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2014年12月

2014年12月29日 (月)

かぐや姫と神話についてカルチャーセンターで

 昨年、千葉のカルチャーセンターで、千葉の地震についての連続講座をもった。そのご縁で、担当の丸島さんから『竹取物語』をやってほしいという要望。来年四月から。
 さっき、題名と内容をおくった。

題、『竹取物語』から日本神話の世界をのぞく

内容、『竹取物語』は「私は天女。私は王妃になる」というかぐや姫幻想を平安 時代の物語にもたらしたことは拙著『物語の中世』(講談社学術文 庫)で論じ ました。この講座では、『竹取物語』を原文で読みながら、実はそこにより古い 日本の女神神話が反映していることを詳しくみることに します。

 『伊勢物語』と『竹取物語』はたしかに平安物語のすべてを生みだしたと思う。
 『伊勢物語』は王権内部の不倫の話であり、『竹取物語』は女房として宮廷に召した女性が天女だったという話しである。かぐや姫幻想、少女幻想の話である。『伊勢物語』と『竹取物語』をあわせれば『源氏物語』になるというのは見やすい道理である。『竹取物語』のできた9世紀から、『源氏物語』のできた11世紀にかけての文化と幻想のは、まったく連続的に連なっているのであると思う。
 それはわかっているのであるが、これがあるいは7世紀から、つまり神話時代から連続性をもっているということを、どこまで説得的にはなせるか。事柄自体としては、ほぼ確信するに到っているが、どこまで説得的にはなせるか。
なんとなく楽しみである。

 法学界はどこかおかしいという話を昨日書いていて、ややミスマッチであるが、ーーー

 ただ、ついでに憲法15条の公務員罷免権についての追加。以下は以前の憲法的価値と未来社会論というエントリからコピー。私は国民による公務員罷免権は国家論的にきわめて重要な問題と考えている。

 
 日本国憲法13・14条は個人的所有の保障と特権的所有の否定です。また15条は公務員の任命・罷免権をうたったもので、特権的門地の否定と通ずる規定です。「国家階層制を完全に廃止して、人民の高慢な主人たちをいつでも解任できる公僕とおきかえ、見せかけの責任制を真の責任制とおきかえた」というパリコミューンについてのマルクスの評価に通ずるものがここにはあります。
 そして、25条から28条の規定は、教育をふくめ社会的な労働の尊厳に関わるもので、これは28条の勤労者の団結権をふくめて広く考えれば、労働の具体性・専門性にもとづくアソシエーションを社会のもっとも重要なシステムとして位置づけるということになっていると思います。
 日本国憲法にはさらに「戦争放棄」の規定があり、これが民族と国際性に関わる原則としてきわめて重大であることはいうまでもありません。こういう憲法の許容する未来社会構想からふり返って、過去の世界、つまり歴史的な社会構成を考えるということがあってよいと思います。

 憲法的な立場から過去の歴史を考えるということと、フェミニズムの視点をつらぬいて『竹取物語』を考えるということは共通する問題だと、私は思う。

2014年12月28日 (日)

法学界は何を考えているのかーー「ひとり親、手当打ち切り」にふれて

 
 年末に急に入ってきた仕事がともかく区切りがついて、1時間ほど寝た。他事も多く、やや消耗である。
 先日、法学界はいったい何を考えているのであろうと書いた。今日の東京新聞の記事、「ひとり親、手当打ち切り」(27日)を読んでもそう思う。これは結論まで書いておきたい。

 東京新聞によると、シェアハウスに独身男性がいることを理由に「一人親手当(児童扶養手当・児童育成手当)」の支給がうち切られたというのである。女性は離婚後に、この児童扶養手当・児童育成手当をうけていたが、その後、実家にいる間は受給せず、シェアハウスに入居した昨年四月に再申請した。そのときはシェアハウスには独身男性もいたが、市の担当者の確認のもとに受給していた。バス・トイレなどは共用だが、それぞれの居室は独立というシェアハウスである。ところが、十月に、「都の見解にしたがい、同じ住所の男女は事実婚とみなす」ということになって受給がうち切られたというのである。これは34年前の国の通知(事実婚の判断基準は同居)に根拠があるという。

 こういう公序良俗に反することを行政がやるというのは、まずは行政の責任である。こういうときに、組織内でおかしいと声をあげ、内部・外部告発を行うことは公務員の全体の奉仕者としての義務である。しかし、現在のところ市の担当者は「都の決定だからやむをえない」といい、都は「異性と住所が同じなら、同一世帯ではないことが客観的に証明されないと受給対象から外れる」といい、厚生省は全体の方針には問題がないという。これはようするに上から言われたことをやっているのです、役人はそういうものですという論理である。

 しかし、これが新聞で報道されれば、上記の役人も、家でこういう問題が話題になるであろう。少なくとも話題になる可能性があるということは役人も感じるであろう。そういうことで子どもに顔向けができるのであろうか。

 この役人たちは、日本国憲法を仕事の基準にしているという日常意識がないのではないだろうか。これは憲法のいう全体の奉仕者という任務規定に反することである。

 まず憲法15条。「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。○2すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」
 このようなことを行う公務員は本来的には罷免されるべきものである。ジャーナリズムは、このような事柄については、根本的には憲法に反映された国民による公務員の罷免権を代表して発言するべきものである。
 
 次ぎに、第二十二条。「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する」。次ぎに第二十四条「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」

 憲法と婚姻というと、「両性の合意」ということになるが、「家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」という部分が重要であって、ここに「住居の選定」とあるのは、英文ではchoice of domicileで、まさにこの「一人親手当」の問題に該当すると思う。
  
 次は第二十五条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」である。
 これは生活保護に関する朝日訴訟に関係する条であるが、朝日さんに対しても、自治体行政は憲法違反行為を行った。それは一度は裁かれていることであるが、行政の本質は変わっていないのである。


 憲法に反する行政というのは、語義矛盾であるが、それが現実の行政の一定部分の実態である。先日、ハンナ・アーレントがアイヒマン裁判を傍聴し、小役人の悪、「凡庸な悪」について論じるという映画をみた。
 しかし、これは私たちの世代にとっては、とくに新しい知識ではない。フランキー堺という俳優が主演した「私は貝になりたい」という映画は、同じ「凡庸な悪」を問題にしていた。これがナチスの下での官僚の論理であること、また日本の第二次世界大戦を容認し、推進した役人の官僚論理であるということは、ある種の常識であったのではないか。
 
 さて、法学界は、このような事柄についてどう考えているのであろう。私は法学界が法学界として意見を表明することがないのを、アカデミーのあり方としてきわめて奇妙に思う。
 歴史学界は、「歴史を忘れようとする社会」=「日本」に対して、必要なさいは、必要な態度表明をしてきた。それはそれ自身として「政治的な」ものである前に、歴史を学ぶという学者の職能からいって、どうしても必要なこととして述べてきたのである。歴史を忘れないということのために歴史学は存在するのであって、忘れようという動きについて、おかしいというのは学者の給料分の仕事である。

 憲法を行動基準としない行政とそれをもたらす社会の構造や政治に対して、法を研究する学者がどのような態度を取るかというのも、その職能に関わる問題であるはずである。先日述べたような法治主義に反する政治の動きに対しての意見表明も同じことである。これは学者としての職能的な責任という意味での社会的責務であって、必要な時、必要な時に、問題を明瞭にすることは学者の協同体として必須のことであるはずである。
 
 もちろん、法学界の中には普通の神経をもった学者がおり、必要なときは個人としてあるいは個人の集団として見解を表明していることはよく知っている。しかし、問題は全体としての法学界に、そもそも上記のような認識が消失していることである。
 
 これはもとより、法学というものの社会的な性格に根付いたことである。つまり、法学の世界には、法曹界(裁判官・検事・弁護士)という職業世界があり、それを媒介とした企業・行政などの現場があり、大学の法学部は、それらに複雑にからめ取られている。そのおのおのは「たこつぼ」構造をなしており、特権と利害によって「たこつぼ」が固められて身動きがとれないようになっているのである。幻想の上では、学術としての法学あるいは法学者は、この特権構造の中枢にいるのであろうが、実際には、飾りにすぎないということになっているのではないか。

 このような構造から相対的に離れた法学界の協同体というものがなければならないはずである。法学界には大学毎の学閥からはなれたインターカレッジな権威のある職能的な性格をもった学会・学界(たとえば歴史学の場合の歴史学研究会や日本史研究会のような)というものが存在しない。
 しかし、なにしろ問題は、日本社会が憲法にもとづく法治主義が非常に弱く、しかもそこからさらに外れつつあるという状況もあるという問題である。もちろん、このような認識には異議がありうるであろうが、問題の性格が深刻なものであることだけは一致できるはずである。これを学術としての法学がどう考えるか、法学の協同体がどう考えるかというのは根本問題である。その認識を前提にして、はじめて法曹世界との職能性、専門性のうえでの関係がありうるはずである。

