という問題提起それ自体の意味を曖昧とするのではないだろうかという意見です。
 さらに述べれば、私は16世紀における資本の原始的蓄積がメキシコと日本の銀山からの銀の流出をキーにして、環太平洋の富をヨーロッパが吸い上げることに根拠があった以上、世界史的な近代は、ここに設定されるほかないという意見です。それ故に、江戸時代は世界史的な近代の一環と時代区分するほかないということになります。それ故に、順にさかのぼって、その前は近世という言葉を利用するほかないだろうということになります。
 いずれにせよ、古代・中世・近世という言葉を日本史において一国的に使用するのは問題が多く、古代・中世・近世・近代という言葉は、世界史的な範疇として、同時的に存在し、相互に影響する世界史の波動を表現する用語として(宮崎市定・内藤湖南のような意味で)使用するべきであろうという意見です。
 しかし、さすがの宮崎市定にしても日本史には、それを適用していないということには驚きます。これは根本的には、結局、奈良時代を「古代」とする縛りが宮崎市定にjも強かったということを意味していると考えています。
私見では、奈良時代は東アジア中世へのキャッチアップの時代と捉えるほかはない(日本には「古代」は存在しない)というものですが、このような意見の具体相については、当面、このブログの通史の欄を御参照ください。
 

 東アジアにおける宗教と国家について共 時的な議論に進むためには、中国と日本の共時的な時代区分のあり方の議論が必要である。つまり、宋代の理学や禅宗は文化論的には宋代の「近世」と考える場合のキーとなっているが、そうであるのならば、この時期の日本にも「近 世」という同時性を措定できる可能性である。

 さて、よく知られているように、宋代を世界史的な「近世」の段階と評価するのは内藤湖南と宮崎市定の学説である。その根拠となっているのは、羅針盤、火薬などの技術、商業都市と地域的村落的市場、貨幣経済などの社会経済的状況とともに、文化論的には、大蔵経の印刷にはじまる文 字文化の普及であり、それらを前提とした一種の合理的な心術の形成というようにまとめることができるだろう。

 私は、すでに二〇年近く前に、この内藤・宮崎の時代区分論に賛同し、東アジアにおける「近世」はだいたい一二世紀には始まるとしいう見解を述べたことがある。これは北宋の成立する一〇世紀後半を「東アジア近世」の開始年代と考えるとすると、若干のタイムラグをみたとしても 一二世紀ころには日本においても「近世」の時代が始まったとしてよいという趣旨である。なお、このような私見はいわゆる「封建制」はヨーロッ パ的な意味における社会構成としては日本にも東アジアにも存在したことがなかったという理解を前提としている。社会経済史的にみても、この時 代を「近世」ということには大きな問題はないということである。これまで時代区分論の立場からは、建武新政の歴史的性格について、時代 的状況に応じた古代的な政権の一時的な反動的復活とか(永原慶二)、封建王政への接近と破綻(黒田俊雄)などの見解がだされているが、私見では、そのような理解は東アジア全体を対象とした時代区分論や社会構成論という視点から全面的に再検討するべきだということになる。

 これについて、ここで詳しくふれる余裕はないが、ただ、中国と日本における近世の成立のタイムラグをだいたい二〇〇年弱ほどとしていること については、建武新政論との関係で若干の説明を加えておきたい。というのは、実は、内藤・宮崎のような「近世」という時代区分を取る場合にも、多くは日本における「近世」の開始は戦国時代あるいは江戸時代とするのが一般だからである。宮崎自身、「後進国である日本」は、早く中国的近世の影響をうけたほかに、ヨーロッパ的近世の影響をもうけた後に、はじめて「近世」段階に到達したという意見を述べている。これだ と、中国と日本のタイムラグは約六〇〇年以上ということになる。もちろん、日本が「後進国」であり、中国とは大きく事情を異にしているという 点は当然ではあるが、しかし、六〇〇年以上も中国と日本における世界史的な時代区分に時代差をもうけることは、宮崎の世界史の共時性という問題提起それ自体の意味を曖昧とするのではないだろうか。

 ここでは文化論的な側面についてのみ見解を述べるが、宮崎のような理解は民族ごとの特殊条件を軽視しているように思う。つまりたとえば印刷文化をとればたしかに日本が中国的な印刷文化のレヴェルに到達するのは江戸時代のことであるが、しかし、中国のように広く巨大な人口をもつ国 家と日本との相違は大きい。人々の心術の様相を規定する文字文化のレヴェルはかならずしも印刷などの形態ではなく、文字の庶民普及や識字率の 方が根本的な問題であると考える。文字の普及と識字率ということになれば、日本のそれは相当に高いといえるのではないだろうか。

