米軍に「良き隣人」をみた沖縄の「保守」--翁長知事の発言
翁長知事が、当選後、米軍について「良き隣人のなすべきこととは思えない」と発言したことが強い印象に残っている。
これは知事が、米軍に「良き隣人」たることを期待するという言葉に馴染んでいたことを意味する。それを前提として、少しづつでも状況を改善していく。これが沖縄の「保守」の考え方であったのであろうと思う。
もちろん、現在の問題は、アメリカも日本の「本土」政府も、どちらも決して「よき隣人」ではないということが誰の目でみても明らかになってしまったということであろう。だから沖縄では、「保守」の知事がアメリカ軍と安倍内閣を強く批判するということになっている。
このままアメリカ軍と安倍内閣が巨大基地建設、キャンプシュワブの大拡大を強行するとすると、問題は日米安保条約にもとづく基地提供それ自身ををどう考えるかということになる。日米安保体制そのものが問われるということになる。もし、そうなれば、またさまざまな議論が必要になってくる。
けれども、その議論に進む前に、私は、沖縄の「保守」の立場というものが、歴史からみると、ある意味で自然なものであったということを確認しておくべきだろうと思う。
翁長知事の発言を聞いて思い出したのは、岡本太郎の沖縄文化論である(岡本太郎『沖縄文化論』、1961年)。
岡本は1957年に占領下の沖縄を訪れた。岡本は、美術学校の同期で、二科会の会員であった大城皓也に誘われて沖縄に行った。最初は遊びの積もりであったとあるが、この沖縄経験が岡本の仕事に大きな影響をあたえたことはよく知られている。岡本の観察は自己省察もふくめて率直でするどいが、岡本は沖縄では「誰にあっても、底抜けに善良だ。これでピントがあっているんだろうかと、ちょっと心配なくらいだ。沖縄には『いちゃりば、ちょうでえ(行き会ったものはみな兄弟)、ぬう、ひぇだてぬあが(何の隔てがあろうか』という言葉があるそうだ。たしかに、自分と他人を意識し、隔てているような、あの小市民独特のいやったらしさが感じられない」といっている。ようするに気が合う人が多かったのだろう。
岡本は、インターナショナル・ウィメンズ・クラブという琉米新善機関のパーティに招待されたときの経験を述べているが、そこにも、そういう柔らかい雰囲気があったという。「私はいささか気をぬかれた。ここには征服者と被征服者がいる。そのはずだ。だが、沖縄人の方が自然にふるまっている」としている。岡本は、そこに琉球の上層部の貴族的な弱さをみるなど、複雑な状況をみているという自覚もあるが、ともあれ、ここには琉球社会の一部にアメリカを「よき隣人」としてつきあうという様子があったことがみえる。
私は、これはある意味では自然なことであると思う。
もちろん、アメリカの沖縄占領にともなう基地占拠は、国際法に違反した銃剣による土地強奪によるもので許し難いものである。けれども、日本による明治維新後の「琉球処分」、沖縄に対するなかば植民地的な支配、貧困の強制と沖縄差別、そして沖縄戦における日本軍の県民を見放す行動、集団自殺をふくむ大量死をもたらしたなどなど、日本国家のやってきたことと比べて、歴史的にみてどちらがひどいかという比較の問題は、確実に存在したと思う。岡本が沖縄戦の戦跡をめぐって、「この戦跡をみていると、はるかに日本人が日本人に対しておかした傲慢無比、愚劣、卑怯、あくどさに対する憤りでやりきれない」と述べている通りである。
こういう歴史的経験は、20年前くらい前までは、今日よりもさらに沖縄に濃厚に残っていたのだと思う。これが沖縄の「保守」の考え方や、立場がある意味で自然なものであると考えることの理由である。本来の「保守」というものは、どのような場合でも歴史に根をおくものであって、その限りではつねに尊重するべきものであると、私のような歴史家は考える。
沖縄の歴史と、「本土」の歴史は大きく異なる道だったのであって、こういう意味での沖縄の「保守」を、日本の「本土」に棲む「革新」が一方的に批判することはできないだろう。