 問題は「憲法を行動基準としない行政」が日本社会において根強く続いているということであって、そろそろ、現在のような法学界の状況それ自体が、このようなゆな憲法状況あるいは法状況を支えているのではないかという自己分析がでてきてもよさそうに思う。いま問うべきは「日本人の法意識」ではなく「日本法学界の法意識」であろう。

 それができなければ、ようするに法学は誤用学問(これは変換ミス、御用学問)にすぎないということになるだろう。そのような実情を直視せずに「法科大学院」構想に突っ走ったのはやはり誤りであったと思う。ようするに自分の利害に関わることだと動くが学術の社会的責任にかかわることでの動きはできないというのは大人のあり方ではない。

 私は、3,11の後にはまだ東京大学にいたので、大学が全力をもって問題に取り組むということがありうるのではないかと若干の期待をした。しかし、東大法学部には、それらしい動きはなかった。一定の時間がたった現在、そろそろ、どの学界も、自分たちは、いったい何を考え、何をやったかということを考えてオープンにするべき時期である。
 ともあれ、大学法学部は、実際上、実用法学以上の学的な権威を社会科学・人文科学のなかで失っている。それを自覚していない訳ではあるまい。それが社会的責務に対する曖昧な感覚と結びついていることは明らかである。
 そのような状況は、他の社会科学・人文科学あるいは哲学や社会学の立場から集中的に批判を加えるべきものと思う。

 さて、年賀状にかかろう。来年はもう少しゆっくりとした年末を迎えることができますように。

2014年12月26日 (金)

何が「想定外」であったのか。

Zunomi


 貞観地震(869年)の津波の浸水(左側)と3,11の浸水範囲(右側)を比較したもの(左側は佐竹建治ほか、『活断層古地震研究報告』(2010)より)。
 ほぼ同型である。

 何が「想定外」であったのか。

 今日の東京新聞の一面によれば、10年前、2009年ごろから東日本大震災と同じクラスの貞観地震(869年)の危険性が原子力安全保安院の内部でも問題になっていた。地震学の側の指摘をうけて保安院の小林勝・耐震安全審査室長が、貞観津波の再来リスクを検討するように保安院幹部に提案したが、「あまり関わるとクビになるよ」と釘をさされた。電力会社の圧力も強いというのである。
 政府事故調に対する証言ということである。
 ようするに、まさに想定外ではなかったということであり、保安院はそれを知っていて無視したということである。 
 
 同じ新聞のラストの面には、「東電、旧経営陣、再び不起訴へ」という記事が載っている。
 昨日の東京新聞には東電に賠償増を要求していた浪江町民のうち、死亡者が238人に達するという記事があった。東電は、これまで2回、和解案を拒否し協議が続いているということである。

 こういうのは仁義もなにもないということであろう。
 まず、公務員については、これはその職責に反する。公務員法にある「全体の奉仕者」という規定に反する行為である。これは普通の倫理でいえば、最低、給料返上ものである。政府事故調査委員会は、そういう趣旨を証言者に対して述べていないに相違ない。
 この保安院幹部とは誰なのか。それは、欧米の(という言い方が残念だが)の議会であれば、当然に議会喚問の対象となる。日本の国会でも、国政調査権を発動するべき問題であることは明らかである。

 「東電の経営陣」は、これで何の社会的サンクションもうけていない。東京新聞の記事には、福島第一原発の事故時の所長であった吉田氏も、津波情報を知りながら、取り上げなかったとある。その間に人が死んでいく。
 問題は、もちろん、これが「犯罪」かどうかということであるが、実態を社会的に明らかにすることと、責任の究明が十分でないというのが、その前提である。どこにどう責任があったかを徹底的に明らかにするという感じ方なしには、その議論はできない。

 法治主義の前提には、ともかくも理屈が通り、物事をあまりに曖昧にしないということがあるはずであろう。ものごとを曖昧にしないために法の権威という物はあるのである。こういうことが続くと(すでに続いている訳であるが)、法というものの前提が崩れる。

 そういうことを法学の方々は、どう考えているのであろう。これを自己の職能が否定されていると感じないのであろうか。こういう風潮は法の否定であるということを感じないのであろうか。歴史学者は、日本の社会について「歴史を忘れた社会」という言い方をよくする。法学界にとっては法治主義の考え方が根付いていない社会という考え方はしないようである。これはどういうことなのであろう。
 こういうことが続くこと社会の耐性のようなものが切れていくのではないか。話の筋が通らないということが社会の局面であまりに赤裸になると、個々人の生きていく上での耐性のようなものが切れやすくなるのではないだろうか。私たちの社会の根本問題である。

 『現代思想』の網野善彦さんについての特集がでた。私も座談会にでたが、そこで次のようなことをいっている。


この八月末、国連の人種差別撤廃委員会(CERD)が沖縄の人々に特有の民族性、「先住民族」としての性格を認め、その権利の保護を日本政府に勧告する「最終見解」を公表しましたね。これが国際常識だと思います。沖縄の世論が大きく動いていて、台湾では学生の民主化の運動が起き、香港でも起きた。インドネシアはジョコ・ウィドドが大統領になり、一九六五年の9・30事件と軍事クーデターの見直しもおきつつある。沖縄のような民族自立的な動きは、東南アジアに連接しているものなのかもしれない。そういう世界のなかで南からの日本というものを具体的に考えざるを得ない。島尾敏雄さんの言うヤポネシアですよね。金子光晴の放浪記を読んでも、そもそも日本にとって東南アジアは、ひじょうに近かったわけです。江戸時代から明治時代にかけて、そういう関係をもっていたのがたいへん大きかったわけです。それをすべて潰したのが第二次世界大戦です。この関係がまた別の形で巡ってきそうな今、網野さんが生きていられたら何をいわれたか知りたいですね。
 なにしろ3・11の原発事故の放射能が太平洋に流れて広がっているわけですから、東南アジアとは海を通じて一体と見ざるをえない。そういう自然条件が、温暖化問題にせよパンデミックにせよ明らかに登場しています。結局人間は自然に教えられて頭をコツンを叩かれて、社会を賢くしていくしかない。それが国際レベルでの「無所有」というものによって迫られる。網野さんがおっしゃっていたことはまさにその問題ですよ。

 たとえば網野さんの無縁論に関連しますが、「無所有」について思うのは、3・11のあと、福島のゴルフ場が東京電力に対して除染の補償を求めた訴訟がありましたが、そのときに東電側がどう主張したかというと「そもそも放射能は無主物だ」として反論しました。無主・無縁の自然というものが目の前に存在していて、そもそもは人間が核エネルギーを引きだしたというのは一つの達成ではあるけれど、それによってこういう事態がもたらされているわけです。これは現代的な無縁の形態ですよ。そのことを歴史的な事実を含めてすべて明らかにするということになると、これは明瞭に歴史理論の領域に関わってくると思います。この歴史理論の部分を社会科学、人文科学全体で共有することは、歴史学にとっては抜かしてはならない課題だと思うのです。

2014年12月24日 (水)

C・ギアーツのInvolutionと東アジアの近世化

 岩波講座『日本歴史』17巻、近現代3の月報に書いたもの。

この巻には小野沢あかねさんの「戦間期の家族と女性」がのっている。上野千鶴子さんの『資本制と家内労働』におけるフェミニズムと女性史への問題提起に対する歴史学の側からの回答の現状を知ることができる。また「人身売買と家族規範」などをふくむ全体の論調からは、歴史学がなぜ、従軍性奴隷の実態を明らかにすることを、学術の方法の問題として重視するのかを明瞭に知ることができる。歴史学研究会・日本史研究会編『{ 慰安婦]問題を/から考える』も一読を御進めする。

 『日本史の基本の30冊』に曽根ひろみさんの『娼婦と近世社会』(吉川弘文館)を入れるので用意をしているが、曽根さんは江戸期社会を売春社会と特徴づけている。この問題は江戸期社会が明治以降の社会の最大の共通点の一つだったのかもしれないと考えている。それが従軍性奴隷につながる訳だ。

C・ギアーツのInvolutionと東アジアの近世化
 一五年ほど前、『講座世界歴史』の月報への執筆を依頼されたときに「日本は、純粋に封建的な土地所有の組織とentwickeltenな小農民経営をもっており、それによって、……忠実なヨーロッパの中世像を示す」という『資本論』の本源的蓄積の章の注記について論じた。ここでマルクスは、日本の幕藩制がヨーロッパ中世の「像を示す」といっているだけで「江戸期日本=封建制」という図式を提出している訳ではない、この文章を典拠としてマルクスが江戸期日本を封建制そのものと理解していたとすることは無理だというのがその結論であった。「封建制範疇の放棄」という副題をもった拙著『歴史学をみつめ直す』は、この小文を大幅に追補して社会構成体史論の再構築を考えようとしたものである。