 また、問題の禅宗をとってみると、唐代に基礎をおかれた禅宗は宋代を通じて発展したが、それが日本に本格的に弘通しはじめたのは一三世紀までずれ込んだ。宋代の「近世」性を代表する朱子学となれば、これも江戸時代まで下がることはいうまでもない。しかし、言語と文字文化を異にする日本にとって「禅」はきわめて特殊な宗教であった。それは第一に中国的な文字文化と一体のものであって、また第二には儒教や道教、そしてそ の論理学とも深く関係するものである。禅が何度も移入されながら、日本に受け入れられなかったことには自然な理由があったといわなければならない。しかも、黒田のいう意味での顕密体制が禅宗の移入をさまたげたことは確実である。禅宗の移入の遅れは、そのような事情によるものと考え たいと思う。

 平安時代から鎌倉時代にかけて、日本では「仏教東漸」ということをナショナルな国制意識とからめて立論する傾向が一般的であった。たとえば 一三世紀末期に成立した『野守鏡』に「和歌よく礼楽をとゝのふるが故に国おさまりて異敵のためにもやぶられず。仏法の流布する事も大国にすぐ れたるは、これひとへに和歌の徳也。宋朝には和歌なくして礼楽をたすけざるによりて、八宗みなうせつゝ、異賊のために国をうばはれたり」とあ ることが、それをよく示している。これこそ顕密主義そのものである。そして、この種のナショナルな国制意識が万世一系思想に対応するものであ ることは別に述べたところである(保立「現代歴史学と国民文化」『歴史学を見つめ直す』)。

 このような通念に対して、栄西は『興禅護国論』において、「インド・中国では仏道と戒律が廃れているという俗論を排し、戒律運動を表面に立 てた日本仏教中興の実現可能性を説いた」。日本のみが仏教の正統を伝えるという自尊になずむのではなく、むしろ遅れをとった日本が追い つかねばならない目標として、中国仏教と禅宗の先進性を強調する観点から、興禅護国を説いたのである。ここには禅の移入が平安時代以来の正統 的な国制イデオロギーとの対抗を必要とした事情が現れている。そのような経過をへた後にはじめて、鎌倉時代の後期、儒学と禅宗を中心にした政 治思想が国家と公武の貴族の間で本格的な議論の対象となる時代がやってきたのである。そこには、東アジアにおけるモンゴルの勃興という国際情勢と、それに対応する宋学と仏教思想の緊迫した問題意識の影響があったことは明かであり、それによってはじめて状況が突破されたというべきで あろう。このような事情を具体的に考慮しながら、世界史的な時代区分のタイムラグについて考えをつめていくことが必要であると考える。

2014年4月 6日 (日)

エヴァ・ホフマンさんと崔善愛さんの対話会

 いま総武線のなか。池袋のジュンク堂でエヴァ・ホフマンさんと崔善愛さんの対話会があって、連れ合いと一緒に参加し、その帰りである。崔善愛さんの間近の席であった。
 たいへんに面白かった。楽しかった。

 エヴァ・ホフマンさんは1945年、ポーランド領ウクライナで生まれたが、生まれた村の人々はナチスにほぼ全員殺害されたが、ご両親と妹とともに、奇跡的に助かり、13歳頃までポーランドのクラフクで育ち、父親の判断で1960年にカナダへ移住。ニューヨークタイムズの編集者の後、その祖国喪失の経験とご両親のホロコースト経験をつめていき『Lost in Translation: A Life in a New Language』で作家・評論家として活動。

 崔さんは、在日韓国人のカソリックの牧師さんの家庭で育ち、ピアニストとして音大へ。ご両親とともに指紋押捺拒否の動きをしながら、アメリカ留学を決意し、アメリカでショパンの手紙を読み、ショパンの音楽の奥底にある社会的・政治的意思に驚嘆して、それを支えとしてピアニストとしての道を歩んできたという方。私は崔さんの本を愛読しており、そのCD「ザル」もよく聞くので、間近にすわれたのは楽しい経験。

 ホフマンさんも、クラクフではピアニストとしての本格的な訓練をしたということで、お二人の共通する話題のショパンの話、そして言語喪失、二つの文化のなかでの孤独あるいは、地盤喪失の問題が重なり合った対話となった。たいへんに濃密な話で共感するところが多かった。音楽と言語という話なので、これは良質の「哲学」の話のように聞いていた。
 崔さんは日本語、ホフマンさんは英語、通訳を早川さんがされる。ホフマンさんの英語は分かりやすく、我々でもほとんどわかると二人で喜んでいた。

