沖縄の知事選挙がどのような結果となるか、固唾を呑んでいる。
多くの人もそうであると思うが、沖縄の知事選挙がどのような結果となるか、固唾を呑んでいる。
とくに保守と革新の協同候補がでているというのが、日本の第二次世界大戦後の政治史のなかで大きな変化であると思う。そして、これが沖縄からでているということの意味を考えなければならないと思う。
ただ、私は、「保守と革新」ではなく、「保守と進歩」という軸で問題を考えたい。「保守と革新を乗り越えて」ではなく、「保守と進歩がともにいる」ということである。「保守と進歩」とは歴史との関係においていわれる言葉である。歴史の今ということである。
歴史学は保守と進歩のバランスを調整するところに大きな社会的役割がある。これはエイヤという気持ちで、『かぐや姫と王権神話』のあとがきで書いたことだが、しかし、そういう立場で歴史の過去・現在・未来をみるのは歴史家にとって自然なことであると思う。
そもそも「革新」という言葉は意味が曖昧で使うべきではない言葉である。「革新」という言葉には、ただ「変化」させる、「変化が第一」といういらだちのニュアンスがある。「革新」という言葉には、そのような「変化・不満」をベースにした「維新」という言葉と共通のニュアンスがある。「維新の志士」などというと、「ともかく変えなければ」「俺がやる」などという意味が含まれていて、これは独特な自我意識と一体である。
こういう習癖のような考え方の内部にひそんでいる「維新の思想」というのは、歴史家から見ると、「復古的な革新」という国家思想である。「明治維新」は「文明開化」を標榜して「王政復古」を行ったが、そこには「外圧を利用し、策略を弄してもともかく変える」という相当の無理が含まれていた。
日本列島はユーラシアの東端にあるから、列島社会が輸入文化を重視すること、文明的な「まね」がうまいことは一種のやむをえない伝統でもあり、長所でもあるとは思う。しかし、それが国家思想のなかに「新しものずきのご都合主義」という強い風潮をもたらした。「明治維新」はその典型であるが、前近代史を通じて、この種の「維新」の思想というのは、つねに国家思想の内部に存在してきた。「明治維新」がそれ以前と違ったのは、それ以前の「新しもの」が中国のものであったのに、「明治維新」は「西欧」のものであったという違いである。
ともかく「明治維新」の「王政復古」は「文明開化」を標榜して行われたが、それは文化的には、列島社会に根付いた伝統文化を大きく破壊する結果をもたらした。復古であるにもかかわらず文化にとって無惨な結果となったのは、それが「復古的革新」であったためである。もちろん、忘れ去られるほかないものがあったのは事実であり、明治時代の思想の歴史のなかには貴重なものが含まれている。しかし、文化的には「明治維新」は取り返しのつかないことを行った。網野善彦氏は「明治の時代に近代化を進めたとして高い評価を与える考え方には大きな問題がある」といわれるが、その問題の第一は、いわゆる「神仏分離」を中心とした文化財破壊である。この夏に比叡山に登ったときに、それを実感した。比叡山の文化財保存にとっては信長と「神仏分離」が相並んで甚大な損害をもたらした。そして「神仏分離」は、結局、日本社会における「神祇・神道」の文化的な位置も壊すことにもなった。
学者がこの種の国家思想の磁場からは離れて存在しなければならないのは宗教者と同じである。
保守と進歩の双方が必要であることは、conservativeとprogressiveと言い直せば明瞭である。そして歴史家は、現実の仕事としては、どちらかといえば直接には保守conservativeの仕事であるというほかない。保守を考えた上で、未来を考えるということになる。過去の事実を可能な限り正確に記録し、記憶を歪める力に抗することである。
「進歩」というと、最近では、それをもっぱら近代思想の枠組であるとして不評である。19世紀ヨーロッパの「進歩思想」が現実には、世界の帝国的分割と他文明に対する野蛮な抑圧を意味した。進歩というのは私有の発展であるという論理である。そのような「進歩思想」が「進歩思想」としてはいまだに圧倒的な影響力があることは事実であり、それを拒否することの重要性は明らかであると思う。
しかし、それとは区別された真の意味での進歩というものは、私はあると思う。そのような進歩も拒否するという「進歩」拒否というのはただのニヒリズムと無思想である。
沖縄の「保守」と「進歩」の協同の方向は列島全体にとって大事な意味をもっていると思う。もちろん、そしてその協同は(政治的な協同という点でいえば)まだ決して幅広い流れではないだろう。それは出発点ということであろうと思う。
「保守←→進歩」の協同が政治的な姿をとるというのはほぼ初めてのことであるから、それ自身で議論され、調整されるべきことは多いだろう。と同時に、「保守」の側も「進歩」の側もおのおので詰めるべき点が残っているに違いない。この道は相当に複雑な問題をはらんでいるのではないか。それを歴史学の立場から考えていきたいと思う。おそらく問題が複雑になるのは、「保守←→進歩」という軸が、さらに他の軸線との関係で複雑な諸問題を抱えているからだと思う。
その軸線とは第二の軸としての「左翼←→右翼」軸と、第三の軸としての「インターナショナリズム←→ナショナリズム」軸であろう。これを考えるためには、日本の「右翼」思想といわれるもので思想態度として取るべきものがあることを追跡してみることだろうと思う。アメリカになかば占領され、国家の独立を侵犯されているという状況のなかで思想としての「右翼思想」は成立しがたいものになっているが、しかし、一つの共同体主義としての右翼思想というものがすべて無意味であるというようには、私には考えられない。いま、この国にとって恐るべきものは、むしろ、無思想であり、虚偽の思想であり、詐欺瞞着であり、公然と表明される悪意であり、それが許されている状況であると思う。
以下、翁長候補の2012年の朝日インタvユー
http://www.geocities.jp/oohira181/onaga_okinawa.htm
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