 ところが最近、『マルクス抜粋ノートからマルクスを読む』(大谷禎之介・平子友長編、桜井書店)が刊行され、そこに掲載された天野光則氏の論文によれば、上記の文章の情報源にリービヒの『化学の農業および生理学への応用』があり、マルクスは、そこに収められたH・マロンの日本報告をノートし、それを利用したらしいという。そして、マルクスのノートには「日本人は播種や植付のとき、完全な成育にちょうど必要な肥料をあたえる」という引用があるという。この成育の原語を確認したところ、Entwickelungであったのである。

 私は右の小文を書いた段階でも、『資本論』の問題の一節で右にドイツ語のままで残したentwickeltenがもっぱら「発達した」と訳されていたのに疑問をもっていたが、このマロン・ノートからするとentwickelnという言葉は、この語の「包巻きをほどく」という原義に近い「育成する、養成する」という意味を重視するべきものであろうと考えた。もちろん、マロンの報告にはEntwickelungをいわゆる発展に近い意味で使用している箇所もあるが、英語のdevelop=発展のニュアンスは、マルクスの用語というよりも、むしろロストーのような近代化=Take-offという議論の発想に近いように思う。Entwickelungという言葉のマルクス的な用法は、developの本来のニュアンスをentwickeln→envelopeの経路に求めることができるのかなどという、私にはまったくわからない問題をふくめて専門家に教えていただきたい問題である。

 ともかく江戸期の小農を「発達した小農民経営」というのは、点検してみた限りでは、リービヒやマロンの記述からは出てこないイメージである。むしろ『資本論』(第三部五章四節)が日本農業を「小規模な園芸的(gartnermassig、aはウムラウト)に営まれる農業」と特徴づけていることが示唆的だろう。マルクスはリービヒの略奪農業というヨーロッパ農耕についての批判的特徴付けの対局にあるものとして、「育成的=園芸的」などの言葉を使って日本の農法を表現しようとしたのではないだろうか。

 これに対して、日本の経済史学は、たとえば大塚久雄が論文「生産力における東洋と西洋」(『共同体の基礎理論』)において、「西洋」の農業を粗放性と土地生産性の低さ=労働生産性の高さ、「東洋」の水田農業を集約性と土地生産性の高さ=労働生産性の低さによって特徴づけたように、水田農業を集約的であるだけでなく「労働摩耗的」な農耕として描き出しマイナス評価することが多い。しかし、マルクスは、むしろ問題を社会分業論として考えていた。つまり右の園芸的農業を論じた一節で「この方式では、農業の生産性は、他の生産部面から引きあげられる人間労働力の多大の浪費によってあがなわれている」といっているように、本来は工業分野に配分されるべき労働が農業部面で「浪費」されているというのである。彼がこういう事態を「日本の模範的農業の狭隘な経済的存立条件」といっていることは疑いをいれない。

 大塚の論文は視野の広いものだが、このような「労働摩耗」が水田稲作を原初から制約した「生産力的宿命」であるとする点には従うことができない。むしろ春田直紀が生態学的な方法意識に立って、だいたい鎌倉時代から「様々な生業の進展・発生による空間利用の濃密化」が進んだとしているように、それは歴史的な所産であると思う(『民衆史研究』七〇号、春田論文)。私は、これは宮崎市定のいうところの「近世化」の農業分野における現れであると考えており、この問題を詰めていくことによって、大塚と宮崎の議論を統合的に継承することが可能ではないかと考えている。

 ただ、その際にどうしても必要なのは、大塚にも宮崎にもなかった環太平洋史の視点であろう。つまり日本の歴史にはヨーロッパから中国にいたるユーラシアの東西軸のみでなく、環太平洋の西部円環にそった影響、この列島にそくしていえば南北軸というべき軸線の影響も強い。後者をみるためには、B・アンダーソンやC・ギアーツなどの東南アジアをフィールドとしたアメリカの学者の仕事を参照する必要があるが、「近世化」との関係で有益なのは、ギアーツの『インヴォリューション』である。involutionとはevolutionからの造語で、芸術のマニエリズム的な精緻化・複雑化の内に向かう袋小路を表現する用語を借用した範疇であるという。ギアーツは、この用語によってインドネシアの集約的な水田稲作が大きな人口吸収力をもつ方向に特化した生態系システムを表現した。その根本的な経済条件はコーヒーや茶という資本集約的な農業を自己のもとに担保してモノカルチャーを強制したオランダ植民地主義特有の搾取パターン、一種の二重経済構造にあったという観察は正しいであろう。

 しかし、環太平洋世界全体でみた場合、その北西の中国文化圏において同様な過程がすでに一二世紀以降、進展していた。上に「近世化」と表現した過程は、宮崎がマニュファクチャー段階に比定したような宋代中国の経済発展が基軸となって東アジア全域における生産様式の生態学的な稠密化をもたらしたのである。網野善彦が、その時代の日本を「未開」からの最終的な変化と措定し、「資本主義」への傾向を指摘したこともよく知られている。しかし、このような東アジアの動きはモンゴルの世界帝国化を中間項として、結局、ヨーロッパの世界覇権の時代に結果し、一六世紀における環太平洋世界へのヨーロッパの重商主義勢力の登場をもたらした。そして、資本の原蓄は、太平洋の東西に位置するメキシコと日本産の銀をキーにして、近世化の時代に蓄積された環太平洋の富を吸い上げることを主要な内容としていたのである。この時代にmodernが始まり、そこで「血と火の文字で人類史に刻み込まれた」諸問題は今でも棘として突き刺さったままである。こういう環太平洋世界の歴史という観点からすると、ギアーツのいうインドネシアにおけるinvolutionは、より自生的であった東アジアの「近世化」のあとを歪められた形で追尾したものと位置づけるべきだと思う。

 さて、私は、最近、インドネシアの九・三〇事件についての映画「The Act of Killing」をみた。この事件はスカルノ大統領の親衛隊が起こした軍内部での権力争いという説も強いが、真相はいまだに不明で、直後にインドネシア共産党のシンパであるとして同一村落の居住者らが大量虐殺された。ギアーツの本書の発刊は一九六三年、事件のちょうど二年前のことである。ギアーツは、ハーバートの院生として、一九五〇年代にさかんに行われたアメリカ的な地域研究プロジェクトの中でインドネシアに滞在し、この本のもととなる調査・研究を行ったという。今から五〇年以上むかしのことであるが、映画をみていて、環太平洋の歴史家集団というものが「ありうべきもの」であるとすれば、すべての原点にかえって問題を討議するべき時期がきているように感じた。

 おそらく私たちの世代の歴史家が立ち返るべき原点は、B・アンダーソンの『想像の共同体』の背後にある問題、つまりカンボジャのポルポト政権であろう。いうまでもなく、それは「毛沢東」路線といわれた中国共産党の国際戦略に大きな責任があることであり、これに和田春樹氏の仕事によって学術的に確定した朝鮮戦争がスターリン・毛沢東の南進指示に始まったという事実をくわえれば、その巨悪はスターリンに次ぐものである。そしてインドネシアの九・三〇事件は中国共産党には直接の責任はなく、インドネシア共産党は相当に柔軟な路線をとっていたと考えられるものの、両党の関係が緊密であったことはまぎれもない。

 私たちの歴史学が世界史的な視野と理論を取り戻すためには、結局、このような諸問題も視野に入れながら、歴史学的な方法によって環太平洋世界におけるアメリカと中国のプレセンスを問うべきなのだろう。とくに抜本的に考えるべきなのは、中国の歴史とその現在の「社会主義」をどう捉えるかである。いうまでもなく、毛沢東を生みだしたのは日本の大陸侵略であるから、その歴史的巨悪を見つめ、歴史を省察するためには、どうしても長期にわたる総合的な歴史的視野が必要になるはずである。

 私は冒頭にふれた『世界歴史』の月報で封建制概念の放棄という立場を明らかにして以来、峰岸純夫・藤木久志氏などを中心とした東アジア社会構成の共通項を「地主制」に求める議論にシフトしてきた。これは一九六〇年代、超領域的な「アジア封建制研究会」で議論されたものと聞くが、私は、それを封建制範疇から切り離し、国家・地主・村落の関係に根拠を置く独特の国家・地主的社会構成として捉えることが可能であると考えている。中国の全体主義的な「社会主義」は明らかにその伝統を引きずっている。

 それにしても想起するのは、峰岸氏が地主制を論じるには中国だけをみていては駄目だとして、南からの比較視点を強調し、インドネシア地主制を引き合いにだしていたことである。そしてその素材の一つに九・三〇事件で処刑されたインドネシア共産党議長D・N・アイジットの地主論があった。いま峰岸氏の議論の詳細を復元するすべをもたないが、アイジットの議論が中国共産党の「反地主闘争」と深く関係していたことは明らかである。そして、ギアーツに対して、共同体と地主との関係の分析がないという批判があるのを知ると、これは江戸期の村役人=地主の二重性をめぐる議論と同じことだと思う。

