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2015年2月 9日 (月)

琉球・沖縄は、歴史学にとってはきわめて大事な場所である。

 琉球・沖縄は、歴史学にとってはきわめて大事な場所である。現在の沖縄のことを考える上で、過去の長い歴史を前提にして、それを考えるのは当然のことである。

 「沖縄は、日本社会のなかで、個性ある文化一般をこえたきわめて特殊・例外的ともいえる地域的独自性と文化的個性をもっており、日本社会の他のいずれの府県にも類例を見いだすことのできない、きわめて特殊な地域として歴史的に存在しているだけでなく、現在の時点においてもなお、きわめて独自な地域として存続している」

 これは1978年のNKHKの全国県民意識調査を分析した歴史家・安良城盛昭氏の言葉であるが、たしかに沖縄は独自なものをもっている地域だと思う。沖縄における「保革」の連携というのは、おそらく、前近代から続く長い沖縄の歴史というものと切り離せないものであろうと思う。沖縄における「保守」の思想というものの実態を知りたいと思う。
 
 沖縄は、独特な文化をもち、長く東アジア・東南アジアの窓であるような社会であった。私は、柳田国男・折口信夫が沖縄に惹かれたことは、彼らにとって自然なことであったし、重要なことであると思う。もちろん、高良倉吉がいうように、もっとも重要な学者が伊波普猷であり、伊波ー河上肇のルートの上に問題を考えなければならないが、しかし、柳田・折口問題は、現在の沖縄の雰囲気、そして「本土」の雰囲気を前進的に見通しのよいものにしていく上では検討を欠かせないと思う。ともかく、そういう積もりで、神話論をやっている。
 
 それにしても、そういう目で沖縄の現在を考えるという学術文化の雰囲気がなくなっているのではないかというのが心配なことである。

 さて、下記は、いま書いている『日本史の30冊』の一冊、豊見山和行編『琉球・沖縄史の世界』(吉川弘文館、二〇〇三年)の紹介文である。やっと書けた。歴史に興味のある人には、安良城盛昭・高良倉吉氏などの本とともに、是非、読んでほしいものである。


 一九六三年に刊行された『沖縄』(岩波新書)は、現在でも読むにたえる沖縄史論の古典である。その第一節「日本人の民族意識と沖縄」は、「本土」の沖縄についての「異常な無関心」を伝えるところからはじまり、「沖縄にたいするこうした無理解、国民的な連帯意識の弱さは、とうぜん沖縄返還運動を全国民的なものとするうえに大きな障害となっている」「日本のナショナリズム=民族的な連帯意識の弱さについては、すでに多くの学者の論及がある。むしろその問題は、戦後の日本の論壇での、最も主要な継続的なテー マであった。そこには、たんに日本人の一般的な民族意識の弱さという問題だけでなく、沖縄に対する一種の差別意識の問題がある」と続く。そして、その差別意識の根拠は「琉球という一種の異民族、異質の 文化圏にぞくする僻地としてのイメージが、日本人の意識に歴史的にうえつけられている」ことに求められる。

 『沖縄』の筆頭著者・比嘉春潮は柳田国男に師事した著名な民俗学者であり、彼がこのように問題を設定したのはめざましいことである。しかし、問題は事実認識にあった。つまり、新書『沖縄』は「本土」と琉球の「民族的」近接性を強調する一方で、琉球を固定的に「僻地」とみてしまう。弥生時代に農業の道をとらなかったために農業の発達が遅れ、停滞的な歩みの中で沖縄は眠っていたとまでいうのである。こうして近縁的な社会の相違が「発展の相違」に還元され、琉球は「本土」にくらべ、社会発展史上で一〇世紀も遅れていたと結論される。しばらく前までは、「本土」の歴史学界でも一四世紀の琉球王国ははじめての古代国家であり、薩摩の武力進入(一六〇九年)は、封建国家による古代国家の統合であるなどという意見がしばしば聞かれた。

 この種の抽象論は今では笑い種にすぎないが、比嘉たちの議論には彼らなりの理由があった。琉球王国に武力統合した薩摩藩、「琉球処分」によって中央集権を確定した明治国家の支配の下で、琉球が直面した差別と収奪を強調するあまり、彼らは、琉球史の枠組を苦難と「貧しさ」を基軸として描いてしまったのである。

