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2014年9月 4日 (木)

両口屋是清さんの宣伝雑誌に書いたもの。

 
Ryougutiya
  両口屋是清さんの雑誌『いとおかし』に書いたもの。きれいな小冊子である。
 月と太陽の暦製作室代表の志賀勝という方も書かれていて、「後の十三夜」という記事。今年は旧暦だと閏九月がある年で、後の十三夜があるので楽しみにしているとのこと。専門家の視点はさすがである。
 私はあわただしい秋になりそうで、若干、まいっている。

 「お月さんで兔がお餅をついている」という子どもへの語り口は、日本の文化のなかでも、ぜひ残したいものだと思う。もちろん、これは月の仙女たちの主人――西王母が兔に不死の仙薬を搗かせたという中国の神仙思想の影響をうけた物語である。しかし西王母の像が古墳時代の三角縁神獣鏡に刻まれていることでもわかるように、本当に古くから、この国でも親しまれた物語であって、日本の月の穏和なイメージにとって欠くことができないものである。

 かぐや姫は天に去る直前になって「いまはとて天の羽衣着るおりぞ 君をあはれと思ひ出でける」という歌を書き、その文とともに「不死の薬」を天皇に残す。最初はつれなかった天女が最後に少しの慕情をみせるという『竹取物語』のクライマクスである。しかし、御門は地上の王の矜持をみせ、薬を呑んで女を天に追っていくという態度をとらず、「不死の薬の文、壺具して」(姫の手紙と壺を一緒に)、富士の高嶺にもっていかせ、天に焼き上げた。

 この部分は従来は「不死の薬に、又壺具して」と翻刻されていたが、先年、『かぐや姫と王権神話』という新書を書いたときに、「又」は「文」であろう、そして「に」(尓)と「の」(乃)の変体仮名は誤写の可能性があると考えて、末尾につけた『竹取物語』の全文翻刻では上記のように改めた。そのときあれこれ考えるなかで、この「不死の薬」というものはどういう味のであろうと考えたことを憶えている。おそらく甘い味なのであろう。

 『竹取物語』は王の脅しに屈せず、しかも王を恋着の虜にしてしまう可憐で誇り高い女性を描いた、いまから一〇〇〇年以上も昔に描かれた物語である。現代的にいえば、はっとするようなフェミニズムの思想がそこには流れている。
 昨日は法事があって、田舎のなつかしい従姉妹たちにあったが、やはり誇り高い彼女たちも甘い菓子が好きで、土産にもらったそれらを食しながら、この文章を書いている。

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