 さて、以上、中途半端になってしまったが、もしこれが正しいとすれば、新渡戸稲造・福田徳三以来の誤訳・誤解は歴史学に影響した「資本論の誤訳」としては最大のものであるということになるのかもしれない。それはアソシエーション概念の誤訳がマルクスの社会主義思想の翻訳において致命的なものであったこと(広西元信『資本論の誤訳』)と比べれば小さな問題であるが、それが東アジア的な全体主義的な社会構成に関する議論につながってくるとすると、やはり重大な問題であるようにも思うのである。さすがマルクスともなると、その誤訳のもたらす害悪はスケールが桁違いであるということになるのだろう。

2014年12月23日 (火)

自転車ーー太陽発電道路、これは面白い。

 これは面白い。よくみるブログ「サイクルロード ~自転車への道」http://blog.cycleroad.com/から。いかにもオランダ。いま、オランダに行き、さらにデンマークにまわってキルケゴールの故地をたずねるのが夢。
 昨日は室町時代についてのメモを作らねばならず、藤木久志さんの本を読んで感心すること、しきり。感心しすぎて疲れた。今日は自転車ででよう。
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http://www.solaroad.nl/
Unique innovation

SolaRoad is a pioneering innovation in the field of energy harvesting. It is a unique concept, which converts sunlight on the road surface into electricity: the road network works as an inexhaustible source of green power. SolaRoad is sustainable and can be used in practice in many different ways.
SolaRoad was officially opened on November 12th 2014.

 発電道路は自然エネルーギーを収穫する進んだやりかたです。道の上にふりそそぐ日の光りを電気に代えてしまおうというユニークな発想です。道路網が無尽蔵な自然エネルギーをためる場所となっていく。ソーラー・ロードは続ければ続けるほど効果が大きく、いろいろな形で応用が可能なはずです。

2014年12月20日 (土)

政治の言葉からの撤退。左翼・右翼という言葉はやめよう

 しばらく自分の仕事ができず、人の書いたものを読んでチェックしたり、勉強したりの日が続いている。こういう仕事は不得手で疲れるが、本来は、歴史家の仕事の本筋なのだということを自覚させられる。ただ如何せん、肩がこって身体がついていかない。こういう文章を書いている方がずっと楽である。

 ついていけないことに「政治」というものがある。調子でそう書いてから、あわてて修正するが、政治は、現在もっとも必要なことであるというのは事実である。政治的な活動をする人はご苦労であり、かつ、社会にとって必要な政治を私心なく担っている方々には満腔の敬意をささげる。
 しかし、私のような学者の立場だと、政治からの撤退、政治の言葉からの撤退を準備するのも大事な役割だと思う。

 しばらく前のエントリで、「左翼・右翼」という言葉で「政治」を考えたり感じたりするのは、そろそろやめようと述べた。
 政治とは別の言葉でかたる空間を増やしていこう。おのもおのもの生業と生活、おのおのの責任に属する、おのおのの専門性に属するネットワークの言葉の世界に政治を取り戻していく。おのおのの地域の生活と自然とのつきあいのネットワークですべての空間をおおいつくしていく。おのおのの仲間と世代がぶち当たってきた問題をもう一度考え直し、そしてリユニオン、Re-unionの空間と時間をもとう。これによって社会の経験を次ぎに次ぎに引き継いでいこう。
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 昨日の夜、(深夜目が覚めて)、ル・グゥインの『所有せざる人々』を読んでいたら、シンジケートという言葉がでてきた。一つの結社、仲間のことをいっているのだが、シンジケートという言葉がなつかしかった。というのは、我々の世代だと『アンタッチャブル』(The Untouchables)というテレビがあって、主演のロバート・スタックのかっこよさは覚えている人は多いに違いない。シンジケートという言葉を覚えたのは、このテレビであったはずで、これは酒や麻薬の密売ルートである。けれども、シンジケートという言葉自体がかっこうがよかった。結社・仲間・ルートということになる。
 おのおのの生業と地域と世代のなかで作られるシンジケートによって社会ができていて、政府や行政は、そのなかに埋没していて、必要なときだけ救急車のようにやってくるというのが、私の将来社会イメージ。社会は、そのようにして成熟していくことが可能になりつつある。少なくともそのイメージは描ける時代になる可能性があるというのが一つの希望。

 もちろん、いわゆる「現下の社会」は、なかなか大変で、政治の言葉から撤退する訳にはいかない。今日の東京新聞に、哲学の国分功一郎氏が安倍首相の気分について「『先輩たちはダメって言ってたけど、知らんぷりをすると何でもできますよ』という気分なのでしょう」といっているが、これは言い得て妙である。
 少し引用を続けると「たとえば小泉政権はポピュリズムと言われましたが、それは民主主義に内在する性質の一つでもあります。実現された政策の評価はともかく、世論と民主主義を活用した政権であったことは間違いない。それに対し、現政権は民主主義を何とも思わず、権限さえ獲得してしまえばよいという発想。これは新しいタイプの政権ではないか」という。
 たしかに、こういうのはいわば「半ファシズム」という感じのことであって、日本の社会で「実力」をもっている人たちの気分を反映しているだけに、なかなかあなどれないように思う。これは引く訳にはいかない問題である。政治から瞑想の世界への撤退は、そう簡単には許されない。

 けれども、一度、トランスして、政治の言葉それ自身を疑ってみたい。つまり、これは先日も書いたことだが、「左翼・右翼」という言葉で自分たちのことを語るのはやめたらどうかということである。この言葉がフランス革命の時代の議場の座席から来た言葉であることはよく知られている。この「左翼・右翼」という用語はようするに19世紀ヨーロッパの言葉であって、そろそろ退場させた方がよいのではないだろうか。
 左翼・右翼というのは、「過去と未来」をふくむ「時間」には関わらない言葉、ようするに「現在」に対する態度であって、それを「左翼・右翼」という空間に関わらせて表現しているのが興味深い。人間は「現在という空間」を前にすると「右か左か」という空間感覚で反応する訳である。しかし、19世紀ヨーロッパとは違って、いまの我々は視線を低くしてまっすぐ進むことができるのではないだろうか。

 それが「政治とは別の言葉でかたる空間を増やしていこう」と先にいったことの意味である。

 以下、この前に述べたことの繰り返しだが、「左翼」は、この社会の現状批判において「知性中心主義」をとる。その知性の中身が本当に客観的なものかどうかは別として、「左翼」というものは、とかく理屈が先行するもの、「角がたつ」ものである。これに対して「右翼」の論理は「分かったようなことをいうな」という経験主義であって、熟知した共同的感情をなによりも重視する心意に立つ。その極点において「共和党がナショナリストになる」訳である。
 私は、こういう左翼・右翼という心理は、それ自体としては双方にそれなりの社会的根拠があると考える。もちろん、私は学者なので、ある意味で「左翼」であることを隠そうとは思わない。学者は知性の立場に立って、社会から自立し、それに対して批判を貫き、「理屈」で「角をたてる」のがその職能的な役割である。批判を第一にしない学問などというのは、(それ自体の価値は別として)社会的な意味は極小になる。
 とくに日本のような社会で歴史学者をやっていると「左翼」であるのがいわば常識的なスタンスになる。これは説明が必要かもしれないが、実際、日本社会において歴史学者が「右翼」であるというのはむずかしいことなのである。つまり寺山修司ではないが、「身捨つるほどの祖国はありや」というのが、日本の「民族」の状況である。アジア太平洋戦争の経過からしても、また日本の戦後の支配政党(自民党)がアメリカべったりで「買弁」的、「売国」的な姿勢をとっている関係からいっても、日本には普通の右翼というものが成立する条件がほとんどといっていいほどないのである。そういうなかで、歴史学者は、いわば「保守的左翼」という立場をとるのが普通になっていくのではないかと思う。少なくとも、私はそうであった。 

 さてともかく、「左翼」「右翼」という感じ方では、やっていけない時代というのが来ていると、私は思う。保守であると同時に進歩であるような立場にたって徐々にゆっくり前に進んでいくということであると思う。保守と進歩ということについても前に書いたが、「保守ー進歩」という言葉は時間についての考え方・感じ方だから、今後も両方ともずっと生きると思う。しかし、繰り返せば、「左翼」「右翼」というのは現在という空間に関わる言葉だから、いつか消えていくはずだと思う。

 我々の世代にとっては政治的解放と人間的解放は別のことであることは明瞭であったはずだ。その両方を明確に区別し、最終的な行き先としての、個々の人間の解放を少しずつ考えていくこと、そして、政治的解放を政治からの解放に結びつけること。これが問題であったはずだと思う。
 そういう議論をした青春の仲間、高校時代、浪人の時代の友人と仲間、そして母校、国際キリスト教大学の仲間たちのことを思う。私の世代のシンジケートである。

