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2015年1月27日 (火)

この国のマスコミはおかしい。翁長知事の県警への抗議をなぜ報道しない

 昨日、26日、沖縄の翁長雄志知事は、県庁に海上保安本部と県警の責任者を呼んで、新基地建設に反対する市民らにけが人が出ていることに抗議し、警備に当たってけが人を出さないよう申し入れた。琉球新報によると「大変憂慮している」「県民36万人の思いが込められた抗議行動だ。この事実を心掛けて職務をしてほしい」と求めたという。

 この記事が私のとっている東京新聞にはのっていない。東京新聞は3面左側コラムで、前知事が選挙前、そして、選挙結果がでた後にも強行した辺野古埋め立て承認について、同じ26日、翁長知事が検証委員会を設置する方向を示したことについての報道をするのみで、この県警・海上保安部に対する抗議の申し入れにふれていない。他の各紙がどう対応したかは情報をもたないが、多かれ少なかれ同じだろう。自治体の長が警察・保安関係の責任者に抗議したというような重大ニュースを載せないのはジャーナリズムの最低基準をクリヤーできない不見識である。

 なぜ、こういう不見識が生まれるのかが問題だが、第一には、ようするに「騒然とした状況」のなかで、責任のデスクの体制が「何が基本か」を判断できない状況であるとしかいいようがない。これは事態をどう考えるか、賛成か反対かなどとは関係のない良識に属する問題である。良識より「騒然」とした状況それ自体に注目してしまうということなのではないか。第二には、新聞紙面を商品としてみる感覚なのであろう。実際、琉球新報によると、海上保安部も県警も知事の要請に対して居直っているということだから、そういうことを朝から読みたくないという読者も多いのは当然である。良識に反したことが行われているということを書きたくないという心理がはたらくのだろう。

 私は普通の学者なので「騒然」とした状況をこのまない。県知事選挙で県民の意思がでた以上、さまざまな困難はあっても、それにそって粛々と処理を進めるのが普通のことだ。じっくり物事を考えるために、無理なことはやらないというのが常識というものである。仲井真前知事はそういう態度はとらず、また日本の政府はそういう立場をとっていないが、ジャーナリズムが、「無理なことはしない、するべきではない」という立場をとらずにどうするのだということである。少なくともそういう立場から事実を淡々と報告しなくてどうするのだということである。

 こういうのをみていると、そもそもジャーナリズムは「騒然」としたことが好きなのだろう、何という人びとだという感覚をもたざるをえない。騒然としたことが「飯の種」という感覚が日本のジャーナリズムには根付いているのである。やや迂遠なことをいわせていただくと、平安時代、武士は、強盗や山賊を捉えることを職責とし、しかも必要な場合には、強盗・山賊を手下にかかえ、自分自身が強盗山賊をして生きていた(鎌倉時代の『吾妻鏡』に畠山氏の発言としてでてくる)。これはようするに武士は犯罪を「飯の種」として生きていた犯罪身分の一部であるということである。江戸時代の目明かしがヤクザを飯の種としていたのと同じである。何を飯の種とするかという論理は、同じことだ。職能を「天命=ベルーフ」と思わずに、それを無視する形で「飯の種」視しているというのは普通の職業倫理に反する。

 もちろん、沖縄の問題は真っ正面からキャンペーンを張るべき問題である。辺野古で人びとが行動しており、乱暴な「警備」によって怪我する人もでているのである。彼らの主張は、実際に選挙結果を実現するための普通の行動である以上、「普通のジャーナリズム」ならば性根をすえてキャンペーンを張るのが当然である。

 しかし、私は、そこまで要求する訳ではない。問題はそれ以前のことだろう。少なくとも自治体の長が警察・保安関係の責任者に抗議したというような重大ニュースを載せるのは、購読費を支払った読者に対する普通の対価であろうというのである。
 本来、その記事さえ載せないようなマスコミを購入する必要はない。それこそ、琉球新報・沖縄タイムズを毎日ネットワークで見ていれば、それで必要はすむのである。日本社会は本質的に「多忙社会」だから、さすがに、そういうことは忙しくてできない。現在の企業としてのジャーナリズム、マスコミは、そういう隙間と社会の弱さを「飯の種」にして生きているというのが実態であることなのであろう。
 「多忙社会」を「騒然社会」にすることに貢献するジャーナリズムは、「消滅・死滅」していくべき存在である。

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