「琉球処分」によって琉球王国を国際的な信義に違反する形で、日本に強行的に編入し、その上で沖縄県に対してさまざまな行政的差別を行い、沖縄戦において甚大な被害をあたえた以上、「本土」に棲む人間は、「本土」に棲むということ自体によって、特定の責任が発生しているという事態があるはずである。
先日13日の朝日新聞の電子版に、小説家の目取真俊氏のインタビユー記事があった。そこで「翁長知事は工事を止めることができるでしょうか。あまり期待していないということでしょうか」という質問に対して目取真氏は次のようにいっている。
「中央から地方への権限の移譲は進んでいません。限られたなかで、やれることをやるしかない。去年の知事選で翁長さんを応援し、路地裏まで歩いてビラをまいたのも、すぐに工事を止めてくれると思っていたからではありません。当選しても厳しいのはわかっていた。それでも、やらなければ事態がもっと悪くなるから応援したわけです。期待とか希望とか、そんな生ぬるい世界じゃないんですよ。私たちはここまで追い込まれているんですよ」
「自民党にも、昔はもっと歴史を肌で知る政治家がいました。戦争で沖縄に犠牲を押しつけた、という意識を心のどこかに持っていた。それがいまでは、歴史認識も配慮もない。基地を押しつけて当たり前という、ものすごく高圧的な姿勢が中央に見えます。沖縄の保守の人さえそう話す。これじゃあ付いていけない、と思う人が出て当然でしょう。政治が劣化しています」。
「ヤマトゥにいたら、戦争から70年のブランクがあるような感じがするでしょう。でも沖縄の感覚は全然違う。市街地をオスプレイが飛び、迷彩服を着て小銃を手にした部隊が県道を歩いている。戦争の臭いが、ずっと漂っているのです。日本の戦後史は一つではなかったのです」
「憲法9条だけを掲げる平和運動にも、欺瞞(ぎまん)を感じています。敗戦後、再び侵略国家にならない保証として非武装をうたう9条が生まれました。ただし、共産圏の拡大に対抗する必要から日米の安保体制が築かれ、沖縄に巨大な米軍基地が確保されたのです。9条の擁護と日米安保の見直しが同時に進まなければ、結局は沖縄に基地負担を押しつけて知らん顔をすることになる」
「ヤマトゥ離れの意識が、この2~3年で急速に広がっています。もっと自治権を高めていかないと二進(にっち)も三進(さっち)もいかない、という自立に向けた大きなうねりが、いま沖縄で起きている。辺野古の海の抗議活動は、この地殻変動の一つの表れなんです」
翁長知事と沖縄県が面とむかっているのは、アメリカの世界戦略と、それに従属する日本の国家と資本主義の構造そのものである。
そして、目取真氏のいうように、そのなかで「もっと自治権を高めていかないと二進(にっち)も三進(さっち)もいかない」ということになっている。これが沖縄=琉球は、本来、自立した国家、琉球王国であったという問題に結びついてくることはいうまでもない。
もう一度、沖縄に関わる歴史の全体を知らなければならないと思う。
岡本太郎『沖縄文化論』(一九六一年)の一節を引用しておく。
「沖縄・日本は地理的にはアジアだが、アジア大陸の運命をしょっていない。むしろ太平洋の島嶼文化と考えるべきである。(しかも)沖縄・日本は太平洋のなかでもひどく独自な文化圏である」
岡本は、一九三〇年代、留学先のパリでシュルレアリズム運動に参加する一方で、パリ大学でオセアニアを対象とした民族学の専門的研究に取り組んでいる。この指摘は、その蓄積を前提としたものである。
これは、有名な島尾敏雄のヤポネシア論より早く、本質的には同じことをいったものである。つまり、日本の歴史は、現在でもほとんどの場合は、インドから中国・朝鮮にいたるユーラシアの東西軸の影響の下で語られる。しかし、岡本と島尾は、そうではなく、むしろ環太平洋の西部、インドネシアから千島列島にむけて北上する群島の連なり、この列島にそくしていえば南北軸というべき軸線の影響が強いというのである。
アメリカの世界戦略というものは、こういう西太平洋全域の視野から見なければならない。それを「国民的常識」とすることが歴史家の重要な役割だろうと思う。
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