 行きの電車では早川敦子さんの『世界文学を継ぐ者たち』(集英社新書)を半分ほど読みながらきた。ホロコーストが欧米の文学に何をもたらしたかという話であった。ヴァージニア・ウルフからはじまる説明を納得しながら読む。
 いわゆるカルチュラルスタディーズの研究に属する。歴史学にとってはカルチュラルスタディーズから言語論的転回へというのは簡単には了解できない問題である。けれども、途中まで読んでみて、カルチュラルスタディーズというものの背後にあるもっとも良質のものが何であるのかがよく分かったようにも思う。この本によって、ホロコーストの問題が現代文学に深い根を下ろし、そこから歴史を問う文学と思想の営みのなかで生まれた動きであることがよくわかった。


 以上は昨年11月5日の崔さんとホフマンさんの対談を聞いて書いたもの。御二人の対談がユーチューブに乗っているのを発見して、みて、メモをPCから呼び出した。
 
 私は前近代の歴史学を専攻しているので、直接に、このレヴェルの問題にかかわることはできないが、しかし、太平洋戦争の問題は、前近代史の研究にも直接に関わってくるところが多々ある。
 いま、興味があるのは、第二次世界大戦前に行われた人類学・先史学の東南アジア研究をどう考えるかである。そういうことで必要があって、『フィリピン民族誌』(アルフレッド・L・クローバー著作、三品彰英・横田健一訳)を入手した。

 神話論をやっていて、三品彰英氏の論文をよむことがふえた。いまでも考古学では、銅鐸については地霊の祭祀であるといい、それに対して前方後円墳は天的な祭祀であるというが、それを最初にいいだしたのは三品である。

 三品は、神話学の中では、松村武雄に次いで大きな仕事をした研究者である。ただ、そのエネルギーの相当部分が朝鮮史の研究に捧げられていたのが、神話学一本で通した松村とは違うかもしれない。そして、三品は朝鮮史家としては、いわゆる「日鮮同祖論」の展開に責任のある学者であった。山尾幸久氏は、戦後派歴史学の限界は、一九四〇年に出版された三品の『朝鮮史概説』の徹底的な批判から出発できなかったことにあるとまでいっている。

 三品彰英は戦前の京大の西田直二郎門下であって、その仕事は、まさに戦前のアカデミズムがどういう環境の中で仕事をやったかということを考える上ではどうしても検討をさけることができない人のようである。前近代史の研究者が戦争のことを正確に考えるためには学史の検討をもう一度やらなければならないと思う。

 しかし、この『フィリピン民族誌』の「あとがき」で驚くのは、三品がアメリカに留学したとき、この『フィリピン民族誌』の著者、アルフレッド・L・クローバーを師としたということである。彼は『イシ 二つの世界に生きたインディアンの物語』を書いたシオドーラ・クローバの夫、そして、『ゲド戦記』の著者アーシュラ・K・L・グィンの父である。『イシ』は大学時代に読んだが、文化の地盤喪失の話しである。

 三品がアメリカ留学で何を考えたかはわからない。すでに戦争の体験を研究者がどう受け止めたかを直接に聞くことはできない時代である。
 しかし、第二次世界大戦の前からの学史のなかで、我々が研究をしていることは明らかであり、しかも、日本の帝国的な条件のなかで行われた東南アジア人類学・先史学の調査をふくめて、知的生産の歴史の国際的な網の目のなかで、我々は仕事をやっているのであって、その全体をすべて点検しなおさなければならない。

 そういうことを国籍と音楽にかかわるホフマンさんと崔さんの対談をききながら考えた。ジュンク堂で、対話会が始まる前に、神話論の棚をみたが、ゆまに書房から復刻されている第二次大戦前の神話論のシリーズがあった。東南アジアの神話についての言及が多い。しかし、そこまでは一人で追跡はできない。

2014年4月 4日 (金)

「対談、都知事選挙をめぐって」(河合弘之氏と海渡雄一氏)、『世界』について

 4月に入った。午前中にようやく神話論の基本部分のまとめを終わって、久しぶりに自転車である。神話論に本格的にとり組んで、1年である。ようやく全体がみえてきた。
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 外は春。花見川沿いを走って稲毛の海まで。
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 さて、都知事選挙について、細川前首相が立候補して、反原発候補の票が割れたことについて、いろいろな意見があるようである。今後、日本ではこういうことが増えると思う。政治的な諸問題は山積であり、研究者の世界でも大きな点での一致はあるとしても具体的な判断となると懸隔が広い。

