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2015年6月30日 (火)

網野善彦氏の対談集と「日本」通史

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 網野善彦氏の対談集、全五巻(岩波書店、山本幸司編)が完結した。網野さんの著作・論集とは区別してよく読んで勉強をしたい。ともかくたいへんに面白い。『現代思想』(2015年2月、網野善彦特集)で山本・桜井英治・成田龍一の三氏と座談会をやって網野さんのことを論じたが、そのときに勉強したことを復習している。

 私の机の目の前には、いま、左側に岡田精司さんの黒い本(神話論の古典)、そして真ん中に網野さんの対談集、そして右側に石橋克彦さんの『南海トラフ巨大地震』が並んでいる。
 しばらく、こういう配置が続くと思う。

 それにしても考えるのは「通史」ということである。網野さんの『日本社会の歴史』(岩波新書)は、東国・西国の矛盾関係を動力として進む列島の歴史という感じの本である。これが重要な方向であることを確認している。
 しかし、原点・出発点にどうにか「神話」をすえたいというのが第一。そして第二が地震と噴火などの自然史に直結する時間感覚を通史に導入したいということを考えている。
 
 下記は、友人たちとの「通史」をめぐる議論のためにつくったメモ。私は、ともかく、いま「日本史」には通史らしい通史は存在しなくなっていると考えている。これは困ったこと、ゆゆしいことで、変転の多い近現代を歩んだ「日本」にとってやむを得なかったことかもしれないが、「通史の感覚」をもたない「国民」というのはきわめて変わっていると思う。


(1)「通史」とは何か。
 「通史」というものを実際上は、単に固定的な暗記すべき諸事項の時間順の羅列と理解してしまうことは正しくない。むしろ「通史」という用語は十分な定義を必要とする。それは一般的にいえば歴史認識を時空間、とくに時間の連続性のなかにおくということである。日常生活を超え、時代を貫通していく長い時間というものを、主体的であると同時に客体的あるいは先験的なものとして意識し感覚する能力ということである。そのような歴史認識のあり方をつちかうためには、いくつかの複合的な力を必要とする。ここでは、それを(イ)「追体験」、(ロ)「知識」、(ハ)「理論」という三つの局面から説明する。

 (イ)「追体験」とは、多様な現在的問題についての実感を軸にして過去に遡行する認識スタイルをいい、それを様々な時代的過去、様々な事象について個別的・微視的に確保することによって追体験の「束」のようなものを創り出し、それによって時代的時間を意識することである。これがすべての基礎にある。

 (ロ)「知識」とは、上記のような「追体験」を前提として、様々な歴史的な知識のダイナミックな蓄積のスタイルをいう。これは歴史学のもつ他の学問との相互参照系を実態としているといってよい。過去の諸事象についての認識を自然科学、社会科学、人文科学と関係づけて、通時的に(クロノロジカルな、時間を追った)、空間的に、つまり時空間のなかで発見していく構造をいう。

 (ハ)「理論」とは、「追体験」と「知識」の総体を前提として、人類がどういう社会的課題をもっていたかに即して、その累進的な解決の構造に即して、歴史的過去を再構成してみることである。佐々木潤之介の言い方では、「歴史学とは、歴史的に形成された問題は、歴史的に解決・克服できるということを基礎にして、その営みを続ける学問である」(佐々木潤之介『地域史を学ぶということ』吉川弘文館、16頁)ということになる。

 この(イ)(ロ)(ハ)については、さらにおのおの説明を必要とするが、それは後にふれることにする。また「通史」という言葉は、ある種の略号であって、この言葉にこだわっても仕方がないところがある。しかし、いずれにせよ、歴史認識を時空間の客体性のなかで鍛えるということ、それによって過去を今の時代のものとし、人類史の記憶を培っていくということを中心に議論することになる。

(2)「通史」の困難 

「通史」の困難は、我々の日常というものは、長い時間を意識しないで過ごす局面が多いという一般的な状況によっている。長い時間を、そのようなものとして活かし、歴史を参照系としつつ社会を構成していくという意味での成熟した社会とはいいがたいという現実が問題なのである。

 その上で、(イ)(ロ)(ハ)の歴史認識に関わる歴史学の局面にそくしていえば、(イ)課題意識の共有や調整の困難、(ロ)学際的な協力と知識学的な融合性と洗練の困難、(ハ)社会構成、構造の理論的な認識の困難ということになる。これらを歴史学の分野・時代・地域などの専門をこえて一体化する必要があって、それはまだ夢のまた夢である。この点で歴史学は動脈硬化をおこしており、歴史学研究の立場からいえば、これについての責任を果たしていないままに「通史」ということを歴史教育に対して無前提に主張することは空語にすぎない状態である。議論のためには「通史というものは実際には存在していない」という状況を正確におさえておく必要がある。実際上、日本史では、各時代をこえた課題意識の共有や、学際的協力、理論的な議論などは存在しない、討議も十分ではない状況である。


