核時代後という年号について

今年も暮れる。と書いていたうちに新年となった。
例年、大晦日まで賀状がずれ込むが、今年は、ともかく大急ぎの仕事が28日に終わり、29日に賀状の処理がすんだ。
私は、賀状では、核時代後という年号をつかっている。今年は「核時代後71年」と計算した。これは、自分ではじめたのではない。すでに誰かがどこかで使っているのを聞いた記憶があり、それにならった。何となく、それに関わって原民喜の名を記憶している。
いま、過去の年賀状を調べてみたところ、「核時代後四七年(西暦1992)元旦」というのがもっとも古かった。20年以上、これでやってきた。
その賀状には、『詩経秦風』渭陽から、下記の詩をとって載せていた。
我送舅氏
悠悠我思
何以贈之
瓊瑰玉佩
西暦というのは、やはり、ヨーロッパ中心史観の影がある。それを将来の将来まで使用するということには、無理があるように思う。ただ広島・長崎におとされる核爆弾がはじめて実験された年が紀元となるのは、なにかつらい感じもする。それはもとより、この列島に関わるだけのことではない。少なくとも、第二次世界大戦、アジア・太平洋戦争についての感じ方が、まずはアジア・太平洋地域で共有されなければならない。それはいまの状態ではむずかしい。
それは、世界で共用できる時間意識というものがどういうものになるのかという問題である。世界史をどう考えているかという問題である。それがどのような区切りの意識になるのか。
さらに、実際にこのことを考える条件は、原子力発電をやめ、そして廃炉が進み、さらに世界で核廃絶が決まるということが必要になるに違いない。核というものをどう考えるかの一致が必要であり、その意味で「核問題」からの解放が必要である。残念ながら、それはまだまだ先のことである。それまでは、この「核時代後」(広島・長崎紀元)を、この列島の人びとが使用するというのは考え方としてはありうるように思う。
歴史家としては、年号はリニアーでなければならない。直線的で、ずっとつづく連続数でなければならないと思う。そして、ともかく歴史家としての仕事が、新しい世界史の時間意識を作るうえで、少しでも有効なものとなるように努力したいと思う。
写真は近くの作草部神社。元旦の朝。今年は仕事をしていて、夜はいかず。
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