保守と革新という言葉を越えて
堀田善衛に「幸福への意思」というエッセイがある。久しぶりに読んでみた。「幸福への意思」という題であるが、むしろ堀田のいいたいことは「不幸への意思」という言葉である。その要点は次のようなもの。
「私にはあの戦争の犠牲においてえられた、幸福になり平和に暮らすための様々な基礎的な条件を、一つ一つと失くしていっている今日の状態、その姿を身近に見る思いがすることが多い。それで私は考えました。いったい私たちは本当に幸福になろう、平和に暮らそう、と思い、本当にそれを欲しているのか、どうかと。まことに傲慢無礼な疑いです。けれども、平和と幸福のための基礎的な条件が、多数決によって一つ一つと崩されてゆくのを見ていると、そういう疑いが湧いてくるのを禁じえません。(中略)。私には、私たちのなかには、どこかに『不幸への意思』とでも云いたくなるようなものがあるような気がします」。
1952年7月の『新日本文学』にのったものだから、いまから63年前のものであるが、しかし、今にもあてはまるのが気味の悪いところである。私は、これを重要な問題であるというように、ずっと考えてきた。その答えが少し見えてきたように思うので、書いてみたい。
つまり、「私たちのなかには、どこかに『不幸への意思』とでもいうべきものが潜んでいるのではないか」というのは、一種のニヒリズムのように聞こえるが、しかし、むしろ事実の一面を突いていると考えた方がよいのではないかということである。
システムを破壊したい、絶望と自棄の心情、あるいは未来について正確に考えようとしない心情。どうせそんなものだというあきらめ。破滅型の自己破壊衝動のようなもの。これは個人のなかに宿ることがある。
しかし、ここで問題にするのは、社会的な問題である。私たちの社会、あるいは世界には、確実に「不幸への意思」をもった集団が、その中枢部に存在するということである。その極点は戦争である。第二次世界大戦に突っ込んだ日本の支配層は、これが見込みの少ない戦争であるということ、あるいは少なくとも賭のようなものであることを知っていた。また、イラク戦争の経過をみても、それは明らかである。なぜ、虚偽情報を操作して他国に侵略したブッシュのような人物が社会の中枢に宿るのか。ニクソンも同じである。
なんでそういうことになっているのか。私は、富の一極集中あるいは権力の一極集中といわれるもの、膨大な利害が社会の一極に集中する構造が一種の病理現象をもたらすということであろうと思う。安楽のなかにいる社会集団、特殊な生活環境を確保した閉鎖的な集団、その一部が病理現象におちいり、世界にアドジャストできないという感覚のままに、その富なり、指導力なりを、ともかく使ってみたいという欲求。そういう黒々としたものが客観的に存在するといわざるをえないと思う。藤田省三氏に「安楽のファシズム」という言葉があるが、その安楽を「大衆的な構造」と捉えるのではなく、過剰な安楽の特殊な病理現象ととらえる余地はないか。
遠いことをいうようだが、歴史家として、平安時代の貴族社会の異常というものを見ていると、そういうことを考える。そして、最近、考えるようになったのは、そういう自己破壊衝動のようなものが、自然に対する不信感、自然が自己の思いのままにはならないという不満感、それをねじふせてやるという高揚感、どうせ大したことはないというあざけり。そういうものによって倍増されているのではないかということである。
『歴史のなかの大地動乱』という新書で九世紀の日本列島を「温暖化、パンデミック、大地動乱」と描いたが、現在は、これにくわえて「原発、核発電所」を抱え込んでいるということになっている。「核発電所」を作ってきた側の自己弁護の心情というものが怖い。それは一種の自棄であり、突き詰めていえば、結局、自己呪縛であり、未開の怖れである。巨大になったシステムをどう扱ってよいか、責任をもった思考を展開できない子ども。魔力を呼び出してしまった魔法使いの弟子。
さて、そういう自己破壊衝動の様相を、徹底的に、具体的に明らかにすることが必要なのであろうと思う。これは学術の敵である。そして、私は、この社会(あるいは社会の頂点的中枢)に宿った自己破壊衝動を飼い慣らすためには、社会は「保守と革新という言葉を越える」覚悟をもたねばならないのではないかと思う。
もちろん、これは従来の保守や革新の内容や実績を否定しようということではない。しかし、保守・革新が、おのおのそのまっとうな部分において培ってきたものをさらに伸ばしていくためには、「保守的進歩=進歩的保守」というようなことが必要なのではないかと思う。沖縄の翁長知事の行動をみていると、そう思う。
しかし、「保守的進歩=進歩的保守」というのは、別の言葉で表現するべきものであって、適当な言葉としては「成熟」あるいは「持続」sastainabilityということになるのではないかと考える。こういう意味で、私は、「保守・革新」というという言葉の使用は根本的に再考するべきであると思う。
