地震火山観測研究計画の新方針とブループリントの問題点。
歴史学研究会から依頼されて、特集の「3,11からの歴史学」に状況報告をせよということで、私も参加した科学技術学術審議会測地学分科会の次期研究計画検討委員会(主査、末廣潔)の2014年度よりの研究五ヶ年計画「災害の軽減に貢献するための地震火山観測研究計画の推進について(建議)」について書いている。
締め切りを「少し」過ぎているが、建議の内容についての基本のところの下書きができたので、そこだけ御紹介したい。今日中に送らないと。
全体は9月号掲載の予定。是非、御購入ください。
なお、火山噴火予知連絡会の藤井敏嗣会長が、九州電力川内(せんだい)原発の危険性を強調し、この建議には火山噴火の規模や様式は現状では予測不可能であると明記したということも報道されている。この建議は文部科学省HPからとれる。
建議の全体的な特徴は一言でいえば「地震・火山の観測研究計画は、国民の生命と暮らしを守るための災害科学の一部として推進する」という方向転換を明示したことにある。これは当然のことにみえるかもしれないが、地震や噴火が引き起こす自然現象はあくまでも災害の誘因であって、災害の素因は人為的に作られた自然環境や社会環境の脆弱性にあるという災害科学の原則が正確に書き込まれているのが重要である。
これはベン・ワイズナー『防災学原論』(邦訳築地書院、At Risk: Natural hazards,people's vulnerability and disasters再版2003)によるもので、同書は自然現象としてのhazardsと社会現象としてのdisastersを明瞭に区別し、とくに「先進」諸国によって構造的に作られた社会構造の脆弱vulnerability性が開発途上国における災害の決定的な要因をなしていることを明らかにした社会科学書である。これによって災害科学の諸概念と対策指針が国際的に根底から変わったといわれている。災害の「素因」を自然現象に求めてしまうイデオロギー的・文化的な偏見が払拭されていない日本において、これが公的に確認されたということには一定の意味がある。また地震学・火山学をこの意味で「災害科学の一部」とするということは学術的な批判精神を内在的なものととらえる方向を示しており、社会人文科学と協力して社会的な視野のもとに災害を防止する方向にシフトするという意思表明でもあると受け止めるべきものであると思う。
もちろん地震学・火山学にとっては理学的な予測と基礎研究が基本的な位置をもつことはいうまでもないが、従来は、地震予知とは「いつ、どこで、どの規模の地震が起こるか」を予測することだというあまりに災害誘因の理学的予測に片寄った自己意識が一般的であった。これに対して、建議は「理学、工学、人文・社会科学の研究分野の専門知を結集して総合的かつ学際的に研究を進める災害科学においては、むしろ『前もって認知し、災害に備える』ことを幅広く捉えて『予知』という言葉を用いる方が妥当である」とし、「予知」の概念を「災害予知」(「災害の姿を予め知る」)に拡張した。従来の図式はいわゆる地震予知研究のブルー・プリントによるもので(「地震予知―現状とその推進計画」、萩原尊礼など有志グループ作成、1962年)、これが地震予知研究計画の出発や、大規模地震対策特別措置法(1978年)の前提となっていた。しかし、実際にこの文書を読めば一目瞭然のように、その視野はあまりに狭く、現実社会の脆弱性に対する見方が甘く、まさに青写真主義といわざるをえないものである。これに対して、建議は、予知という言葉を社会的な予知を含むものとして捉え直し、その立場から、歴史的・地理的・文化的な認識や社会工学、さらには防災行政の改善などを前提とする「災害の予知」という立場をとったのである。
これは3,11の後に一次議論となった「予知」という言葉についての地震・火山学界の公的な回答であると考えることができるものである。地震火山列島で活動する自然科学・工学・社会人文科学の研究者たちは、この問題提起に答え、「国民の生命と暮らしを守るための災害科学の一部として推進」される「地震・火山の観測研究」に協力することを公的な責務と考えなければならないと思う。
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