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2014年4月 6日 (日)

エヴァ・ホフマンさんと崔善愛さんの対話会

 いま総武線のなか。池袋のジュンク堂でエヴァ・ホフマンさんと崔善愛さんの対話会があって、連れ合いと一緒に参加し、その帰りである。崔善愛さんの間近の席であった。
 たいへんに面白かった。楽しかった。

 エヴァ・ホフマンさんは1945年、ポーランド領ウクライナで生まれたが、生まれた村の人々はナチスにほぼ全員殺害されたが、ご両親と妹とともに、奇跡的に助かり、13歳頃までポーランドのクラフクで育ち、父親の判断で1960年にカナダへ移住。ニューヨークタイムズの編集者の後、その祖国喪失の経験とご両親のホロコースト経験をつめていき『Lost in Translation: A Life in a New Language』で作家・評論家として活動。

 崔さんは、在日韓国人のカソリックの牧師さんの家庭で育ち、ピアニストとして音大へ。ご両親とともに指紋押捺拒否の動きをしながら、アメリカ留学を決意し、アメリカでショパンの手紙を読み、ショパンの音楽の奥底にある社会的・政治的意思に驚嘆して、それを支えとしてピアニストとしての道を歩んできたという方。私は崔さんの本を愛読しており、そのCD「ザル」もよく聞くので、間近にすわれたのは楽しい経験。

 ホフマンさんも、クラクフではピアニストとしての本格的な訓練をしたということで、お二人の共通する話題のショパンの話、そして言語喪失、二つの文化のなかでの孤独あるいは、地盤喪失の問題が重なり合った対話となった。たいへんに濃密な話で共感するところが多かった。音楽と言語という話なので、これは良質の「哲学」の話のように聞いていた。
 崔さんは日本語、ホフマンさんは英語、通訳を早川さんがされる。ホフマンさんの英語は分かりやすく、我々でもほとんどわかると二人で喜んでいた。

 行きの電車では早川敦子さんの『世界文学を継ぐ者たち』(集英社新書)を半分ほど読みながらきた。ホロコーストが欧米の文学に何をもたらしたかという話であった。ヴァージニア・ウルフからはじまる説明を納得しながら読む。
 いわゆるカルチュラルスタディーズの研究に属する。歴史学にとってはカルチュラルスタディーズから言語論的転回へというのは簡単には了解できない問題である。けれども、途中まで読んでみて、カルチュラルスタディーズというものの背後にあるもっとも良質のものが何であるのかがよく分かったようにも思う。この本によって、ホロコーストの問題が現代文学に深い根を下ろし、そこから歴史を問う文学と思想の営みのなかで生まれた動きであることがよくわかった。


 以上は昨年11月5日の崔さんとホフマンさんの対談を聞いて書いたもの。御二人の対談がユーチューブに乗っているのを発見して、みて、メモをPCから呼び出した。
 
 私は前近代の歴史学を専攻しているので、直接に、このレヴェルの問題にかかわることはできないが、しかし、太平洋戦争の問題は、前近代史の研究にも直接に関わってくるところが多々ある。
 いま、興味があるのは、第二次世界大戦前に行われた人類学・先史学の東南アジア研究をどう考えるかである。そういうことで必要があって、『フィリピン民族誌』(アルフレッド・L・クローバー著作、三品彰英・横田健一訳)を入手した。

 神話論をやっていて、三品彰英氏の論文をよむことがふえた。いまでも考古学では、銅鐸については地霊の祭祀であるといい、それに対して前方後円墳は天的な祭祀であるというが、それを最初にいいだしたのは三品である。

 三品は、神話学の中では、松村武雄に次いで大きな仕事をした研究者である。ただ、そのエネルギーの相当部分が朝鮮史の研究に捧げられていたのが、神話学一本で通した松村とは違うかもしれない。そして、三品は朝鮮史家としては、いわゆる「日鮮同祖論」の展開に責任のある学者であった。山尾幸久氏は、戦後派歴史学の限界は、一九四〇年に出版された三品の『朝鮮史概説』の徹底的な批判から出発できなかったことにあるとまでいっている。

 三品彰英は戦前の京大の西田直二郎門下であって、その仕事は、まさに戦前のアカデミズムがどういう環境の中で仕事をやったかということを考える上ではどうしても検討をさけることができない人のようである。前近代史の研究者が戦争のことを正確に考えるためには学史の検討をもう一度やらなければならないと思う。

 しかし、この『フィリピン民族誌』の「あとがき」で驚くのは、三品がアメリカに留学したとき、この『フィリピン民族誌』の著者、アルフレッド・L・クローバーを師としたということである。彼は『イシ 二つの世界に生きたインディアンの物語』を書いたシオドーラ・クローバの夫、そして、『ゲド戦記』の著者アーシュラ・K・L・グィンの父である。『イシ』は大学時代に読んだが、文化の地盤喪失の話しである。

 三品がアメリカ留学で何を考えたかはわからない。すでに戦争の体験を研究者がどう受け止めたかを直接に聞くことはできない時代である。
 しかし、第二次世界大戦の前からの学史のなかで、我々が研究をしていることは明らかであり、しかも、日本の帝国的な条件のなかで行われた東南アジア人類学・先史学の調査をふくめて、知的生産の歴史の国際的な網の目のなかで、我々は仕事をやっているのであって、その全体をすべて点検しなおさなければならない。

 そういうことを国籍と音楽にかかわるホフマンさんと崔さんの対談をききながら考えた。ジュンク堂で、対話会が始まる前に、神話論の棚をみたが、ゆまに書房から復刻されている第二次大戦前の神話論のシリーズがあった。東南アジアの神話についての言及が多い。しかし、そこまでは一人で追跡はできない。

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