 先日、いわゆる危機の神学、カール・バルトについての滝沢克己氏の本を手に入れた。これは我々の世代でキリスト教経験のある方にしかわからないかもしれないが、キルケゴール→カール・バルト→滝沢克己というルートは、日本の思想史にとっても重要なものであると思う。来年は、これをキルケゴールの翻訳やり直しをしながら、少しバルトの関係についても読んで、大学時代以来の宿題をはたしたい。

2014年12月17日 (水)

遠山茂樹『歴史学から歴史教育へ』

 吉見義明さんの本を読むために再点検した大門正克さんの編の『昭和史論争を読む』に遠山茂樹さんの「歴史叙述と歴史意識」があった。そこで、この論文の載っている、遠山『歴史学から歴史教育へ』をひっぱりだして読んだ。このブログにのせてある「中世史研究と歴史教育ー通史的認識と社会史の課題にふれて」という文章をかいたころ、本当によく読んでいた。なつかしい。

 それを再読して思うこと。遠山さんのころから歴史学と歴史教育をめぐる議論の状況は根本的には変わっていないのではないかという感想。以下のようなことを考えた。


Ⅰ学者と教師、研究者と教育者
  職業としての学者・教師と、職能としての研究者・教育者は重なりつつも、相対的に区別される。教師は、職能としては教育学をふまえた人格としての教育者であるのみでなく、何らかの専門分野における調査・研究経験をもち、そこから問題意識を展開する姿勢をもつべき専門職である。もちろん、教育学は本質的に諸学の総合の担い手という側面をもっており、教師の職能においては、個別分野における調査・研究はそれに包含された副次的な側面となる(しかし、このことは教師が個別分野における専門的研究者であることを排除しない)。
 これに対して諸学の学者は、研究の職能とともに、何らかの分野における教師としての経験をもっているのが当然である。また学際的研究の能力は教育学を背景とする教師の総合力と照合するようなものでなければならない。学者がいわゆる専門馬鹿であることは許されない。


Ⅱ教科書とは何か。教科書執筆とは何か。

(1)教科書は学ぶ者にリーダブルなものでなければならない。
 教科書は子どもと若者にとって最初の「本」であり、「読書」の対象である。教科書は「面白い」というよりも、まず子どもが興味をもって読み通せる一貫性が必要である。それは通読できるということであって、通読によってはじめて体系的な知識が可能になる。歴史教科書の場合は、「通史」をどう考えるかより前に通読できるかどうかが問題となることになる。このためには「書く力(専門性)」と「教える力(専門性)」がまったく違う側面をもつことを確認しておくことが必須である。

(2)教科書は「主たる教材」であることの意味。
 教科書は教師にとって「主たる」教材である。その意味は、子どもに共通にあたえらえる教材であり、「読書」の対象であるということが第一にくる。そして、教師にとっての「主たる教材」であるというのが第二にくる。
 しかし、教科書はあくまでも一つの教材である。「教科書で」授業する安易さを排除することが必要である。教科書は教師の「教え方」を指示するものであってはならない。「教え方」(教育方法)は個々の教師もしくは教師集団の教育の自由を完全に保証しなければならない。「教科書を」多様な教材と教師の発語のなかに相対化して位置づけることが必要である。
 専門職としての教師は、そのような教材の総合的な扱いにもとづく発語と提示に習熟した教育的人格であるが、同時にその教科に関係する学術を学ぶ者、「学徒」でなければならない。そういう立場からして、教科書以外に多様な教材を準備するのは専門職としての教師にとって義務である。

(3)教科書は学者と教師の間での議論、研究と教育の統一を反映していなければならない。
 教科書は社会的費用を使用して作成される公共的教材であり、そうである以上、関係する専門性のあいだでの自立的な議論や調整が必須となるものである。学者のみ、教師のみで教科書を作成することは社会原則に違反する。それは教科書の内容が、専門職の間での相当の普遍性をもつべきことを意味する。
 
(5)教科書執筆者
 教科書の執筆者は、まずその教科についての見識をもつ学徒であるのみでなく、研究者として自己規定しなければならない。
 また教科書執筆に参加する学者と教師は、おのおの研究世界と教育世界を代表するものとして自己を位置づける必要がある。教科書執筆の経験を研究世界と教育世界にフィードバックして代表性の根拠を実証することは義務的な事柄である。

2014年12月15日 (月)

 総選挙の結果。法学界・政治学界は猛省を 

 先日、『草の根のファシズム』について書いてから考えているが、吉見義明氏の議論は一言でいえば、天皇制ファシズムの特徴は、それが戦争の加害経験を中核として形成されたファシズムであったということであろう。

 Creeping Fascism(徐々に迫ってくるファシズム)という概念に対して、戦争先行形ファシズムということであろう。「満州事変」という戦争によって、また日清・日露以来の戦争によって作られていったファシズムということでいえばCreeping Fascismという考え方と背反する訳ではないが、こういう考え方は天皇制ファシズムを考える上で重要であろう。この戦争先行形ファシズムを明瞭に考えることによって、Creeping Fascismの姿も明瞭になるのかもしれない。

 さらに、この戦争先行形ファシズムという概念は、今後の心配されるファシズムの基本的な形であろうと思う。

 現在の安倍首相グループの動きはやはり右翼というものではないと思う。右翼というものは、たとえそれが仮想的なものであったとしても、共同体や民族の利害の無視に対する憤懣をふくんでいる。安倍首相グループの動きは、あまりに資本とアメリカの利益に結びついた動きであって、それ自身としては政治思想的な背景を欠いている。ともかくTPPが信じられない話である。日本の自然と農業を破壊してはじない人々を右翼というのは無理である。

 ファッショ的とかファシズムとかいわざるをえないのだが、実際に彼らにそれだけの覚悟も論理もないようにみえる。だからファシズムなどというと、大げさなという反応が返ってくるのであろうが、しかし、 けれども、こういうのもファシズムなのであろうと思う。
 つまり、東アジアで戦争が起きる可能性は少ない。アメリカが中国と戦争しようというはずはないし、アメリカはともかく「かしこい」からそういう計算のあわないことはしない。東アジアの戦争にアメリカが取り組むことはありえない。アメリカは東アジアで戦争をしてももうからないのである。

 問題は結局、ユーラシア中央部でのエネルギー、石油問題のからんだ戦争である。そこで戦争が進行中であり、さらにまた新たな形で拡大する可能性は、アメリカの動きからみて十分にありうることである。そしてアメリカが戦争をすれば、今度は日本が派兵をする。安倍グループのやっていることはアメリカの戦争に同行するということである。若干の過言をいえば、戦争では協力するから、若干のことは多めにみてほしい。そして、一緒に儲けさせてくださいというのが彼らの本音である。

 21世紀にもう一度激しい局地戦争が起き、それが複雑化してこじれ、広域化する可能性は十分にあると考えておかねばならない。もちろん、その可能性は低くなっているとは思う。ヨーロッパ・アセアン・南アメリカが独自の動きをみせており、そういうなかで戦争が複雑化する可能性は減少している。けれども中央アジアから中近東は、アメリカ・ロシア・中国の利害と衝動によっては、やはり依然として危険である。

 そこにアメリカの手下のようにして出ていき、戦争とテロのなかに日本が入っていけば、そういう「戦争」が先行すれば、日本の社会のなかでファシズム的な異常が激化する可能性はある。ヨーロッパは、アメリカの戦争に荷担するなかでテロ攻撃をうけたが、あの社会はドライなところがあるから、情緒的な動きには展開しなかった。日本で同じことがあれば、空恐ろしい。

 単純すぎる見通しかもしれないが、戦争先行形ファシズムという吉見氏の議論が重大であり、気になるのは、このためである。


 総選挙の結果がでた。もう生きている内に、何度、総選挙があるかという年齢になってきた。こういうことも自分で記録してメモをとって忘れないようにしないとならない。

 ということでいちおう、記録しておくと、自民党が改選前(二九三)から2議席減らし、公明党4議席増。全体として公示前より2増、民主党が11増、維新は1議席減の41。次世代の党が19から二議席に減らして壊滅状態。それに対して日本共産党が13増、社民が2議席を維持、生活の党が5から2に減少という議席結果である。投票率は、まだ知らない。

 共産党は躍進し、民主党もともかく議席を増やしたということであるが、安倍氏は、これで九条改憲に突っ走ろうとするであろう。TPP承認と消費税で日本経済と国土は破壊的な影響をうける可能性も高い。日本共産党が13増、社民と生活の党が2議席。政策的に近いこの3党でも25で、維新・公明党に及ばないというのは残念な結果である。自分で何をした訳でもないから残念な結果といってもしょうがいないが、しかし、ともかく、いろいろ議論が進んだようにみえるのは気持ちの底に暖かいものが流れる。若い人々の動きには感動させるものがある。