とくに問題は「革新」である。以下、やや舌足らずになるが、説明してみたい。
私は、おそらく40代の頃から、歴史家としては「保守」というのは必要なことだ、そして「革新」という言葉は問題が多いという立場をとってきた。
これは外国語で表現してみれば自然なことで、まず「保守」はCoservativeである。社会的な記憶をささえる情報を公正に管理する組織、つまりアーカイヴズには、かならずコンサベーター、つまり資料保存の専門家がいる。情報をたとえば撮影によって記録したり、文字の書かれた紙の損壊をさまたげるなどの仕事はきわめて奥が深い仕事である。歴史家は社会の記憶を保存するための知識や感覚を創り出すという仕事が社会との関係では、もっとも重要な仕事なので、そもそもどのようなものであれ「過去を大事にする」という保守の信条をもつのが当然なのである。歴史家は、現実の仕事としては、どちらかといえば直接には保守conservativeの仕事であるというほかない。
これに対して「革新」というのは、新たに革(改)めるということであって、英語でいえばReformである。歴史家とて、「改革」というのは必要なことであると思う。しかし、「改革、改革」といって、それを理由にして社会システムを変化させようという主張にはつねに疑心をいだく。Reformという名目によって何が行われるかは、中身を検討しなければわからないのだが、そもそも、Reformということを、その言葉だけで褒めたたえるという傾向がある。Reformという言葉に呪縛されているかのような論調というのがもてはやされるのはきわめて問題だと思う。
歴史上とくに問題であったのは、「復古的革新」というもの、いわゆる「維新」の思想である。「明治維新」は「文明開化」と「王政復古」を無理に組み合わせて遂行された。歴史家からいえば、明治時代は、本当に困った時代で、過去の文化財をあれだけ破壊した時代はない。「復古」というのは、ようするに過去を恣意的に選択し、その基準に入らない過去を切り捨て破壊するということであった。それが列島社会に根付いた伝統文化を大きく破壊する結果をもたらしたのである。復古であるにもかかわらず文化にとって無惨な結果となったのは、それが「復古的革新」であったためである。伝統敵文化を尊重して社会を作っていくというのは手間も資本もかかる仕事である。そうではなく、いわば安上がりのナショナリズムを超国家主義という形で実現する方向に進めたのが明治憲法体制であった。
網野善彦氏は「明治の時代に近代化を進めたとして高い評価を与える考え方には大きな問題がある」といわれるが、その中心問題は歴史家にとっては、いわゆる「神仏分離」を中心とした文化財破壊である。作夏、比叡山に登ったときに、それを実感した。比叡山の文化財については、信長による破壊が有名であるが、むしろ「神仏分離」の方が甚大な損害をもたらしたように思う。そして「神仏分離」は、結局、日本社会における「神祇・神道」の文化的な位置も壊すことにもなった。
話がずれたが、それゆえに、私は、「革新」というよりも「進歩」という言葉を好んで使ってきた。しかし、問題をconservativeとprogressiveと言い直せば、保守と進歩の双方が必要であることはいよいよ明瞭である。歴史家からすれば、あるいはもっとも常識的にいって、CoservativeなしのReformation=progressive、ReformationなしのCoservativeというのはありえないことだと思う。ようするに「保守」に「進歩」を対置するということはそろそろやめて、「成熟」あるいは「持続」=sastainabilityに賛成する世論を多数者としていくことを、第一の社会的な立場としたらどうかということである。
「保守」対「革新=進歩」の対立ではなく、「成熟=持続=sastainability」と「破滅型=不幸への意思」の対立こそが現実的な対立なのではないかということである。
歴史学は、社会の成熟をめざす学問、社会が社会自身と折り合いをつける、社会が、その実態としての過去と折り合いをつけて、未来を眺望することを支える、そういうことを希望としている学問である。
もちろん、問題の根本は人類の未来をどう構想するかということであって、それは日々の社会的・政治的実践によって問われるほかない問題である。歴史学は現在に直接に関わることはできない。しかし、未来を考えるためには、社会がその過去と折り合いをつけて成熟への意思をもたねばならない以上、社会を後ろから支えることは必要なことだと思うのである。
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