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2014年5月 1日 (木)

益田勝実と岡田精司――苦しい時の神だのみ

 朝、仕事を始める。
 次の原稿が浮いてしまったので、メモに乗せておく。


 『火山列島の思想』からは、益田がレヴィ・ストロースを益田がどう読んだかがよくわかる。
 「夜」は益田勝実で理解するが、「食国」は岡田精司で理解する。
 
 月神ツキヨミの支配領域が、「夜之食國」(夜のオス国)といわれているのはよく知られている。
 この「夜」の理解については、神話世界では「夜」の意味がきわめて高かったという益田勝実の見解を参照することができる。つまり益田は「幻視は晴れの祭りの庭の心の神秘が生むイメージであり、(中略)時間としては、それは夜に属するものであった」という。

 印象的な記述を引用しておくと、「夜は聖なる半日として一日の最初の部分を占めていたらしい。単なる睡眠の時間ではなかった」として、レヴィ・ストロースの経験にふれ(『悲しき南回帰線』)、ブラジルのボロロ族の集落での夕方から延々と続く相談と呼び出しと、そしてそれが一頻りすんだ後に夜中まで続く舞踏と歌と吟唱に愚痴をこぼすレヴィ・ストロースを「夜行性動物のような未開生活者の生態が昼行性動物と同じような文明生活者を悩ませる」とまとめている。
 
 彼らは翌日は昼頃まで寝ているのであって、その後の狩猟や採取の労働は夜に呪物的に獲得したものを手配通りに処置する付随的な時間であるということになる。そのような「原始的時間構造」が神話世界を作り出すのであって、そこでは夜空と夜の風景が人々の心の深層の真実となるという訳である。益田はこういう消息を次のように語っている。

 「夜の海上を漕ぐ船人たちも、漆黒の空に神の弓矢を、神の櫛を、帯をみて、讃歎する。その眼に映じている三日月や宵の明星(あかぼし)の姿が、ありのままに見えないのではない。横雲は横雲――しかし、同時に、かれらの眼は、そこに神の愛用の美しい帯を現にみてもいる」(『火山列島の思想』)。

 益田は、神話時代の人々の心性には昼の風景を普通に見るだけでなく、つねに明瞭な夜を幻視する「二重構造の視覚」がひそんでいるとするが、私も、神話時代の人々は、夜から夜に続いて、そこで永遠に静止している別世界―「国」というものをというもの直感しえる人々であったに違いないと考える。

 「夜之食國」という言葉については、現在の感覚からすれば、そのような「国」がどこにあるのかと反問することになるかもしれない。しかし、「時の過ぎ去らない」夜の国、時間と空間の観念は明瞭に弁別されない神話的な「国」というものが存在すると考えてよいのである。

 文学として神話を理解するためには益田の仕事。歴史学として神話を理解するためには岡田精司の仕事である。
 月を考えるのには、その原点に戻る必要がある。

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