 
 投票率52パーセントのうち自民党の支持は半分か。安倍氏は、国民の25パーセントの支持で「大勝利」として突っ走るのであろう(注記比例は自民党は33パーセントということであるから、純得票率は17、16パーセントとである!)。
 これはすべて小選挙区制という虚偽の選挙制度の結果であり、小選挙区制が虚偽を作り、安倍的ファシズムの条件を作ったのである。


 これを考えると、私は法学・政治学の諸氏は強く反省してほしいと思う。ようするに、日本の法学者のなかでは、相当の人々が1994年、いまから20年前、小選挙区制に賛成して動いた。これを厳密に考え、批判すべきところをはっきりと批判・嘲笑し、反省すべきところは反省してもらわないと、学術世界の責任の取り方が曖昧になり、筋が通らない。

 もっともどうしようもなかったのが、元東大総長の佐々木毅氏である。最近、『中央公論』で安倍氏に対する苦言を述べているらしいが、小選挙区制を作った論功行賞で政府から受けがよく、受けがよい人を総長にしておけば、いいことがあるであろうという世俗計算の支持をうけて東大総長になった人物である。私も会議などで見たことはあるが、その場を処置するのはさすがに頭がいいようにみえるが、学者としてたいした業績がある訳ではない(佐々木氏は国立大学の独立法人化を容認・推進した責任もあり、諸悪に根元的責任がある。明瞭な批判が政治学界からないのは事なかれ主義の表現である。政治学が事なかれでどうする)。

 もう一人は山口二郎氏であって、しばらく前の東京新聞コラムに、いまでも小選挙区制導入に賛成したことを反省していないというのを知って驚いた。「国民は小選挙区制の使い方を知らない」というのである。彼の考え方では、国民がかしこければこんなことにはならなかったというわけである。もちろん、山口氏のいうことで尊重されるべきことも多いが、しかし、こういうのは学者には許されない無責任であって、自分の言論に責任をとろうという姿勢ではない。お調子ものというほかない。

 もちろん、私も小選挙区制導入時に、法学者の多数は常識的な立場をもっていたことを記憶している。あのとき法学者の側で、小選挙区制導入と二大政党制という幻想にそって強い発言をしたのは、右の両氏である。

 これは端的にいうと、川島武宜・我妻栄・丸山真男の後の東大法学部がどこかおかしいということである。そしてとくに駄目なのが政治学であるということは学術世界にとっては、ようするに丸山後継が駄目であったということであるように思う。

 そして、それは丸山の学問自身に若干の問題があったことを示すのではないかというのが私の持論。

 もちろん、丸山の議論には重要な論点もある。しかし、私は、抜本的な検討が必要であろうと思う。要点は以下の三点。

 第一はそもそも「無責任の体系」という図式が安易であったということである。『現代政治の思想と行動』でもっとも失敗した議論が天皇制ファシズムを「無責任の体系」として批判した部分である。これが日本的な批判の心情にぴったりしていて俗耳に入りやすく、議論として浸透したことにすべて意味がなかったというのではない。しかし、責任の体系と意思決定の詳細を事実にそくし、構造的に明らかにしないままでの「無責任」論は、所詮、評論にすぎない。そもそも戦前の体制の「無責任」は、より即物的に容赦なくいえば「無知・無能・無謀」の結果、コロラリーであることを本質とするということも忘れてはならない。

 第二に歴史論にふみこんで言えば、丸山のファシズム論は、ファシズムが、人間のもっとも野蛮で倒錯的な欲望を大衆的に組織することを鍵とし、その中枢には政治思想というよりも虚構に虚構を重ねる奇怪な無思想、「神秘」と非合理の妄想世界が実在するという事実への省察がかけている。彼には奇怪なものがわからないのである。

 丸山はナチスと天皇制ファシズムを「下からのファシズム」「上からのファシズム」などと図式的に区別するのみで、天皇制ファシズムが「下の野蛮」を組織したということを無視している。これは丸山の学問の弱さである。

 第三にそもそも歴史学の立場からは、丸山の議論は経過的な評論に近い部分が多く、すべてを決定的に精算する必要がある。私の分担では、「歴史の古層」の論文であって、その中核は神話論であるが、これは、到底、容認できないということがあり、そういうこともあって、私は、いま神話論に取り組んでいるということになる。丸山は神話は理解できないような人格であったというほかない。
 丸山の仕事に大きな意味があるのはわかっている積もりで、とくに私たちの世代にとっては、ほとんどはじめてよむ本のなかに丸山が入っていた。しかし、そろそろ卒業したいものである。

 さて、今回の選挙に戻ると、それにしても「知識人」といわれる人のなかに、「もうあきれて投票しない」とか「棄権も必要だ」などという馬鹿なセンチメンタリズムがあるのは信じられないことである。これは売文業者、売文化業者のいうことである。職能としての学問・文化に対する責任というものを感じることができない。こういう「もう投票しない」という声を意味ありげにいう人は、小学校に戻って勉強しなおした方がよい。
 諦め。それこそがCreeping Fascismのもっとも重要な要素であるという初歩的知識もないのだ。

2014年12月14日 (日)

総選挙、左翼と右翼ということについて

総選挙、左翼と右翼ということについて
 先日、このブログで沖縄知事選挙の結果について書き、「保守と革新」ではなく、「保守と進歩」という枠組で物ごとを考えたい。「革新」という用語は曖昧な性格をもっていて、できれば使いたくない。そして「保守と進歩の双方が必要であることは、conservativeとprogressiveと言い直せば明瞭である。そして歴史家は、現実の仕事としては、どちらかといえば直接には保守conservativeの仕事であるというほかない」と述べた。

 これは「左翼・右翼」という言葉の見直しにも関わってくる。この言葉は、フランス革命の時代の議場の座席から来た言葉であることはよく知られている。この「左翼・右翼」という用語も曖昧な言葉であって、そろそろ退場させた方がよいのではないだろうか。

 左翼・右翼というのは、ようするに「現在」に対する態度であって、「過去と未来」をふくむ「時間」には関わらない言葉である。もちろん、一般には、左翼が進歩に結びつき、右翼が保守に結びつくということではある。しかし、現実には、問題はそんなに単純ではない。

 それが「左翼・右翼」という空間に関わる表現をもっていることは、それが現在への態度を強く問う姿勢の位置を示す言葉である事情をよく示している。それはいわば「空間」に関わる言葉、自己の場所取りに関わる言葉なのである。そして左翼と右翼というのは、相互の論争を中心に組み立てられた言葉である。それは直接には現在の捉え方の論争であって、その場合、両者とも、自己を「現在」の支配的価値感情からは離れた位置に場所をとる。

 つまり左翼も右翼も社会の現状に対して突出した位置取りをする。そこには社会の現状に対する強い批判(あるいは憤懣)がかならず含まれる。その憤懣の方向が違うために、左翼・右翼の感情的な対立が生まれる。

 「左翼」は、この社会の現状批判において「知性中心主義」をとる。その知性の中身が本当に客観的なものかどうかは別として、「左翼」というものは、とかく理屈が先行するもの、「角がたつ」ものである。これに対して「右翼」の論理は「分かったようなことをいうな」という経験主義であって、熟知した共同的感情をなによりも重視する心意に立つ。その極点がナショナリズムにいく訳である。

 私は、こういう左翼・右翼という心理は、それ自体としては双方にそれなりの社会的根拠があるのではないかという考え方である。もちろん、私は学者なので、左翼であることを隠そうとは思わない。学者は知性の立場に立って、社会から自立し、それに対して批判を貫き、「理屈」で「角をたてる」のがその職能的な役割である。批判を第一にしない学問などというのは、(それ自体の価値は別として)社会的な意味は極小になる。

 とくに日本のような社会で歴史学者をやっていると「左翼」であるのがいわば常識的なスタンスになる。これは説明が必要かもしれないが、実際、日本社会において歴史学者が「右翼」であるというのはむずかしいことなのである。つまり寺山修司ではないが、「身捨つるほどの祖国はありや」というのが、日本の「民族」の状況である。アジア太平洋戦争の経過からしても、また日本の戦後の支配政党(自民党)がアメリカべったりで「買弁」的、「売国」的な姿勢をとっている関係からいっても、日本には普通の右翼というものが成立する条件がほとんどといっていいほどないのである。そういうなかで、歴史学者は、いわば「保守的左翼」という立場をとるのが普通になっていくのではないかと思う。少なくとも、私はそうであった。
 
