政治の言葉からの撤退。左翼・右翼という言葉はやめよう
しばらく自分の仕事ができず、人の書いたものを読んでチェックしたり、勉強したりの日が続いている。こういう仕事は不得手で疲れるが、本来は、歴史家の仕事の本筋なのだということを自覚させられる。ただ如何せん、肩がこって身体がついていかない。こういう文章を書いている方がずっと楽である。
ついていけないことに「政治」というものがある。調子でそう書いてから、あわてて修正するが、政治は、現在もっとも必要なことであるというのは事実である。政治的な活動をする人はご苦労であり、かつ、社会にとって必要な政治を私心なく担っている方々には満腔の敬意をささげる。
しかし、私のような学者の立場だと、政治からの撤退、政治の言葉からの撤退を準備するのも大事な役割だと思う。
しばらく前のエントリで、「左翼・右翼」という言葉で「政治」を考えたり感じたりするのは、そろそろやめようと述べた。
政治とは別の言葉でかたる空間を増やしていこう。おのもおのもの生業と生活、おのおのの責任に属する、おのおのの専門性に属するネットワークの言葉の世界に政治を取り戻していく。おのおのの地域の生活と自然とのつきあいのネットワークですべての空間をおおいつくしていく。おのおのの仲間と世代がぶち当たってきた問題をもう一度考え直し、そしてリユニオン、Re-unionの空間と時間をもとう。これによって社会の経験を次ぎに次ぎに引き継いでいこう。
昨日の夜、(深夜目が覚めて)、ル・グゥインの『所有せざる人々』を読んでいたら、シンジケートという言葉がでてきた。一つの結社、仲間のことをいっているのだが、シンジケートという言葉がなつかしかった。というのは、我々の世代だと『アンタッチャブル』(The Untouchables)というテレビがあって、主演のロバート・スタックのかっこよさは覚えている人は多いに違いない。シンジケートという言葉を覚えたのは、このテレビであったはずで、これは酒や麻薬の密売ルートである。けれども、シンジケートという言葉自体がかっこうがよかった。結社・仲間・ルートということになる。
おのおのの生業と地域と世代のなかで作られるシンジケートによって社会ができていて、政府や行政は、そのなかに埋没していて、必要なときだけ救急車のようにやってくるというのが、私の将来社会イメージ。社会は、そのようにして成熟していくことが可能になりつつある。少なくともそのイメージは描ける時代になる可能性があるというのが一つの希望。
もちろん、いわゆる「現下の社会」は、なかなか大変で、政治の言葉から撤退する訳にはいかない。今日の東京新聞に、哲学の国分功一郎氏が安倍首相の気分について「『先輩たちはダメって言ってたけど、知らんぷりをすると何でもできますよ』という気分なのでしょう」といっているが、これは言い得て妙である。
少し引用を続けると「たとえば小泉政権はポピュリズムと言われましたが、それは民主主義に内在する性質の一つでもあります。実現された政策の評価はともかく、世論と民主主義を活用した政権であったことは間違いない。それに対し、現政権は民主主義を何とも思わず、権限さえ獲得してしまえばよいという発想。これは新しいタイプの政権ではないか」という。
たしかに、こういうのはいわば「半ファシズム」という感じのことであって、日本の社会で「実力」をもっている人たちの気分を反映しているだけに、なかなかあなどれないように思う。これは引く訳にはいかない問題である。政治から瞑想の世界への撤退は、そう簡単には許されない。
けれども、一度、トランスして、政治の言葉それ自身を疑ってみたい。つまり、これは先日も書いたことだが、「左翼・右翼」という言葉で自分たちのことを語るのはやめたらどうかということである。この言葉がフランス革命の時代の議場の座席から来た言葉であることはよく知られている。この「左翼・右翼」という用語はようするに19世紀ヨーロッパの言葉であって、そろそろ退場させた方がよいのではないだろうか。
左翼・右翼というのは、「過去と未来」をふくむ「時間」には関わらない言葉、ようするに「現在」に対する態度であって、それを「左翼・右翼」という空間に関わらせて表現しているのが興味深い。人間は「現在という空間」を前にすると「右か左か」という空間感覚で反応する訳である。しかし、19世紀ヨーロッパとは違って、いまの我々は視線を低くしてまっすぐ進むことができるのではないだろうか。
それが「政治とは別の言葉でかたる空間を増やしていこう」と先にいったことの意味である。
以下、この前に述べたことの繰り返しだが、「左翼」は、この社会の現状批判において「知性中心主義」をとる。その知性の中身が本当に客観的なものかどうかは別として、「左翼」というものは、とかく理屈が先行するもの、「角がたつ」ものである。これに対して「右翼」の論理は「分かったようなことをいうな」という経験主義であって、熟知した共同的感情をなによりも重視する心意に立つ。その極点において「共和党がナショナリストになる」訳である。
私は、こういう左翼・右翼という心理は、それ自体としては双方にそれなりの社会的根拠があると考える。もちろん、私は学者なので、ある意味で「左翼」であることを隠そうとは思わない。学者は知性の立場に立って、社会から自立し、それに対して批判を貫き、「理屈」で「角をたてる」のがその職能的な役割である。批判を第一にしない学問などというのは、(それ自体の価値は別として)社会的な意味は極小になる。
とくに日本のような社会で歴史学者をやっていると「左翼」であるのがいわば常識的なスタンスになる。これは説明が必要かもしれないが、実際、日本社会において歴史学者が「右翼」であるというのはむずかしいことなのである。つまり寺山修司ではないが、「身捨つるほどの祖国はありや」というのが、日本の「民族」の状況である。アジア太平洋戦争の経過からしても、また日本の戦後の支配政党(自民党)がアメリカべったりで「買弁」的、「売国」的な姿勢をとっている関係からいっても、日本には普通の右翼というものが成立する条件がほとんどといっていいほどないのである。そういうなかで、歴史学者は、いわば「保守的左翼」という立場をとるのが普通になっていくのではないかと思う。少なくとも、私はそうであった。
さてともかく、「左翼」「右翼」という感じ方では、やっていけない時代というのが来ていると、私は思う。保守であると同時に進歩であるような立場にたって徐々にゆっくり前に進んでいくということであると思う。保守と進歩ということについても前に書いたが、「保守ー進歩」という言葉は時間についての考え方・感じ方だから、今後も両方ともずっと生きると思う。しかし、繰り返せば、「左翼」「右翼」というのは現在という空間に関わる言葉だから、いつか消えていくはずだと思う。
我々の世代にとっては政治的解放と人間的解放は別のことであることは明瞭であったはずだ。その両方を明確に区別し、最終的な行き先としての、個々の人間の解放を少しずつ考えていくこと、そして、政治的解放を政治からの解放に結びつけること。これが問題であったはずだと思う。
そういう議論をした青春の仲間、高校時代、浪人の時代の友人と仲間、そして母校、国際キリスト教大学の仲間たちのことを思う。私の世代のシンジケートである。
先日、いわゆる危機の神学、カール・バルトについての滝沢克己氏の本を手に入れた。これは我々の世代でキリスト教経験のある方にしかわからないかもしれないが、キルケゴール→カール・バルト→滝沢克己というルートは、日本の思想史にとっても重要なものであると思う。来年は、これをキルケゴールの翻訳やり直しをしながら、少しバルトの関係についても読んで、大学時代以来の宿題をはたしたい。
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