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2014年11月 5日 (水)

江戸時代の農民経営は「発達した」ものか?entwickeltenの翻訳

「日本は純封建的な土地所有の組織と育成的な小農民経営とをもっており、このような日本は、多くはブルジョアジーの偏見によって影響されている我々の歴史書よりもはるかにありのままのヨーロッパ中世についての観念を与えてくれる。」

 岩波の日本歴史の月報に「C・ギアーツのInvolutionと東アジアの近世化」という文章を書いた。ゲラの校正である。
 この小原稿の内容は、マルクスの『資本論』の本源的蓄積の章の注記にある日本論の一節をどう解釈するかという問題から始まる。そこに「日本は、純粋に封建的な土地所有の組織とentwickeltenな小農民経営をもっており、それによって、……忠実なヨーロッパの中世像を示す」とあるentwickeltenなる用語は、どこでも「発達した」と訳されている。日本の江戸時代は封建制で、しかも「発達した小農民経営」をもっているというのは、江戸時代史研究者がながく、議論の前提にしていたものであるが、これは「育成的な小農耕経営」とでも訳すべきものであるという議論である。これは最近、刊行された『マルクス抜粋ノートからマルクスを読む』(大谷禎之介・平子友長編、桜井書店)に掲載された天野光則氏の論文にマルクスのH・マロンの日本報告についてのノートの翻訳があり、それによると、マロンは、リービヒとともに、日本の農耕を育成的・園芸的なものと理解していることが明らかであるという理由による。以前書いたこの『資本論』の日本論の解釈ではマルクスが特別に興味をもって論じているゴミや屎尿のことを書いたが、いわばマルクスの生態学的な論理が、ここにもでているこかもしれない。

 平田清明氏によるマルクスのテキスト再解釈からはじまる時代を経験した私の世代など(これは平田の理解が正しいということを意味はしないが)にとっては、たとえば安良城盛昭氏のようなマルクス理解は最初からとても信じられないものであった。あれは厳密なものでなく、ただの自己流であるというのがずっと感じていたこと。

 さて、このentwickelten問題というのは、私にとって長い間の疑問であった。以前、このマルクスの一節について考えて、ここからマルクスが江戸期日本が「純粋封建制」であったと理解していたとするのはとても無理だと考えて、ちょうど頼まれた岩波の『講座世界歴史』の月報に、そのことを書いた。まだ15年ほどまえのことであるとゲラに書いてあって、もっと昔のことだと感じていて驚く。

 さてそのときから、entwickelten=developedについても本当に「発達した」かどうかをうたがっていて、友人の松本彰氏にいろいろ聞いた。彼はDPEについてふれて、developには現像するという意味があるからといってくれた。そこで、私の頭ではentwickelten=developedというと、松本氏と、私たちの家族にとって大事な記憶となっているある写真屋の店先の風景が、まず心にうかぶということになっている。そしてその写真屋にかかわる生活の記憶がやってくる。

 こういうのは、結局、一種の想起術あるいは記憶術である。記憶術というものはシモニデスがはじめたというが、家族や夫婦などをふくむ親しい人間関係というものは、こういう共通する記憶の重層によって支えられているものだと思う。学術も人間の普通の精神活動のスタイルであるから、そこに入ってくる概念や方法というものも、結局、個人の頭のなかでは、この種の生活・人生上の些事とからまりあって記憶されているのであろうと思う。

 「概念」の側からみれば、人生や生活は「概念」の索引であるということになるのだろう。兆候・索引・予感・感情のなかから概念と言葉のイメージを作っていく。それらは個人個人をとるとまったく違った文脈で記憶されているのであるが、しかし、こういう地盤がなくなってしまっては、概念というものは生きていかない。逆にいえば生活に一貫性をもたせる上で、概念というものの意味は大きいのであろうと思う。豊かな生活の側からみれば、概念というのは、生活の豊かさの基本である自己同一性をささえる内省の世界に不思議な形でかかわってくるものだと思う。
 さて、「封建制」という言葉や概念は、日本史の分析範疇としてはすでにその地盤を失っている。新しい前近代の見方・感じ方を前提にした方法概念というものをどうやれば作っていけるのかということを考える。

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