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2015年3月13日 (金)

内閣と沖縄県。粛々とやっているのはどっちか。

 沖縄タイムスから電話取材があった。
辺野古への巨大基地建設の問題である。

 ブログに「このままで行くと、国(というよりも自民党内閣)と県庁の全面的な対立に発展する可能性がある。こういうことは明治維新以降の日本現代史の上ではじめてのことである。自由民権運動のときは地域社会と藩閥政府の対立という実態はあったが行政行為において、こういうレヴェルの対立はなかった」と書いたことについての説明を求められた。

 第二次大戦前の県知事は中央の決定であるから、こういうことは起こりえなかったことはいうまでもないから、行政の相互が行政行為それ自身で対抗しあうというのは、日本国家史上ではじめてのことであると思う。歴史家としてはそういうことを目撃しているという感じで事態をみている。

 公務員が「辺野古」の工事について監視するために立ち番を組むということを沖縄県庁が正規の内部手続きの上で決定せざるをえなかったというのはきわめて重い事件である。

 国と自治体の行政は、主権者の意思を尊重し、それにできる限り従うことを前提として、同じ国家の行政組織として相互に調整し、必要な情報を共有するというのが普通のことである。自治体の側で許可権限を行使した問題について、必要な事後調査が必要になった場合に、政府をふくむ他の行政組織が協力するのは当然の原則である。

 それにもかかわらずそのような情報を提供しない。それゆえに何をやっているかを自治体の行政が監視をせざるをえないなどということは法治主義をとる文明国家では考えられない非常識な事態である。それどころか確認のための調査について「不快」であるなどの感情的な発言を内閣の一員である防衛相がいうなどということは、公務員のあるべき姿からの重大な逸脱である

 自治体が国の関わっている行為を監視せざるをえないなどということは法治主義の下ではあってはならないことである。国は、そのような労働を自治体の公務員に強制したことになる。内閣メンバーも自治体公務員も公務員としては同等の存在であって、内閣メンバーだからといって不当な労働を強制することはできない。内閣メンバーは自分が偉いと思っているのではないだろうか。おかしな話、時代錯誤である。

 行政の普通の常識が機能していれば、こういう労働を自治体の側が組織するなどということは不要なことである。これをやらざるをえないと沖縄県庁が総意として決定したことの意味は重い。この「辺野古監視」という決定は沖縄の新聞で報道され、それを報道した本土の商業マスコミは(私のチェックの限りでは)存在しなかったが、日本の国家と自治体の歴史では重要なターニングポイントであろうと思う。

 昨日、菅官房長官が「法治主義でやっている。何が悪い」という居直りのような発言をニュースセンターでみた。沖縄県がその許認可権限にもとづいて確認調査をするということに対して協力しない、批判するというような非常識な行動をとる内閣が、法治主義というような高級な言葉を乱用することは了解できない。自治体の住民の福利にかかわる重要な問題について、自治体がその行政行為についてフォローすることは当然の権限である。

 菅官房長官の発言は、自治体が、選挙結果にもとづき、公約にもとづいて政策を取ること自身を否定するということである。「自治体が勝手にそういうことをして、政府の政策通りに決められたことを守らないことは許し難い」という訳だ。

 これは国家主義といって法治主義とはいわない。というよりも国家主義という言葉も高級すぎるかもしれない。国家というよりも、この場合は「安倍内閣)が決めたことだから守ってもらう」ということである。しかもそれを機構上は地方自治の憲法原則の上で独立的な権限をもつ国家機構に対していうというのは信じられない神経である。

 これは、ようするに「俺が決めたことだから守ってもらう」「俺が法だ」ということである。こういう発言は、法治主義どころか、国家主義どころが、一つの無法な発言である。それを法治主義という言葉で飾る心情は無教養以外のなにものでもない(ニュースセンターでのコメントが、そういうのは「法治主義であるということでは政治ではない。きちんと話さなければならないじゃないか」とあったのは、コメントとしては甘く、本質を見のがしているように思う)。

 たしかに、翁長氏は仲井真前知事の最末期の行動を批判した。しかし、そもそも、仲井真前知事は辺野古への基地建設に反対であるという公約によって当選した知事である。選挙と住民意思はこの間、基本的な変化はない。仲井真前知事の変心を勧誘し、強圧的に選挙で表現された住民意思を踏みにじったのは、安倍内閣自身である。自身で踏みにじっておいて、それに抗議があると、もう決めたことだ。これが法治主義だというような発言は許されない。これをジャーナリズムは全力を挙げてたたくべきである。そうでなければ、日本の法治主義は地に落ちる。

 沖縄タイムスの記者の方には、東京新聞の夕刊に「政府と県の対立が先鋭化している」とあったが、これは正しくないと伝えた。これだと「国と県の両方が先鋭化している」ということになる。これは正確ではない。先鋭化しているのは驚くべき事に内閣であって、内閣が非常にあせって強行し、大規模自治体と事を起こそう、事を構えようとしているというのが事実であうr。

 沖縄県は常識的な行政行為をしているだけであるという現在のスタンスはあくまでもただしい。

 法治主義にせよ、先鋭化にせよ、日本のマスコミはもっと穏当で正しい言語感覚をもってほしいと思う。

 沖縄タイムスの記者には、なぜ、ブログで意見をかかれたのですかと聞かれたが、考えてみれば、報道の偏りへの違和感からなのだと思う。そしてマスコミがそうである以上、こういうことは学者・研究者としては電子媒体をふくめてどんどん発言した方がよいと思う。
 
 特に問題が「法治主義」といわれている以上、法学界の責任は重い。

 今日の東京新聞は沖縄の民意を無視するのかという記事が一面トップである。ほかのマスコミはどうなのだろう。

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