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2014年9月23日 (火)

110 歴史地震研究会報告予稿ジャパネシアの神話と地震・噴火

ジャパネシアの神話と地震・噴火
保立道久

§1. はじめに
日本の神話のなかに地震・火山神話があることについては,はやく小川琢治『支那歴史地理研究』や寺田寅彦「神話と地球物理学」などで指摘されていたが,歴史学・神話学の側ではほとんど論及されることがなかった.この問題は地震の理学研究に直接に資することは少ないが,列島の地殻を人々がどう認知していたかという一般論のレヴェルでは重要な作業であると考える.またギリシャ神話のポセイドンが海神であるとともに地震神であることはスサノヲと同じであるなど,神話学にとってはきわめて重要な問題である.

私は,このような観点で『かぐや姫と王権神話』(洋泉社新書),『歴史のなかの大地動乱』(岩波新書)で地震火山神話の概略について述べてきた.とくにスサノヲが京都祇園社にいるという観念が長く続いたことは,祇園会の位置もふくめ日本の歴史文化にとって重要な問題であると考えている.

§2. 1096年東海地震から1099年南海地震
今回は,そのような見方が,地震史料の読みを豊かにする上で意味があることを,上記の南海トラフ地震に関係する史料によって述べる.

1096年の東海地震は,数年前から地震が一定の頻度で続き,疫病の流行などもあって社会不安が蓄積するなかで発生した.比叡・春日の神人などの嗷訴が初めて行われた時期でもある.春日神木の動座には,1093年5月の奈良春日山の鳴動を神意とみた神人の動きがあった.この『扶桑略記』記載の鳴動は.,『大日本地震史料』不採だが,「山谷屡響」とあり,実地震であった可能性がある.

1095年10月には比叡山の最初の神輿動座が続いたが,それに対して,関白師通が神輿を射させ,これが翌年の祇園祭を熱狂的なものとした.『源平盛衰記』(巻四)は,怒った叡山の衆徒が近江坂本の日吉社の神体山,牛尾山山頂の八王子社の前で師通に対して「鏑矢一つ放ち給へ」と祈祷をしたところ,「御神殿より鏑箭鳴り出でゝ,王城を指して鳴行」き,関白が鏑矢の音を聞き,「比叡の大嶽頽れ割けて御身にかゝる」という夢をみたという噂を伝えている.関白の命は,母の麗子の祈祷によって三年ほど猶予されたが,結局,寿命が尽き,1099年1月の南海地震の直後,2月から「風気」を発して調子を崩し,3月に発病し,6月に死去した.そして師通の死後,牛尾山山頂に立つ八王子宮と三宮の神殿の間にある盤石の下に師通の魂が籠め置かれ,雨の夜には石に押されて苦悶の声が聞こえるという物語の運びとなる.

牛尾山は標高380m,いわゆる神隠型の山であって,山頂には巨大な磐座が存在する.『古事記』は,この牛尾山には地震神オオナムチと同体の大物主神が鎮座しているとし,さらにこの神は「鳴鏑もつ神」であるとしている.師通は『古事記』以来の伝統のある地震神の「鏑矢」にやられたということになる.比叡山と祇園の間に本末関係があることはいうまでもないから,ここには日吉神社(オオナムチ)ー祇園(スサノヲ)という地霊・地震神の神観念が動いたのであろう.これが東海地震と南海地震のあいだの3年を意味づける形で語られていることが興味深い.

§3. 『平家物語』と1245年地震
『源平盛衰記』をふくむ『平家物語』の諸本には、その他、地震神を龍体であると語っている部分もあり、神話的な地震のイメージを語っていることが注意される.『平家』延慶本にも,1179年地震の直前に陰陽頭安倍泰親が院に参上して地震の危険を泣訴したが,その通りにこの地震が巨大で長く続き,鳴動が列島全域に波及したという独自の記事がある.私はこの時の地震が政治情勢に大きな影響をあたえたことから考えて,この地震が南海トラフ地震ではないか,『平家物語』諸本のうちでも原初の形に近いといわれる延慶本の記載をまったくの虚偽であるとは考えにくいとしたことがある(「平安時代末期の地震と龍神信仰」2012,『歴史評論』750号).

しかし,『平経高記』1245年7月29日条に『平家』に酷似した泰親の泣訴についての記述があるのを発見した.重要なのは,この記事が南海トラフ地震である可能性が指摘されている三日前の大地震(石橋克彦『南海トラフ大地震』)に関係して書かれていることである.『平家』が形を整えるのは,このころのことであるから,あるいは,実際に巨大であった1245年地震の印象が逆に『平家』の1179年地震のイメージに反映したということがあるのかもしれない.

§3.おわりに
以上,少なくとも『平家』の作者が地震とその神話的観念に対して強い関心をもっていた様子だけは明らかにすることができたであろう.神話や物語史料が,これまで歴史地震研究の対象になったことは少ない.それらは地震の理学的研究による論証が終わった後に、はじめて使用できるものなのかもしれない.しかし,史料としては興味深いものも多く、歴史学の立場からは是非模索を続けてみたいと考えている.
なお,論題に「ジャパネシア」という用語を使用したのは,神話論研究の上でも列島の地殻災害史を考えるためにも,インドネシアから列なる群島としての日本という見方が必要であると考えるためである.

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