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2014年9月15日 (月)

京都、天神を祭る人々

Kitano


 先週は京都で4日ほどの調査を終えた。歓待をいただく。
 今帰りの総武線のなかである。新幹線では眠りこけた。

 過去の仕事に点検をうけているような出張調査であった。歴史史料の扱いというのは無限の手間を必要とすることである。仕事を離れているので、その実感から離れているから、こういう機会は大事にするべきものなのであろうと思う。

 しかし、なぜ、こういう仕事にもっと人手がないのであろう。ということを、もう一度感じる。地震史料の蒐集事業の話もあった。

 歴史の史料というものは共有のものである。つまり、それは過去に属するものであって、過去をふり返ることができるということが、人に自信をあたえ、そしてそれによって自分を尊重することができ、他者を尊重することが可能となるということである。これはもっぱら個人の生活と人格に関わることのようであるが、しかし、それは集団となっても同じことであるように思う。民族と民族の関係も普通の私人と私人の関係を律する常識や友情にそったものでなければならないというのは、たしかポーランド問題にふれてエンゲルスがいっていたことであるが、彼にかぎらず、19世紀ヨーロッパで生まれた言葉なのであろう。

 人類あるいは人間社会というものが、私人と私人の常識や友情以外の事情によって左右されない。独占や強欲や自恣というようなコンプレクスなしに、社会が透明になっていくということ。逆にいえば不透明の部分は私人、あるいは私人同士の心の闇と闇の関係のなかに潜められること。

 そういう意味で集団が個人化することが重大なのであろうと思う。個人が集団化すると同時に集団が個人化していかなければ、それは全体主義である。集団自身が透明な個人相互の関係に還元されることによって、集団の「代表」というものが単純で交替的な関係になっていき、それでも集団が維持できるということが、社会の夢であるはずである。人の集団の歩む歴史という曖昧なもののように思われるが、しかし、こういう中で歴史自体が透明化していく。そこに現れるのは圧倒的な過去と無限の未来である。その全体を直覚的に感じながら現在に集中する。

 出張では、また神祇・神社ということを考える。考えさせられる機会をいただく。
 神祇や神社というものは、本来、日本の社会のハレの風景であって、その意味ではもっとも楽しく明るいものであったはずのものであろうと思う。ハレ=儀式ということではないはずである。もちろん、いまでも「祭り」は、この国でもっとも明るいものである。その芯のなかに歴史学は入っていかなければならない。

 黒田俊雄の顕密体制論がいうように、本来の日本の神社は、いわば寺院に付属した宗教の世俗部門である。しかし、世俗部門であるということは、他方で、民衆生活に無限に近い明るさのなかにいるということであろうと思う。黒田の議論も、もちろん、それをふまえているが、その具体までには踏み込んでいない。戦後派歴史学の重深部の建設者である黒田、そして網野善彦が残した最大の問題は神祇であろうというのが、10年ほど前からの考え方。網野的にいえば、神祇=忌み=無縁ということになるのではないのだろうか。明るさというのは、忌みからの解放の明るさである。

 トップにかかげた写真集は、帰宅したら届いていたもの。ありがたい。上記のようなことを考えることが多いので、三枝さんの文章の意味がよくわかる。北野の祭りの明るさが印象的である。
 宮本常一の『民俗のふるさと』には「人は、その共感を持ちうるものによって社会を形成することが一番平和であり、安心できた」とあるが、そういう世界である。

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