 しかし、近年の琉球史の研究は、琉球が豊かなサンゴ礁の漁撈、多様な海産物と硫黄・砂糖などの特産品をもち、「僻地」であるどころか東南アジアに貿易圏をひろげた大規模な港市国家であったことを明瞭にした。琉球史を無前提に「日本史の一環」ということはできないというのである。その起点を作ったのは、太閤検地論で有名な沖縄出身の歴史学者、安良城盛昭であり、その影響の下で本格的な史料分析によって琉球王国の国制を明らかにした高良倉吉であった。

 本書はそれ以来、二〇年ほどの研究の到達点を示している。残念ながら、本書は通史ではなく、編者による序論と六本の論文からなる研究論集であるが、しかし、「本土」と琉球が各々異なりながらも深く関係しあって発展と変化の道を歩んできた枠組を明らかにすることに成功している(想起されるのは、かって岡本太郎が「沖縄・日本は地理的にはアジアだが、アジア大陸の運命をしょっていない。むしろ太平洋の島嶼文化と考えるべきである。(しかも)沖縄・日本は太平洋のなかでもひどく独自な文化圏である」と述べたことであろう。有名な島尾敏雄のヤポネシア論も同じ発想である。本書が歴史の舞台として設定したのも、同じ琉球弧から千島列島にいたるジャパネシア世界である。)

 その時代区分は、序論とⅠ章「琉球王国の形成と東アジア」(安里進)で述べられており、その(1)草創期縄文文化は、南アジアに特徴的な丸ノミなどをともなうもので、琉球弧ルートで鹿児島に到ったが、六四〇〇年前の鬼界カルデラ噴火で壊滅した。その後、展開したのは(2)「貝塚文化」であって、北部九州の縄文文化との交流も維持しながら独自化の道を歩み、中国とのタカラガイ交易などを特徴としていた。そして本土の弥生時代に対応する時期を(3)「貝塚後期文化」といい、そこでは旧石器時代以後の温暖化のなかで発達したサンゴ礁の生態系に依拠した生業システムが形成される。彼らは、豊かな漁撈と独占的な貝交易によって弥生農耕文化を受けいれる必要がなかった。そもそも農業の発展のみを社会分析のモノサシとするようなことは誤りであるというのが本書の視座である。

 「本土」の古墳時代以降に対応する(4)貝塚文化最末期には、ホラガイが仏教の法具とされ、日本を経由して大陸に流通し、さらに唐で発達した螺鈿細工の原料としてのヤコウガイも移出される。その代わりに人びとは鉄器を入手するが、このような交易の統括において役割を高めた首長が、琉球の各地域に盤踞し始めたのである。

 これをうけてだいたい一〇世紀以降、「本土」の平安時代に対応する時期に(5)原グスク時代が始まる。中国の宋代における華僑の東南アジア展開のような交易の広域化に対応して、この時期、長崎産の石鍋や徳之島産の須恵質陶器カムィ焼が琉球全域に流通する。そして、畠作や水田が本格化し、人口が増大する。その中枢には城塞形の小さなグスク的遺跡が位置していた。そして、一三世紀以降、いよいよ(6)大型グスクの時代が始まり、浦添グスクに拠点をもつ初期中山王家の勢力が他のグスクを圧倒した地位をもって出発した。一四世紀に入ると中山から山南・山北が分離して三山時代が始まるが、一四二〇年代には思紹と尚巴志の父子(第一尚氏)が三山を統一し首里へ拠点を移す。その後、第二尚氏への王朝交替があって尚真王期には(在位一五世紀後半から一六世紀)琉球王国は琉球全域におよぶ繁栄した王国となる。(7)琉球王国の時代である。この時期、琉球は東南アジアにまで貿易船を送り、「万国の津梁」と自称したという。

 問題は、この琉球王国の繁栄が明の冊封と海禁体制のなかでの琉球の特権的地位に支えられていたことで、しかも、時代がすぐにヨーロッパ勢力のアジア登場にむかっていたことである。これがアフリカと南アメリカにおける人間の大量殺害によって特徴づけられ、「長い一六世紀」ともいわれる世界資本主義の原始蓄積期であることはいうまでもない。そして、本書Ⅱ章「琉球貿易の構造と流通ネットワーク」(真栄平房昭)に記されているように、この原蓄の推進要因となったグローバルな貴金属流通の中枢に、メキシコ銀のアジア中国還流と膨大な日本銀の増産があった。

