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2014年4月24日 (木)

歴史学での論文講読で必要なこと。

 以下、院生にゼミでの報告をする場合に希望する点を書きました。今期はみんなM1なので、こういう話しもしてほしいという感じでした。

 歴史学のゼミでの報告は、一般に論文講読のレポートと史料講読のレポート、そして自己の研究課題のレポートの三種類になります。

 ここでは、論文講読のレポートをどのようにしていただきたいかを書きます。

 内容としては、最低、(1)要約、(2)研究史、(3)批判(残った課題)の三つの内容が必要です。

 (1)要約は必ず必要です。これは第一にゼミの参加者全員が論文内容を共有するためです。そして、第二には、論文についての、報告者の読み方を示すことです。
 論文を分解して、目次を作ることがまず必要になります。これは編別構成を作って論理が通っているかどうかをみる作業ですので、自分で論文を書くときの目次=論文の編別構成を作るときのための事前訓練になります。これを自分のレポートもあわせれば、10回から20回ぐらいはやってみれば論文の書き方が自然に身に付いてくると思います。
 なお、これは本についてもやるべきことで、私は欄外に書いてしまいますが、本当はノートで正確にやらないといけないのでしょう。
 大体、章・節にわけ、その中の要点のメモをし、重要語句をノートしておくという内容になります。


 (2)研究史とは、関係する学史がどうなっているかを報告することです。そして、その論文がどういう点が新しく、どういうように位置づけられるかということを報告することが必要です。
 研究は非常に細かくなっていますが、この研究史のところは大枠での報告、問題を大づかみにした報告が必要です。あまり細かいことを研究史として報告しても有益ではありません。問題を大づかみにとらえる力をきたえるという積もりで考えてほしいと思います。
 また新しい史料をあつかっていたり、新しい史料の読み方がある場合は、ここで報告することになります。
 なお歴史学の場合は、一般に「通説的イメージ」というものがあります。教科書などに書いてあること、あるいは一種の通俗歴史常識として自然に身に付いていることなどですが、これは一般に間違いである(あるいは必ず不十分な点がある)と考えておかなければなりません。学史の検討の際には、ここから出発し、ここに結論をもってくることが望ましいということになります。歴史学は通俗常識と深いところで戦わなければならない学問です。歴史教育の上でも、ここがキーです。


 (3)批判と残った課題は、基本は、論文を読んで論文に書いていないけれども、自分で考えさせられたこと、自分で考え、研究したことを話す部分です。
 まず、論文の論理が通っていないと思えるところ、論証が不十分と思えるところを指摘することが第一です。
 第二は、対象とした論文を点検することによって発見した課題を報告することです。これがもっとも重要なことで、これについて指導教師やゼミの参加者の意見を聞くことができれば一番よいと思います。
 第三は、史料の解釈・読みがおかしいと思えるところを指摘することになります。このためには、論文で使用している史料を、自分で探して、それをよむことが必要になります。研究書や論文を読んで重要な史料解釈は原史料にもどって読み方を確認し、学ぶということになります。研究の初歩段階ではこれがたいへんに重要で、これを古典的著作について行っておくことが必要です。
 もちろん、手当たり次第に、史料を読むというのが歴史学の基本です。学部の頃から史料を読む訓練を系統的にやっていると、どういう史料を読めばよいのかの慣れのようなものがでてくるでしょう。そういう年季仕事はどうしでも必要ですが、必要なのはあくまでも構想力であると考えて走る方が私は好きです。


 なお、ゼミというのは、「研究者対等原則」が支配する場所でなければならないというように、私は私の指導教師にいわれました。私も、原則論としてはそうだろうと思います。研究にとっては仲間が大事ですので、ゼミで自由な討論の訓練をすることによって、仲間との議論の仕方を考えるということになれば一番よいと思います。

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