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2015年3月23日 (月)

 「本土」の住民の沖縄への責任。基地を引き受けるか。安保をやめるか。

 翁長知事が30日までの期限を限って、防衛局に対して、辺野古作業停止を指示した。これが守られない場合は、辺野古埋め立てに関する岩礁破砕許可を取り消すということである。

 日本政府が、この指示に応じることを願う。

 翁長知事が知事になって以来、長く沖縄の各界において議論と調整が続いてきたに相違ない。翁長知事の会見の様子を動画でみたが、県庁の中枢の意思が固いことは明らかである。翁長氏は「粛々と進む」と述べていた。その通りと思う。
 
 『世界』の臨時増刊号「沖縄、何が起きているか」が、3月24日にでるようである。私も「辺野古を報道しない”異様な”日本のマスコミ」という文章を書いた。
 私の文章は別として、多くの方々がよまれることを願う。

 さて、異様なのは、同時に、「日本人」である。同じ国家に属しながら、国家政策として現在取られている安保条約にもとづく基地の74パーセントを沖縄におしつけていて、恬として恥じない国民というものは、近代国家の組織原則とは外れている。

 これは「日本人」というものを根本から考える必要を示している。

 この場合、「日本人」の義務は、二つに一つ。一つは、可及的速やかに沖縄の基地を本土で引き受けることである。これまで70年にわたって沖縄に基地を押しつけてきた。しかも、アメリカ軍による占領の直前、沖縄戦においては県民の4人に一人が死すという惨禍をあたえた。それも基本的に日本軍がしたことである。これは近代国家の原則である国民の権利の平等という点からいって、基地をすべて本土にもってきても当然ということである。

 とくに、現在の内閣のメンバーが地元に基地をすべてもってくる。たとえば安倍首相が地元の山口県にすべて沖縄の基地をもってきたいと主張するのは筋が通った話である。首相が、私を支持していただいたのだから、地元に御願いしてみるというのは自由である。そして、頼まれれば、安倍氏を支持した山口県民は拒否すべきではないだろう。立派な大人が投票した以上、それは義務的なことである。「長州人」がそんなことがわからなくてどうするということである。

 私は、沖縄の方には、申し訳ないことではあるが、この本土に基地をすべて移すということはいえない。むしろ、もう一つの選択肢で御願いしたい。それは迂遠なことであるが、「本土」で、基地を提供する根拠となっている安保条約を問い直し、それをやめることについての議論をすることである。

 これは、今、沖縄の人がそう簡単にはいえないことである。沖縄では、ともかく基地を減らし、その跡地を民間的に開発する。あるいは自然を保全するということで、沖縄の経済と環境の豊かさを維持するという点で一致して行動している。これだけたいへんな沖縄の人びとに安保条約をどうするかという議論についてまで御願いする訳には行かない。上の『世界』の臨時増刊の対談で、佐藤優氏が、「(沖縄では)安保条約の廃棄、すべての基地の閉鎖という極端な話はしていない」と述べている通りである。74パーセントの基地を半分にせよという話でさえなく、ともかく辺野古だけはどうにかしたいということである。「新たな基地負担、新たな環境破壊はやめよ」ということであり、これならば、アメリカ・日本の両国家と相対的に話が可能であろうというように沖縄が考えるのは当然のことである。

 安保条約についての議論が、今できるのは、明らかに本土である。これにはもちろん、さまざまな意見があろうが、しかし、そもそも基地がおかれている根拠をなす安保条約をどう考えるかという議論さえほとんど存在しないのは異様なことである。「本土」で、この問題を議論するのは、けっして「極端」ではなく、むしろ自然なことである。こういう条約があるから沖縄に不当な負担をかけている。それがそれだけ必要なことかを確認したいというのは実に普通のことである。

 安保条約はよいが、基地負担は減らすという言い方は、もちろん、成立する。しかし、現在の日本の政治家に本当にそれを考え、実行できる集団なり、力があるとは、とても考えられない。戦後70年の間、それができなくて真剣な反省をしてこなかったような政治家たちを、今から信頼せよというのは無理な話である。自由民主党・民主党などの劣化は相当のものである。

 ここのところがどうかという原点に戻って議論しなければ、ものごとは始まらないと、私は思う。

 私には、この議論をせずには、つまりともかくもそこに立ち戻って、そもそもどういうことになっているのかという議論をしなければ、物事は結局進まないと思う。それが「本土」に住むものの責任である。

 こういう議論をせずに、世界最大のアメリカと日本の軍事同盟のキーをなす基地の現状を大きく変えることができるなのというのは、私は幻想であり、相当部分が議論のための議論にすぎないと思う。

 ともかく、こんなことが続くならば、もう安保条約の適否について議論せざるをえないという意見が、(沖縄では現状では出しにくい以上)、本土で強くでてこなければ、沖縄基地が抜本的に減らされるということは、現在の日米の政府のあり方からいってありえない。
 そんなことは少しでも考えれば、誰でもわかることだと思う。

 なお、私は、歴史家なので、これに関係して考えなければならないことが多い。一つは、沖縄がほぼ11世紀以来、「日本」とは別の王国を形成していた事実があらためて呼び起こされるのは当然のことである。状況を知れば知るほど、現在の日本国家が、この琉球王国を武力征服した薩摩藩、「琉球処分」によって国際法に反して琉球王国を消滅させた明治維新権力の行動と似たようなことを繰り返しているという認識が生まれるのは自然なことである。

 これだけの歴史的事情があり、かつこういう状態が続けば、沖縄は独立を主張する十分な権利があるのは国連レヴェルでの判断としては普通の判断である。

 もちろん、現状では、その前の問題、つまり、先に述べたように、近代国家が特定の自治体にのみ特定の負担を押しつけるなどということはありえないという原則で処理すべき問題であると思い、当面は、それが望ましいと思うが、沖縄の方々が、こういう状況でより強い自治権を主張するのは当然であり、また独立を主張する権利もあると思う。

 ただ、その上で、いま、私が興味があるのは、沖縄・琉球の文化と日本の文化が、やはり相当早くから深い関係をもっていたと考えてもよいのではないかということである。
 つまり、柳田国男と折口信夫が主張した日本文化の南方起源という問題である。

 迂遠なことをいうようだが、折口信夫は、沖縄の本来の神話には月の信仰が強かった可能性があるという。私は日本の神話においても月の神の位置は高かったのではないかと考えている。
 逆にいうと、日本で太陽神信仰、アマテラスが圧倒的に強くなるのは10世紀以降と考えている。そして、沖縄でも太陽神信仰が強くなるのは14世紀ころではないかという有力な意見がでている(安里進『琉球の王権とグスク』、日本史リブレット、山川出版)。ようするに、10世紀までは琉球も日本も月神神話が強かったのではないか、同じ神話圏に属していたのではないかという仮説である。

 これらの問題をふくめて、琉球・沖縄と日本「本土」の関係を十分に考えなければならない。そういう議論が「日本国」国籍をもつ人びと全体のあいだで教養として考えることができるようになるといい。そのために歴史家としてできることをやりたいと思う。

 しかし、いま「本土」という言葉を使った。「本土」という言葉を使うのならば、上に述べた二者択一の問題を本当に真剣に考えるべきであると思う。そうでなくて何が「本土」か。

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