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2014年10月29日 (水)

網野さんと「進歩」について

 網野善彦さんがなくなってから10年になる。昨日、網野善彦さんについての座談会にでた。一昨日が病院で時間がなく、頭もまとまらず、しかも出がけに作っておいたメモを自宅においてでてきて、彼女に後をおっかけてきてもらうという体たらくで、どうしようもない。
 しかし、ともかく語り合ってよい経験をした。

 考えたのは「網野さんと『進歩』について」ということであった。網野さんはいわゆる進歩という用語は拒否される。もちろん、どこかでいわれているように、それと「真の進歩」を区別するという点では古典的な御考えであるが、しかし、これは歴史像の問題としては、たとえば大化改新、鎌倉幕府成立、織豊政権、明治維新などを「進歩」といってしまうことに対する拒否であろうと思い至った。とくに意外と網野さんにとって大きかったのは「明治維新」を進歩とみる考え方で、マリクレールでの中沢新一氏との対談では「明治の権力と江戸の権力は表面的には非常に異なっているようにみえるけれど、それを支えている社会の構造は案外通じている」といい、成田龍一氏との対談では「明治の時代に近代化を進めたとして高い評価を与える考え方には大きな問題がある」といっている。私もこの点は賛成である。「進歩」という事柄についてどう考えるかは方法論などによっていろいろな考え方はあるが、しかし、具体的な歴史像の問題にからまる「進歩」幻想は厳密に払拭するべきであるというのは歴史学全体で共有できると思う。

 成沢光氏は、現代の世俗社会の生活秩序の起源は江戸中期までさかのぼることができるとしている。江戸期における社会集団の均質化が「近代化」を支えたという訳である。これは網野さんの見解に通ずる。実際に、明治維新によって変化したのは、国制レヴェルでいえば、膨大にふくれあがっていた幕府宮廷の合理化(異様に大きい後宮・「大奥」)と地方藩権力の自律性の抑圧であろう。絶対主義とは宮廷の簡略化と中央集権化であり、それを成り上がり官僚が誇らしげにになるというのが維新のベースとなった信条であろうと、私は思う。

 もちろん、私も、絶対主義規定をそのまま繰り返そうとは思わないが、しかし遠山茂樹さんの議論を参照するまでもなく、明治維新を決して進歩とは言えないということこそ講座派以来の歴史学の常識なのではないのだろうか。絶対主義規定は、平川新さんが強調するように、江戸期国家が小帝国であったという意味での帝国性との関係でもまだまだ検討するに値する議論であると思う。とくに維新政府による沖縄とアイヌに対する抑圧の位置はきわめて大きかった。こういう形で明治国家が形成されてきたという側面は強いように思う。

 もちろん、資本主義が発達したではないか、江戸時代=封建制、明治時代=資本主義というのは無視しがたいではないかというのが絶対主義規定を放棄した近代史学界の普通の考え方であろう。しかし、そういう考え方は資本主義の「私的性格」というものを見誤っている。つまり、資本主義は世界史上、もっとも集団的な生産様式である。きわめて国家的・集団的な社会構造であった江戸期の生産様式と資本主義の集団的生産様式の側面はうまくくっついたのである。私は近代化を私的関係の発展に等置し、それが日本の江戸時代では進んでいたから東アジアと違って資本主義が発展したという、一時期の「近代化論」の立場はとらない。また農奴から労働者への直接転化であるというような一時期の封建制論をそのまま取ることもできない。資本主義的生産様式の発展は、江戸期の集団主義支配の形態転換の側面があったことは確実であろうと思う。明治資本主義の特徴は、資本制生産様式の「私的な」性格一般に解消することはおそらくできない。その私的性格は、集団主義の利用にもとづく無責任資本主義の上にできあがったものだと思う。これが日本のブルジョアが官僚性という形での自己規律のみに依存して、文化性を欠如する側面が大きかったことの背景であろうと思う。

 福沢は封建制は親の敵であるといったが、彼らは幕府の巨大な宮廷(後宮)を破壊し、藩閥政府を破壊すれば満足であった訳である。彼らの理想はせいぜいその程度に過ぎない。これと対比すれば、明治国家こそが親の敵であろう。日本の社会構造の問題性と資本主義の利潤優先の性格を最悪の形で結びつけたといわざるをえないところがある。それでもよい意味でのブルジョアに江戸期の文化が残っているうちはよかったが、それが消えていくとともに、日本の世俗的な集団主義、横並び主義が満面開花していく。この国家と世俗的な集団主義を成り上がり官僚の無知と一部の人々の私利私欲で固めたシステムが日本社会を戦争に突入させたのであろうと思う。

 日本の資本主義はなぜだらしがないか。いまになっても目先の利益に目をくらませて原発を維持しようとするだらしなさと無知蒙昧と、ののしりたくなる。しかし、歴史的に考えれば、これは豊かな東アジア社会に資本主義がぶち当たったときの歴史過程に根をもっているに違いない。アジア的雑踏とアジア的な巨大都市というものは、アジア社会の責任ではない。それは非西欧社会が資本主義的生産様式の侵入をうけたときに生まれたものである。

 なお、網野さんの議論で残っているのは、神祇と神道の評価であるというのが、私見。日本では集団主義の問題とともに、神道的な自然崇拝の伝統が強く、これが逆に自然の聖化=自然へのタブー=自然への無責任という形で展開する上で、資本主義の悪影響を決定的なものにさせたのであろうと思う。こういう意味では神祇の問題は大きい。
 原発などというシステムは、なぜ、日本資本主義の経済活動が自然に対して本質的にだらしないかという問題でといていくべきものであるように思う。日本資本主義のだらしなさという特徴をもった「私的性格」はこういうものだ。

 網野さんがなくなったあとの対談で、成田龍一氏が「私は、網野さんは近代の国民国家の問題を素通りしていると思っていたが、網野さんは近代をそんなに重要な時代と考えていないのではないかと思い至った」と述べている。こは重要な指摘で、れようするに問題は「絶対主義規定」といわゆる国民国家論との関係にすべては帰するのではないかと思う。

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