 さてしかし、「左翼・右翼」という類別がすでに半分無効と考えた方がよいのは、現在の現実の状況そのものに規定されたことである。つまり、現在の自民党は、10年前の自民党とは大きく異なっている。それは先の沖縄知事選に自民党の元幹事長であり、一時期の自民党を代表していた野中広務氏が翁長氏の事務所に激励のメッセージをだしたということ、そして安倍現首相に対して保守の本流をくつがえし、自民党を乗っ取ったものとして強い批判をしていることなどのみで明らかである。さらに重大なのは、各地域で戦後の自民党の中心を担った政治家たちの一定部分が安倍批判を述べていることである。

 私は、安倍首相の立場は、とても保守とはいいにくいものであることは明らかだと思う。そして安倍氏を「右翼」といえるのかどうかも疑問が多い。その政治手法は国民の代表であり、公僕であるという思想そのものがなく、実際には議会に縛られないことを希望し、さらに今回のような機密保護法を提出しているところからみて法治主義そのものを敵視する立場にいるというほかないだろう。TPPにせよ、経済政策にせよ、あまりに虚構の宣伝に類する発言が多い。そもそもこの人には国民的・民族的な利益というものを大事にしようという発想がないのである。その意味では、少なくとも、その政治手法は、半分、ファシズムに近いというほかないものである。

 もちろん、私は先日の「日本史の30冊」で吉見義明氏の『草の根のファシズム』をとりあげたときに述べた定義に厳密に対応するようなファシズムは、現在の日本社会では成立しがたいと思う。現在、世界でファシズムが実現すること自体が考えがたい。万が一、危険があるとしたら、アメリカが南米大陸との戦争というようなことになった場合であろうが、それは考えがたい。ともかく世界大戦、世界戦争ということがなければ新たなファシズムが体制として成立することは難しいのではないかと思う。もしまたファシズムが来るとしたら、それは世界戦争とほぼ同時tけいなものになるのではないだろうか。これは壊滅的なものである。

 そういう留保をおいた上でのことであるが、安倍首相の政治手法や、乱暴さはファシズム的なものというほかないように思う。

 こういう事態のなかで、「左翼・右翼」という19世紀的な分類法は意味を失っているのではないかというのが、私見である。必要なのは、ファシズム的な思考法に対置するのは、普通の民主主義、あるいは民主主義という言葉に拒否反応があるとしたら、普通の「中道・中庸」ということではないかと思う。

 現在の政治状況では、政党間の連携などを議論する条件はないが、日本共産党と社民党が中枢となって、民主党内部の良識派(ただし私は政治家ではないので、そういうものが本当にあるのかどうかは知らない)を支えて、100議席を超える「リベラルブロック」が野党の主導権を握るという希望を、tokyo democracy crewで読んだ。それがもっともよい短期展望であろうが、そのようなブロックは、中道と名乗ることもできるはずである。その意味では、日本共産党に「中道」の自覚をもってほしいと思う。

 そもそも、「革新」という言葉、「左翼・右翼」という言葉は曖昧でお払い箱にすべきものであるとしても、「中庸」という言葉は、それこそ孔子・老子、そしてアリストテレス以来の正しい言葉として有効なものであって、某政党のような政党が「中道・中庸」を自称するというのはおかしなことであると思う。

大きな海は隔てているものの、アメリカと中国という危険な大国の間にはさまれたこの国で、ファシズムのことを考えていると、ファシズムの対局にあるものが何かということを考えざるをえなくなるように思う。

総選挙、政治には絶対はないが、社会には絶対というものがある。

 総選挙ということである。選挙のときの政党選択は、基本的に、その時の最大の社会的問題にそって判断するべきものであると考えるが、今回の場合の絶対条件は、第一に沖縄の人々が、普天間基地の撤去について、県知事選挙で示した要求をどう考えるか、第二は東日本太平洋岸地震の被災地域の復旧と原発の大事故をどう考えるかであろう。この問題は原発の廃棄を選択するかどうかである。

 総選挙というのは、生きているうちにあと何度あるだろう。ともかくメモを残しておきたい。

 もちろん、多くの考えるべきことがあるが、しかし、この二つは沖縄県知事選と福島県知事選という直近の選挙の結果と政党の動きに関わるから、ここを基準として考えることが適当であろうと思う。
 沖縄では先日の知事選挙において、翁長那覇前市長が県民全体の33パーセントの支持率で当選した(投票率64パーセント)。仲井真前知事に10万票の差をつけた圧勝である。」衆議院選挙では、この知事選の確認団体が協同で、日本共産党・社会民主党・生活の党そして県議団からなる選考委員会で決定されたという元県議会議長、自民党県連顧問の仲里氏の四人を全衆院選挙区に立て、全員当選を目指すことが確定した。
 問題は福島だが、この10月の県知事選挙では、内堀雅雄前副知事を自由民主党、民主党、維新の党、公明党、社会民主党が支援し、元宮古市長の熊坂義裕氏を日本共産党、新党改革が支援し、内堀氏が全県民の30パーセントの支持率で当選した(投票率46パーセント)。熊坂氏と井戸川克隆氏、さらにほか3人の候補は脱原発を主張したが、熊坂氏は全県民の8,3パーセントの支持率にとどまり、井戸川氏などもふくめて全県民の14パーセントの支持率にとどまった。当選した内堀氏も県内原発の全基廃炉をいうが、自民党・民主党の支持をうけながらのものである。

 私は、社会的な問題を判断するときには絶対的な判断が可能であると考える。沖縄の米軍基地の撤去と、原発の即時停止、そして地震津波災害からの復旧は優先的な必要であり、絶対的な正統性をもっている。ここに日本社会のもっている自由なエネルギー、剰余エネルギーのすべてをまわすべきものである。困難はあり、無理はあっても、その道を通じてしか社会を維持する道はないと考える。
 もちろん、ここで振り向けられるべき「自由な社会的エネルギー」がどの程度のものか、そのエネルギーをどう使用すべきかについてはさまざまな意見はある。これは議論の対象である。しかし、米軍基地・原発の即時停止・災害復旧は絶対優先課題ではないという意見にはどのような意味でも賛成することはできない。このレヴェルでの「あれか、これか」という差異は絶対的である。もちろん、その意見は自由である。また中間的な意見というものはつねにある。しかし、事柄自体は絶対的な問題であると思う。

 政治の基本は政党選択である。ここからすると、今回の全国選挙、衆議院議員選挙における政党選択は上記の直近の重要選挙からの論理的な帰結として、日本共産党を選択するという狭い範囲に狭められる。いわばお寒いことではあるが、これが日本の政治の現実である。
 民主党という選択肢は、この党がここ10年やってきたことからしてまったくありえない不毛の選択である。この政党は、明瞭な自己の基本政策上の誤りについてさえ正確な総括を述べないことが決定的である。(マニフェストには沖縄の基地反対はなく、「日米同盟深化」「在日米軍再編に関する日米合意を着実に実施」とある。消費税増税は延期とあるのみ。機密法自体には賛否をいわず)。また問題は社民党であって、この党は、沖縄では役割を果たしながら、なぜ福島県知事選で、上記のような選択をしたのか。この党の責任は大きい。
 いま必要なのは基本的な選択である。数をどうする。ああなればこうなるというような希望的選択ではない。沖縄の米軍基地と原発の即時停止には、そういう種類の選択では越えることがない客観的な壁がある。体制的な壁がある。それをよしとする力は強力な体制として厳存している。

 政治は代表ということである。政治が社会を代表するというのは、ただ代議制ということのみであるのではない。代表するという役割は、どのような社会でも、どのような問題でも必須なのであって、「直接民主制」においても代表はつねに必要である。しかし、代表を固定しない、代表を身分的に固定しない。社会を構成する全員が代表性をもっているというのが社会の進歩である。社会は無限に多様であって、その無限な多様性を全体として認識することはできない。認識したとたんに無限な多様性は私たちからずれていく。

 政治には絶対はない。政治は社会の判断を反映すべきものであって、政治の場面に自足して正統性が問われることは本末転倒である。その意味では政治はつねに相対的なものである。政治が個人にとって絶対的なものとなるのは、政治を職業としてそれで生きている人々、政治家・政党人・専任活動家などのみである。彼らにとっての政治は個人責任であり、絶対的なものでなければこまる。政治家というは、ようするに非生産労働である以上、仕事については何をいわれても甘受すべきものであることはいうまでもなかろう。彼らは社会的にいえば「ただめし」食いを許されている存在なのである。
 労働の結果が有益かどうか、有用性をもつかどうかは、学術生産においては予定できない。そこに学術生産の特殊性があるといわれたのはギリシャ史の太田秀通先生である。その意味では学者もただめし食いをゆるされた存在である。ただ、学者の場合は、社会におけるさまざまな専門性を通じて労働の諸分野と間接的(あるいは直接的な)な関係を維持している。それは専門性のネットワークに直接に属していて、その意味では労働の一分野である。それはその範囲では「生産的労働」の形をとっているといってもよい。
 それに対して、政治家・政党人・専任活動家は決して生産的労働ではありえない。そういう意味でそれはいわば「あれかこれか」、「ただめし食い」であるだけに、逆にいわば無限責任の重大な仕事なのである。

