BLOGOS

著書

twitter

講演・取材依頼

  • アドレスmihotateあっとまーくkk.alumni.u-tokyo.ac.jp

公開・ダウンロード可能論文

2018年12月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ

« ゴキブリの語源と鉢かづき姫 | トップページ | 日吉大社、牛尾山紀行(1) »

2014年7月 5日 (土)

エヴァ・ホフマンさんと崔善愛さんの対話会

 いま総武線のなか。池袋のジュンク堂でエヴァ・ホフマンさんと崔善愛さんの対話会があって、連れ合いと一緒に参加し、その帰りである。崔善愛さんの間近の席であった。
 たいへんに面白かった。楽しかった。

 エヴァ・ホフマンさんは1945年、ポーランド領ウクライナで生まれたが、生まれた村の人々はナチスにほぼ全員殺害されたが、ご両親と妹とともに、奇跡的に助かり、13歳頃までポーランドのクラフクで育ち、父親の判断で1960年にカナダへ移住。ニューヨークタイムズの編集者の後、その祖国喪失の経験とご両親のホロコースト経験をつめていき『Lost in Translation: A Life in a New Language』で作家・評論家として活動。

 崔さんは、在日韓国人のカソリックの牧師さんの家庭で育ち、ピアニストとして音大へ。ご両親とともに指紋押捺拒否の動きをしながら、アメリカ留学を決意し、アメリカでショパンの手紙を読み、ショパンの音楽の奥底にある社会的・政治的意思に驚嘆して、それを支えとしてピアニストとしての道を歩んできたという方。私は崔さんの本を愛読しており、そのCD「ザル」もよく聞くので、間近にすわれたのは楽しい経験。

 ホフマンさんも、クラクフではピアニストとしての本格的な訓練をしたということで、お二人の共通する話題のショパンの話、そして言語喪失、二つの文化のなかでの孤独あるいは、地盤喪失の問題が重なり合った対話となった。たいへんに濃密な話で共感するところが多かった。音楽と言語という話なので、これは良質の「哲学」の話のように聞いていた。
 崔さんは日本語、ホフマンさんは英語、通訳を早川さんがされる。ホフマンさんの英語は分かりやすく、我々でもほとんどわかると二人で喜んでいた。

 行きの電車では早川敦子さんの『世界文学を継ぐ者たち』(集英社新書)を半分ほど読みながらきた。ホロコーストが欧米の文学に何をもたらしたかという話であった。ヴァージニア・ウルフからはじまる説明を納得しながら読む。

 いわゆるカルチュラルスタディーズの研究に属する。歴史学にとってはカルチュラルスタディーズから言語論的転回へというのは簡単には了解できない問題である。けれども、途中まで読んでみて、カルチュラルスタディーズというものの背後にあるもっとも良質のものが何であるのかがよく分かったようにも思う。少なくとも、この本によって、ホロコーストの問題が現代文学に深い根を下ろし、そこから歴史を問う文学と思想の営みがあることがよくわかる。

 私は前近代の歴史学を専攻しているので、直接に、このレヴェルの問題にかかわることはできないが、しかし、太平洋戦争の問題は、前近代史の研究にも直接に関わってくるところが多々ある。いま、興味があるのは、第二次世界大戦前に行われた人類学・先史学の東南アジア研究をどう考えるかである。ジュンク堂で、対話会が始まる前に、神話論の棚をみたが、ゆまに書房から復刻されている第二次大戦前の神話論のシリーズをぱらぱらみる。東南アジアの神話についての言及が多い。

 さて、この関係で、驚いたことを一つ、報告。三品の名前は、現在ではあまり知られていないかもしれないが、神話学の中では、松村武雄に次いで大きな仕事をした研究者である。ただ、そのエネルギーの相当部分が朝鮮史の研究に捧げられていたのが、神話学一本で通した松村とは違うかもしれない。そして、三品は朝鮮史家としては、いわゆる「日鮮同祖論」の展開に責任のある学者であった。山尾幸久が戦後派歴史学の限界は、一九四〇年に出版された三品の『朝鮮史概説』の徹底的な批判から出発できなかったことにあるとまでいっているように、その仕事を継承するためには、東アジアとの関係でのさまざまなニュアンスをもった問題を詰めて考えておく必要があるような、重たい位置をもった研究者であるということができる(『古代王権の原像』)。
 しかし、私は、三品の初心それ自身は、やはり神話学にあったと思う。とくに興味深いのは、三品がアメリカに留学したときに、アメリカの人類学者アルフレッド・L・クローバーを師としたということである。三品はクローバーの著書『フィリピン民族誌』を翻訳をしている(横田健一と共訳)。先日、この訳書を古本で買うことができた(安い)。三品の時代的限界はあるのではあろうが、その視野はきわめて広かったように思われるのである。
 
 以上は、もう二・三ヶ月まえに書いたのだが、そのままになっていた。
 クローバーは『ゲド戦記』の著者アーシュラ・K・L・グィンの父にあたるが、これも先日、ルグィンの老子の翻訳を読んでいたら、彼女は、幼いときから父のもっていた老子を読んでいたとある。そして、その翻訳はポール・ケーラスのものであるということで本当に驚いた。鈴木大拙のアメリカでの協働者である。

« ゴキブリの語源と鉢かづき姫 | トップページ | 日吉大社、牛尾山紀行(1) »

文学」カテゴリの記事