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2015年4月13日 (月)

Nuclear Plant は「核発電所」といおうーー村上春樹氏の意見に賛成

 村上春樹氏が、Nuclear Plant は「核発電所」と訳そうという提案をしている。

 「これから「原子力発電所」ではなく、「核発電所」と呼びませんか?」「僕に言わせていただければ、あれは本来は「原子力発電所」ではなく「核発電所」です。nuclear=核、atomic power=原子力です。ですからnuclear plantは当然「核発電所」と呼ばれるべきなのです。そういう名称の微妙な言い換えからして、危険性を国民の目からなんとかそらせようという国の意図が、最初から見えているようです。「核」というのはおっかない感じがするから、「原子力」にしておけ。その方が平和利用っぽいだろう、みたいな」(村上さんのところ、2015-4-03)。

 この提案に賛成。

 「水力発電所」「火力発電所」「原子力発電所」と並べると、問題が多いのがわかりやすい。「火力」「水力」というのは、利用の仕方と、発電技術は体系的に完成している。それに対して「原子力」は完成した技術ではなく、統御が可能かどうかはわからない。また「廃棄物」の処理ができない状態なのはよく知られている。

 これを「火力」「水力」「原子力」と並べるのは、「原子力」というものが利用可能な形態で存在するかのような誤解を呼ぶ。正確にはやはり「核発電所」がよいのではないか。

 これは「原子力発電」に賛成かどうか、あるいはそれを今後どうするかとは、少し違う問題だと思う。つまり、誰もが現状の原発には問題があることを認めている。そして、それは相当に重大な問題であることも普通は認められている。そうだとすると、社会的には、最低、問題を回避しないという合意があった方がよい。

 大事なのは、小学校教育だと思う。状況を正確に教えるには、「水力発電所」「火力発電所」「核発電所」と並べた方がよいと思う。ともかく、原発の廃棄物の処理は重大問題で、今の小学生たちの時代には確実に大きな負担になっているはずで、「小学生にそれを教えない」という立場はあるかもしれないが、その分、せめて事態を正確に認識するための言葉の体系は用意しておくのが誠実なやり方だろうと思う。子供たちが「原子力発電所」で覚えるか「核発電所」で覚えるかは意外と大事なことだと思う。

 もちろん、教科書検定で、「核発電所」という言葉を使ったら、文部科学省は何というだろうか。歴史学の教科書の「検定」では、両説を併記せよとか、通説を書けなどの検定意見がつくから、これも通らないだろう。

 少なくとも、その前に、ともかく村上さんのいうことを考え方として知ってもらう。あるいは「その方がいいんじゃないか」という意見を自分でも誰かにいうなどして、ある程度、流通する言葉にする必要があることは確かだろう。

 その場合、もっとも責任があるのは、原子力学界だと思う。これは原子力学界にとって重大な問題ではないだろうか。彼らは、村上さんのいうことなど気にしないのだろうか。

 英語ではatomic plantよりnuclear plantというのが普通になっているという。私には、なぜそうなったのかはわからないが(誰か分かりますか?)、ただ、ドイツ語もKernkraft-Generation。Kernも核。英語のnuclearは核だから、たしかに核発電所という語感で他国の人びとは考えているのだろう。

なお、ついでに「核時代後」という年号を使うようにしたいというのが、歴史家としての意見。私は、自分の賀状は、20年以上、これでやってきた。今年は、「核時代後71年」である。核爆弾の開発以来、71年ということで、これは世界の年号表記としてもっとも問題がないと思う。

 歴史家としては、時間と年代の表記は、何よりも直線的でなければならない。歴史家としては、年号はリニアーでなければならない。直線的で、ずっとつづく連続数でなければならないと思う。

 世界中で客観時間で時間を認識するというのは、歴史学の最終目的の一つであるが、そのための重要条件は、年代表記ができる限り連続的であるということで、この点で、今でも日本の元号を使うというのは賛成できない。この点で、西暦(キリスト紀元)というのは便利であるが、しかし、西暦というのは、やはり、ヨーロッパ中心史観の影がある。これを将来の将来まで使用するということには、無理があるように思う。イスラムの人には、とても賛成できないだろう。

 それは、世界で共用できる時間意識というものがどういうものになるのかという問題である。世界史をどう考えているかという問題である。これを国連で提案するような日本政府であってほしい、そういう政府にするようにしなければならないと思う。
 昨日は選挙があったが、原発問題を回避せずに考えていきたいものである。

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