 日本共産党については、あくまでも政治組織、社会の利益を代表する組織であって、いわゆる「世界観政党」ではないことを確認してほしい。そういう意味での「ただの」政治組織に徹っすべきだし、「国民の党」という自称は正しいと思う。

 丸山真男は古在由重との対談に後記して「周知のようにマルクス主義の世界観においては、哲学と科学と革命運動とが三位一体をなしている」(『丸山真男対話編』1)と述べているが、すでにそういう時代ではないはずである。

 堀田善衛の『若きの詩人たちの肖像』(171頁)には、反戦活動をする山田喜太郎君に対する違和感が語られている。「反戦活動と社会をひっくり返すための理の筋としては、マルクス主義は、この二つを兼ねうるものとして唯一無二のものであるとは思っていたが、芸術にまではとても無理があると思っていた」「一つの理でもってなにも全部を律することは必要でないと思っていた」とあって、若者の言葉として「文学や芸術のことは、男女の仲と同じで、そっちのことよりももっと手間も暇もかかるよ。そっちの革命ができてからでも駄目かもしれないと思うよ。そして駄目でもいいんだと思うんだ。駄目だからいい、というふうに、いまにマルクス主義の方から判断をするという逆転期が来ないとも限らないよ」とある(なお、この山田喜太郎という名前は山田盛太郎と西田幾多郎をあわせたものではないか。いい冗談とは思わないが、堀田のやりそうなことだと思う)。
 ともかく、社会・自然・人文諸科学をこえた独自な「マルクス主義哲学」なるものは存在しえない、必要がないということは、19世紀以来の経過のなかで、すでに明らかではないかというように、私は思う。論理学と「弁証法」があれば十分だとは思わないが、私は、フォイエルバハ・キルケゴール・バタイユなどの哲学が好きで、それで少なくとも当面は十分であると思う。必要なものは、マルクスのみでなく、上記のような哲学者の考えたであり、さらに禅宗を初めとした東洋思想や神話をふくめた自然思想を含め、すべてはそれらのその先にあると思う。少なくとも歴史学者としてはそういうことである。

 なお代表の論理はキルケゴールのいう「権威」の論理の裏側をみればよいのだと思う。みごとな文章なので忘れないように引用。
 「ソクラテスの考えからすれば、ひとりひとりの人間が自分自身のうちに中心をもっているのであって、全世界はひとえにこの自己という中心にたいして存在する。なぜならば、人間の心(自己認識)は、かならず一つの神への通路だからである。ソクラテスはこのように自分自身を理解した。そして、彼の考えによれば、どんな人間もこのように自分自身を理解すべきであり、そしてそれにもとづいて他の人間に対する自分の関係を理解すべきであった。すなわちいかなるときにも、一方ではへりくだりを、他方では誇りを、両々相持すべきであった。牧師先生が教会の小使いより少しばかり偉くて、どんな人間でも他人に対して権威を振り回している現代からみれば、なんと類まれなることよ。しかも、今日、それらの差別とそれらの無数の権威とがすべて「媒介されて」世をあげての狂気の沙汰と化し、「全員遭難」の惨事を引き起こそうとしているのだ。というのは、これまでいかなる人間でも、ほんとうの意味で権威であった者はけっしてなく、また権威となることによって他人に益をもたらした者や、自分に頼ってくる人間を本当の意味で引っぱっていくことのできた者もおよそいないのに、その大それたことが、別の方法をとることによってみごとに成功するからである」(「哲学的断片」)。


 ついでのメモ。『若きの詩人たちの肖像』には戦争中に上智大学のカソリックの研究所で古在由重・戸坂潤・三木清などが仕事をしていることに、若い詩人が「奇異」の念をもっていた様子が描かれているが、しかし、この研究所の実際は、上の対談における古在の述懐で詳しく知ることができる。両方をよむことができるというのが時間の経過と言うことなのだと思う。
11月24日の記事ですが、トップにおいておきます

2014年12月 1日 (月)

キルケゴール的な「個人」

 文明なるものの進んだ今日、永遠なるものを人間と同じような姿や感情をもつ神の姿において考えるのは、擬人的な神概念であって時代遅れだとされる。ところが、永遠なる存在に審判者としての位置を想定する場合に、それを普通の裁判官あるいは最高裁判所の裁判官と同じようなものと考えることは、別に時代遅れであるとはいわれない。そして、その場合、普通の裁判官は、それほど広汎にわたる事件を処理できるものではない。それは永遠の世界も同じであるという錯覚が滑り込んできて、広汎な審判が個々人の内面にまで及ぶ厳しさをもっていることが曖昧にされる。人々も一致して、しかるべき立場の人にもこういう錯覚を共有してもらって安穏を確かめたいということになる。そしてもし、あえて異説を主張するような個人、自分自身の生をわざと恐れとおののきによって不安で気の重いものにし、さらには他の人々も巻きこもうというような個人がいたら、彼を狂人扱いにして、必要なら死んでもらおうという訳である。その場合、我々の方が多数でありさえすれば、それは何も不正なことではない。多数者が不正をなしうるなどということこそナンセンスであり、時代遅れの妄想である。多数者のなすところ、それこそが永遠なるものの表現であるという訳だ。

 久しぶりに旧職場に向かう総武線でブログを書いている。上記は最近凝っているキルケゴールの翻訳しなおしの仕事。『死にいたる病』の一節である。キリスト教や神という用語をできるかぎり省略し、訳語を変えるというやり方で読んでいると、どの文節もそのまま現代思想として通用するのが面白い。ギリギリまで、その作業をしてみてから考えてみたいことがいくつかある。キルケゴールは断片的には拾い読みしたものの、『死にいたる病』のほかは、『哲学的断片』『誘惑者の手記』くらいしか読んでいないが、それらをふくめて来年は読み直してみたいものだ。
 
 今年も年末が近づいて、賀状をだす季節となった。私はずっと「核時代後」という私年号を使っているが、これもキルケゴール的な「個人」ということになる。

 実は、さきほど必要があって銀行へ行って用をすませたが、用紙の書き込み枠に「和暦」という注記による限定があった。そこで欄外に「西暦」を記入しておいたところ、窓口の女性が、「平成云々」というので、そっちで記入してくれますかといった。不思議そうな顔をしているので、「悪いけど元号は覚えないようにしているので」と説明。彼女は面白そうな顔をした。

 「悪いけど」というのはただの挨拶であって、歴史家としては当然のことである。元号をどう考えるかは歴史観の原則問題に関係していて、それについては不本意な意識の使用や不要な妥協はしないというのが(私見では)歴史家にとってほ根本的な問題。私は時間の永遠性の感覚を日常的に維持するためには、西暦しか覚えないというのが次善の策であると考えている。

 もちろん、職場などの共同性のある場所では、事務情報の形式については学者としての個人意見を押し通すことはしない。事務情報をあつかう側には、事務処理形式を判断する権利があって、社会的慣習のままでやっていく権利がある。実際、日本の世俗社会のコンピュータシステムが元号で統一されている以上、それはやむをえない。そういう世界から解放されたことをつくづくありがたいと思う。

 しかし銀行のような商品経済関係、市民的経済関係で元号を強要されるのは不快である。本来は、そのような銀行とはつき合わないというのが原則的な生活態度というものである。そもそも元号と西暦の変換システムを日本のコンピュータシステムが内在しているというのは巨大な無駄である。システムの開発・装備・維持などで、これまでどれだけの社会的資源が無駄にされたか。経済とは過去将来の小さな無駄を排除する計画性をいうはずである。こういう意味での経済が日本の社会生活に根づくのにはあと何年かかるか。

 核時代後という年号表記が、今後、どこまで根づくかはわからないが、しかし、この問題が十分に筋を通して処置されることは、私のような立場からすると、社会の進歩をはかる重要な指標である。

 我が国の首相は、テレビの街頭インタビューで自分のやっている経済「政策」が不評なのを聞いて、「もうかっている人はもうかっているといわないものです」、インタビュアーが偏っているといったということである。
 「もうかっている人はもうかっているといわないものです」というのは通俗的な拝金主義者(ローマ法王の言葉)の日常感覚である。この人はそういうのが自分の実感なのであろう。
 それを自分の政策が不評という国民の声にj反論して口に出すことが一国の首相にふさわしいものとは思えない。この人は国民の代表という意識がないのである。この人は、自分の属している身分集団の常識と被害者意識を垂れ流している。自分の属している集団が一種の身分集団(世襲政治家集団)となっていることを自覚していない。日本国のためにたいへんになげかわしい。
 
 
明日は京都。朝の新幹線で30冊の原稿を一つ仕上げないとならない。

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