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2015年5月 7日 (木)

歴史学と民俗学について。

歴史学と民俗学について。

 ある事典のために書いた歴史学という項目。

 歴史学は過去を過去として考察する学問である。過去の人間社会を考察するために歴史学は過去から伝わる「物・記憶」のすべてを研究手段(史料)として扱う。それは文字史料・絵画史料・物史料・民俗儀礼・伝承記憶などのすべての形態をとり、それらを史料として扱うために歴史学は諸科学の援助をうけて膨大な作業を遂行する。これは経済学・法学などの社会諸科学の考察の中心が現在であり、現在の社会関係であるのとは異なっている。この点では歴史学は諸科学が過去を分析材料として利用できるように奉仕する学問であると自己規定しなければならない。歴史学は、その利用済みの過去素材の貯蔵と発酵の場の世話人でもある。

 もちろん、歴史学がまったく現在に関わらないというのではない。ただ歴史学が関わるのは現在の中にいる人びとの記憶である。人びとの記憶の世界はおのおの独自にしても、その基礎にある過去の事実の写像が歪んでいないようにするというのが歴史学の目標である。現在、アーカイヴズの科学がコンピュータの力をかりて発展し、「社会的な記憶装置」としての性格を帯びはじめているが、この意味では、歴史学はアーカイヴズに奉仕し、いわば人びとの記憶の営みに筋を通していくための学問であるということができる。それによって歴史学は過去を回避せず、過去を共有し、一歩退いたところから未来をみる視座を確保しようとする。

 これに対して、柳田国男に始まった日本民俗学は、いわゆる「経世」の学であり、過去学・過去科学ではなく、現代学・現実科学として自己規定をしていた。もちろん、たとえば石母田正の「三先生のこと」という文章などに明らかなように、柳田は歴史学の最大の先達の一人として認められてきた。民間伝承や民俗・儀礼など歴史学と民俗学の対象とする史料が大きく重なることもいうまでもない。歴史学と民俗学がそれ自体として重なっている面も大きい。しかし、民俗学が民俗意識の中の過去記憶のみでなく、現在の生活意識そのものに直接に関わろうとし、そこに内在する現実疑問に対応する「経世」の学たらんとする意図は貴重なものである。その意味では禁欲的で固い学問であらざるをえない歴史学が、民俗学から示唆をえる局面、教示をえる側面は依然として大きいと考えられる。伝統ある日本民俗学が世界の人類学・社会学・精神科学などと関わって、どう発展していくか、それは歴史学にとってつねに目をはなせない問題である。

 歴史学は過去科学、民俗学は現在科学という区別は関敬吾、牧田茂の用語である。そしてその原点は、柳田の1951年(昭和26)6月10日の柳田が民俗学研究所で発言した記録にのっている「過去学」「現在学」という言葉にあるという。これは『民間伝承』(15ー9)に載っているということだが、私の使っている『定本柳田国男集』筑摩書房には載っていない。宮田登『新版 日本の民俗学』(講談社学術文庫1985年)に載っているのを読んだ。
 柳田は、「これまで史学を過去学としてやってきたのが間違いである。民俗学と同様に現在学でやってほしい。私は意識して民俗学を史学の一方面であるといってきたが、ぎゃくにいえば、そういうことだ」という趣旨の発言をしている。私見は史学は過去学であることを明瞭に意識した上で未来を考える学問であるということである。未来を考えるとはいっても、これは漠としたものにならざるをえないし、それこそ他の学問に依拠しなければならず、またさらに本質的にいえば未来は実践の問題である。
 
 この宮田さんの本を引っ張り出すのに時間がかかった。先日作った民俗学の新書文庫の棚に整理。以前読んだ本だが、でてきたところで、もう一度記憶に残したい本である。
 驚いたのは、去年、橋本道範氏から教わったギアーツのインボリューション論についてすでに論じていること。以前に読んだときに線をひいてあるが、involutionを「内旋」と訳してある。

 あわせて、『網野善彦対談集2』(多様な日本列島社会)にのっている谷川健一、坪井洋文、宮田登の諸氏と網野さんの対談を読んだ。
 歴史学と民俗学の関係は、今後、どうなっていくのだろう。ここはおいおい勉強のし直しである。

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