(3)教科書における「通史」と「通史学習」。
 教科書は、学ぶ者にリーダブルなものでなければならない。教科書は子どもと若者にとって最初の「本」であり、「読書」の対象である。教科書が活字離れを引き起こすなどということがあってはならない。教科書は「面白い」というのではなく、面白く、そして子どもが自主的に興味をもって読み通せる一貫性が必要である。それは通読できるということであって、通読によってはじめて体系的な知識が可能になる。歴史教科書の場合は、「通史」というものは、まず教科書叙述が通読できる、通読に耐えるということです。通読できないのならば「通史とは何か」ということは最初から議論できない。ただしここで「通読」というのは、子どもが、本をもっぱら自分で読んでいくということではない。教師による授業での援助によって「学びを重ねる」ということである。しかし、教科書が「学びを重ねる」ことが可能であるためには、結局、それ自身として通読が可能なものであるということが条件となる。学年の授業が終わり、あるいは学校を修了した段階で、子どもが手もとに残して振り返り通読し、知識の索引として利用できるものである必要がある。

 その意味で、教科書を一つの通史叙述とすることは絶対的な必要である。しかし、それは前記の(イ)課題意識の共有や調整の困難、(ロ)学際的な協力と知識学的な融合性の困難、(ハ)社会構造論にかかわるような理論的な認識などの条件によって、むずかしい。それを突破するためには、学者・教師の相互討論によって、それを活性化していくのは理想ではありますが、これもなかなか困難です。もっとも有効なのは、教師の側が教科書を書き、それに学者の側が協力することでしょう。

 この意味で教科書は「通史」でなければならないということ、また歴史学・歴史認識にとって「通史」が必然であるということになる。しかし、だからといって、とくに小中学校における授業と歴史教育が「通史学習」の形式にそったカリキュラム構成をもつべきであるということはストレートにはいえない。教科書は「通史」という窓を開いておく必要はあるが、しかし、授業がどうなるかは別問題である。とくに地域史や分野史はきわめて重要であり、それを重視するなかでは、すべてを過不足なく授業で教えるという「通史学習」は困難性が多い。これは社会における歴史文化のあり方そのものにも関わってくる。教育のなかでのみ「通史」学習ができるとは考えられない。現在のような非歴史的な文化状況全体をひっくり返していくことなしには、それはむずかしい。

 カリキュラム構成が、どうなるかは、歴史の学者と小・中・高校の教師が熟議し、歴史学の新しい水準を大胆に取り入れて、歴史の授業の内容と順序編成をすべて組み立て直すなかでしか具体像はうまれない。

(4)教科書の社会的性格について
 教科書は、強い社会的な性格をもっている。社会的費用を使用して作成される公共的教材である。その性格は下記の三つに区別できる。(イ)「主たる教材」、(ロ)「学者と教師の間の」、(ハ)「憲法的基準の反映」。

 (イ)は、ある世代の子どもに共通にあたえらえる教材であり、「読書」の対象であり、教師集団と子どものあいだを結ぶ共通性をもった教材である。「主たる教材」とはその範囲のことであって、個々の授業における教材という点からみれば、そこでは教科書はあくまでも一つの教材である。専門職としての教師は、そのような教材の総合的な扱いにもとづく発語と提示に習熟した教育的人格であるが、同時にその教科に関係する学術を学ぶ者、「学徒」でなければならない。教師が学徒であることによって、教師は、その学的興奮あるいは発見を子どもに伝え、また教師も子どもも学ぶものとして対等な立場に立ちうる。そういう立場からして、教科書以外に多様な教材を準備するのは専門職としての教師にとって義務である。「教科書で」授業する安易さは排除されなければならない。教科書は教師の「教え方」を指示するものであってはならない。「教え方」(教育方法)は個々の教師もしくは教師集団の教育の自由を完全に保証しなければならない。歴史は多様であり、「教育方法」や「教育内容」が一つになることはありえない。それは教育が人間的営為である以上、教室毎できわめて多様になる。そこに大枠での一致と一定の共通知識が期待されることと、「教育方法」や「教育内容」が一つになることは違うことだろう。もちろん、教師集団は大事であって、多様な教師集団が討議と経験によって同一の「教育方法・内容」を志向することは充分にあることであり、それなしには歴史教育は前進しない。しかし、それでも、そのような集団はつねに複数であり、また基軸的に重要なのは教師個人であろう。「教科書を」多様な教材と教師の発語のなかに相対化して位置づけることが必要である。

 (ロ)は、学者と教師の間での議論、研究と教育の統一の媒体という意味である。もちろん、教科書製作の中心は教師であるのが当然であると思う。しかし、教科書が公共的教材である以上、関係する専門性のあいだでの自立的な議論や調整が必須となる。この場合、教科書の執筆者は、まずその教科についての見識をもつ学徒であるのみでなく、研究者として自己規定しなければならないだろう。

 (ハ)は、教科書の教育内容は、憲法の大綱的基準にそっていなければならないということである。教科書が公共的教材である以上、憲法的基準を外れるような主張は教科書のみでなく、教育そのものの中にも持ち込まれてはならない。むしろ、教科書は、どのように憲法に対応しているのかをつねに正確に自己意識している必要がある。

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