 私は、日弁連の前会長、宇都宮氏の選挙の仕方は重要だと感じた。残念な結果にはなったが、首長選挙への立候補者のあり方としては引き継ぐべきあり方であると思う。宇都宮氏は早くから弁護士として貧困問題にとり組んでおり、たしか反貧困ネットの代表であったと思う。若いアクティブな人たちから強い支持をうけているようである。と同時に日弁連の前会長であるというのがいいと思う。

 結局、社会的な問題を解決していくためには、社会運動に生活をかけてフルタイムで活動する人々がいる結社団体や政党が必要である。アランの言い方だと、これが市民社会の保証であるという訳である。しかし、その上で、さらに(1)専門性をもった職能団体の動きと、(2)地域の日常的な住民運動が存在することがどうしても必要である。

 そういう社会的な専門性のネットワークやコミュニティに支持される人が、社会運動団体を代表して候補者となって、選挙によって首長の職につくということが理想的だと思う。国会の場合は政党なしには無理であるが、地方自治体の首長の場合は、それが自然であり、可能である。社会はそれによってしか変わっていかない。職業のネットワークと地域のコミュニティ、社会のアソシエーション、社会の連帯、連携の上にたって、しかし結局一人一票で全体の動きが決まっていくという雰囲気に進まざるをえないはずである。

  
 しかし、問題は、政治・社会運動と職能団体、地域団体の関係である。それは十分に整理して考えておくべきことだと思う。

 先日、京都からの帰りに買って『世界』(4月号)の都知事選についての記事を読んだ。とくに「都知事選挙をめぐって」という河合弘之氏と海渡雄一氏という弁護士同士の対談を読んで考えることが多かった。
 『世界』編集部が書いた、この対談を説明するリードは次の通り。  


 お二人は長年にわたり弁護士として脱原発運動にかかわってこられ、脱原発弁護団全国連絡会の共同代表をつとめてこられました。そのお二人が今回の 東京都知事選挙では、脱原発を掲げる二人の候補者が立ったことにより、河合さんが細川護煕候補を応援する勝手連の共同代表を、海渡さんが宇都宮健 児候補の選対副本部長をそれぞれつとめられました。脱原発運動の亀裂を心配する声もあります。そこで今日はお二人からお話をうかがいます。


 つまり、この対談は、これまで法曹界の中枢で原発に反対する住民訴訟を中心的に担っていた二人の弁護士が、今回の都知事選への前首相・細川氏の立候補への対応で、意見が異なり、それが脱原発運動の亀裂をもたらすのではないかという危惧もあってもたれたということであるようである。

 驚いたのは、法曹界のなかで、直接に政治的な判断だとか、相談だとかが行われていて、それが事態に大きく影響したということ自体である。

 つまり、河合弁護士が細川前首相・小泉前首相コンビの立候補の意思を知って、海渡弁護士に電話をして、宇都宮氏は降りるべきではないかといい、さらに1月15日に海渡弁護士に「脱原発勢力は鎌田慧さんが細川支持でまとめる。あなたの立場はわかるが、あなたの将来を心配している」というメールをしたということである。ようするに、「脱原発勢力は鎌田慧さんが細川支持でまとめ」、法曹界の関係者は河合弁護士がまとめるということである。

 こういうことには違和感がある。
 もちろん、御二人の議論は率直なもので読んでいても面白い。必要な議論なのだろうとも思う。河合弁護士の意見は「勝とうとする以上は、勝つ見込みがある候補に絞ろうとするのは戦略上、やっぱり当然だと思う」ということである。そういう意見はありうるだろう。

 しかし、いくらなんでもすでに立候補した候補に対して立候補辞退をいうのは、職業的な立場をこえて「政治」にかかわりすぎであるように思う。弁護士は、そこまでは政治にかかわらない方がよいのではないか。もちろん、市民として選挙運動をするのは自由であり、たとえば海渡さんのように日弁連の会長にいた宇都宮氏を事務局長として支えた続きのようにして選挙対策本部に入るということはあるだろう。そして、河合氏が同じように細川氏の選挙対策本部に入るということはあるだろう。それは個々人の意思であり、自由である。しかし、経過のなかで異なる候補者を押した場合、どちらかに辞退するようにいうなどというのは職能的な範囲をこえて政治的に動くということのように思う。

 しかも、鎌田慧氏や河合氏は細川陣営として責任ある立場にいた訳ではない。勝手連ということであるということである。両組織の公的代表として、正式に統一候補について話しあうということならばあるであろうし、それがたまたま弁護士同士になったということはあるであろう。しかし、それもなしに、弁護士同士の知人関係によって話しをするというのは常識のある行動とは思えない。もし、それで海渡氏が説得されたとしたら、これは公的な問題を弁護しというムラ社会のなかで決めたということになる。そういう話しをすること自身が、厳密にいえばムラ構造の一種であろう。原発の訴訟団の共同代表の関係にいるというのも、あくまでも主体は原告自身のはずであり、弁護士は専門家・実務家としての代弁者である。真の意味での運動の当事者ではないということはわかっているはずである。

