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2014年7月15日 (火)

金曜日の集会

 今日は学芸大で授業のあと、旧職場によって仕事の手伝いをし、「いのちの碑」(三重県の津波碑悉皆調査)を旧職場周辺で売ってもらう分をSさんに20部あづけ、T・Y・S・E・K・I君ととちょうどあった滋賀のUくんにもかってもらう(これは備忘メモ)。

 その後に、久しぶりに金曜日の国会前の6時からの反原発の集会にいった。集会といっても国会前の道のところに二列くらいで並んで、いろいろ叫んでいるだけであるが、今日は大飯原発の訴訟団の代表の人と弁護団の人がきていて、話していた。大飯原発の訴訟の代表は、小浜の明通寺の御住職がやられておられる。明通寺には貴重な古文書があり、私も読んだ。そしてもう30年以上前に明通寺にうかがい、お寺の方に御挨拶はしたわけだが、その時から長い時間が流れた。

 友人のN氏にばったり。その友人の若いSさんにはじめて会い挨拶。さらにおどろいたのは、大学院時代の友人のSさんに本当に久しぶりにあったこと。我々の大学院の時代は奨学金のプール制というのをやっていて、ちょうど、先日、最終の帳尻会わせをやるので、メールで連絡をとりあった。本当の偶然で、直接、御迷惑をおかけしましたということがいえた。彼女は以前とほとんど変わらず、元気そう。国会までいって抗議をしてくるなどという行動をする人々の相当部分は、前からそう考えていた人なのだと思う。もちろん、もう四〇年前なのだから、時代は大きく変わったが、しかし、同じメンバーで同じようなことをやり続けているという側面もあるのだろうと思う。「おけさ」ほど広まらない訳ではあるが。
 ようするに計3人の知人にあったということである。私は7時30分で失礼。いまちょうど8時でもう総武線のなかである。
 
 N氏といろいろ話す。
 原発は本当に困ったことである。これが困ったことであるということは自明のことなのであるが、私のような立場だと、全体としては大学が共犯状態なのがとくに困ったことで、申し訳ないことである。
 学術世界なのだから、事実を正面からみつめ、学部を越えて議論をし、おかしなことはおかしいといわなければならない。大学は学術コミュニティなのだから、執行部に関係するものはそういう立場で議論をし、必要な意思表明をしなければならないはずである。しかし、そういうことにならない。これは大学の役所化、通俗化という事態とともに進んでいる。そして、それとはある程度つき合うことも、学術分野を維持するための必要な処世の仕方としてやむをえない部分があるのも事実である。しかし、これはシジフォスの労働であり、そのなかからは学問の発展はでてこない。これは学問論にとってきわめて大事な問題であると思う。
 これは結局のところ知識と知識層のあり方がここ40年ほどで大きく変わったということなのだと思う。
 今月号の『世界』にノーム・チョムスキーのインタビュー記事がのっていた。ようするに我々の世代が考えていた「知識人」というものは存在しない。知識世界に関係しているものは基本的にシステムを中心的に支える人々となっている。ということである。私たちの世代はインテリゲンチャは社会的な責任をもって行動するという考え方が生きていた最後の世代なのかもしれない。そういうものは幻想であるというのはその通りであると思う。
 結局のところこの問題は知識労働あるいは精神労働というものが「労働」になったということに関係している。しかも情報化を条件として学術活動も、相当部分が労働となったということである。もちろん、人文社会科学では、依然として自己の研究と教育を統合して相当の余裕をもって研究が行われることもある。しかし学術活動の全体はどうみてもシステム化され、細分化されて労働化している。そこでは「働きがいがある」「知的労働である」ということそれ自体が特権としてあらわれる。この知的労働の階層性が強い精神束縛性をもつのだと思う。つまり、精神労働ということになると、それを「自分で努力して獲得した、きれいな仕事」と考えて自己を差異化するというシステムが動き出す。これが経済的な意味での特権や優遇であった場合は、自己の特権性への自省が働く、しかし、努力をしても別に経済的な特権性が顕著である訳ではなく、(少なくとも経過的には)自己の労働は部品的な労働であるという状態だと、一九世紀から二〇世紀半ばまでのインテリゲンチャ論では勝負ができなくなる。知識労働も商品化、部品化をとげていて、その一部をなしている人にとって、異なる職種への想像力が働かなくなる訳である。異なる職種の日常性への想像力も働かなくて、歴史的過去への想像力が働く訳はない。
 これをどう考えるか、知識層の労働者化を悲観的にのみ考えるのか、新しい条件の登場であると考えるのかが分かれ道である。私はあとの方の考え方をとるので、自分の不真面目さと駄目さ加減はよく知っているものの、これはもう労働ということを通じて、労働ということを信じて、その先に労働によって獲得された世界の総合性と全体性があるのだというように考えて進んでいくほかないということである。ヘーゲルのいうように、もっとも人間的な苦闘としての労働である。
 これは先が見えないということである。先は簡単にはみえない、社会の状態も誰でも先がみえる訳ではないということを前提にして働き、仕事をしようということである。これは「戦後派歴史学」の誇り高き先輩達と自分のことを考えれば、そしてやってきた仕事の仕方を比べれば一目瞭然である。
 
 上記は5月23日のメモ。
 
 いま、7月五日。久しぶりに新幹線のなか、何人かの研究仲間との研究会で西へ。

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