 こうして世界史は近代の帝国の競合の時代に入り、東アジアでは中華帝国の最後の建設と崩壊の時期に入っていく。それに先だって日本が秀吉の朝鮮出兵という帝国的冒険に突入し、それは無益な破壊をもたらしただけで終わったものの、極東の小帝国としての日本(参照、本書■頁)を担保する形で、薩摩の琉球への侵略と武力統合が行われた。

 (8)江戸期の琉球王国は、一方で江戸幕藩体制の下に統合され、他方で清への朝貢体制を維持したが、その中で逆に芸能・生活文化から国制にいたるまで琉球としての特色が意識された。Ⅲ章「自立への模索」(田名真之)は、この純化・独自化の逆説を「琉球的身分制」と「史書の編纂」という側面から描き出している。またⅣ章「伝統社会のなかの女性」(池宮正治・小野まさ子)は沖縄の女性史の分野にあてられており、祭祀と芸能、さらに繊維の生産と貢納を中心とした女性の位置について論じている。Ⅲ・Ⅳを通じて歴史学の側から琉球文化の成熟の様相が語られるが、全体として女性の位置が独自なようにみえるのは、本書の論調からすると、海洋国家に独自な男女間の社会分業ということに関わるのであろうか。なお、Ⅱ章において、琉球が日本列島の南北軸の西南端という位置を生かして江戸期の列島市場との結合を高めながら、砂糖を大阪に出荷する見返りに渡唐銀を入手し、北海の昆布などの海産物の輸出ルートに乗るという遠心性を確保していることなども、「両属と自立」という図柄のなかに位置づけられている。

 さて、以上が前近代部分のだいたいの紹介であるが、Ⅴ章「王国の消滅と沖縄の近代」(赤嶺守)、Ⅵ「世界市場に夢想される帝国」(冨山一郎)は、中華帝国体制の崩壊の隙間を狙って明治国家によって行われた琉球王国の政治的廃絶から(「琉球処分」)、日本の帝国経済の台湾への拡大のなかで必然化された江戸期琉球の砂糖産業の経済的破綻(「いわゆる「ソテツ地獄」)までを取り扱っている。とくにⅤの分析は鋭いもので「琉球処分」がやはり国際的な不法行為であったことを明らかにしているように思う(なお、本書には、これに対応する薩摩の琉球王国侵略についての具体的な記述がないが、これは紙屋敦之の仕事などによって補充する必要がある)。
 冒頭に述べたように、本書は、通史ではない。しかし、この紹介からもわかるように、本書は、具体的な記述のなかで、前近代史と近代史を統一的・連続的に説明するという通史にとってもっとも重要な視座を提供している。何よりも重要なのは、本書が、琉球史というもっとも重要な部面において、「日本人」という民族を固定してとらえる考え方を実際の叙述において乗り越えたということであろう。それを敷衍すれば、民族なるものが実際の社会・社会構造と異なるレヴェルで自己運動し、「形成」されたり、「統一」されたりする実態をもつというのは幻想にすぎないということであろう。私見では、悪名高いスターリンの「言語、地域、経済生 活、文化にあらわれる心理状態の四つの共通性を必然条件とする歴史的に構成された人間の堅固な共同体」云々という固定的定義は、その幻想を形式論理で包んだものにすぎない。

 すでに新書『沖縄』も「どこかに‘日本人’または‘日本民族’なるものがいて、ぜんぶ同じ体質と同じ文化をもち、同じような歴史的発展をしてきたという考え方」を痛烈に批判していた。比嘉らが「ナショナリズム」を「無関心」や「差別」を突き抜けて希求される「国民的な連帯意識」の問題としたことは冒頭に引用した通りである。たしかに「民族」とは、実在する「国家ー国民」の関係とは区別される「連帯意識」にかかわることであり、より正確にいえば多重的で伸縮する公共圏のあり方にかかわる問題である。
 しかし、国家と社会の間に存在する公的な圏域が民族の名をもってよびだされる場合、それが民主主義的なものか、魔物であるかはすべて時と場合による。琉球史は、この歴史学にとって緊要な方法問題に直結する分野であり、本書は、それを具体的な実証の場所で考える上での試金石となっている。

比嘉春潮・霜田正次・新里恵二『沖縄』、岩波新書1963年
安良城盛昭『新・沖縄史論』沖縄タイムス、1980年
高良倉吉『琉球王国の構造』吉川弘文館、1987年

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