 現在の政治状況では弁護士のような見通しのきく立場にいる人に、いろいろな判断が要請されるということはあると思う。そこでともかくも「善意」で行動したということもわかる。それにしても、やはり、こういうムラ的な構造は、政治・社会運動と職能集団との関係としてはまずいのではないか。こういうことをいうのは、河合氏への批判ではなく。研究者・知識人の行動のあり方の問題として、ここには考えておくべき問題があると思うからである。こういうレヴェルで感じ方を共有することは大事だと思う。


 私は、ドイツのようにすぐに日本の支配的な政治家が原発の廃絶にむかって動くとは考えられない。原発の推進は、アメリカの意思、そして経団連と財界の強い意志という体制によって強力に支えられている問題である。そして独占的な利益に目がくらんで愚劣の基礎の上に展開した無責任構造である。これを突破するのは並大抵のことではない。ドイツではチェルノブイリ以降、長期にわたる反原発運動があり、自然エネルギーにむけての実際の前進があり、その上での決断である。この号の『世界』の記事だと「オーストリアの原子力へのノー」を参照されたい。オーストリアでは1978年の国民投票で原発推進が止まったのである。30年前。チェルノブイリの7年前である。
 私見では、そもそも日本の支配的政党は自立的な判断をする賢さをもっていない。ドイツの政治は、ともかく民族の内部で自立的に判断をし、議論をする力をもっており、財界もそれだけの見識を蓄積してきている。

 もちろん、細川氏や小泉氏が原発をやめるという意見をいい、そう行動しようとしたことはよいことである、これは常識で考えれば、従来のようにはやってられないということが誰でも分かるはずであるということである。しかし、細川氏は、選挙告示をすぎてもしかるべき公約すら発表しなかった。これは失態である。失態はだれでもあろうが、前首相がやることとは思えない。こういう動き方では、原発からの撤退ということが、どれだけ困難なことかを十分に認識していたとは思えない。

 とくに、小泉氏は首相のときに、原発の推進にも明瞭な責任のある人物である。政治家としての見識というものは、考え方の一貫性であり、剛直さであり、間違ったら間違ったということを潔く認め、過去の間違いを率直に反省することだ。それができない人間でも、原発推進の側にいたのがまずかったと思い、それを発言することはよいことではある。しかし、本当の意味での真剣さがあり、成熟した社会人であると思ってほしかったら、今後の行動でそれを示してもらうほかない。国民は個人としてはまったく対等平等である。前首相であるからといってなんの特権も説得性もない。


 私のような学者は、社会運動に部分的に参加したり、協力したりするのが限度である。政治や政策、政党の支持は当然にあり、思想信条の自由は当然のことであるが、しかし、政治の上での妥協だとか、連合だとか、具体的な動き方だとかは、学者の発言するべきことではない。私はそれが当然だと思う。そういうことをやれば、それは学者や弁護士や評論家という職能によってえている社会的地位や諸条件を別の形で利用するということで、私などからみると、一種の地位利用であるようにみえる。
 私たちは政治の専門家ではないので、個々の局面での政治的な責任はとれないことを覚悟するべきであると思う。それは、弁護士にしろ、ジャーナリストにしろ、小説家にしろ、評論家にしろ、基本的には同じことではないだろうか。職業と政治は違う。だから私たちは何よりも虚心になって、自分の仕事を通じて社会的な責務を果たしていくほかない。おのおのの学術や専門性を通じてすこしでも説得力を高め、そして隣接する分野との連携をつよめて意思ある人々の間で相互に議論しつつ総合性を高めていくほかない。そこに集中し、同じ職業の間、そして異なる分野間相互に信頼しあうルートをつけていくのが絶対的な近道である。それは下から支えていくことしかできないが、しかし、都合のいい短絡経路は存在しないと思う。

 なおもう一つ、河合氏の発言で気になった点。「細川氏が小泉人気を背景にしてブームを起こして勝しかない。保守と革新が一体になって脱原発へ進んでいく第一歩にしたい」という発言である。私は、「保守と革新」という考え方をしない。日本社会には「保守勢力」らしい保守勢力がいなくなってしまった。そもそも民族的な大局的利害、長期的利害というものを考える力が非常に弱くなっているのではないだろうか。さらにいえば、小泉氏は保守というにたる人物であろうかということである。

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